半七捕物帳 (作品データ)
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タイトルデータ
・作品名
  半七捕物帳
・作品名読み
  はんしちとりものちょう
・副題
  06 半鐘の怪
・副題読み
  06 はんしょうのかい
・著者名
  岡本 綺堂 

作品データ
・作品について
  ある年の晩秋から初冬にかけて、江戸のとある下町で奇妙な事件が起こった。火事でもないのに町内の半鐘を鳴らす者があるのだ。火の見櫓を警戒するようになると、今度は若い女の傘の上に何者かが圧し掛かったり、洗濯物を引っかぶって屋根を走ったり、町内は大騒ぎ。鍛冶屋の弟子の権太郎が、悪戯の犯人と決め付けられて自身番に捕えられたが、まさにその夜、久方ぶりに半鐘が鳴った。権太郎でなければ、狐狸妖怪の類の仕業か? 町内は震え上がった。その後も頻々と続く怪事件、半七の読みはいかに?(ぷんきゅのちち)ぷんきゅのちちさんによる、より詳細な解説はこちら。
・仮名遣い種別
  新字新仮名

作家データ
・分類
  著者
・作家名
  岡本 綺堂
・作家名読み
  おかもと きどう
・ローマ字表記
  Okamoto, Kido
・生年
  1872-11-15
・没年
  1939-03-01
・人物について
  劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家御家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれる。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中卒業後、1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲「紫宸殿」を発表。岡鬼太郎と合作した「金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)」は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた「維新前後」(1908年)、「修禅寺物語」(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは「半七捕物帳」を書き始めた。「岡本綺堂

底本データ
・底本
  時代推理小説 半七捕物帳(一)
・出版社
  光文社時代小説文庫、光文社
・初版発行日
  1985(昭和60)年11月20日

工作員データ
・入力
  tatsuki
・校正
  菅野朋子


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