悟りを開いたことあるけど何か質問ある?2 at PSY
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1:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/10 21:10:10.00 m3J7CC5t
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?
スレリンク(psy板)
の続き。

2:神も仏も名無しさん
11/10/10 21:18:48.71 uIN6Spm8
>>1

どんな修行で悟りを開いたですか?

3:さんちゅ ◆PyuQX798ps
11/10/10 21:28:06.14 LwJGxAxM
>>1
乙ですw

4:神も仏も名無しさん
11/10/10 21:36:07.46 cRjxlGZ4
>>1

amaさんスレたてありがとうございます。

私も一日でも早く悟りを開きたいです。

できれば年内にでも。

5:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/10 21:36:20.18 m3J7CC5t
スレリンク(psy板)
>>979
> 私も悟りは一度開いています。
> 過去現在未来の時間も無いことなのもわかります。
> 無条件の至福も、全てが統一された状態もわかります。

私は、全てが統一された状態というのが分かりません。
いったい何のことを言っているのでしょう?

> ただ、自我の認識の上では、それらは過去の悟りの経験から
> 導き出している状態で、現在進行形の状態ではないのです。

分かります。

6:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/10 21:38:46.42 m3J7CC5t
スレリンク(psy板)
>>979
> そこで、頻度について教えてください。
>  悟りは一度だけしかなれないものですか?
>  それとも、行ったり戻ったりできるものですか?

私の申し上げている悟りは、あなたのおっしゃっている悟りとは違うかもしれません。
おっしゃっているのは
> 心がパカッと開かれている状態、
> 頭がスコーンと突き抜けている状態、
> ボーっとしていない状態、
> 色んな思考の動きが観えていて引っ張られていない(囚われていない)状態、
> 自分の中の恐怖がよく観える状態、
> 一切の前提無く観ている状態、
> 断言を持ったままではそこに至ることが出来ないそこの状態、
のことでしょうか?
それとも、何かの行為に没頭するなどして、
それとひとつになって自分が消えてしまっている状態のことでしょうか?
もしくは、私がいて同時にいない「体験」のことでしょうか?
もしくは、疑問がすべて消滅してしまった「体験」のことでしょうか?
あるいは、これらのどれでもないのでしょうか?
私の悟りは、日常茶飯事で、行ったり戻ったり出来るものです。
ただ、どうもそれは悟りとは言わないようです。

7:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/10 21:40:54.89 m3J7CC5t
スレリンク(psy板)
>>979
> ついでにamaさんの日常的な頻度について教えてください。
>  amaさんは毎回毎回、初めて悟りを開くことを毎日してますか?

私の悟りは、毎回毎回、毎日しています。

>  毎日するなら朝1回夕1回とか風邪薬みたいな間隔ですか?

いえ、もっと頻繁です。
食べることがやめられない人が食べている時間くらいの間隔です。
いえ、もっとでしょうか・・・。

8:神も仏も名無しさん
11/10/10 21:44:23.09 jL5oRNGl
ということは、今日の晩御飯はすき焼きだったということでしょうか?

9:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/10 21:47:23.59 m3J7CC5t
スレリンク(psy板)>>983
> そのひとつは、いつ、どのように、何から始まって、これからどうなるの?
> 私らは生きて死んで、それで?

始まりも終わりもありません。
ただ、あってあります。
これからどうなるかは分かりませんが、基本的には何も変わらないでしょう。
私達は生きて死んでそれで終わりです。


10:神も仏も名無しさん
11/10/10 21:50:03.59 Mh8F10ZU
>>1
ない

11:神も仏も名無しさん
11/10/10 21:50:17.88 L85ydfj8
>>1
続けてくれてありがとう

12:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/10 22:05:44.89 m3J7CC5t
スレリンク(psy板)>>986
> 悟るって、自分の心が消える事ではないですか?

はい、自分が消えることです。
ただ、自分が消える「体験」と、自分が消えることは違うようです。
体験者がいないのに、世界があるのが、私にもよく分かりません。

13:神も仏も名無しさん
11/10/10 22:13:11.10 slUYg5lW
>>5-7
レスありがとうございました。また、Part2もありがとうございます。

悟りについて表現が異なるようですが、同じものを観ています。

全てが統一といったのは、私の場合、内側にも外側にも矛盾が
なく、一切が完璧で完全でなにも葛藤がない状態になったから
です。全てが止揚された状態です。

ただ、おそらくあなたのほうが、悟りの制御について、私よりずっと
長けています。私は一度開きましたが、再び自我から抜け、自在に
そこにいくことができません。過去の体験で話しています。

なので、また教えてください。なかなか「悟り後」の情報は少なくて、
どっちの方向に行ったらいいのかあんまり手がかりがないもので。

 日常的に行ったり戻ったりするときは、どうされてますか?
 息を整えて、悟りの状態を思い描けば行けるものですか?
 自転車に乗るみたいにあんまり意識せずに行けるものですか?

また、amaさんのそれは十分に悟りかと思います。

悟りか否かを見るには、悟りを得たものが自らの内面に照らして、
同じようなものを持っているか否かを突き合せないと判別できない
でしょう。

これまでのレスを観ていて、私の体験と付き合わせても外れて
いないから大丈夫です。

14:U^ェ^U ワン!
11/10/10 22:24:20.69 iJdPcmzO
Samurai - Miyamoto Musashi Documentary (Mark Dacascos) 1;28:21
URLリンク(www.youtube.com)

15:神も仏も名無しさん
11/10/10 22:26:42.07 SOLpJH2j
いろんな悟りを持った人がいて、とてもオモシロイですね。
私も過去に悟りを経験し今に到っているのですが
共通する所もあり、違っている所もあり
とても楽しませてもらっています。
amaさん、悟りはなかなか他人には伝わらないですが
無理せず、これからも頑張ってください。


16:神も仏も名無しさん
11/10/10 22:30:09.57 orClSpYp
聖書から・・・
塩が塩気を失ったら、どうしますか?
「塩が塩気を失ったら、どうやって塩気を取り戻そうか。」←うろ覚え

17:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/10 22:36:13.23 m3J7CC5t
スレリンク(psy板)>>988
> 寝ているときでも意識が途切れない。
> 体への執着がない宇宙全体そのものでありまた更に無である。
> 主体と客体の関係がない。
> 過去生への完全な覚醒。
> 覚者たちの語り方。

なるほど。
次に問題となるのが、これらを受け入れるかどうか、についてですが、
まだ究極には達していないとおっしゃる473さんが、これらを受け入れた経緯あるいは理由はどのようなものなのでしょう?


18:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/10 22:37:42.01 m3J7CC5t
スレリンク(psy板)>>988
> 実は状態そのものを重視した覚者はあまりいません。
> それらの状態は私たちの日頃の執着や日頃の苦しみという背景があってこそそのコントラストとして
> 頭がスコーンと突き抜けている状態、
> ボーっとしていない状態、
> 色んな思考の動きが観えていて引っ張られていない(囚われていない)状態、
> 自分の中の恐怖がよく観える状態、
> 一切の前提無く観ている状態、
> 断言を持ったままではそこに至ることが出来ないそこの状態、
> があるのであり、状態自体はそれが苦しみでも快楽でも無でも幻想に変わりはありません。

つまり、病気があるから健康を感じる、ということですね。
そして、おっしゃっている悟りは、病気も健康もない、あるいは病気と健康が渾然一体となったそれそのもの、ということでよろしいでしょうか?

19:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/10 23:40:04.34 SdJ0FcHP
>>17
そもそも悟りという言葉自体がこういうものを見出したという人たちが使い、
またこういう人たちを指すものとして使われているので、悟りという言葉を使うなら
988を見出した人が使うのが自然な用法でしょう。

≫これらを受け入れた経緯
まず私は光明を得ていないので光明そのものについては語っていません。
でしからこれらを受け入れる必要もないですし、また反発する理由もないのです。

そして過去のブッダの生き方や語り方がまねできないという単純な事実により、
彼らはうまくやってるとか優れているとかではなく次元そのものが違うのであり、
それが何かは分からないですが根本的な認識やあり方が異なることは伺えます。

単純に病気や拷問をものともしなかったという言い伝え、(グルジェフ和尚ラーマクリシュナラマナマハリシなんかは近代のデータ)
からもうかがえますがその生き方と語り方、総合的な外面からもなにかうかがい知れないような秘密が内に隠されていることを想像させます。
よくわからないのです。

≫悟りが何か
悟りが何かは分かりませんが今自分が悟りへの障害として認識しているのが、
感覚への執着が痛みと快楽という区分を作るということです。
痛みに同化しないこと痛みにこだわらないことではなく、痛みと快楽の2元性を作り出す精神の働きに気づきます。

また他者を貶め自己の利益を図ることは、自分の体自分の心への執着そのものであり、利己的な行為の報いとは他者からもたらされるものではなく、
死する運命の自己に執着してしまう苦痛そのもののようなのです。

瞑想、覚醒は何々でないという表現しか不可能です。そして瞑想や覚醒が悟りへの扉なのだと思います。
扉をいかにしてということなく開いても、どうやったのかわからないですがまた自我が主導権を握っているという感じです。

20:神も仏も名無しさん
11/10/11 00:18:42.10 0//i72+X
473
そういった状況に対し、差し当たりどのような対処をとられているのですか?

21:神も仏も名無しさん
11/10/11 20:42:30.47 /vpqm+Bg
唯物論も唯識論にも捉われず、
彼岸も此岸も捨て、
肉体を得たことのありがたみをを悟らなければ、
一定のサイクルを終えることは出来ない、と聞いたことがある。

22:神も仏も名無しさん
11/10/12 00:09:05.73 nn+mcjpP
千葉ニートみたいなものだ

23:U^ェ^U ワン!
11/10/12 00:48:37.17 IMmCivdi
***[Chuck Norris | Delta Force II: Columbian Connetion]*** (1990) 1:46:04
URLリンク(www.youtube.com)

24:神も仏も名無しさん
11/10/12 00:49:23.58 HOnW0Cy0
苦しい・・・・・・・・・・

25:神も仏も名無しさん
11/10/12 00:57:41.07 zfKW7/xt
悟りを開くも善し、開かぬも善し。



26:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 07:06:07.69 6RhmBXxt
スレリンク(psy板) の 989
> しかし、肝心なのは、その瞑想的な状態その自由のような感じの前提としてある、我々の無意識の活動であり、
> また主体客体の2元性が作り出す不可避の悲喜劇の克服なのです。
> この次元にいる人もいる人で状態にかまうより他に見出すべきことが残っているように思います。

もちろん、状態に囚われる必要はないと思います。
あくまで、それは、自分の中にある恐怖と対面するための道具なのですから。


27:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 07:07:38.94 6RhmBXxt

スレリンク(psy板) の 989
> ≫このような状態はなんと呼ぶのがふさわしいでしょうか?
> 瞑想体験であり、また体験は幻想であるからこだわらないようにと説きます。
> 日々気づきと意識を研ぎ澄まし起こったことはこだわらないようにと説きます。

これはよく分かります。
(瞑想と瞑想体験との違いは分かりませんが。)
瞑想体験とは、瞑想によって得られる特典のことをおっしゃっているのでしょうか?

> そして状態や体験を超えた記憶も表現もできない出来事の中心が起き、物事の認識や瞑想への在り方が全く変わったとき、
> それを瞑想するではなく瞑想が起きたといいますし、また瞑想するという言葉以上光明以下という文脈で覚醒という言葉も使います。

くどいようですが(苦笑)、これは、自ら確認されたことでしょうか?


28:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 07:26:53.60 6RhmBXxt
スレリンク(psy板) の 989
> 悟ったという言葉は自分が仏陀やoshoと同格と宣言しているようなものであり言葉の用法として乱> 暴だし、どうにも謙虚さというか怖いもの知らずだ。
> 文体も語る内容も明らかに彼らよりスケールが小さい。
> とりあえず和尚グルジェフクリシュナムルティや他の宗教の文献をあさって、彼らには及ばない自> 分の位置を正確に言葉で表すにはどうすればいいか
> 研究しとくのが普通。
> そしてそうすることで自分の現在の位置も解り、旅を続けられる。
> もうここが終点だと思いたいかもしれないけれど。(でなければ悟ったとか言うかな)

私が、悟りという言葉を使った経緯は、不勉強もありますが、
もうひとつには、これ以上のものを望んでいないということがあります。

29:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 07:28:16.09 6RhmBXxt
>>28の続き
もちろん、根源的な恐怖は大きな壁として立ちはだかっていますが、
これは、あまりにも大きすぎて手に負えない。
まったく何とかできる気がしない。
そんな感じ。

30:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 07:49:50.41 6RhmBXxt
>>29の続き
とはいえ、避けて通るわけにもいかないので、まあボチボチ気長にといった感じです。
その先に究極はあるのかもしれませんが、今の私には、認識外であり、意味不明です。
その意味では、究極と言う言葉を使うなら、今、ここが究極なのです。
今、ここを離れて、私はどこにも行きません。
私は、今、ここで、私の出来ることをする、ただそれだけ。
だいたいそもそも私には悟りに関しては究極という概念がありません。(でした。)
完成も未完成もなく、悟りは悟り、まあこんなもんだろうくらいの認識です。

31:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 07:50:58.20 6RhmBXxt
>>30の続き
過去の覚者と直接会ったことがないので分かりませんが、強烈に頭のいい人なら、あれくらいのことは語れます。
あるいは、こうも言えます。
「世界には、私の知らない頭のいい人がまだまだたくさんいる。」
473さんも スレリンク(psy板) の 526 でおっしゃってるように、
釈迦がペテン師でないという保証はどこにもないわけです。
本当か嘘か分からないのです。
ですから、私は彼らが話す内容については、自ら確認するまでは保留するしかありません。
もちろん、彼らの書物を読むと圧倒されます。
でもやっぱりそれはそれなんですよね。

32:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 07:52:22.70 6RhmBXxt
>>2
> どんな修行で悟りを開いたですか?

自分の思考や感情やそれらが創り出すこの世界を観ることで悟り(究極ではない)を開きました。
観ることは、調べること、見破ることでもあるみたいです。

33:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 08:11:52.17 6RhmBXxt
>>4
お役に立てれば幸いです。

34:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 08:12:59.29 6RhmBXxt
>>8
いえ、豆腐と納豆と野菜諸々でした。
あと、ポテチとビールも。

35:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/12 08:14:04.50 6RhmBXxt
>>11
お役に立てるかどうか分かりませんが・・・。(苦笑)

36:神も仏も名無しさん
11/10/12 11:26:57.35 iWZGYkiy
>>29
根源的な恐怖って何?
世界が実在せず、自分が有るのか無いのか分からない状態で
恐怖そのものや恐怖を抱く対象、恐怖を感じる存在
どれも無いんじゃないの?

37:神も仏も名無しさん
11/10/12 11:45:43.28 U78D03Np
>>29
根源的な恐怖を一体誰が感じてるの?
恐怖の原因となる、対象と主体の関係はあなたの中でどうなっているの?

38:神も仏も名無しさん
11/10/12 12:48:44.48 zfKW7/xt
悟りを開いた人を特別神聖視する必要は無いけど
ネットで覚者の話聞けるのは美味しいよ(^O^)
多分悟りを開いた人の99%は悟りを開いたと言わない
理由は

1.本人が悟りを開いたことに気づいてない

2.話す必要性を感じない

3.どうせ話しても理解されないから黙ってる

4.悟りがあまりに簡単なので世間の人達の幻想ゲームは個人的趣向と達観して邪魔しない

5.悟りについて話すと人が寄って来て煩わしい (中には嫉妬して論戦を挑む人もいる)

6.そもそも悟りは思考レベルの現象じゃ無いから議論するだけ無駄

7.人は時期がくればハシが転がっただけでも勝手に悟る

8.こっそり悟りの境地を味わうのが楽しい

と言ったところだろう

OSHOも覚者は稀だが教師になる覚者はさらに稀だと言ってたしね



39:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/12 13:14:49.78 hCyJfYLR
≫瞑想と瞑想体験
主体と客体があり体験があるならそれはすべて無意識のなす主観的幻想です。
体験が瞑想的なものでも日常的なものでも幻想であることに変わりはありません。
でも瞑想的幻想は瞑想に至るまでに避けられるものではないので瞑想的幻想と一応区別してはいます。

≫くどいようですが(苦笑)、これは、自ら確認されたことでしょうか?
もちろん。そうでなければ瞑想において主観的な幻想を見るごく一般の人と何の変わりもありません。
あなたもこれを理解していれば、私の到達の有無や、もしくは真理の理解の道のりのうちに、私の言っていることは
客観的真理の行程では起きえないものでありこれはわたしの主観的な幻想にすぎないと看過できるでしょう。
あなたも明らかな主観的な瞑想の幻影に酔っている人はそうと判別できるでしょう?
またそれに惑わされない人間はそのように話します。(段階もあり完成されるまでたびたび迷いで主観的幻想を話すこともあるでしょう)



40:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/12 13:18:31.06 hCyJfYLR
≫私が、悟りという言葉を使った経緯は、不勉強もありますが、
もうひとつには、これ以上のものを望んでいないということがあります。

しかし悟りという究極を示す言葉を使い、悟ったとここでいうのはそして今まで思ってきたのは、
自分の体験自分の認識への執着を示しているのではないでしょうか。

≫過去の覚者と直接会ったことがないので分かりませんが、強烈に頭のいい人なら、あれくらいのことは語れます。
自分の瞑想が進んでゆき、意識が成長してゆかなければ見えないことを彼らは先取りして書いてあります。
自分が成長してから読むと読み飛ばしてあったそれが真実であったと気づきます。
多分それはこれからも続くのだと思います。多分ね。

覚者の言葉はその組み合わせによる言葉と言葉の打消しあいであったり、論理的な思考や我々の親しんでいる自我の発想からでは
出でようのない響きがあります。その響きはその方の特有のサインであり余人がまねできるものではありません。
どんなに頭のいい人がまねしても、まず何か所かぼろが出ます。成長してゆけば頭のいい人のものまねは看過できるようになります。

≫保留
私が知っていると言えるのは何かが幻であったということだけです。
今私の体験、私が大事にしているものごと、自分の体感覚との同化、これらも覚者の言明と同じく嘘ではないと証明されたものではありません。
私は自己の悟り?を悟りと名前を付けてそれを信じたりはしません。
他人を信じることも自分を信じることも性質としてそう違いはないのではないですか。

41:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/12 15:00:36.74 hCyJfYLR
もちろん。
とはもちろんそうでなければ見えない無意識な囚われの指摘であったり、
また言葉と定義を柔軟に扱うことであったりします。

瞑想的な体験をもたらすその中心である無条件の覚醒というものは別にそう言ったものがあるわけではないのです。
ただ、主観的な幻想を幻想だと理解すればそこには幻想がないのであり、
また言い換えれば幻想を幻想だと見抜く光ともいえるのかもしれませんがでもやはりそういったものがあるわけではないのです。

あるものではないのでその存在を直接的に表現することは一つの冗談であるか、勘違いした自我の表明であるかです。
故に幻想を幻想だと看過してゆく働きの中にその存在を間接的に示唆してゆくほかありません。
しかし実体に対する幻想、実体に対する悟りという2元性こそが幻想です。
何かを幻想だという主体があるならばその主体こそ何かの観念に執着し何か物質的世俗的なものを否定しているにすぎず、
その主体も含めて幻想であるという観念も含めて幻想なのでしょう。

42:U^ェ^U ワン!
11/10/12 18:46:23.34 RKi3gGii
Dumbo 1:01:12
URLリンク(www.youtube.com)

43:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/13 08:02:52.94 Sx2zchP8
>>13
> 全てが統一といったのは、私の場合、内側にも外側にも矛盾が
> なく、一切が完璧で完全でなにも葛藤がない状態になったから
> です。全てが止揚された状態です。

よく分かります。

44:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/13 08:04:32.34 Sx2zchP8
>>13
> 日常的に行ったり戻ったりするときは、どうされてますか?
> 息を整えて、悟りの状態を思い描けば行けるものですか?
> 自転車に乗るみたいにあんまり意識せずに行けるものですか?

ただひたすらに自分の思考に気づく、観る、ということがすべてです。
そして、そのためには敏感さが必要です。
思考のちょっとした動きにも気づくように敏感でなければならないのです。
思考は鈍重なので、思考に引っ張られているときは、敏感でないことがよく分かります。

それは見方を変えると、今この瞬間を生きる、ということにもなります。
それは、断言や結論を持たずにそこに飛び込むことでもあります。
「これは何だろう?」というような姿勢です。
まさに、飛び込むといった表現がいいです。
飛び込むときに一瞬の恐怖を伴うことがありますので。

45:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/13 08:39:06.61 Sx2zchP8
>>44の続き
別の言い方をすると、結果に生きるのではなく、プロセスに生きる、と言ったところでしょうか。
あるいは、どんなことでも、何も期待せずに行為する、とも言えます。

掃除をするとき、掃除機を用意するその行為にすべてをそそぎこみます。
私はこのために生まれてきた、くらいの勢いで。(笑)
時には、掃除がなかなか始まらないことすらあります。(苦笑)
部屋をキレイにするという結果は望まず期待せず、ひたすら目の前の行為に全身全霊を注ぎ込みます。
(結果的にはとてもキレイになりますが。)
それによって、何かが起こることも期待せずに、です。

またこれが重要なのですが、このことのためにそれをやらないことです。
やってもいいのですが、それだと、「よし始めるぞ」「よし終わり」「今日はよくやれた」みたいになってしまいがちです。
始まりも終わりもなく、あくまで、日常の途中の行為を丁寧にやる、ということです。
ポテチの袋を開ける、その行為に神が宿る、くらいの姿勢です。
いつも、新しく行為するのです。

46:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/13 08:41:00.24 Sx2zchP8
>>15
ありがとうございます。

47:神も仏も名無しさん
11/10/13 09:52:46.44 hclABkJO
自分をコントロールしてる自分が消えた状態ではなく、自分が止まってる状態、
自分をコントロールできるようになった段階だね
悟りの一段階目か二段階目だと思うよ
空を知ったら、空を知ったという自分を持ってるから、空を知った自分も空になるといいよ

48:神も仏も名無しさん
11/10/13 10:41:51.29 77wqOGZR
>>45
悟ると自分で「○○をしよう」と思っただけで
自動的に全てが実行されていきませんか?
まあ、実際に行動してるのは自分なんですが・・・・
これって俺だけなのかな・・・・




49:神も仏も名無しさん
11/10/13 10:46:22.36 77wqOGZR
>>47
悟りって何段階もあるんですか?
よかったら悟りの段階ごとの特徴を教えてもらえませんか?




50:神も仏も名無しさん
11/10/13 11:05:45.63 hclABkJO
最終的な悟りはひとつなんだろうし、悟りはひとつという言い方もあるけど、
それまでの特長を分ける言い方もいろいろあるみたいね。
それは宗派なり原典の解釈なりでけっこう違うけど、原始仏教の見方だとこことか見たらい
いんじゃないかなあ。
URLリンク(www.j-theravada.net)

でも、その人にあらわれる状態もいろいろあるし、そもそも仏陀の悟りやキリストの悟りなど
分けてる見方もあるし、悟りや悟りの段階の定説と、自分の状態を比べて、判断するのがい
いんじゃないかなあ。
まあ悟れば悟りなんて気にしなくなるし、悟りはないって思うかもれないけど。
でも、悟ってるかどうかでいえば、それもまだ悟ってないのかもしれないしね。

他人があまりどうこう言うことでもないし、大切なのは自分がどうかじゃないかな。
自分が本当にそれでよければ、悟ってようが悟ってなかろうが段階だろうが間違っていよう
が、なんであろうがそれでいいんじゃない?
それがその人の今に見合った状態なんだろうし。
個人的には悟りはひとつでも様々な側面があると思うよ。
48の言うこともわかるよ。
自分は自分が動かさなくても自分で自然に勝手に動くし、全ては行われていくからね。

51:神も仏も名無しさん
11/10/13 12:44:27.25 b0AB+1jz
無念無想の状態って頭の中が真っ白になり、気が遠くなって何も考えられなくなる状態なんでしょうか?
それって気絶と同じ状態?座禅とか保っていられるのかなあ?

あと禅定って自己催眠や自律訓練法などと根は同じですか?

>>48
なんだろう?表層意識と無意識(副交感系?)の垣根がなくなった状態?

52:神も仏も名無しさん
11/10/13 12:57:51.97 77wqOGZR
>>51
>無念無想の状態って頭の中が真っ白になり、
>気が遠くなって何も考えられなくなる状態なんでしょうか?

