- 1 名前:名無しか・・・何もかも皆懐かしい [2006/07/21(金) 21:19:13 ID:2455DdWy]
- ねこバス
- 88 名前:ハウルスレより [2006/07/29(土) 13:04:38 ID:giyb+YdB]
- 220 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 19:14:29 ID:VWHJOs0S
ジブリ映画のメッセージとか内容が理解されないのは いつものことだから心配するな。 「火垂るの墓」が自分の好きなものだけにしがみついて 世に背を向け引きこもっていく現代の若者の悲劇を描く ために作った作品だと監督は公開時から公言していたが いまだに理解できてない奴はいくらでもいる。 人は自分の見たいものだけを見る。 231 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 20:21:43 ID:xUXGhhyo やっぱりそうだったのけ。 みんな「泣く〜」とか言ってるけど、全然泣けなかったんだよね。 それより主人公に「働けよ」と言いたかった。 妹殺したのはオマエやんけと。
- 89 名前:ハウルスレより [2006/07/29(土) 13:05:28 ID:giyb+YdB]
- 238 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 20:33:00 ID:AJLZvUZI
>>231 そういう意味なの? それにあの主人公は現代の若者ではないと思う。 239 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 20:33:35 ID:VWHJOs0S 原画チェックの工程なんかが残ってるけど、主人公が 物乞いに行くシーン、原画マンは主人公に卑屈気味、 だけど真摯にものをめぐんでもらう絵を描いてるんだが、 作画監督とかが修正して、何の考えもなしに、人が自分を 助けてくれるのは当たり前でしょっていう顔で人に援助を 求める世間知らずのガキの顔に直していた。 俺もあの映画、何も知らずにテレビで見てゾッとしたものだ。 そう、間違いなく妹を殺したのはあの兄貴。 あいつにとって妹は自分を癒してくれるお人形みたいな 拠り所でしかなかったということ。
- 90 名前:ハウルスレより [2006/07/29(土) 13:07:39 ID:giyb+YdB]
- 242 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 20:38:54 ID:hWk882ik
>妹殺したのオマエやんけ 野坂昭如さんは今だに妹が死んだのは自分のせいだと後悔してる 244 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 20:39:52 ID:xUXGhhyo 実話かよ! 246 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 20:44:29 ID:hWk882ik 火垂るの墓では兄貴も死ぬ 実際の野坂さんは死んでない そこがフィクション
- 91 名前:ハウルスレより [2006/07/29(土) 13:08:11 ID:giyb+YdB]
- 247 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 20:45:26 ID:VWHJOs0S
高畑は「ぽんぽこ」の時も、八十年代以降の若者には 「楽しむ時には楽しむけれど、自分たちの足場が危機に瀕した 時に、力や知恵を合わせたりして急場を潜り抜ける力がない」 と言っていた。 「豚」が戦争とかに向かって周囲が雪崩を打っていく中でも、 シュミとか矜持ってものを捨てることなく生きていく「カッコ よさ」を持てたのに対して、狸は闘いの場でもその場を楽しむ ことしかできない現代の一般人の話。笑って楽しんで、そして いつの間にか敗北している。ジブリの作品っていつでも十年先を 見てるっていうのは黒澤映画と同じ。 ついでに「狸」のラストシーンと同じ新宿の夜景から始まる 「耳をすませば」は、極端に言えば戦時中みたいなどん底の 中でだって、若い人は希望を持てるっていう映画。 あのヒロインたちが全然マスコミに関心を持っていないこと、 周囲の環境が地上げ看板やグネグネ道の開発地などの醜悪な ものであること、極めつけラストがスモッグに覆われた醜怪な 景色で、しかしそれらをみんな「心持しだいで美しく見ることが 若い人には出来るんだ」っていう作品にしたこと、みんな 「豚」〜「耳」がきれいごとじゃない「戦時」を舞台に作られてる 結果。その「戦時」っていうのはもちろん過去じゃなくてこれからの 近未来。 本当のプロっていうのはとてつもなく深く物を作っているもの。 インタビューとかを見ると見えてくることって多いよ。
- 92 名前:ハウルスレより [2006/07/29(土) 13:09:21 ID:giyb+YdB]
- 256 :名無シネマ@上映中 :2006/07/22(土) 20:53:17 ID:VWHJOs0S
公開時に戦時や野坂文学を知っていた人が書いてたね。 「4歳と14歳で生きようと思った」作品じゃなくて、原作は 「4歳と14歳で死にたかった」作品だって。周囲の人が無闇に 冷たいのも、心中譚のパターンだって。 アニメ化はその甘美な自己陶酔を引っぺがして、死ぬべくして 死んでいった若者の、美しいけど信じがたいバカさ加減を 露骨に描いてしまった。 けど、その美しさに耽溺しちゃう人がいても仕方のない問題作に 仕上がったんだけどね。だから年取って見直して「ああ!」で いいと思うよ。「もののけ」を口を極めて罵っていた切通利作は たった数年で「見直してみると深さが分かる作品ですね」なんて 手のひらを返して失笑を買っていたけど、宮崎・高畑の考えを 同じ次元で楽しめる人間なんてそうはいないって。
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