- 302 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2012/07/23(月) 11:17:08.75 ID:???]
- 長槍を持つ明軍も倭寇の大太刀の強さを認めて自軍に取り込んで
韃靼相手に有効活用してるしなあ。 戚継光『紀効新書・長刀解』 日本人には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる 兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。 日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。 われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を 備えるべきだ。 www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、 もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を 配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を 短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に 長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、 下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、 素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。 日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。 www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm 嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。 このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、 中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)この論断は歴史的事実と確かに一致している。
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