中央アフリカ共和国
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出典: 八百科事典アンサイクロペディア(大丈夫、本当の項目名は中央アフリカ共和国だから。君は間違っていないよ。)中央アフリカ帝国Empire of Chu-oh Afurika

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(
国旗)(国章)
国の標語 : [[Image:|250px|中央アフリカ共和国の位置]]

公用語フランス語
首都バンギ
最大の都市バンギ
首都機能分割都市不明
指導者不明
皇帝ボカサ一世

面積
 - 総計
 - 水面積率世界第42位
622,984平方km
極僅か
人口
 - 総計(2012年
 - 人口密度世界第位
453人
世界第xx
0.006人/平方km
政府不明
国民的な英雄不明
独立1960年8月13日
通貨中央アフリカ地域振興券 (XAF)
時間帯UTC +1 (DST: なし)
国歌
宗教不明
国際電話番号236

中央アフリカ帝国とは、アフリカに存在している国。リーダーはボカサ一世皇帝陛下。目次

1 国名について

2 歴史

3 政治

4 経済
113f
5 地理

国名についてユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「中央アフリカ共和国」の項目を執筆しています。放浪癖に取り憑かれた人のために、ウィキトラベルのトラベルライター気取りたちが「 ⇒中央アフリカ共和国」の項目を執筆しています。長文が読めないバカな人のために、チャクウィキバカたちが「中央アフリカ共和国」の項目を執筆しています。

近代国家として初めて正式な国名に「中央」といった方角名を採用した国である。え?南アフリカの方が先じゃないかって?あれはトランスヴァール共和国だのオレンジ自由国だのといった、「一個の国として成立して? 60c1 ??た国」たちが集まって作った連邦が、いつの間にか単一の国家になってしまっただけで、要は「東南アジア諸国連合」が政府を統合して単一の政府や元首を戴くようになった、という感じなだけで、そういった「地域連合」ではない純粋な単独の国家としては「中央アフリカ」が最初である。

なぜ国名にわざわざ「中央」と方角名を入れるに至ったかといえば、それはもちろん「町おこし」(国おこし)の為である。

他のアフリカ諸国を見ればわかるように、(上述の南アは除いて)「マリ」だの「ウガンダ」だのといった人名や、「コンゴ(=今後、すなわち将来発展する国)」や「アルジェリア(=ある、すなわち物が豊かにあふれる国)」といった、将来に対する希望などを国名につけるものなのに、現在「中央アフリカ」が領有している地域には、そういったものが一切ない、まさに「暗黒大陸」のど真ん中であったからである。世界中の人が一瞬で国土の位置を覚え、なおかつインパクトがあり、それによってなんとか観光客を呼び込んで収入を得られるよう、そんな悲痛な思いで「中央アフリカ」という国名が名付けられたのである。
歴史

上述の通り、中央アフリカの領域内にはまともに人類が居住したことはなく、20世紀初頭までは、わずかに狩猟生活を営む者(その多くは他の地域から、やむに已まれぬ事情でこの地域に流れてきた者だった)が居所を転々と変えつつ細々と暮らしていただけだった。当然ながら、西欧列強が「アフリカ分割」を行った時も、どの国家もこの地域を領有したがらず、当時「太陽の沈まぬ」大帝国であったイギリスがその影響力を使って、ライバルであるフランスにこの地域を押し付けた結果、この地域はフランス領となった。

そのような経過、および現地の実際の状況から、フランスはこの地域をまともに統治する気はなく、そもそも白人の入植者も皆無で、他地域との境界あたりのわずかに耕作ができる土地にいくばくかの世帯が暮らしていただけであった。

第二次世界大戦後、世界的に脱植民地の流れが生まれ、「ここには産業がないから独立させるのは無理だってば。ていうか独立させたらむしろ原住民の生活が悪化するだろ」という地域すら独立させないといけないという風潮となり、しかしながらコストばかりかかって地政学的な重要性も鉱物資源や産業による収入も皆無であった当地域を手放せることを内心フランスは喜んでおり、結果1960年内に当地域をフランス領から独立させることが決定した。

これに驚いたのは当地域に居住していたわずかな住人である。言ってみれば、誰も観客がいない川崎球場で流しそうめんをして遊んでいたら、川崎球場の持ち主に「この球場の運営は任せた」と言われて逃げられたようなものだからである。困った住人たちは集まって協議した結果、元自由フランス軍将校(最終階級大尉)という、住民随一のインテリであり且つ安全保障にも通じているジャン=ベデル・ボカサを指導者として政府を作ることを決定した。といっても、住民たちのささやかな自治組織であった「寄合」等の名称を「国民評議会」などといった近代国家風に変えただけで、実体は独立以前と良くも悪くも変わっていなかった。そしてこの「国民評議会」の中で、国名を、「国おこし」のため「中央アフリカ」とすることが決定され、政体については、西洋式の政体について理解している住人が皆無だったため、とりあえず他国に倣って「共和国」とした。

そして1960年8月13日にフランスから独立をするのであるが、この年は後に「アフリカの年」と呼ばれるほどアフリカ諸国の独立が相次いだため、せっかくインパクトを狙って「中央アフリカ」という国名にしたにもかかわらず、彼らに注目するマスメディアは皆無であった。淡い期待を抱いていた観光客増加は起こらず、以前と変わらぬ貧乏暮らしが続いた。

