- 16 名前:「JA秋田中央会の千里」とあだ名をつけられた元.監査人T。 [2017/09/26(火) 13:19:43.44 .net]
- JA秋田中央会の職員でいたときのことで、2002年の当時、私(T)は総務課に配属されていたが、2002年7月1日の人事異動の辞令により
農政広報部の農政広報課に異動した。 私(T)は、もともと人事異動の希望先を紙で書いて参事宛の封書に入れて提出していますが、いつも「氏名を記入しただけで、 希望部署の欄も全部白紙」で提出してきたら、2002年の7月1日に意外なことに「農政広報部の農政広報課」に人事異動の辞令が出た。 当時の農政広報部の部長さんは船木耕太郎(ふなき こうたろう)氏で、私(T)というブランドを欲しがったのが丸見えだった。 私(T)は、農政なんてやる気ありませんでしたからね、意外、あ然、だった。 私(T)は、船木耕太郎氏と同じ部署にかつていたことありませんし、個人的なつきあいもありませんから、農政広報部内で異色の存在でしたね。 そのうち農政広報部長の船木耕太郎氏が、つきあっている秋田県農政連の関係の秋田県会議員の1人とやばい関係になっていて、農政広報部の部長の船木耕太郎氏が 他の部署の部長に逃げ出そうとしていたことに気づきました。 船木耕太郎氏の希望は、経営指導部の部長になることであった。 農政広報課の課員だった私(T)は、農政広報部の部長の船木耕太郎氏と一緒に2人で人事異動することを嫌ったのであった。 船木耕太郎氏と私(T)では、俺の方が職業人としての価値が高いからだ。 農政広報部の部長の船木耕太郎さんは、私(T)に気に入られようとして、全力で芝居していましたよね、そういうのをダマしというんだが、 私(T)という高級なブランドを、船木一族の伝統の三文芝居で、なんとかなるようなことは有り得ないことを分からせてあげた。 だいたい、船木って苗字がごみクズじゃない!船木の仕事にモラルないし、外部に知られなければ船木耕太郎氏と田中敏勝の佐藤実を嫌いというだけのガッチリコンビで 違反をした自分たちへの批判を封じていく処世術に、中央会らしさが無いじゃない! 船木耕太郎氏の、口先の魔術師としての詐欺に引っかかるような人たちと私(T)は違う人種だ。
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