- 171 名前:吾輩は名無しである mailto:sage [2018/10/02(火) 01:25:57.36 ID:XYuD3X1a.net]
- もし人が彼の前に立って、彼の心のままに審判さるる犯人の罪を、自ら負うことができる
ならば、猶予なくそれを実行して、自ら犯人のために苦しみ、犯人はなんらの譴責もなく 赦してやるがよい。たとえ国法によって審判を命じられたのだろうとも、なお事情の許す 限り、この精神をもって行動するがよい。こうすれば犯人は法廷を去った後、他人の審判 よりさらに苛烈に、自分で自身を裁くだろう。もし犯人が審判官のキスに対してなんらの 感動をも覚えず、かえってこれを嘲笑しながら立ち去ろうとも、決して迷いを起こしては ならない。これは詰まるところ、まだ彼の時が来ないのであって、来べき時には必ず来る に違いない。 また来ないとしても同じことである。もし彼が悟らなければ、そのかわりにほかの者が悟 って苦しむだろう。そうして自分で自分を責めるに違いない。すると真理は充たされるこ とになるのである。人はこれを信じなければならない、必ず信じなければならない。 この中に古聖の希望も信仰も、ことごとく蔵せられているからである。 ------------------------------------------------ (我)これらは なんという思想だろうか? このような精神で行動しているもの、また胸中奥深くに こんな思想を抱いているものが、現代世界に何人いるのか?
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