この状況を深刻に憂いたのが、住人達に指導者とされたボカサである。人一倍真面目な彼は、観光不振を自らの責任と考え、さらにインパクトがあり、観光客を呼び込めるアイデアを日夜考えていた。そして独立から16年もの月日が経ったある日、ついに彼は「自らが皇帝となって正式国号に帝国の文字を入れれば、世界中で唯一無二のインパクトを与えられ、観光客を呼び込める」というアイデアを得、早速それを実行に移し、「中央アフリカ帝国皇帝ボカサ一世」として即位したのである。

なお、頭の固いやつらのサイトなどでは、その戴冠式の費用として「国家予算の四分の一」とか「三分の一」、記事によっては「二倍」もの巨費が投じられたかのように書かれている。ある意味、それは事実である。中央アフリカの国家予算規模から見れば莫大な金額が戴冠式には費やされた。しかし、中央アフリカの国家予算というがそもそも雀の涙のような金額であり、ドル換算したならば日本の一世帯当たりの生活保護支給金の方が、中央アフリカの国家予算よりも余程高額である。実際、戴冠式に使われた費用は、すべて、ボカサの個人資産(主にフランスから支給されていた軍人恩給を貯金していたもの)から支払われており、国庫からの金は一切使われてない。

こうして「中央アフリカ共和国」は、即位当時は世界で他に2人(日本昭和天皇陛下とイランのモハンマド・レザー・パフラヴィー皇帝陛下)しか存在しなかった「エンペラー」を戴く「中央アフリカ帝国」となったわけであるが、それでも観光客はほとんど増加しなかった。なぜなら、東西冷戦真っ只中の当時、世界の半分を占めていた資本主義国側の大半は「君主制は民衆の声を取り入れない過去の遺物」という思想で〆られており(実際イギリス王家も廃止論に晒されていた)、もう半分を占めていた社会主義国などは「君主制は打倒すべき絶対悪」とさらに過激な思想に占められており、だれも帝国・皇帝というものを珍しがって見に来なかったからである(ちなみに日本は先進国の中でも大半の欧米諸国と違って君主制に対して大いに理解があったが、日本から中央アフリカは遠いし、既に自国にエンペラーが存在しているため珍しさという点でも物足りなかったため、日本からの観光客もほとんどいなかった)。

かくしてボカサの「帝政にして観光客増加」という目論見は失敗したが、帝政を廃止しても数少ない売りがなくなるだけであるため、現在も帝政は続いている。
政治

サハラ以南のアフリカにおいて現在唯一の皇帝であるボカサ一世の絶対君主制である。

いわゆる「民主的」な議会は存在せず、国民評議会という、皇帝の諮問機関且つ行政の執行機関且つ立法機関且つ最高裁判所に相当する機関のみが存在する。

これだけ見ると非民主的な独裁国家のように思えるが、そもそもの住人がほとんどいないので、このような体制及び機関だけで事足りるため、というのが現実である。
経済

何回も記述している通り、この地域にはまともな産業は存在しない。国土のほとんどが、土地は痩せ降雨も少なく植生も少ない砂漠一歩手前のサバンナ気候であり、安定した収穫を得られる穀物が育つ地域はごくわずかであるため、農業も自給自足が精いっぱいという状況である。

また、植生が少ないということは、すなわちそれを食する野生動物も少ないということであり、そのため自然を売りにした観光業すらごく小規模なものしか存在しない。

降雨も少ないため大量のを必要とする工場の建設など不可能であり、鉱物資源もないため鉱業も存在しない。

ただし、晴天日数はそれなりに存在し、また、技術の進歩の恩恵もあり、太陽光発電だけですべての世帯・施設(総世帯数122世帯および公共施設3)の電力を賄っており、環境ファシストたちに「世界一エコな国家」として崇拝されている。

なお、当帝国において1970年代には、宝くじが盛んに行われた。ボカサ皇帝はゴッドハンドを持っており、宝くじの一等を複数回引き当てた。その結果、臣民は皇帝の強運に敬服して、商店を打ち壊してまで皇帝を祝福した。もちろん抽選は極めて厳正に行われた。ボカサ皇帝は金正恩より強運の持ち主である。確かに、皇帝と将軍を比べれば、皇帝の方が上なのだが。
地理

その名の通り、アフリカ大陸のど真ん中にある。つまり、アフリカで一番から遠い地帯である。そのため、DASH海岸をはじめとした、海洋レジャーorテーマパークの誘致は不可能であり、観光客増加に対する足かせとなっている。


 ・話・編・歴 世界の国々アフリカ

北アフリカ :アルジェリアエジプト|スーダン|チュニジア|モロッコ|リビア
西アフリカ :ガーナ|カーボベルデ|ガンビア|ギニア|ギニアビサウ|コートジボワール|シエラレオネ|セネガル|トーゴ|ナイジェリア|ニジェール|ブルキナファソ|ベナン|マリ|モーリタニア|リベリア
東アフリカ :ウガンダ|エチオピア|エリトリア|ケニア |ジブチ|セーシェルソマリア|タンザニア|南スーダン
中部アフリカ :ガボン|カメルーン|コンゴ共和国|コンゴ民主共和国サントメ・プリンシペ|赤道ギニア|チャド|中央アフリカ共和国|ブルンジ|ルワンダ
61ab 南部アフリカ :アンゴラ|エスワティニ | コモロ|ザンビア|ジンバブエ|ナミビア|ボツワナマダガスカル|マラウイ|南アフリカ共和国|モザンビーク|モーリシャス|レソト
事実上独立した地域 :ソマリランド
その他の地域 : アジア日本から独立) | アメリカ | アフリカ | ヨーロッパ | オセアニア | その他地球上 | 電脳世界 | 地球以外 | 過去・未来

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更新日時:2018年8月12日(日)23:00
取得日時:2021/06/07 02:58


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