意識はしっかりあるけど、頭の中で声(雑念?)や思考が起こらなくなる感じ。
ただ静寂だけが残る、でも静寂だとは感じていない。

>なんだろう?表層意識と無意識(副交感系?)の垣根がなくなった状態?
正直、良く分からない。


53:神も仏も名無しさん
11/10/13 13:18:16.09 b0AB+1jz
>>52
なるほど。気絶やノンレム睡眠とは違うものなのですね。
脳波測定とかするとどこの部位も働いていないことになるのかな?
でも意識はちゃんとあるんだよなあ。

どうやってその状態から元に戻るの?

54:神も仏も名無しさん
11/10/13 13:25:50.39 77wqOGZR
>>53
>どうやってその状態から元に戻るの?

元に戻ってない。ずっとそのまんま。
でも、不便な感じや困ったことは今のところ無い。

55:神も仏も名無しさん
11/10/13 14:09:23.93 b0AB+1jz
え?今は考えたりしてるよね?オンオフ自由ってこと?
思考は無いがそれを観察している自分はいる・・・不思議だな・・・

やはりこういうのは「その状態になってみないとわからない」のかな?
自転車に乗れない人が乗れる人の感覚がわからないのと一緒かな。
(例えがあまりにレベル低くてすみません。)

56:神も仏も名無しさん
11/10/13 14:46:34.58 77wqOGZR
>>55
考えなきゃいけない事がないから基本考えてないし
もし考える場合でも言葉じゃ考えてない。
「もし○○なら、どうする?とか、どうなる?」
って考える場合でも、思えば答えが出てくる(ひらめく?)感じ。
だから自分の意識してないどこかで考えてるのかも?

だから、最初この感覚に慣れなくって「頭バカになってる」って思ったけど
慣れると割りと大丈夫みたい。


57:神も仏も名無しさん
11/10/13 14:57:45.04 b0AB+1jz
>>56
言語を経由しなくても考えられるって何かすごいな。
それじゃ最後に、どんなトレーニングをすればそうなれるの?

58:神も仏も名無しさん
11/10/13 15:06:26.24 77wqOGZR
>>57
>それじゃ最後に、どんなトレーニングをすればそうなれるの?
それは俺が聞きたいくらい。
どうしてこうなったのか、さっぱり分からない。
1年くらい前から徐々に変化が始まって、今も変化が続いている。
方法が解れば、amaさんみたいにみんなに伝えられるのにね。


59:神も仏も名無しさん
11/10/13 15:10:22.55 b0AB+1jz
>>58
特別な事やきっかけも無し?
前世からの功徳の貯金?があったのかなあw
いろいろ参考になりました。ありがとう。

60:神も仏も名無しさん
11/10/13 15:23:36.65 UA6jHXwv
悟りの人間のいう輪廻って、通常言われている輪廻と違うようだね

通常の輪廻は自我の輪廻だけど、悟りのは、全てが瞬間瞬間生まれ変わり続けているという意味での輪廻?
だから、木の皮が常に新しく生まれ変わり続けてるというのと同じだね
木(世界の全て)が常に生まれ変わり続けてる
だから前世といっても、一つの私(木、世界の全て)のうち、何年か前に剥がれ落ちた木の皮(私の一部)
それのことを前世なんていってたりしてるみたいな気がする
自我といえば自我なんだけど、全部自我なら自我ないし、全然自我の話になってないところが面白い

61:神も仏も名無しさん
11/10/13 15:24:34.98 wh1/v444
悟りを開いたことあるけどまた閉じちゃったので2chにいるの?>>1

62:神も仏も名無しさん
11/10/13 15:25:54.88 77wqOGZR
>>59
自分でも良く分からない事が多くって・・・・
あんまり役に立てなくてゴメンネ。



63:神も仏も名無しさん
11/10/13 16:27:29.34 b0AB+1jz
>>62
いやいや。参考になりました。もっと進むといろいろわかるかもね。

64:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/13 16:36:16.64 nkV9z2b8
考えすぎてしまう人もいれば、感情で衝動的に行動する人もいれば、習慣などの影響を受けて考えられないで行動してしまう人もいる。
それぞれの偏りがありそれぞれの道があります。
大抵自分にできないことができる人は自分にとって当然のようにできることができなかったりします。

ものすごい人間がいるように思っても、案外それは自分が囚われていることにとらわれていないけど、
自分が囚われていないことにとらわれているだけだったりすることが殆どですので、他者は自分を目覚めさせる刺激として
大切なものですが、目指そうとしたり参考にしようとすれば一層の混乱を招くだけだけでしょう。

65:神も仏も名無しさん
11/10/13 18:08:06.68 UA6jHXwv
>>1
原発事故に対してどう思いますか
またご本人はどのように対処されましたか

66:U^ェ^U ワン!
11/10/13 18:18:29.69 ky8a7a1E
哲学者の名言
URLリンク(www.youtube.com)
あなたはなぜ存在するのですか?(1)
URLリンク(www.youtube.com)
あなたはなぜ存在するのですか?(2)
URLリンク(www.youtube.com)
あなたはなぜ存在するのですか?(3)
URLリンク(www.youtube.com)
己を問う
URLリンク(www.youtube.com)

67:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/13 19:01:51.47 nkV9z2b8
> 全てが統一といったのは、私の場合、内側にも外側にも矛盾が
> なく、一切が完璧で完全でなにも葛藤がない状態になったから
> です。全てが止揚された状態です。

>よく分かります。

どんな存在の人が、どんな概念について語ったのかが大切なことであり、言葉を言葉のまま受け取ってはいけません。
言葉を言葉のまま受け取ってしまい、どんな人がどんなことについて述べているのかというその実体をとらえられず、字義だけを追ってしまうと、
真の教師と偽の教師を見極めることも困難ですし、頭のいい人ならブッダ達のように語れるとも思ってしまうかもしれません。

この方は前スレッドからいましたが、その語り方から、依存色が強く他者の言葉を真に受ける性質の人であることがうかがえます。
(わざとそういう演技でもしていたら別ですが)
彼は思考や他者の言葉という相対性の次元で、矛盾や葛藤に相対する一切葛藤のない次元というものを夢見ただけにすぎません。
それは夢見であり抑圧にすぎません。

