東海道新幹線
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東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)とは、東京より名古屋を経て、大阪へ至るベルトコンベヤーの通称である。目次

1 概要

1.1 過密なダイヤグラム

1.2 「新幹線をご利用ください。」運動


2 開業までの経緯

2.1 新技術の開発


3 歴史

3.1 開業期

3.2 1975年 - 食堂車の連結、そしてついに新幹線は海外へ

3.3 1982年 - 0系新幹線(・○・)襲名・北へと延びる新幹線

3.4 1987年 - ニュー新幹線登場[-○-]・車両も会社も世代交代へ

3.5 1992年 - 時速270km新幹線(-н-)・民営化後初の新型車両のぞみ号登場

3.6 1997年 - ギネスブックに載った戦闘機新幹線(\∀/)・東海道デビュー

3.7 1999年 - 初代新幹線引退・量産型新幹線⊂-_-⊃が本当の海外へ

3.8 2003年 - のぞみ号雄飛・さらなるスピードの時代へ

3.9 2007年 - 車体傾斜によるN700系登場{。∝。}・ドリフト走行の時代へ

3.10 2010年 - 500系新幹線東海道から引退・GO WEST!!

3.11 2012年 - 300系新幹線引退・N700系は第二世代へ

3.12 2017年 - トラブル相次ぐ新幹線・安全神話崩壊の危機

3.13 2018年 - どんどん増えるよN700系・第三世代登場

3.14 2020年 - 700系新幹線引退・N700系一強の時代へ

3.15 将来へ向けた展望・新幹線の未来


4 駅

5 運用種別と車両

5.1 のぞみ

5.2 ひかり

5.3 こだま

2d4b 5.4 ドクターイエロー


6 関連項目

概要

旅客輸送に対応可能としているが、運営するJR倒壊はあくまで貨物専用であるとしている。よって他の新幹線と比較して、サービス、旅情、そして温情に欠ける。高速で非常に時間に正確な運行で知られるが、貨物用の設計であるため安全で快適な旅は保証されておらず、JR側も旅客営業規則の適用を受けないきっぷの購入を推奨している。

それでもJR倒壊のドル箱中のドル箱路線であり、その勢力範囲はJR他社のシマである東京?熱海間(JR束)や米原?新大阪間(JR酉)にも及んでいる。これにより、JR倒壊は全JR中で最もほくほくな会社となっている。そんな背景もあってか、現在建設中のリニア中央新幹線の資金源にこの路線の収益の一部が活かされてたりする。
過密なダイヤグラム

東海道新幹線は数ある新幹線の中でも超がつくほど過密ダイヤで運行されているのが特徴である。これは、日本でも屈指の人口集中地区がいくつも並び、軽く100万人を超える人口を擁する政令指定都市や、東京都特別区1区だけでも軽く50万人は超える各都市から別の各都市へと行き来するサラリーマンや有名芸能人、大阪のおばちゃんやシロガネーゼ、鉄道教徒といった多岐にわたった人種が乗車するという、極めて流動人口が多い事による。
「新幹線をご利用ください。」運動

利用者はそれぞれ「自分の出身地こそが一番!」と思っている奴ばっかりなので、わざわざ別の都市に行き来する利用者はもれなくツンデレなのではないかと言われている。しかしその割合など、詳細については秘密結社・JR倒壊の最大の機密事項となっているため定かではない。

それと同時に、学生の長期休暇を中心にJR6社で仲良く発売される青春18きっぷの強制救済乗車路線となっている(なお、新幹線特急券と乗車券は別に買う必要がある)。そのためか、東海道本線の各接続駅でしばしば「便利で快適な新幹線をご利用ください。」運動を実施中である。これについては、JR倒壊の社員がかなり徹底して教育されており、乗客がJR倒壊の駅員に何を尋ねても「新幹線をご利用ください。」と返してくるだろう。

