みみずのたはこと (作品データ)
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作品を読む

タイトルデータ
・作品名
  みみずのたはこと
・作品名読み
  みみずのたわこと
・著者名
  徳冨 健次郎 URL:../../index_pages/person280.html 徳冨 蘆花 

作品データ
・作品について
  1906(明治39)年、聖地パレスチナを巡り、ヤスナヤ・ポリヤナにトルストイをたずねた後帰国した徳冨蘆花(健次郎)は、翌年、千歳村粕谷へ転居した。新宿から三里。当時は鉄道もまだ敷設されていなかったこの地で、蘆花は農作業にいそしみながら、その生活ぶりを書き始めた。それをまとめたのがこの「みみずのたはこと」である。作品には様々な人々が登場するが、なかでも北海道陸別に住んでいた関寛斎(関寛)に関する記述は、心を打つものがある。寛斎は司馬遼太郎の「胡蝶の夢」にも描かれているが、七十を過ぎて徳島から北海道に入植したという、稀有な人物である。(小林繁雄)
・仮名遣い種別
  新字新仮名
・備考
  この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

作家データ
・分類
  著者
・作家名
  徳冨 健次郎
・作家名読み
  とくとみ けんじろう
・ローマ字表記
  Tokutomi, Kenjiro
・生年
  1868-12-08
・没年
  1927-09-18
・人物について
  明治、大正期の小説家、徳冨蘆花の本名。熊本県水俣の惣庄屋兼代官をつとめる名家に、漢学者の一敬を父、蘇峰(本名、猪一郎)を兄として生まれる。少年期に京都同志社に学び、いったん熊本に戻った時期に受洗。後に同志社に復学したが、新島襄の義理の姪との恋愛をとがめられて、上京。兄の経営する出版社・思想結社、民友社に加わる。同社の「国民新聞」「国民之友」などに原稿を寄せ、「不如帰」で一気に文名を得た。日清戦争を契機に、平民主義的な立場から国家主義へと蘇峰が思想的立場を転じていく中で、1903(明治36)年には民友社を去り、自費出版した「黒潮」の巻頭に、兄との決別を告げる「告別の辞」を掲げる。その後、富士山登頂中に人事不省に陥り、回復の過程で「再生」を体験。パレスチナへの巡礼とトルストイ訪問などを経て半農生活に入り、特異な宗教的な確信へと傾斜していった。
・分類
  著者
・作家名
  徳冨 蘆花
・作家名読み
  とくとみ ろか
・ローマ字表記
  Tokutomi, Roka
・生年
  1868-12-08
・没年
  1927-09-18
・人物について
  明治、大正期の小説家。本名は健次郎。熊本県水俣の惣庄屋兼代官をつとめる名家に、漢学者の一敬を父、蘇峰(本名、猪一郎)を兄として生まれる。少年期に京都同志社に学び、いったん熊本に戻った時期に受洗。後に同志社に復学したが、新島襄の義理の姪との恋愛をとがめられて、上京。兄の経営する出版社・思想結社、民友社に加わる。同社の「国民新聞」「国民之友」などに原稿を寄せ、「不如帰」で一気に文名を得た。日清戦争を契機に、平民主義的な立場から国家主義へと蘇峰が思想的立場を転じていく中で、1903(明治36)年には民友社を去り、自費出版した「黒潮」の巻頭に、兄との決別を告げる「告別の辞」を掲げる。その後、富士山登頂中に人事不省に陥り、回復の過程で「再生」を体験。パレスチナへの巡礼とトルストイ訪問などを経て半農生活に入り、特異な宗教的な確信へと傾斜していった。「徳富蘆花

底本データ
・底本
  みみずのたはこと(下)
・出版社
  岩波文庫、岩波書店
・初版発行日
  1938(昭和13)年6月1日、1977(昭和52)年11月16日第20刷改版
・入力に使用
  1996(平成8)年12月10日第25刷
・校正に使用
  2001(平成13)年11月7日第27刷

工作員データ
・入力
  小林繁雄
・入力
  奥村正明
・校正
  小林繁雄


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