- 28 名前:見ろ!名無しがゴミのようだ! mailto:sage [2008/09/23(火) 16:07:19 ID:DNvRcytF]
- 理由が渚自身からはっきり語られている箇所は無かったと思う。
想像で考えるなら、病院出産では新しい家族の誕生に家族が立ち会えない、 赤ちゃんを取り上げるのは経験が必要だからともかくとしても、産湯を赤ちゃんに つかわせるのも最初に抱っこしてやるのも、家族じゃない他人の仕事になって しまう、それは赤ちゃんにとっては寂しいことだ、という思いからではないかと。 端的に言えば、赤ちゃんを産まれてすぐに新しい家族として迎えてあげたいし、 家族にもそうやって迎えて貰いたい、つーことかな。これの問題は、それが高じると 自分の容体は二の次で良いとなってしまいかねないこと。他人のことには一所懸命 になって自分のことは後回しにしてしまう渚の性格が、これにはまってしまった。 で、劇場版の尺では「産みたい」という意思の強さまでは描けても、その先の 「生まれてすぐに家族として迎えてあげたい」という思いを観客に十分伝えきるには 到底足らなかった、ということだ。それを描くには、渚がどれだけ家族というものに 強い思いを持っているかから描かなきゃならない。そして描いたら描いたで、 その後の朋也の行動は渚の思いに反していることであり、だからこそ原作では 早苗さんが毎週のように汐に会わせていた、と、そこまで描かなきゃ中途半端になる。 でも劇場版の尺では、朋也の苦悩とそれの両方を描くことはできない。 なので、観客に伝えやすい朋也の苦悩の描写を優先した。その代償に 渚の家族というものへの思いの描写を原作より軽く触れるに止めざるを 得なくなった。だからその補正を、春原や智代や杏や芳野に託した、 そういうことだと思う。 原作で、なぜ早苗さんが毎週のように汐と会わせていたのか。 その意味を「育児放棄はダメだから」というところにしか見いだせないと、 読み間違うところだあね。
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