- 1 名前:1 [03/08/29 00:34]
- 正直、好きだ。
- 422 名前:吾輩は名無しである [2005/11/19(土) 10:26:23 ]
- 10月の毎日新聞に「予告された殺人の記録」に関する記事があった。
小説の題材になった、コロンビアのマグダレーナ河の河口にある町を訪ねて 書かれた記事だった。 熱心に求愛され、盛大な結婚式を行った女性が、結婚した翌日に実家に 処女でなかった、という理由で新郎の家からつき返された。 家の名誉を汚されたと怒った彼女の兄が、相手の男とされた医学生を 住民が見守る中で殺した。 1951年に起きた事件だった。 マルケスは、この事件を小説に書いたのは1981年。事件から30年後で あった。 「毎日」のこの記事で新事実が書かれている。 女性の相手は医学生ではなくて、神父だった、と殺人を犯した兄も、彼女の 家のものも確信していた、という話。 医学生は誤って殺されたのだ。 この小説の中でも、暗号のような言葉を、女主人公と殺された男に言わせて いる、と記事は書いている。 この事件を取材したマルケスは、この事実を知っただろう。しかし小説では それは書かれていない。
- 423 名前:吾輩は名無しである [2005/11/19(土) 10:53:06 ]
- >>423
事件のあった51年当時、マルケスは新聞記者をしていて、「殺人より 集団責任という文学的テーマに関心を持った」と著者は述べている。 殺された医学生はマルケスの親友だった。 しかし事件の記事をまとめた時点では、「遺族」が悲しむと反対されて、 親友の母が亡くなった後の81年に、小説として発表した。 マルケスは自伝でも、この事件と小説に関連して、「神父のこと」は何も 事件の女性、小説のモデルとなったマルガリータ・チーカは2003年に 75歳で亡くなった。 マルケスがノーベル賞を貰い、彼女が有名になってしまった後で、彼女は 一度だけイアンタービューを受けている。 「私たちに起きたことは、神様だけがご存じだ」と語ったそうだ。
- 424 名前:吾輩は名無しである [2005/11/19(土) 10:55:50 ]
- >>422
事件のあった51年当時、マルケスは新聞記者をしていて、「殺人より 集団責任という文学的テーマに関心を持った」と著者は述べている。 殺された医学生はマルケスの親友だった。 しかし事件の記事をまとめた時点では、「遺族」が悲しむと反対されて、 親友の母が亡くなった後の81年に、小説として発表した。 マルケスは自伝でも、この事件と小説に関連して、「神父のこと」は何も 記していない。 事件の女性、小説のモデルとなったマルガリータ・チーカは2003年に 75歳で亡くなった。 マルケスがノーベル賞を貰い、彼女が有名になってしまった後で、彼女は 一度だけイアンタービューを受けている。 「私たちに起きたことは、神様だけがご存じだ」と語ったそうだ。
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