- 263 名前:ツール・ド・名無しさん mailto:sage [2018/01/29(月) 08:12:13.72 ID:+FYDYQGG.net]
- であり、棟札から1768年に建設されたものであることが判明
している。また、主屋は「平面座敷型」をとっており、近世にな って御師住宅の様式が確立される以前の御師住宅として最古の部 類の建築物である。離座敷は、富士講が盛んになるととともに主 屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から主屋の東側に増 設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前 に配置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有 している。写真主屋等の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐 野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の 前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式になる 。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南 寄りに式台、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主 屋台所の前方に建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻 造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な 改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅として の形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的 少ない社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐 野家住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している 平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士 講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象とし て数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品と ゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素と
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