立て看板職人の朝は早い。
「まぁ好きで始めた仕事ですから」
自らペンキを調合することから1日が始まる。
「昔はね、民青の青や中核派の赤のように、それぞれのセクトで独自の色合いを競ったものさ。『民青ブルー』みたいな呼ばれ方もされてたね。そして、その色の出し方はそれぞれのセクトの門外不出だった。この世界に弟子入りした者にとって、師匠から色の出し方を盗むことが、一人前の立て看板書きとして認められるための第一歩だった」
その日の気温や湿度に合わせて調合も変える。満足がいく色が出ないと、その日は仕事をやめてしまうこともしばしばだ。
早稲角造さん(74)が学生運動の舞台装置として欠かせない立て看板の世界に飛び込んだのは今から55年前、学生運動界が「安保闘争」で盛り上っていた時期だ。
「あの頃はどこの大学でも、校門を入ってから校舎までずらっと立て看板が並んでいてね。我々新入りの最初の仕事は、自分のセクトの看板の位置を確保することだった。授業にも出ないで、ほかのセクトが勝手にうちの看板を撤去して自分たちのを置かないよう、1日中監視してた」
立て看板が伝統芸能であるゆえの「約束事」が理解されないことに対する悩みも深い。
「最近の学生さんは、いわゆる『立て看文字』を理解してくれないんだよね。『闘争』を『斗争』とか、『議』を『言ギ』と書いたりとかいうアレさ」
「立て看文字」は、立て看板の世界で使用される独自の文字である。「闘」のような画数の多い文字が「斗」のように省略される。それは、看板の前を通り過ぎる人たちが遠くからでも意味を理解できるように、可読性を考慮して作られた一種の「約束事」であるのだが、そういった伝統に理解がない人に「誤字(笑)」などと指摘されてしまう。そういった風潮にいらだちも隠せない。
「最近じゃあ、外国からの留学生の方がそういうところに理解があるんだよね。この前も俺が立て看を設置してたら、『ナゼコノ文字ハコウ書カレテイルンデスカ』って聞いてきた肌の黒い学生さんがいた。話しているうちに意気投合して、近くの飲み屋で朝まで語り合っちゃったよ」
最大の悩みは、やはり後継者不足である。
「本体の学生運動の方も競技人口が減っててねえ。裏方であるうちらの世界に飛び込んでくる若者なんて、それこそ天然記念物ものさ」
最近の早稲さんは、他セクトからの立て看作成依頼も受けている。早稲さんに憧れて入門した若者が、そのような早稲さんを見て「幻滅しました!やめます!」と去っていったことも一度や二度ではない。
「結局、うちらも霞を食って生きていくわけにもいかないからね。俺は元々革マルだけど、今はそういうセクト対立とか、内ゲバとか、そういうことを言っている場合じゃないし。学生運動界をもう一度盛り上げたいという熱意があるセクトなら、どこの依頼でも引き受けますよ」
明るい話題もある。平成9年、学生運動が国の重要無形文化財に指定されたことで、立て看板書きも周辺芸能として、いわゆる人間国宝の指定を受ける可能性が出てきた。
「これまでさんざん好き勝手やってきた私が人間国宝なんておこがましいけど、そうなることで少しでも看板書きの存在が認められるなら、それはそれでうれしいかな」
他にも、立て看文字を「立て看フォント」としてPCフォント化する動きもある。
「最近は立て看をパソコンで作ろうという動きもあってね。まあ、できる範囲で協力はしてるけど、でもやっぱり立て看の味は手書き文字だと思いますよ」
そう言った早稲さんの笑顔は、まだまだコンピュータには負けないという自信と、後継者を機械に託さなくてはならない無念さが織り混ざっているように見えた。
手書き立て看の火はかぼそい。しかし、まだ確かに灯り続けている。
更新日時:2012年3月18日(日)17:37
取得日時:2023/02/02 17:23