朝鮮の近代史
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朝鮮の近代史とは、厳格なる大日本帝国の父たちが大人しいお嬢様にさえ頭を下げさせられない朝鮮の体たらく両班たちを訓導して解放し、最後には国土まで併合してやった輝かしき歴史である。不毛なる前近代の歴史の記事も共に参照あれ。目次

1 開国への道

2 開化の時代

3 保護国への道

4 そして併合へ

5 関連項目

開国への道

19世紀後半、西洋列強は朝鮮の名目上の宗主国・清にどんどん進出して風俗をどんどん改変し、儒学に狂奔する朝鮮両班の妄想の度合いは更にヒートアップしていた。にもかかわらず、宗主国では卑しき女妖怪がトップに立ち、男子優先のあらゆる秩序を転覆させようとしていた。

その影響を受けて朝鮮では奴婢が威張り、最も大人しいお嬢様までが公共の場で堂々と男の悪口を言うようになっていた。妄想に生きる朝鮮両班たちはこれを「前門の西太后、後門の許蘭雪軒」と恐れ、他力本願なご都合ミンジョク(民族)であるが故に世を正してくれる新たな宗主国を求めていた。

野蛮なる列強はいよいよ「最後の閉鎖国家」朝鮮王朝に目をつけ、米国とフランスは商船を派遣して偵察した。彼らはそんな国には植民地化される価値もないと結論付けたが、その評価に彼らは怒り、特に金日成のひいおじいさんは伝統習俗の名を持つシャーマン号を焼き討ちして無神教の先駆けとなった。

これを朝廷で率いたのが大院君イ・ハウンだった。実のところ彼は日本の幕末マニアであり、その後衛正斥邪なるスローガンを唱えて、自分たちは日本の成し遂げられなかった尊皇攘夷の夢を達成し日本を越えたと自画自賛し、明治維新を成し遂げた志士たちを嘲って、国書の受け取りを拒んだ。

それを聞いた西郷隆盛は、「実は攘夷運動とは初めから西洋に屈服するのが真の目標だったでごわす!」と怒り、史実を分からせようと砲撃を計画した。そして、盟友の黒田清隆公に自分が失脚したら黒船雲揚号で半島を襲い、真の価値をわからせてやれと命令した。賢明なる黒田は即刻命令を実行に移し、攘夷の真の意味を知らしめて仁川などを開港させ、文明化への道を踏み出させてやった。大院君は攘夷の真の意味を知ると、全国に建てた斥和碑を外し、親日碑を代わりに建てた。
開化の時代

開国を受けて多くの朝鮮人幕末マニア達が日本の新制度を学ぼうと留学を行った。様々な文物が流入したが、留学生の一人朴泳孝(パク・ヨンヒョ)は特に日本の接客制度に目を付けた。ある時東京の喫茶店に入ると、女たちが奴隷のようにかしずいてきたのだ。こんなことは清の女妖怪に朝貢する限り決して起こりえぬと考え、彼は日本を新たな宗主国にすることを決意した。彼がデザインした大韓民国の誇り高き国旗に日の丸が描かれているのは、その名残である。

その頃、朝鮮では明成皇后(閔妃)が国王の高宗を押さえつけ、三従の婦道を無視してやがては女帝になろうと策略を巡らせていた。彼女がモデルとしたのはもちろん西太后。彼女はロシアのウェーバー婦人とも三女傑同盟を結び、西太后の奴隷袁世凱を介して地位を固めていた。彼女らの盟約により、女が接客の場に立つこ 1c84 とを禁じられたので、必然的にこれらの国での女の物腰は高くなり、最も大人しく優しき娘までが安心して両班の男たちの悪口を言った。後に袁世凱が日本からの21の娘の要求をたやすく受け入れたのは、この頃受けた屈辱を晴らすためだった。

こんな国家を見て憤慨し、日本で開化したキム・オッキュンは偉大なる哲人、KO義塾の祖にして侵亜従欧の唱道者たる福沢諭吉翁の指導を受けて、1886年謀反を起こし、多数のお嬢様に自分の漢字上2文字を××した。間もなく内閣ができたが、「日本は決して悪事を働かないきよい国です」と本気で信じる青白い人間だったので、やがて「従嬢の巨魁」ミン・ヨンイクの反撃に敗れ去った。ここで、事態を傍観した有能なる竹添進一郎大使は事件で被害を受けた日本人だけの補償を行うよう両班たちにゲンメイし、済物浦条約で更に多くの経済権益を手に入れた。女たちは抵抗したが、人を殺すだけの気概は持っていなかった。一方、両班たちは新宗主国日本の下なら、女に頭を下げさせられるようになると考えむしろ歓迎した。
保護国への道