「トイレはどこですか?」→「新幹線(のトイレ)をご利用ください。」

羽田空港に行きたいのですが、どの路線でしょうか?」→「(品川まで)新幹線をご利用ください。」

…と、丁寧かつ妥当と考えられる返事が返ってくる事だろう。
開業までの経緯

日本には戦前より弾丸列車計画と呼ばれる高速鉄道の計画があったが、国土が山がちで、平地でも大小さまざまな河川があるため、勾配やカーブを避けては通れなかった。そこで海外の技術者に「日本の鉄道のレール幅は1067mmでいいんじゃないの。領土が狭く、小柄な日本にはお似合いだぜ」という適当な挑発に乗せられてしまい、土地代やトンネル代などをケチりまくった結果、日本の鉄道は狭軌路線が基本として出来上がってしまった。

これに懲りた政府は、戦後になって新幹線計画がある程度現実味を帯びて来た頃「絶対に標準軌で作るんだ。カーブがあるなら、トンネルや鉄橋を惜しげもなく通す。関ヶ原に雪が降る? とにかく土を積み上げとけばいいだろ。時間がないんだよ。目視で緊急停車が不可能なら、人や自動車は線路内に一切入れないように、踏切なしで造ろう。侵入者対策には、架線に電気を流すついでに、柵にも高圧電流でも流しておけばいいじゃん」とばかりに、東海道本線とは全く異なる新線を新たに通すことになった。

それまでの東海道本線は、特急、急行準急普通だけでなく、貨物列車修学旅行列車、集団就職列車、お召し列車、幽霊列車、モーモー列車、ポンポコ列車など、多数多様にわたる列車がパンク寸前なほど過密に走っていた。1編成が軽く10両は超える長大な列車が毎日のように走っており、各地へ向かう寝台列車もおおむね10分おきに東京駅から発車するという状態にあり、東海道本線の全線全区間複々線化という意味合いもあったのである。
新技術の開発

ソフト面においても新幹線開発には特別な背景があった。戦時中に軍事兵器の開発をした人々も、戦後の就職口の中にこの新幹線計画の部門があり、多数この新幹線建設に関わっていたという。その時の技術を生かして、より安全に高速運転し、なおかつそれを安全に停車させる技術のほか、無線技術をもって確実に目視不可能な信号機を路線上に置かず、信号速度をその都度運転台で受信できるための秘密道具である自動列車制御装置(ATC)の開発に携わったといわれ、技術者は下半月型前ポケットからATC装置を取り出して、使い方や原理を説明をしたという逸話も残されている。

さらに、実験段階ですでに窓ガラスの強化にも力を入れていた。実際に鶏肉を200km/hの速度でぶつけたり、同じく松阪牛をぶつけたり、同じく検閲により削除をぶつけたりして、これに合格した強化ガラスが前方? 3e38 ?安全性を保つ目的で使われた。

そしてなにより高速化において必要となるのは、巨大な電力とモーターの力であった。そのため、直流よりも高速化に有利といえる交流60Hz・25000Vでの電化が全区間で採用された(一方、東海道本線は未だに乾電池1000個を直列につないだ電圧と同じである)。またこれだけの高圧電流は、新幹線の柵に侵入者対策をするのにも最適であった。一部の奇特な趣味の持ち主といえる感電マニアには「これでは死んでしまう」と不評だったが、当然ながら国鉄は別の意味で「東海道本線をご利用ください。」と返答した。

