- 23 名前:見ろ!名無しがゴミのようだ! mailto:sage [2008/07/13(日) 23:20:24 ID:wBZ1TOhD]
- 時間がゆっくり流れるというのは褒め言葉になることもあるが、時間が止まっているという表現はあまりいい気持ちはしない。
そういった意味で、あえてこの映画の主人公を時間の止まった少女、そしてこの映画の空間を時間の止まった夏にしたのはすばらしい。 将来のことも受験のことも考えない真琴は、時間の止まった少女である。 未来へ進むことなく、かといって懐古することもなく目の前の時間を生きている。 そんな少女がタイムリープを手に入れるのがこの映画。けして安い恋愛ものではないのだ。もちろんそう見ることも出来るが。 彼女がタイムリープの力を手に入れたとき、きっと観客の多くが思うだろう。「あ、時をかける少女になった」と。 しかし、本当は違うのだ。 彼女が時をかけるたびに、彼女は地上を駆ける。走り、飛び、跳ぶのである。その姿はまさに時をかける少女。 あしかし細田監督が、タイムリープの際に彼女を走らせたのは適当な演出ではない。 初めに『時をかける少女』という題字を見せ、実際に彼女をタイムリープさせることで、壮大なミスリードを作り出しているのである。 物語が進むにつれ、彼女のタイムリープの回数は減っていき、時をかける少女としての個性は薄くなっていく。 しかし、真琴自身は成長していくのである。 大事な人との別れを受け入れ、自分が考え抜いた正しいタイムリープを実行する。 その姿に、刹那的快楽主義のかつての彼女は見られない。 結果的にタイムリープの能力を失った彼女は間違いなく、未来に向かってまっすぐと時をかけているのである。 終幕の時、もう一度画面に現れた文字を私は忘れない。 『時をかける少女』 この映画は、恋愛ものでもSFものでもないのだ。 一人の少女が、ちょっと変わった事件を経て、本当の意味で未来へ時をかけることが出来るようになる、 そんな一夏の経験を描いているのである。 未来で待っている彼は、待ち合わせに遅れてくるに決まっている。だからこそ彼女は走って迎えに行くのである。 まっすぐ、未来に向かって駆けていくのである。 短い言葉のやりとりの中にこれだけのメタファーと真理を詰め込んだ監督の力量にただ私は感動した。
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