- 719 名前:見ろ!名無しがゴミのようだ! mailto:sage [2007/08/14(火) 16:36:34 ID:nBENjSbS]
- 高畑が恐いのはそういう部分を見透かした上で作ってる事だわな。
主人公で子供だからといって決して情けも容赦もしない。 以下『出発点』に収録されてるパヤヲの言葉を引用 恐いわ。 (山形孝夫著『砂漠の修道院』を読んで突然解ったと前置きし) 二人が移り住む防空壕は二人が生きたまま選んだ墓穴なのだ。 兄の甲斐性無しを指摘する者もいるが彼の意思は強固だ。 その意思は生命を守るためではなく、妹の無垢なる者を守るために働いたのだ。 (中略) 二人の最大の悲劇は生命を失ったところではない。 コプト教の修道士のように魂の帰るべき天上を持たないところにある。 あるいは母の様に灰となって土に化していくことも出来ないところにある。 しかし、ふたりは幸福な道行の瞬間の姿のままあそこにいる。 兄にとって妹はマリアなのだろうか。 二人の絆だけで完結した世界に、もはや死の苦しみもなく、微笑みあい漂っている。 『火垂るの墓』は反戦映画ではない。生命の尊さを訴えた映画でもない。 帰るべき場所の無い死を描いた、恐ろしい映画なのだと思う。
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