まさに新幹線とは、大和魂を持つ者たちの技術や開発力によったものだったと言えるだろう。
歴史
開業期1964年東京?新大阪間全線開業を迎える。建設計画や実験線での条件をクリアし、実際に建設されるルートなどが固まり、着工後わずか5年で完成させ、東京オリンピック開催までに開業にこぎつけた。当初はまだ実験的要素が強く、12両編成のひかり号とこだま号が1時間に1本ずつそれぞれ交互に30分おきに走るという、どこかのローカル線のようなダイヤだった。ひかり号は途中名古屋と京都のみに止まり、所要時間は東京?新大阪間で4時間と、自宅で朝食を食べて、駅弁で昼食をとり、おやつの時間に間に合うよう配慮されていた。対するこだま号は各駅停車タイプで、本来途中駅を何駅も通過して長距離を高速運転するという優等列車の常識を覆し、各駅停車タイプの特急という概念を確立した。所要時間は東京?新大阪間で5時間ちょうどだったが、それまでの在来線特急つばめ号やこだま号が東京?大阪間で7時間以上かかっていたため、大幅なスピードアップとなった。なお、関西では割と有名なある漫才師のコンビ名も、これらの列車からとられたものであるが、なんとなくその立場が似ているのは偶然の一致だろうか。まあそんなこと考える奴おれへんやろ。んなこと言われたら往生しまっせ。話がバラバラや。1965年、当初の予定通り最高速度210km/hで運転開始。ひかり号の所要時間が3時間10分に短縮。東京?大阪間を陸路で3時間で結ぶことを目標としていた新幹線が、まさに夢の超特急を実現した瞬間といえる。東京?名古屋間では2時間を切ることに成功。徐々に空路のシェアを奪うようになる。ちなみに、おやつの前に昼食を食べなければいけないという苦情は特になかったようである。そう言う人は所要時間が4時間となったこだま号を利用していたからであろう。この年から1時間にひかり・こだまがそれぞれ2本ずつとなり、以後細胞分裂を繰り返すかの如く増発されて行く。どさくさにまぎれて、車両もこの3年後くらいから4両ほど中間車の遺伝子が突然変異し、16両編成となるものが現れた。乗客大量輸送の時代と、いよいよ大阪で万博が開かれるための進化である。何よりも技術の塊であった新幹線で主に海外の技術者を驚かせたのは、その揺れの小ささであったと言われている。世界一速く走る新幹線を走らせることにより、みじめな敗戦国であった日本が世界の国々から見直され始めるのは、まさに実に終戦からわずか20年後のこの頃ことなのだ。その一方で、北海道東北地方各地などでは当たり前のように蒸気機関車が走り回っていたのは検閲により削除
1975年 - 食堂車の連結、そしてついに新幹線は海外へ駅弁じゃ物足りないという食いしん坊な乗客の要望により、日本食堂によって経営される食堂車を連結する。これで山陽新幹線の海を渡った向こうにある博多駅まで駅弁を買わずに済むという乗客の間で、食堂車は大盛況であった。しかし、食堂車から富士山が見えるかどうかという大変くだらない論議で、暴動にまで発展したが、国鉄の車掌が事務的に静岡駅で「存分に富士山でも見ていろ。」と言わんばかりに、新幹線が最高速度で通過中だろうと、車掌室窓口からこういう輩を叩き出すことでこれを解決していた。これは新幹線事故には含まれない。今では食堂車は廃止されてしまったが、なぜか大宮駅近くに出来た施設でのみ日本食堂の食事を今でも楽しめる。また、山陽新幹線全線開業により、しばしば東海道・山陽新幹線と呼ばれるようになった。これで新幹線を単に東海道新幹線と呼ぶか、山陽をつけるかで出身地がわかるようになった。