まだ清国への影響が残っていた田園部では1894年「英雄的緑豆」チョン・ボンジュンが「当たり前の男女観」を求めて蜂起した。乱は日清両国が介入して平定されたが、男女観の意味を巡って解釈が割れ、ついには両国間の戦争になった。両班の男の士気を高めるために「上郡の下犬」大鳥圭介大使は朝鮮の王宮を占拠して女官たちを前に「朕は貴様らの真の主人だぞ」と宣言して、男たちの絶大な支持を得た。最近の研究では、これが面積に劣る日本が清に勝利できた最大の要因とされている。

権力を失った閔妃は最後の抵抗を試みて高宗を拉致し、ロシアに救いを求めたが、「不滅の義士」三浦梧楼公は日本刀で逃げる閔妃を切断し、男女関係の正常化を求める半島の全男子から満場一致の喝采を浴びた。この事件は栄えある大日本帝国の義挙として永久に語り継がれることだろう。 寛大なる大日本帝国はいうことをよく聞く金弘集(キム・ホンジプ)に内閣をつくらせた。彼は民主主義の思想を取り入れ、段階的に女子の地位を低下させていくことにしたが、即時の低下を求める民衆の声に応えきれず、日本人の制止を振り切って民衆の前に出て撲殺された。これを目撃した「軍閥の帝王」山県有朋は考えた。

吉田松陰先生の朝鮮征服の大願を叶えるためには、民主主義の原則は守らなくても許される、いや守らない方がより土民の支持を得られる」

政策はいよいよ厳格化した。その苛烈さを前に「女を隷属させるには、義兵を起こすしかない」と勘違いする者も現れた。
そして併合へ

そうして彼らは50年間何の進歩もない衛正斥邪思想を胸に、儒学のごとく女を従わせようと義兵闘争した。その運動のトップに立った両班がチェ・イッキョンである。チェは何より出身身分を重視し、平民や奴婢が自分より功績を上げようとすると即座に処刑して軍規の厳しさを思い知らせた。平民 1824 たちはチェに恐れ入り、自分の力だけで独立を達成しようと彼から精神支援のみを受けようとした。

そんなチェも、治安担当の最高責任者となった偉大なる軍師、その神策の前には張良も周喩も素足で逃げ出す溢星の謀将たる永遠の名士明石元二郎将軍の計略にはかなわなかった。チェは捕えられた後、対馬に身柄を移されて刑を待つ身となった。そんなチェに大日本帝国は女をやり、徹底的に儒学的な従順さで接しさせた。チェは思った。

「何ということだ!願いを叶える真の道は、日本軍に尽くすことだったのか!私はこの無知を恥じ、そのまま死んでしまいたい!」

そして、チェは女を帰してやり、食事を拒否して餓死する道を選んだのだった。

明石は伊藤博文統監に巧妙な秘策を授けていたが、明石を敬愛するクリスチャン安重根は真の意図を見抜いてハルビン駅で「東洋平和を破壊する侵略の元凶」伊藤を暗殺した。明石は彼を例外的に認め、自分の策略の本質を見抜いた世界最高の叡智と褒め称えた。この辺りの経緯は明石の記事を読むように。

一方、独立権をどんどん奪われた朝鮮王朝改め韓国では、女を堂々と従わせられるもののふの大国日本を新たな宗主国と認め、自分もその一部になろうという思想が主流となっていた。「究極の商人」李完用(イ・ワニョン)は、4人の勇者を引き連れ、「愚かにも女に支配されたこの国を栄えある大日本帝国の正式な植民地にしてください!」と「長州の規則」寺内正毅提督に請願した。彼らが国家を商品とする名バンド「ウルミ・ザ・ファイブ」である。寺内は軍刀を光らせながら反対する一部閣僚を一喝し、請願を了承した。

ここからの栄光の歴史は、朝鮮総督府の項目をみるように。
関連項目

伊藤博文

朝鮮王朝

金玉均

日清戦争

明石元二郎

朝鮮の歴史

朝鮮総督府

日韓併合


更新日時:2016年7月28日(木)02:00
取得日時:2021/07/21 14:13


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出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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