それは別にいいのですが、そういった人のそういった言明をまともに取り合うのは彼の夢を強め、彼の迷いを深めることであり、
無視するより数段ひどいことであるといえます。

68:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/13 19:06:30.66 nkV9z2b8
止揚とは混雑に対する相対的な概念ではなく、概念から離れた絶対的なものです。

こういった絶対的なことは
相対性を離れられない言葉で直接的に表現するのではなく、
言葉の響きであったり、それを見出した人しか見えないことについて語ったり
なんにせよ婉曲にに表現すること、いや表現されてしまうことなのです。


69:神も仏も名無しさん
11/10/13 21:30:18.91 zI1kX7j/
>>67>>68
なるほど、引っ掛け問題でしたか。

70:473
11/10/13 21:42:32.76 nkV9z2b8
トリップは今回無し
>>57さん
それは直感であったり、時には愛であったり、また時にはただの短慮であるかもしれません。
基本的にはすばらしいことでそれは日々の留意からおきてくることでしょう。

もしそれに方法があればそれは思考であり、思考は思考と葛藤しても思考を統括することはできません。
どうやってということがあったらあなたは転落してしまうでしょう。

人に話すことでよい影響があるとすればそれはその人を客観的につかんで、その人と心理を妨げているものに気づかせるような
はたらきかけをすることです。
あなた個人の体験を伝えることに意味はありません。なぜならみなまったく別の夢を見ており、まったく別の体験を悟りに向けてして行くからです。
悟りを開いたという「宣言」ならできますが、それは説明とは違いますし認証を求めていません。

幻想は他の助けが無ければ保てません。
もし自分の悟りを説明したいわかってもらいたいと思えばそれは他の助けを借りてしか存続できない自我の夢です。

71:473
11/10/13 21:48:16.55 nkV9z2b8
だから自他の迷いについて話せばいいのです。
そのとき他人のことはわからないし、自分のこともわからないと気づくのです。

悟りにかまけて、他人のことが客観的にわからないし、自分自身のことも同じようにわかっていないという事実を忘れてしまいがちなのです。
(自分のことが客観的に解るにつれ他者も客観しできて行きます)
(古いパソコンなのでいろいろ問題があって変換もできず失礼しました)

72:神も仏も名無しさん
11/10/13 22:10:48.36 5UNP4kzP
神は罪を許すだろう

信仰は人を許すだろう

だが人は許しはしないだろう

何故なら人の在り方はすべてにおいて物理現象だから

73:ゲッパリラ王
11/10/13 22:20:49.62 NAgkrnna
海と島の話をしよう

幸せの海を渡り、不幸せの島にたどり着いた人は言った
「ここは極楽だ」

不幸せの海を渡り、幸せの島にたどり着いた人は言った
「ここは地獄だ」

74:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
11/10/14 00:43:30.99 MOAQpMVS
前スレから、縁がありました>>13です。

>>43-45
私は悟りを一度得てから、ついぞこれといった人に会ったことがないのです。

しかし、いま会いました。

 あなたの行いはあなたの言葉より重要です。
 あなたの言葉を通して、私はあなたの行いを観るでしょう。
 あなたの行いを通して、私はあなたを観るでしょう。
 そして、あなたを通して、私は再び悟りの家に帰るでしょう。

どうか私の心の師となり、私に師と呼ばせてください。最大の感謝を込めて。

75:神も仏も名無しさん
11/10/14 01:24:20.39 dLZnmgFE
なるほどこれが師が残っちゃった例か
ほどくの大変そうだわ

76:神も仏も名無しさん
11/10/14 01:27:46.25 mQ7euL1L
>>75
何か変な違和感感じると思ったら、そこか

77:神も仏も名無しさん
11/10/14 01:53:39.80 W6wFHLz4
思うに1さんの悟りって
悟りの過程に置いて起こるちょっとした気付きみたいなもので
どうも悟り切った訳ではないようにも思うんだよね
例えば釈迦は悟り体験に置いて自己が解体して
素粒子そのものに分解されている己自身を知覚するみたいなレベルだったようだけど
(釈迦はこの世で最小の物質は波のように振動していると現代の量子理論みたいなことを言っている。彼はしかも体感レベルでそれを知覚しているのである)
実際、そこまで悟り切ったと言えますか?
この世の一切が解体されてアブクのようになった宇宙を知覚するような域まで到達したでしょうか?


78:神も仏も名無しさん
11/10/14 02:08:50.49 g+ZsKeli
あのー、宇宙の大局構造は実際アブクなんですけどー。

79:神も仏も名無しさん
11/10/14 02:36:55.37 AwSrCQgC
悟った状態と悟ってない状態を分けてるから、まだ悟ってないでしょ。
もちろん言葉上便宜的に分けるのはいいけど、そういう感じでもないし。
悟りと悟りでない状態を心で分けてたら、
それは自我がちょっと落ちてその分智慧がちょっと出てきただけだろうねえ。

80:神も仏も名無しさん
11/10/14 02:44:30.38 CcNP/QBK
悟り開いたら近いうちに死ぬよ



81:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 06:42:21.47 UABawfn/
>>26
自由を感じるということは、自由ではないということですね。
自由も不自由も無い世界においてのみ、真の自由があるのでしょう。

82:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 06:45:14.00 UABawfn/
>>36
>>37
私がいないときは、もちろん恐怖もありませんが、いつもそこにいるわけではなく、
まあ、簡単に申し上げると、行ったり来たりしているということです。
うっかりしていると足元をすくわれます。
そっと忍び寄ってきていつの間にか主人になっています。

83:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 06:47:54.22 UABawfn/
>>40
> しかし悟りという究極を示す言葉を使い、悟ったとここでいうのはそして今まで思ってきたのは、
> 自分の体験自分の認識への執着を示しているのではないでしょうか。

というよりも、悟りが究極だと思っている人と話してみたいというのはありました。

84:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 07:05:24.09 UABawfn/
>>40
> ≫過去の覚者と直接会ったことがないので分かりませんが、強烈に頭のいい人なら、あれくらいのことは語れます。
> 自分の瞑想が進んでゆき、意識が成長してゆかなければ見えないことを彼らは先取りして書いてあります。
> 自分が成長してから読むと読み飛ばしてあったそれが真実であったと気づきます。