1982年 - 0系新幹線(・○・)襲名・北へと延びる新幹線みちのくへと向かう東北新幹線(別名:鈴木新幹線)が、大宮駅始発による暫定開業し、そのすぐ後に上越新幹線(別名:角栄新幹線)も開業する。これらの路線専用に作られた200系新幹線が登場したことにより、東海道の新幹線車両に初めて0系新幹線の名前が与えられた。それまでは、「あれ」とか、「何をこうするやつ」とか訳のわからない夫婦ゲンカの元となるような呼び名や、「あの速いの。」とか、「飛行機みたいな顔した、高速で地上を走る汽車。」などと呼ばれ、明確な名称がなかった。しかし、新幹線の原点と言う意味で、東海道新幹線車両を0系と名付けたのは、賢明な判断であったといえよう。この0系新幹線こそが今後開発されてゆく新型車両すべての基本となった。200系新幹線は、外観上、東海道の青色(参考までに、この東海道新幹線が纏う青色は、新幹線ブルーという正式名称がある)とは異なり、帯色が緑色のラインというはっきりとわかる違いがあるが、見掛け上0系とそっくりに、かつ豪雪にも耐えられるように、線路は通る新幹線のもの、線路の上にある雪の塊などふっ飛ばせばいいというある意味ジャイアニズム的発想なコンセプトを加え、より頑丈に鋼鉄材をベースで作られた。このことが、後に起こる新潟県中越地震で大きな奇跡を起こす要因の一つとなるのだ。2004年10月23日、東京発新潟行きのとき325号が長岡駅数十キロ手前を約210km/hで走行中、この大地震の揺れをもろにくらって中間車両が一部脱線しつつも2km近い距離を脱線したまま走行し、なんとか安全に停車した。他の幸運な要素(偶然上り新幹線とのすれ違いがなかった、高架橋が阪神大震災の教訓により強化されていたため走行路線そのものが崩壊せずに済んだなど)も関わっていたことも事実だが、それでも死傷者は0人という栄誉を与えたのである。これは、一歩間違えればヨーロッパの高速鉄道事故のような大惨事が起こっても不思議ではなかった状況を回避し、その乗客150名余りと新幹線安全神話を守り抜いたということである。これと同時に、マスコミの適当な報道により、脱線したことだけを取り立てて、JR東日本を散々悪者扱いするかのように言ったが、視聴者や多くの専門家がこれに苦笑し、人命よりも不安を煽り、会社叩きするほうが大事なのかと、その頭の悪さを露呈しただけであり、ばっちりとマスコミどもの自滅と不信者を増やすことにも大いに貢献した。また、国鉄がもはや崩壊寸前であることとは別に、東海道新幹線も順風満帆に営業されたことにし、海外より借用していた借金を毎年滞りなく返済しており、なんと、前年には新幹線建設費をすべて完済したのだ。この後、時速220kmで運転するひかり号の中に、ついに東京?新大阪間を3時間を切って走るものが現れた。まさに速度面だけでなく、あらゆる付加的要素も含めて、東海道新幹線の最盛期ともいえた時代であった。
1987年 - ニュー新幹線登場[-○-]・車両も会社も世代交代へ100系新幹線登場。初の2階建て車両付き列車で、ニュー新幹線と呼ばれ、中間に2両(後にグランドひかりという愛称のつく4両連結したものも登場)の配置がなされた。下段には一部ビュッフェ、上段がグリーン車になっていた。このグリーン車は、みな羨望のまなざしでそれを見送っていた。一度はここに乗りたいという乗客も多かったという。営業最高時速は220km/hだったが、沿線に住むうるさい住民が、うるさいとうるさく言われたため、実は275km/h出せる能力がありながら、この騒音の問題を解決できず、その能力を全く発揮できぬまま、その後を生きることになる。これとは別に、この前後した時期に、こだま号の中には、編成内の一部に細胞死を起こした編成が現れ、実は東海道新幹 5a8 線でも12両編成の営業車が再び見られるようになっていた。また4月1日、国鉄JRへと、貨物も含む7社のJRへと分割民営化された。東海道新幹線は全区間がJR東海のものとなる。よく上がる話としてJR東海は、大人の事情で強引に作られた会社と言われているのだが、実は、JR各社の中でも、国鉄が残した巨大な負債(莫大な借金)をも同社に最も多く抱えさせられることにもなった。そのためJR東海株の配当金が、JR東日本JR西日本のそれよりも明らかにしょぼかったり、JR東日本は2割引、JR西日本は半額だとい? 7ffa ?のに、JR東海の株主優待券は1枚につき1割引となっている。
