- 452 名前:見ろ!名無しがゴミのようだ! mailto:sage [2008/07/29(火) 13:42:44 ID:/9D+P8nq]
- >>451
>自然に対する賛美と、自己犠牲の精神という日本的美学 それはどっちかって言うとナウシカでは こっちはむしろ、進みすぎた科学に対する警鐘では? ムスカがその科学の力を得て暴走する人間を表していて、そのアンチテーゼとしてのシータなんだろう 最期の玉座の間でのムスカとシータの台詞から推測するに ラピュタは戦争兵器の上に平和な楽園が乗っかっている、という構造をしているだろ あれは 人間は力を求めて科学を発展させて、野蛮な戦争を行う ↓ その先に、平和は訪れる(平和は野蛮な戦争の上に成り立っている) ラピュタ上層の庭とか、パズーの言ってた科学の進んでいた町とか ↓ しかし結局は、人は地上から離れて生きられないことを知り、すべての技術を捨てて地上に戻る(シータのように自然と共生) ってことで、宮崎駿は、このようなラピュタの盛衰から、人間のあるべき姿を示したかったんだと思う 同時に、現在平和な状況へと移り動こうとしている私たち現代人が、またその進んだ科学力で恐ろしい戦争を起こそうとしている現状を批判しているんだろう
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