- 10 名前:「JA秋田中央会の森高千里」とあだ名をつけられた元.監査人T。 [2017/09/26(火) 08:44:23.95 .net]
- JA秋田中央会にいた田中敏勝氏の真相。
田中は、秋田県立金足農業高等学校を卒業後、中央協同組合学園(東京都高尾市にありJA全中が運営していた3年制の文部省が認可していない学校)を 出て、JA全中が紹介した初の就職がJA全厚連(ぜんこうれん)の事務の正職員であった。 東京都大手町のJA全厚連(ぜんこうれん)での仕事より東京暮らしが嫌になった田中は、そのころ結婚することになったのだが、嫁となる女性の親戚に秋田県 大仙市刈和野(かりわの)にお住いの土肥大四郎(どひ だいしろう・刈和野農協の組合長でありながらJA秋田中央会の常勤の会長を兼務)氏がいた。 田中は土肥大四郎会長に結婚もしたが東京から秋田県に戻って、JA厚生連に転籍したいとお願いしたら、田中の願いはかなえてもらったのである。 田中は、元.JA全厚連(ぜんこうれん)職員を売りにして、JA秋田厚生連の8つの病院の事務職員を勤めた。 病院の事務次長の職位まで田中は認めてもらったようで、給料の金額にも満足していたようだ。 時期がきて、秋田県内の組合長たちの投票によるガチンコ選挙で争われた結果、会長が交代し、 佐藤秀一氏が就任した。数年後、JA秋田厚生連から出向させられて、JA秋田中央会の会長室の庶務秘書課の課長を命じる 辞令を交付された。 田中はJA秋田中央会の会長室の次長に昇格して、秋田市大町にある店での盛り場での関わりで暴力団に脅されるようになっていった。 田中は秋田県公安委員会に顔が利くJA秋田中央会の佐藤秀一会長にすがりつき、自分に絡みついてきていたヤクザを排斥(はいせき)した。 一生の恩を田中は受けて、まじめに会長の秘書として働いた。 佐藤秀一会長は、田中はJA秋田厚生連の正職員の身分だが、転籍させて、JA秋田中央会の正職員にして、田中の忠誠心を利用して一生を牛耳ろうとした。 田中は、厚生連から中央会にいきなり転籍させられ、JA秋田中央会の農政部の部長の辞令を受けた。 JA秋田中央会で田中敏勝氏は、孤立していった。JA秋田中央会の体質は「はえぬき主義」という本音が平成4年(1992年)からオープンに職場で語られ始めた。 私(T)は、田中敏勝氏よりJA秋田中央会という職場では上の人間だったので、「たなか、厚生連にさっさと帰ってくれよ、目障りだ」と思っていた過激派だ。
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