1992年 - 時速270km新幹線(-н-)・民営化後初の新型車両のぞみ号登場300系新幹線登場。JR西日本と共同開発と称して、JR東海がメインで270km/h運転を基本とする新種別となるのぞみ号専用車両として営業開始。ところが、明らかに0系や100系より乗車中の騒音がひどく、最高速度を上げるために、車体が在来車両よりも軽いことが逆に災いして乗り心地も悪く、故障が多発した。当然マスコミも恣意的にこれを取り上げ、当初設定されていた「のぞみ301号」が利用客の多い名古屋駅や京都駅をも通過したことと、何より後期増産は0系を置き換えるために製造が続けられた経緯もあってか、未だに鉄道マニアの多くから恨まれている新幹線である。しかし、東京?新大阪間で、停車駅を一部増やしながらも、2時間30分に近づく所要時間にまで短縮された。何よりこの300系は、それまでの形式の面影をどこかに残しながらも、今までの新幹線より近未来的なデザインを採用したことから、この車両のファンも少なからず存在し、初ののぞみ号としての栄誉が評価もされている。残念ながら、後述するが100系と似たような事情もあって短編成化はされずに、順次廃車されることとなる。
1997年 - ギネスブックに載った戦闘機新幹線(\∀/)・東海道デビュー500系新幹線登場。全編成がJR西日本開発、所有の新幹線であり、山陽新幹線ではすでに300km/h運転デビューをしていたが、同年東海道にも、JR東海からJR西日本へと乗り入れられた(ただし、東海道区間では過密ダイヤのために最高速度は問題があるということで、時速270kmに抑えられていた。その後に登場した700系N700系も同じ)。走る巨大電気ウナギとしてメタリックな塗装をしている。車体が新幹線ブルーとホワイトが基調の車両の中でも、特に東海道ではひときわ目立って、異彩を放っていた。500系は、山陽新幹線での高速走行によってギネスブックを書き換え、戦闘機のような前面がウリで、先頭車がやたらと長く、側面の車体が丸い。それが災いして、他の車両と定員が合わないことや妙な圧迫感があるという理由や、その他JR東海によるいろんな言いがかりを元に、JR東海の手によって2010年東海道から叩き出されることとなる(詳細は後述)。なお、なぜか試作車を作らず、各車両へ課せられるOJTを基本とすることに定評があるJR西日本の唯一の試作車が存在した車両でもあり、この500系とは似ても似つかぬ風貌をしていたことから、実はこの車両は試作車ではなく、浜名湖のヌシなのではないかと言われているとか言われていないとか。
1999年 - 初代新幹線引退・量産型新幹線⊂-_-⊃が本当の海外へ700系新幹線登場。カモノハシの異名を持ち、外観についてはダサい新幹線として、多くの人から見てくれについての評判はあまり良くなかったが、性能は270km/h(山陽区間では285km/hまで出せる)で安定した走りと居住空間を提供できるということと、車両の製造コストが500系よりも経済的に済む量産型車両ということで、そこそこ優等生という感じの車両である。おかげで、700系新幹線は、台湾へと輸出され、そちらは700T型と呼ばれ、爆音を立てつつも台湾高速鐵路を最高速度300km/hで駆け抜けている(←台湾新幹線の項目を参照のこと)。また、これと同時期に輪廻転生を繰り返し、開業の時点からずっと走り続けた国鉄ご自慢の0系新幹線が、とうとう東海道から叩き出された。
