- 204 名前:見ろ!名無しがゴミのようだ! mailto:sage [2010/06/10(木) 17:23:04 ID:PB2eWorP]
- いちいち達観ぶって腐してないでハッキリものを言ったら?
ちなみに片淵さんのコラムから >あるとき、宮崎さんが、「こういうものをゲーリー・カーツに出そうと思う」 といって、自分でしたためた書類を見せてくれた。 こうした娯楽映画はどういう要素をちりばめるべきか。 それらはどんな順序で構成されてゆくべきか。 「健全なる主人公」 「主人公が守るべきヒロイン」 「解かなければならない謎」 「守るにあたいする人々が住む村、国」 「敵味方が争奪戦を繰り広げる『宝』の存在」 「事態を混乱させる盗賊的存在」 言葉は正確ではないが、等々の要素が望ましい娯楽映画には必要であり、 それはこれこれの順序で提示されてゆくべきだ。そんなことが書かれていた。 これならばよく知っている。わざわざ見せてもらわなくとも知っている。 それは、まさに自分自身、『カリオストロの城』『長靴をはいた猫』 『どうぶつ宝島』『未来少年コナン』などを見比べる中から 帰納法的に導き出していたひとつの定式、それを携えて取りかかったから 『青い紅玉』がなんとかなることもできたというそれと、きわめて近いものだった。 と、あるように初期の宮崎作品は最初から計算された方法論のもとで作られていて 理論上無駄がないように作られてたから。ラピュタはこの方法論を用いた最後の映画 だからドーラが活躍しないことに違和感があるの。決して個人の趣向で言ってるわけじゃないから 宮崎駿の創作法、作品群を知ってればすぐ目につく欠点なのにそんなに理解できない?
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