- 130 名前:8 [2006/02/20(月) 17:18:06 ]
- アルチュール・ランボーは、自分のこの「色のついた母音」を見る時、いつも思い出す。
小学校教師 『ランボーさん、お宅のアルチュールくんは、友だちをまったく作ろうとしません。 そう、嫌われているというより、まったく人とうちとけないのです。 担任教師としてとても心配です。』 母 『それが…恥ずかしいことですが…親である…わたしにも…なにが原因なのか…』 子供の時から思っていた。 町に住んでいると、それはたくさんの人と出会う。 しかし、普通の人たちは、 一生で真に気持ちがかよい合う人が、いったい何人いるのだろうか…? 小学校のクラスの○○くんのアドレス帳は、友人の名前と住所でいっぱいだ。 50人ぐらいはいるのだろうか? 100人ぐらいだろうか? 母には父がいる。 父には母がいる。 自分はちがう。 絵画に出ている人とか、音楽家はきっと何万人といるんだろうな。 自分はちがう。 「自分にはきっと一生、誰ひとりとしてあらわれないだろう。」 「なぜなら、この『共感覚』が見える友だちはだれもいないのだから… 見えない人間と真に気持ちがかようはずがない。」 P・S ランボーは共感覚者ではなかったか、という話が実はあり、 脳のクロス配線・活性化という、数字や文字で色が喚起される 現象は時々見受けられるらしい。近代はその様な現象を排除する 「理性」=言語がランボーに詩を断念させたかもしれない。 何か花京院って、ランボーに似てるんだよね。鼻持ちなら無いけど 孤独でどことなく不器用で変なところが。 「太陽はまだあつく燃えていた」(8歳)とか恐らく普通の人間と見えてる ものが違ってた為幼少時苦しんだかもしれない。
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