コミュニティ
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…コミュニティの始まり[編集]そもそも、「管理」というものが出来始めるのは、メディアウィキを使用したサイトを立ち上げた後に、集まってくる有象無象のユーザーたち 66a1 の間に、「人望」と「意欲」、そして何よりも「実力」をかねそろえた連中が、最初のコミュニティとも言える集団を作り、徐々にルールを取りまとめていく中で「管理者」という立場で大きな権力を得ていくのがデフォである。しかし、その後、なぜか権力というものに対して反発する連中が出てくるのも人間の常である。まぁ、多くの場合、反発する側は「実力不足」であり、彼らの主張はゴマメの歯軋り程度の扱いしかされず、瞬殺され、歴史の闇に消えていく。しかし、中にはふとした事情でサイトをより自分達の活動を行いやすくすることができると気づいた「名もなき実力者」が出てくると、話はややこしくなる。

けれど、そんな場合でも、往々にして話し合いで折衷案を見つけ出してルールを変更、何の軋轢もないまま次へ進むことも多い。それこそが「民主主義」の素晴らしさである。

が。

そんな話し合いが折衷案もクソもないまま、いつの間にか宗教戦争と化すのが人類の定め。そんな悲劇において、管理者サイドとパワーユーザー&その応援者たちの争いはいかに激烈なものになっていくやら。それは、部外者であるアンサイクロペディアンには到底うかがい知ることはできない。しかし、ウィキペディアのいくつかのページで散見される無益な争いの裏側に、いったいどれぐらいのパワーユーザーとそのコミュニティがあったかは、現在でも、その名残を後世の人々に見せ付けている。
楽しいウィキペディアユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ノート:池田大作」の項目を執筆しています。ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ノート:池田大作/削除」の項目を執筆しています。

この項目の右側に、ウィキペディアにおける代表的な楽しい宗教戦争を挙げる。本当に宗教戦争である。内容は特に読む必要はなく、横にあるツールバーを確認するだけでいい。もし、内容に踏み込むならば、とりあえずウィキペディアのルールについて語るのが管理者サイド、反論する&チャチャを入れるのがコミュティの連中です。内容なんざまったくありゃしませんので、そこのところは華麗にスルーしましょう。

こうやって、コミュニティができあがり、こうやって疲弊していくのがよーく分かります。
コミュニティの意義
ウィキペディア

ウィキペディアに於いて、コミュニティの意義は少し有る。それは、中立性の実現である。偏った記事はコミュニティの健全な議論や編集に基づいて中立的に直される場合が稀に有る。

稀にしかないともいえる。

しかし、その弊害はより大きい。コミュニティは同じ考え方のユーザで結成している場合が多い。この時点でコミュニティは偏向集団となるが、コミュニティの議論結果がウィキペディアの中立になる。そして、その結果を疑問視し一般人が問うと、それはコミュニティ内に不和をもたらす荒らし行為と認識される。

特に、鉄道関係においては。

そのため、それらの議論が行われているノートに執筆する上で大切な事、それは、自らの考える中立的記事を書く事でなく、いかに偏向コミュニティの定義する偏向的中立を実現する為に逆算、その上で、落としどころを見失った連中をに対して冷静に議論の終着点を指し示す事である。
アンサイクロペディア

アンサイクロペディアに於いて、コミュニティの存在はほとんどない。何故なら、管理者以外に複数で活動するサイトではない上、船頭多くして~のたとえの通り、人数が多くなれば多くなるほど、記事がクソ化するため、大人数で何かをしようなどという話はイベント以外ほとんどないためである。
ユアペディア

ユアペディアにコミュニティという概念は無い。

んなもんいるか。
結論

広い目で見ると、メディアウィキサイトとは、コミュニティの胡麻磨りを目的としたサイトであると言える。どんなに静かに活動していたとしても、結局、管理者サイドというファーストコミュニティに対して反抗心を見せるユーザーは歓迎されない。しかし、ニンゲンカンケイというものが理解できないユーザーがコミュニティに歓迎されないのは当たり前であり、サイトの消耗要因であり、ブロックの対象となったところで、それはそれ、何の問題もない。

しかし、それが行き過ぎるとウィキペディアのようになってしまう。ある特定分野への書き込みを計るユーザーは、まずコミュニティに歓迎される事を目的に活動せねばならない。むしろ、そのことがそのコミュニティへの参加意義の全てであるともいえる。けっして、自己実現や表現といった、自分本位の活動を許さないのがウィキペディアにおけるコミュニティというものの現実である。もっとも、そういった現実への反発の結果生まれたアンサイクロペディアにおいても、似たようなものではある。

ちゅうか、まぁ、うざいやつは何をやってもうざい。

悲しすぎる話である。

幸いなことに、アンサイクロペディアはウィキペディアと違い、自分本位の活動を禁止してはいない。ただし、実力がなければ、活動自体を禁止される場合すらある。その点においてはウィキペディアよりひどい。それは認める。そのため、実力不足をコミュニティの力で補おうと多くのユーザーが自分の記事に対する救済を求めて右往左往して、ガン無視されるのもよくあるパターン。弱小なユーザーの記事、そして何よりも弱小ユーザーの存在意義を認めてくれるようなコミュニティはアンサイクロペディアにはない。

まったくない。

だからこそ、こんな魑魅魍魎が跳梁跋扈するメディアウィキサイトの中で、それなりに秩序を維持しているともいえる。結局のところ、アンサイクロペディアには自らの手で記事を充実させ、サイトを成長させようとする意志の無い、人に頼って生き延びようとする連中を生かす意識はない。そこに有るもの、それは、自我と誇りを捨てて媚びるコミュニティ依存症患者の屍の山であり、その上でひたすらに生き延び続けようと努力するごく少数のアンサイクロペディアンたちだけである。

それでや名誉が得られるようなら、こんなことはやってねえや。



関連項目

民主主義

協調性

コミュニティを疲弊させる利用者


更新日時:2021年7月11日(日)09:40
取得日時:2021/11/29 22:57


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出典: フリー誤報百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
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