2003年 - のぞみ号雄飛・さらなるスピードの時代へ100系新幹線が東海道から追い出される。この形式には0系や500系と異なり、各車両1両単位でモーター車がそれぞれ配備されていないという構造で、さらにパンタグラフが変な位置にあったという理由から、減車するときの改造がやたらと面倒くさかった。中には、わざわざJR東海の100系先頭車を買い取って、改造されたものもいた。そのため、短編成化も0系ほど柔軟に進まなかったことと、前述通り、出せる性能はあっても、時速270kmでの営業運転が出来なかった背景もあり、この100系が東海道新幹線からの全面引退後にすでに山陽新幹線で短編成化されていたもっと車齢が高い0系がいたにも関わらず、それよりも急ピッチで廃車が進行してしまった悲劇の車両でもある。当然、ダブルデッカー車両も転用が出来ず廃車となり、全米が泣いた。ただ、鉄道マニアからだけでもなく、今も愛されているイケメン新幹線である。現在は、4両、または6両へと短編成化されたものが山陽新幹線だけで見られる。完全にJR東海と一部JR西日本の開発車両に統一となったことをいいことに、のぞみ号が大増発され、下剋上の世を思わせるほどひかり号が影をひそめる。同時期に、値引きと称してのぞみ号にもひかり・こだま号の自由席と同じ料金で利用できるという自由席が3両連結されることになったが、前述の通り、選択肢でひかり号(通常は自由席1?5号車)が大幅に削られ、のぞみ号が大増発されたということを総合的に鑑みると、実質的には値上げである。しかも車内の新幹線放送チャイムも更新され、「前のチャイムのほうがよかったのに。」という意見が良く聞かれる。特に国鉄時代からのコアな新幹線ファンを裏切るという暴挙に出る。東海道と山陽でチャイムが違うが、特に数多くが乗り入れるのぞみ号やひかり号でも使い分けがなされている。東海道では、この年ジャニーズTOKIO)より発売された「AMBITIOUS JAPAN!」の曲をアレンジしたチャイムとなるが、むしろあれは「こくみん共済」のメロディーであるため聞きなれないと何かが変である。詳しくは山陽新幹線の項目に譲るが、山陽では、「いい日旅立ち」をアレンジしているチャイム(「いい日旅立ち・西へ」がベース)が使われているが、普通に聞いても「なんだか暗い感じがする。」などと、実はこの新チャイム更新については、一般人にもあまり評判は芳しくない(一説によると、「岐阜羽島」や「新神戸」の宣伝だと言う話もある)。シンプルイズベストという教訓がよくわかる事例として挙げられることも少なくない。参考までに、この更新前に使われていたチャイムは、「Do They Know It's Christmas?」という洋楽が基本となっており、アフリカの飢餓や飢饉の問題を扱った曲である。それを聴くと、途中にはっきりと新幹線の始発チャイムと分かる部分がある。
2007年 - 車体傾斜によるN700系登場{。∝。}・ドリフト走行の時代へ新幹線N700系電車登場。車体を傾けることでカーブでの通過速度を高め、所要時間を短縮できるよう設計された初の振り子式新幹線である。巨大な号車表示と巨大で派手なLEDがそれなりに評価されている。それに、700系よりも加速性能が段違いに良い(インスタントラーメンで言うと、発車と同時にお湯を入れて、出来上がる頃には270km/hに達する)のだが、完全に実用性重視の新幹線車両なので窓も小さく、前面の形状も全く一般受けしていないため、100系や500系のようなコアな人気が全くない。しかし、編成の中に777-7という車番があるため、これを見るといいことがあるとかないとか。現在も増備が続けられ、進化系も登場するなど増備が途絶える気配はない。おそらく、これ以上新しい形式が出てくる可能性はほぼ皆無であろう。これまた東海道ではないが、山陽新幹線では「私は桜です。」と自己主張しまくっている色をした、このN700系を堂々とパクった8両の新幹線がたまに目撃されている。