それは、ありますね。

85:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 07:08:39.66 UABawfn/
>>40
> 私が知っていると言えるのは何かが幻であったということだけです。
> 今私の体験、私が大事にしているものごと、自分の体感覚との同化、これらも覚者の言明と同じく> 嘘ではないと証明されたものではありません。
> 私は自己の悟り?を悟りと名前を付けてそれを信じたりはしません。
> 他人を信じることも自分を信じることも性質としてそう違いはないのではないですか。

なるほどまったくです。

86:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 07:10:16.89 UABawfn/
>>41
> 瞑想的な体験をもたらすその中心である無条件の覚醒というものは別にそう言ったものがあるわけ> ではないのです。
> ただ、主観的な幻想を幻想だと理解すればそこには幻想がないのであり、
> また言い換えれば幻想を幻想だと見抜く光ともいえるのかもしれませんがでもやはりそういったも> のがあるわけではないのです。

なるほど!
ようやく理解してきました。
要は、瞑想は体験であると見抜くことが本当の瞑想だということですね。
別の言い方をするなら、観ている存在を観て、さらにそれも観る、のような感じでしょうか・・・。
自分がいないという認識がある限り、それは、どこまでも体験であり、
その認識主体の正体を見破ることこそ瞑想といえるのかもしれません。

87:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 07:41:22.43 UABawfn/
>>41
> 何かを幻想だという主体があるならばその主体こそ何かの観念に執着し何か物質的世俗的なものを> 否定しているにすぎず、
> その主体も含めて幻想であるという観念も含めて幻想なのでしょう。

なるほど、とても瞑想的ですね。

88:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 07:44:10.58 UABawfn/
>>47
> 空を知ったら、空を知ったという自分を持ってるから、空を知った自分も空になるといいよ

なるほど、まったくですね。

89:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 07:44:56.16 UABawfn/
>>48
これは悟りとは関係なく、よくあることではないですか?

90:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 07:57:08.04 UABawfn/
>>61
2chが幻想であることを見破るためにやってきました。
過去最大の難関です。

91:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/14 08:07:12.73 azxCALCW
>>47
空を知ったら空を知ったという自分を持ってるから、空を知った自分も空になるといいよ

何で?何でそうしなければいけないのでしょうか。それに何の意味があるのですか?
どこかで聞いた言葉を喋っているだけに聞こえます。
空を知るということとは何か。それに付随する喜びとそれによって明らかになる苦しみがあり
そして一切からの解放があるということを語っていただかなければ何も明らかになりません。

≫これは悟りとは関係なく、よくあることではないですか?
ある人にはよくあり、ある人にはめったにないのだと思います。
神への愛、仕事への愛に満ち、いつも幸せそうに人一倍生き生きと動いている人がいました。
そういう人には良くありそうです。
しかし、瞑想に誘ったら、ものすごく眠そうで気の毒なぐらいでした。
これは一例ですが、人間何かに秀でていて何かは苦手なものです。

92:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/14 08:07:29.48 UABawfn/
>>65
> 原発事故に対してどう思いますか
> またご本人はどのように対処されましたか

人が自らの欲望(快楽の追求)によって自らを傷つける分かりやすい例だと思います。
できることとできないことを知るという単純なことがとても大切なのだと再認識しました。
私が出来たことは現場に励ましの手紙を送ることくらいでした。
あの現場の大変さは痛いくらいよく分かります。

93:神も仏も名無しさん
11/10/14 09:03:00.41 Jz8eSUg4
>>89
>これは悟りとは関係なく、よくあることではないですか?

よくある事だと思うけど、amaさんは

>掃除をするとき、掃除機を用意するその行為にすべてをそそぎこみます。
>私はこのために生まれてきた、くらいの勢いで。(笑)
>時には、掃除がなかなか始まらないことすらあります。(苦笑)
>部屋をキレイにするという結果は望まず期待せず、ひたすら目の前の行為に全身全霊を注ぎ込みます。
>(結果的にはとてもキレイになりますが。)
>それによって、何かが起こることも期待せずに、です。

って書いてたからね。
ここまで意識して行動しなくても自動的に全てが起こるんじゃないかって思ったの?

94:神も仏も名無しさん
11/10/14 09:05:22.74 Jz8eSUg4
>>93
ちょっと間違えた。

誤)ここまで意識して行動しなくても自動的に全てが起こるんじゃないかって思ったの?

正)ここまで意識して行動しなくても自動的に全てが起こるんじゃないかって思ったの。

95:神も仏も名無しさん
11/10/14 09:08:00.90 JzGwBgWT
悟りを開くと働かなくてもいいでしょうか?

もし働いている場合、上司や同僚へのムカツキはどう処理していますか?
また性欲はどのように処理していますか?


96:神も仏も名無しさん
11/10/14 09:25:59.54 QmZG2+9K
78
だから、それは君が頭の中で知った知識でしょ
そうではなく釈迦は体感としてそれを体験したの
瞑想を極めるとそう言う域まである意味誰でも行けるみたいだが
1さんの体験にそう言うものはあるのだろうか
悟るまでの段階とは各人共通で上座部だと細かく規定されてる
大きくわけて四段回、細かく言うともっと有るらしいが
正式な仏教の悟りからすると、貶める訳ではなくそれはそれで凄いが
一段回目とか良くて二段回目と言う可能性もあるんじゃね
それぞれはっきりとした体感があるらしく
正式な訓練を受けてない場合、あくまで中途経過を究極と思ってしまうのではなかろうか



97:神も仏も名無しさん
11/10/14 09:28:01.02 QmZG2+9K
段回<段階


98:神も仏も名無しさん
11/10/14 09:33:43.63 QmZG2+9K
ただ、1さんの話を聞いてると上座部仏教の瞑想の影響も受けているようなので
もしかしたら道場で修行されたことがあるのかも知れないけどね


99:神も仏も名無しさん
11/10/14 09:40:39.74 UDBcN9vp
釈迦の時代には天文学も素粒子物理学もないですからね〜

映画マトリクスの主人公のように世界を構成するコードを読めてしまった?
と、現代では仮想現実という空のモデルを一般の人でも体験できる環境があったりします。
(これが逆に世界は空であることをわかりにくくしている?)

