井伊直弼
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…一期一会[編集]多くの人から忌避された直弼だが、茶道への造詣が深かった直弼は礼儀作法を重んじ、峻厳な人物であったものの、非常に礼節を弁えた紳士であったという。相手を詰る時も、うんこまんこお前の母ちゃん出ベソなどという罰当たりな言葉を使う事は無く、知的ユーモア皮肉を交えて風刺するように非難したという。もっとも、相手にとってはその皮肉が罵詈雑言よりも鋭く突き刺さったようで、直弼は厭味な奴であると言う印象を助長させる結果になった。

一期一会の精神を重んじたが、直弼はこの言葉に「その人を一度も見ることなく寸評を下すのは愚の骨頂だ」「人の器量や人格は第一印象で大体が知れる」という意味を含ませていた。安政の大獄の折も、吉田松陰ら殺害対象者の処刑の場面にわざわざ出向いて会釈し、あの世で幸せになれよなどと優しい言葉を掛けてやった。直弼なりの善意であったが、水戸藩士鵜飼幸吉などは直弼に向かって唾を吹きかけたという。全員に声を掛けた後、直弼は「一人残らず死に値する人間だった。自分の裁量が誤ってなくてよかった」と述懐している。
直弼と猫

直弼は大変な猫好きでも知られており、彦根藩主時代には居城の彦根城に1000匹を超える猫を住まわせていた。また直弼は猫に英才教育を施し、人並みの知能を持った猫に育て上げた。それらの猫のうち数匹は明治新政府における枢要なポジションで活躍したり、詩人として文壇にデビューしたりして人間顔負けの活躍をしたという。名高きひこにゃんも直弼の薫陶を受けた猫である。また夏目漱石の「吾輩は猫である」も、井伊直弼が育てた喋る猫にアイデアを得て書かれた。



9b6 直弼は国賊か

尊皇攘夷派の巨魁吉田松陰や、攘夷派の牙城である水戸藩の藩士を多く処刑したため、直弼は売国奴、国賊と指弾されることがあるが、直弼自身、長野主膳に師事して国学の研鑽を積んでおり、どちかといえば大攘夷主義者であった。つまり、直弼は志を画一する同志達を弾圧、処刑したことになるが、何故そんなことになったかというと、彼らは攘夷という点では同志であったが、幕政の方針にいちゃもんをつけたり、長州藩の連中や京都の公家においては倒幕まで画策している輩もいたため、同志であると同時に、幕僚という観点から見れば抵抗勢力であり、不倶戴天の敵であった。直弼は、彼らが幕府の敵であるということを重視し、弾圧、処刑という果断に踏切った。血の雨を降らせたがゆえ忌避された直弼だが、役職と個人の立場を峻別できる人物で、決断力もあった。日和見ばかりしている事無かれ主義者の政治家は、模範にして欲しいものである。
関連項目

彦根市

水戸市

敦賀市
1191

更新日時:2019年3月24日(日)21:07
取得日時:2021/07/17 08:44


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出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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