- 300 名前:見ろ!名無しがゴミのようだ! mailto:sage [2007/08/10(金) 16:01:19 ID:sVm9jor/]
- >>298
わかってないな。この映画が感動的なのはあんたのいう「だら〜んとしたなんにもないマターリした毎日」 言い換えれば「モラトリアムな毎日」から抜け出すところにある。 少なくとも俺が感動したところはそこだ。 真琴はあらゆることを「保留」して猶予期間を設けていた。 「放課後キャッチボールというヌルい日々」「コースケ、千昭との微妙な関係(恋愛に対するモラトリアム)」「進路選択」etc 全部から意識的無意識的に目をそらして逃げ続けていたんだね そして失敗や後悔を経験して、そこから目覚めて自らの意思で未来へ漕いで行こうとするところでこの映画は終わる。 この点において『時かけ』はまさに青春映画そのものだと思う。 だからあんたのいう「男女混ざってのキャッチボール」「二ケツしながらの告白」をして「シトラスでミントな青春」と呼ぶことは、それこそ表層しか見えてない証拠。 薄っぺらなのはあんたの視点だね。
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