2010年 - 500系新幹線東海道から引退・GO WEST!!2010年2月28日、多数のファンに見送られながら新幹線史上最もカッコイイと言われてきた新幹線500系電車が東海道新幹線から引退。ニュースでも割と大きく扱われた。その後、多くののぞみ号はどんどんN700系へと置き換えられていった。500系は8両編成にぶった切られ、山陽ローカル新幹線のこだま号として再出発する事となったが、切られて余った8両の車体は土用の丑の日に振る舞われ美味しくいただかれた
2012年 - 300系新幹線引退・N700系は第二世代へ2012年3月16日、JR倒壊が技術の粋を集めて作り上げた新幹線300系電車が後輩にのぞみを託し引退。大人の事情で短編成化される事はなく、山陽新幹線からも同時引退となった。これにより、今日に至るまで300系は「16両で生まれ16両で消えた唯一の新幹線電車」となっている。ちなみに同日には新幹線100系電車も引退しているが、300系に話題をかっさらわれたせいで誰も気にしなかった。これと前後して、N700シリーズに新たな仲間が加わる。N700Aと名乗る彼らは700系を駆逐するために生まれ、いろんな機能が強化されているらしいが、外観や内装はまるっきり変わらないので一般客は誰も気にしない
2017年 - トラブル相次ぐ新幹線・安全神話崩壊の危機2017年12月、東京行きのぞみ号として走行していたN700系で異音・異臭騒ぎが発生し、名古屋駅で運転打ち切りとなる事態が発生。その後の調査で、13号車の台車の部品やオイル部分が老いるという不具合を起こしていたことが確認され、さらに台車枠に亀裂が入っていることも判明。これにより、営業中のN700系全編成がセルフリコールの対象となった。このようにN700系、ひいては新幹線そのものの安全性が疑問視されているが、同じ名古屋共和国トヨタ自動車のマネをしてみたかったとか、500系や300系、700系を引退させた恨みによるものだとか、その真偽を問わず諸説飛び交っているが、JR東海の手によって詳細は検閲により削除されている。
2018年 - どんどん増えるよN700系・第三世代登場登場から10年を経ても増え続けるN700系。そんな同系列に2018年、また新たな仲間が加わった。第三世代となる彼らはN700Sと名乗り、それまでのN700シリーズとは中身も外観も一線を画する存在である。Sとは「最高」「究極」を意味するSupremeの略で、これを最後にJR倒壊は新幹線の開発を終了し、今後はリニア中央新幹線のほうに注力していくものと言われている
2020年 - 700系新幹線引退・N700系一強の時代へ2020年3月1日、新幹線型カモノハシこと新幹線700系電車が東海道新幹線から引退。これにより、JR倒壊は保有する全新幹線車両のN700系での統一を完遂した。やはり山陽新幹線でも同時引退となったが、引退したのは青帯を巻く16両の仲間だけで、山陽新幹線の「こだまレールスター」は当面残る模様。
将来へ向けた展望・新幹線の未来JR東海では「名古屋?新大阪間でも300km/h運転するかもしれない」と、自動車教習所で習う「かもしれない運転」を示唆する発言をしている。そのうち空を飛ぶのかもしれない。実際にJR東海は宙を浮く新幹線を自費で作ろうとしているし。しかしながら(JR東海に限った話ではないが)新型なんとかウイルスを理由とした、民間企業が推奨するリモートワークという名のひきこもり政策と、政府が推奨する高速道路の割り引き・無料化実験という名の二酸化炭素増加推進運動のあおりをもろに受けて減収減益となっており、実際は夢のまま終わる可能性も出てきている。

