- 2 名前:あ、 [2011/07/19(火) 08:03:46.42 ID:Y58o6NcP]
- ・1970年10月10日生まれ。同学年には、羽生、藤井、丸山、郷田、先崎がいる。
・祖父は京須行男八段。奨励会の幹事を務めたこともあったが、 当時の奨励会には中原、米長、大内などが在籍しており、何かと苦労が多かったようだ。 ・小学校3年生の時に将棋と出会う。その後、すぐに将棋に夢中になり、 学校から帰ると「将棋世界」を読みながら、京須八段の形見の駒を動かしていた。 ・1981年1月6日、新宿で開かれた小田急将棋まつりの小学生大会の予選2回戦で 同じ小4で後にライバルとなる羽生善治と初対戦し、ツノ銀中飛車で勝利する。 しかし、翌日に行われた本戦の準決勝で再戦し、今度は完敗する。 ・1981年8月、友達になった羽生に誘われ、東京都下小学生名人戦に参加するため八王子まで行くが、 神奈川県在住だったため参加することができず、観戦だけして帰った(優勝は羽生少年)。 その姿を見た主催者が不憫に思い、翌年から規定が変わり、県外からの参加もオープンになった。 ・1982年4月、小学生名人戦でTV初登場。しかし、「リハーサルと同じ様にお願いします」という ADの言葉を勘違いして、将棋まで同じ様に指してしまい、惨敗。優勝した羽生とは対戦できなかった。 ・1982年8月、規定が変わった東京都下小学生名人戦に参加。 決勝で小学生名人の羽生を204手の泥仕合の末に下し、優勝する。 ・1982年12月、奨励会を受験。入会試験で、負ければ不合格の対局を3連勝して合格(その内の1勝は林葉から)。 ・奨励会1級の頃に、高柳道場で時の名人だった中原誠と対局し、大熱戦を演じる。 後年、中原は「ひっぱり込むような受けをされ、負かされそうになった。これは強くなると思いました」と語っている。 ・奨励会二段の頃に、島朗から研究会の誘いを受ける。もう1人のメンバーに郷田を推薦するか、 佐藤康光を推薦するか迷うが、結局、佐藤を推薦し、さらに羽生を加え、最終的には4人で研究会を結成。 ・高2で四段に昇段。その時のインタビュー。 ── 目標は? 森内 「名人です」 ── 尊敬する棋士は? 森内 「米長九段」 ── ライバルは? 森内 「羽生善治、佐藤康光、先崎学」 ちなみに、好きなタレント・歌手は、「南野陽子、Wink」と答える。
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