- 204 名前:狩野待望論 改め 落合待望論 mailto:sage [2011/10/17(月) 13:15:04.60 ID:CQ0oYQcN0]
- ■梨田昌孝氏まとめ
梨田 昌孝(なしだ まさたか、本名:梨田 昌崇(読み同じ)、1953年8月4日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球監督、野球評論家。 1984年より登録名を「昌孝」としている。愛称は「ナッシー」。 ■現役時代 現役時代は、打席で両腕をクネクネと動かすフォーム『コンニャク打法』を開発すると勝負強い打撃を発揮し、正捕手の座を奪取。 1979年には球団初のパシフィック・リーグ優勝を経験し、1981年まで3年連続ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を受賞するなど、長きに渡って近鉄の捕手として活躍した。 通算安打数は874。 ■近鉄監督時代 監督就任1年目の2000年は最下位に終わったが、2年目の2001年に近鉄球団を史上4度目、球団最後のパ・リーグ優勝に導いた。 同一監督の下で前年最下位から優勝を果たしたのは1975年の最下位から翌年の1976年に優勝した長嶋茂雄率いる読売ジャイアンツ以来。 2001年の日本シリーズの前に、対戦相手であるヤクルトスワローズの若松勉監督とともに写真撮影に臨み、緊張の色の隠せない若松とは対照的にカメラに向けて笑顔を見せたが、1勝4敗で敗退してしまった。 その後2002年は2位、2003年は3位とまずまずの成績を残した。 ■日本ハム監督時代 2008年に北海道日本ハムファイターズの監督として4年ぶりに現場復帰。 就任1年目のシーズンは3位でリーグ戦を終了。CS第2ステージでは埼玉西武ライオンズに2勝4敗(リーグ優勝チームに与えられるアドバンテージを含む)で敗れ、日本シリーズ進出はならなかった。 2009年、就任2年目で日本ハムを2年ぶりのリーグ優勝に導く。近鉄監督時代も就任2年目でチームをリーグ優勝に導いている。 CSを勝ち進み日本シリーズに進出したが、現役時代を含めて4回目の出場となった日本シリーズでは読売ジャイアンツに2勝4敗で敗れ、自身初の日本一はならなかった。 2010年は全日程を終了した時点では3位だったが、千葉ロッテマリーンズが最後の3試合を全勝すれば3位浮上という状況の中で全勝したため、最終的には4位、日本ハム5年ぶりのBクラスでシーズンを終えた。 ちなみにこの年4位になったことで、梨田は監督として全順位を経験することになった。
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