- 223 名前:ツール・ド・名無しさん mailto:sage [2018/01/29(月) 02:55:11.95 ID:3KemcgDn.net]
- 登山者は激減したが、六合目以上については、現在残る登山道の中で最も多くの道
者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口登山道を上って山頂を目指している。し かも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口 登山道の写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然紀念 物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国 立公園に指定1952年所在地が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定 1978年「特別名勝富士山保存管理計画」策定(1999年、2006年改訂) 1996年歴史の道整備活用事業により馬返〜1合目区間を発掘調査・整備199 9年「特別名勝富士山保存管理計画」を改訂2006年「特別名勝富士山保存管理 計画」を改訂2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに登山道の一部を史 跡富士山として指定−26−2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定 )A6北口本宮冨士浅間神社富士山北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭神とし て木花開花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富士山の遙拝 所に祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、1480年には「富 士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる 。当神社は領主からの崇敬が厚く、境内に現存する3つの社殿は、1561年、1 594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進したものである。富士講とのつ ながりが強く、1730年には富士講の指導者である村上光清の寄進によって境内 の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。北口本 宮冨士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており、神 社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社殿の背後に登山門があ り、この神社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田 御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である。写真北口本宮冨士浅間神社の 写真(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表法的保護、修理・整備の経緯1907年古社
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