- 541 名前:世界@名無史さん mailto:sage [2007/08/09(木) 00:21:34 0]
- 保存か再建か。長崎とセントポールの姉妹都市提携は、教会側、市側の双方に最終決断が迫られる
こうした状況下で国連から持ちかけられ、瞬く間に調印の運びとなった。そして、田川は五六年八月、 セントポール市長の招きで渡米する。 ここで田川に“異変”が起きる。九月に長崎に帰ってきた田川はそれまでの保存から取り壊し「止むなし」 に転じたのである。五八年二月、保存か否かをめぐる臨時市議会が開かれた。 議員の岩口夏夫はこう迫った。「原爆の悲惨な体験は、広島と長崎市民だけであり、原爆を防ぎ、 平和を叫ぶのは両市民の義務であり権利である。浦上天主堂は原爆の恐ろしさ、戦争の愚かしさ を反省せしめる歴史的な資源として万金を惜しまず、保存すべきである」 これに対し、田川は「原爆直後の広島、長崎をそのまま残すのならともかく、ただ単なる一片の ものを残してみても、被爆の惨状を証明し得るものとは思えない」と反論し、次のように付け加えた。 「米英ソなど核兵器保有国は原爆なくして平和は守れないとの言い分であり、原爆について国際世論 は二分されている。天主堂が平和を守る唯一不可欠のものとは思えない。多額の市費を投じてまで 残す考えはない」。原爆が平和維持に貢献しているとの保有国の論理に同調するかのような発言―。 訪米中の田川に一体何があったのか。
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