悟りの初期段階だとしても未体験の者にとっては実体験談は興味深いです。

100:神も仏も名無しさん
11/10/14 09:40:49.52 QmZG2+9K
93
普通はコンプレクスなどの支配を受けているので思ったままに行動できると言うのは稀
何だよね。勿論普段習慣的にやっている事が習慣的にできると言うことでは無くてね
やりたいと思った事が何でもいとも簡単にやれると言う境地ね
日常生活でそれがいとも簡単にできるとしたら悟りの方向に進んでいるのは確かなのではないかな

101:ニカサ・アア ◆UNegKIvARw
11/10/14 09:59:20.54 Kp6VjZA6
独力では困難なことも、協力すれば達せられることも多くあります。
仕事でも学業でも、一人より二人のほうが多くを成すでしょう。

悟りの道は内面の道ゆえ、犀の角の如く一人進むこともできましょう。
されど、師を通して先に進むのもまた否定されるべきではありません。

経典にも仏陀を師と仰ぎ、目的を果たした者は大勢います。
師に頼るのではなく、師は道しるべなのです。

特に重要なのは体験です。
体験からくる言葉は真実ですが、体験に基づかない言葉は空疎です。

無我を体験していないのに悟りを推測しても、それは林檎を食べたことの
ないものが林檎の味を推測するようなものです。

102:神も仏も名無しさん
11/10/14 10:29:25.75 qjDet5o3
一般化されない体験は基地外と変わらない。

103:神も仏も名無しさん
11/10/14 10:39:13.72 aiCivX5x
基地外と変わらなくてもいいんじゃない?

104:神も仏も名無しさん
11/10/14 10:46:20.69 aiCivX5x
>>91
そうしなければならないなんて言ってないよ。
そう思うかどうかはあなたの自由なんだから好きにすればいいんじゃないかな?
あなたでない誰かが何と言ってようと、それが真実だろうと嘘だろうと、
あなたとは何の関係もないことだよね。
一切からの開放というなら、あなたはただいまそこで解放されてればいいだけだし、
それを望むのも望まないのも、そうするのもしないのも、ただあなたの自由だよね。
明らかにするのはあなたがあなた自身を、あるいはその人がその人自身をであって、
誰かが別の誰かを明らかにすることではないだろうね。
もし明らかにしたい、明らかにされたいなら、自分でそうしたらいいんじゃないかな。
あなたの自由なんだから。

105:神も仏も名無しさん
11/10/14 11:19:41.20 Jz8eSUg4
>>102
どんな体験も体験した人にとっては一般化できない特別なモノじゃないの?

106:神も仏も名無しさん
11/10/14 11:27:48.14 UDBcN9vp
まずは無念無想の訓練から始めようと思う。
無常無我の体感はそこからかなり先にあるような気がする。

とはいえ、普段無口な私は頭の中ではかなりおしゃべりさんなので
結構むずかしい。息を止めたりまばたきをがまんするのと同じぐらい難しい。

2chで長文で議論するのが好きな人やアスペの人なんかもっと難しいんだろうな。

せめて息を吐く間だけでも止めるようになりたいと思う。

107:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/14 12:43:51.27 azxCALCW
>>104
論点がずれています。

何故あなたはそれをベターだと思っているのですか。
その裏付けはなんですか。



108:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/14 12:48:12.15 azxCALCW
≫そうしなければならないなんて言ってないよ
日々の留意からくる理解からではなく何らかの観念で語っているのなら、
それは自他に対する強制でしかありえない。
観念というものは、思考というものはそういうものです。
そうしなければならないという強制のない理念や道徳はあり得ません。
このあたりのニュアンスを理解せずただ言葉面を捉えて言ったの言ってないのしても仕方ないでしょう。



109:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/14 12:57:45.20 azxCALCW
≫なるほど!
ようやく理解してきました。
要は、瞑想は体験であると見抜くことが本当の瞑想だということですね。
別の言い方をするなら、観ている存在を観て、さらにそれも観る、のような感じでしょうか・・・。
自分がいないという認識がある限り、それは、どこまでも体験であり、
その認識主体の正体を見破ることこそ瞑想といえるのかもしれません。

はい。おおむね合っております。
その理解は非常に正しい理解、つまり理解するもののない原初の自由に近づいているように感じますが、
いつ理解する主体のある理解、すなわち自我の作り出す相対性の罠にはまるかもしれないのでその点だけご注意を。

観る人を観ること、これは言葉を超えたことにおける言明ですのであまり何がどうと説明できるものでもありません。
自分にも他人にもあらゆる観念にしがみつかなければ、、、、。といったものです。
何かが終点だと思わなければ道の歩みの妨げもないかと思います。
前途に祝福あれ。


110:神も仏も名無しさん
11/10/14 14:15:39.24 aiCivX5x
>>107
ベターだなんて思ってないよ
自分がいない状態をいいことのように言ってたから、
自分がいない状態がいいってこともなくならないと、
自分がいないことにはならないんじゃないかって意味で、
空を知った自分も空になるといいよって言っただけさ

それをどう思うか判断するかしないかはその人の自由だからどうでもいいんじゃない?
風が当たったら、風を当たったと感じなさいと強制されてるっていうのかな?
観念?思考?そんなものがどこにあるのだろう?
ニュアンス?理解?言葉面?そんなものがどこにあるのだろう
あると思う人にはあるし、あると思わない人にはないかもしれないね
とりあえず、あなたにとっては、あなたがそういう風に反応してるということだけが事実じゃ
ないかな

111:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/14 15:21:39.20 azxCALCW
≫自分がいない状態
amaさんのいう自分がいない状態をあなたは体験しましたか?
体験していないのに言っているのだとしたら一体何について語っているのですか?
その場合ただの想定的な言葉遊び、思考以外の何物でもないでしょう。

≫それをどう思うか判断するかしないかはその人の自由

自分がどういった印象を発しているかに完全に無自覚ですね。
私が構うか構わないかはともかく、それでは人々の中で災いを引き寄せるでしょう。

≫観念?思考?そんなものがどこにあるのだろう?
ニュアンス?理解?言葉面?そんなものがどこにあるのだろう

あなた自身に向き合えばあなたが発するそれが見えてくるでしょう。
見つめればそれもなかったのだと見抜くかもしれませんが、無自覚に同化した状態からは
まずそれを認知しなければはじまりません。


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