東京駅
起点駅兼公式エクストリームスポーツ会場。14番線から19番線までの6つのホームがある巨大な駅である。しかし駅全体をよく見ると、地上ホームの番線がなぜか番号の若い順になっておらず、東の新幹線が発着する23番線の次が14番線となっている。これはJR東日本が2つの番線を持つホームを増設した際に、「14番線を東北ホームの番線として、番線番号を1つずつずらしてやらないか。」とお願いしたが、JR東海が新たに必要となる20番線という数字に対して「すごく…大きいです。」と嫌がって駄々をこねたため、JR東日本が折れた結果である。おかげで、ただでさえ迷いやすい東京ダンジョン駅をさらに迷いやすくするというアトラクション化に一役買うこととなった。ホームの端に目をやると、明らかに東北新幹線とレールを敷いてポイントでつなげそうなところがあるにも関わらず、レールは一切つながっていない。これはどうやら東日本と東海の両社間に何らかの大人の事情が絡んでいると言えるだろう。仮にレールがつながっていたとしても、周波数が50Hz(東日本)と60Hz(東海)で異なるため、物理的な相互乗り入れにはハードルが高いと言われている
品川駅
2003年(平成15年)に開業した新駅。今後さらに過密になっていくであろうダイヤをさばくべく、バブルの発想丸出しで計画・建設させられたが、結局はJR倒壊の社員が東京本社から東京駅に行く際に、お隣の会社の車両に乗りたくないがためだけに作った駅。しかしそれだけでは建設させてもらえなかったので、利用者の拡大を目指して世田谷区などに路線を張り巡らせている東急沿線や、本品川区などを通る京急沿線の住民に「東京西部から東海道新幹線へのアクセスが便利になりますよ」と吹聴することで出来た駅である、と世間体ではなされている。ここでも東海と東日本で縄張り争いがあったが、結果的に東日本のほうが元々広い敷地を占有していたこともあって、東日本側がはるかに優勢な構造となっている。恐らく東海道新幹線の切符を買おうとしても、最初に目に入るのはまずJR東日本管轄の窓口だと思っていい。新幹線ホームに近い位置に乗り場がある横須賀線ホームで、当てつけがましくかつての新幹線チャイムを発メロに採用するなど、未だに冷戦状態が続いているといういわくつきの駅でもある。過去には、ひかり号とのぞみ号が乱数表をもとに停車する列車を決めていたため、停車駅を時刻表などであらかじめ調べておく必要がありややこしかったが、「だったら面倒くさいし全部停めてしまえ」ということで、今は全列車が停車する。そういう意味では、一部列車に飛ばされる東北新幹線上野駅よりまともな扱いをされていると言えなくもない。
新横浜駅
焼売の産地。きっと、駅近くには焼売の実がなった木を何度も見かけることができるだろう。横浜線横浜市営地下鉄はお乗り換え。当駅に関しては東海のほうが縄張りとして優勢であり、ほぼ東海の駅と言ってもいいほどオレンジ一色である。それゆえ横浜線は肩身が狭く申し訳なさそうに高架下を走っている。これに対して、JR東日本は横浜線のダイヤを新幹線との接続を考慮しないように組むという嫌がらせをしている。ひいては「東急田園都市線沿線へ行くような屑人間は地下鉄でも使ってろ。バーカ」運動で、田園都市線の沿線住民をも侮辱しているようだ。このように、ここでも東日本と東海の敵対関係、および東日本の陰湿さが垣間見れる。品川駅同様、ひか? 6 ??号? 6241 ??のぞみ号が適当に止まったり、時々通過していたが、今は面倒くさいのか全列車を止めている。速達列車の通過駅から全列車停車駅に格上げされたという点では、最初にひかりの停車駅となった米原駅、姫路駅、小郡駅(現・新山口駅)などに下剋上を叩きつけたと言っても過言でもない。
小田原駅
かまぼこの産地。きっと、駅近くではかまぼこのなった木を何度も見かけることだろう。この駅は難攻不落の駅として知られ、例え20万の軍勢が切符を持って押しかけようと、JR東海がその攻撃に耐えられずに降伏して改札を開かないと入場できない。この城駅を陥落させるのが不可能だという人を救済する目的で、JR東日本の東海道線小田急小田原線が乗り入れている(もっとも朝一番のひかりが停車しているところをみると、JR東海を降伏させるチャレンジャーは多いようである)。特に湘南新宿ラインに関しては当駅止まりの特別快速が半数を占め、東海を冷やかしているようにも見える。また小田急の力を借りて、小田急の新宿駅から途中で合流し、東海の縄張りである御殿場線御殿場駅まで浪漫特別快速を乗り入れさせたりと、互いに挑発的な様子が垣間見れる。やはりここでもこの2JRについては、お互いに兄弟げんかが絶えないのではないかと邪推される。この先は山間部を通るが、しばらく遠くで並行する東海道線のエクストリームスポーツ開催状況を車窓から眺めることが出来る。
熱海駅
温泉の産地。きっと、駅近くには温泉まんじゅうの房がぶら下がったビニールハウスを何度も見かけることだろう。温泉まんじゅう狩りのために、伊東線とそれに繋がっている伊豆急行に乗り換えられる。この駅は前後がトンネルに挟まれており、新丹那トンネルという東海道新幹線最長のトンネルがある。強引に作ったために通過線は無い。さらになぜかここで停電事故が起こることがよくある。当駅で、JR東日本の特急「踊り子」号の利用客をかっさらうために、ひかり号が止まることがある。東海道本線はここでJRの管轄が変わるが、東日本の列車は短くても10両なのに、東海の列車は短くて3両(場合によってはトイレもなし)という状況で、西へ向かう列車は乗客がロングシートに押し込められ、まるで荷物のように扱われていることが良く分かる。当駅はもちろんのこと、ここから西の多くの新幹線接続駅で本格的に「新幹線をご利用ください。」運動が盛んな理由を目の当たりにすることになるだろう。
三島駅


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出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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