仏教 議論スレッド 16
at PSY
505:神も仏も名無しさん
11/06/14 21:25:33.42 sgs99D8h
怪しいが危険ではないだろ
506:神も仏も名無しさん
11/06/14 21:25:54.98 yQc2ZdX/
>>501
知恵と智慧はたしか梵語が違わなかった?
分析的な智と包括的な智を別けていたとおもたが
507:神も仏も名無しさん
11/06/14 21:32:33.22 yQc2ZdX/
>505
机さんあたりが丸写しコピペで大威張りしそうな内容なんですw
508:神も仏も名無しさん
11/06/14 21:33:57.13 gD8Cmddh
なんであれ薬にする人も居れば、
なんであれ毒にしてしまう人も・・・。
いや、誰とは言わんが。
509:神も仏も名無しさん
11/06/14 21:35:26.34 89usq2+V
毒にも薬にもならない
人生の浪費 永遠につづく不毛な問答
510:前世は一在家
11/06/14 21:52:26.89 23Me3YEW
>>437 :机龍之介 ◆b5VIxRNE/I :2011/06/14(火) 08:10:13.73 ID:m+YeDlnW
>「去るものは去らない」、「来るものは来ない」。つまり、未来(死後・輪廻転生)は来ることはない。
机先生は9時半を過ぎると「おやすみなさい。」と言いますが、「おはよう」という
朝が来ることを99.9%以上の確率で想定しておりませんでしょうか。
長部経典の中に「沙門果経」という経典があり、修行完成者の得られる果について具体的に
記載されております。
つまり修行完成者(阿羅漢以上)は、過去世を思い出すという神通(三明智)を得るという
仏説です。
511:神も仏も名無しさん
11/06/14 21:53:02.66 sgs99D8h
>>505
ティク・ナット・ハンのマインドフルネスがわからん
512:前世は一在家
11/06/14 21:53:53.19 23Me3YEW
>>510
もし釈尊の弟子で一人でも修行完成者がいれば、彼が師の教えが正しいか否かを検証できます。
もし釈尊の弟子に修行完成者がいなければ、仏教がここまで広がることは無かったと思料します。
また一つ譬え話をしましょう。
釈「修行完成者は前世をいくつも想起しますよ。その神通が修行の目的ではないですが。」
舎「先生、私は瞑想により前世を思い出すことができます。前世はバラモンでした。」
釈「そうですね。貴方の前世はバラモンで、その前は豪商でしたね。」
目「先生、私はまだ前世を思い出すことができません。未熟です。」
釈「貴方の前世は○○国の王女の一人で、家族の一人を殺したカルマがありますね。」
舎利弗も目蓮もやがて前世を思い出し、釈尊の教えの正しさを検証して、自ら歓喜しました。
過去世A,B,C,D,E,Fを全て思い出して、互いの生の因果律を悟った者は現世G
から来世H,I,J位は読むことができても自然かと思料します。
来世の性別、職業、金持ちか貧乏か、ミッション、等々。
>つまり、未来(死後・輪廻転生)は来ることはない。
幾多の過去世が自覚されれば、来世は予見されるということです。
513:神も仏も名無しさん
11/06/14 22:06:10.61 yQc2ZdX/
>511
来日セミナーの撒き餌動画(字幕付)がユツベにあがっている
514:神も仏も名無しさん
11/06/14 22:14:36.40 DwI4/zfb
>>501
ざっくり言えば、
「気付き」「発見」「知覚・自覚」といった要素に着目すれば「覚り」、
「総合的に」「トータルに」、「納得」「理解」「知悉」といった要素に着目すれば「悟り」
といったイメージやニュアンスはあるだろうと思う。
が、ぶっちゃけ十人十色だと思うよ。漢和辞典上の語義から演繹して分類も可能だがあまり意味は無い。
確かな方法は、漢訳での用例を比較すれば、多少はその意味合いの違いが出てくるかもしれないが・・。
気にはなってるけど調べたことはないw
新訳旧訳で大きな変化があるかもしれないし、各訳経僧毎に、こだわりが見られるかもしれない。
>>504の通りなら、検索結果に有意な結果が出るだろうし、各使用例での用いられ方(文脈上の語義)に明確な差異があるのかもしれない。
(禅系は「悟」の字を好んで使うかもね。 たぶん、(上で触れたように)含意する範囲が広く大きく取れるからかな?
「気付く」だけじゃない、と・・。)
参1: 旺文社漢和辞典第5版
〔悟 ゴ 〕 心にはっきりする。心の迷いが開ける。 ・・・(語録・仏典の用例を受けての語義か?)
〔覚 カク 〕 気がつく。知らなかったことがはっきりする。 ・・・(原語√budからすれば当然こちらが本義)
515:参2
11/06/14 22:22:17.77 DwI4/zfb
スレリンク(psy板:253番)
>> 251
難しい事を軽く聞くねぇw (勿論、『仏教で言う』悟りだよね?)
まず大前提を一つ。
『私はおそらく悟っていない。少なくとも涅槃を見てはいない。
もしかしたら入口から中を覗き込んでいるかもしれないが、決して中にいるわけではない。』
(※「おそらく」「少なくとも」「入口」という表現を用いたのには理由があるが、それは後述(最後に補足)する。)
つまり、以下はあくまでも想像・類推であるということ。
(→類推だから意味が無いというわけではない。 興味があるなら、
「類推でも意味がある」について別途に述べることも吝かではないが・・・。)
続いて、前提(≒定義)を幾つか。(一般的仏教辞典の語義はここでは無視する。)
イ:「悟りとは何か。どういうものか。」(とりあえず原語は bodhi とする)
1.原語の「目覚めること」という意味から敷衍し「【気づき】」「自覚」とする。(英訳のenlightenmentに近い)
2.「涅槃」と同義とみる。 → (都度更新が必要な)「【境地】」。
3.「涅槃」と同義とみる。 → 一度到達すれば、以降(多少の努力は必要かもしれないがw)「退転しない【境地】」。
4.涅槃への通過点(必要絶対条件)として、「体験を通過した上での、しっかりとした頷きのある【気づき・知識】」。
5.「智慧」と同義とみる。
→(巴英辞書で knowledge, enlightenment, the knowledge possessed by a Buddha とされるように)
「(仏教という枠内での)最高・最終の智慧」。「縁起や四諦など、仏陀の説いた教えについての【知識】」。
6.特に禅の枠の中で用いられる場合の「悟り」。 →「上記全てを包含した、体験に基づく【境地】」。
(※必ずしも、知識としての側面を必要とはしない。)
7.特に禅の枠の中で用いられる場合の「悟り」。 →「釈尊の体験・頷きの【追体験】」
(※必ずしも、知識としての側面を必要とはしない。)
516:参3
11/06/14 22:23:49.93 DwI4/zfb
スレリンク(psy板:254番)
254 251へ とりあえずw 素人 2/2 sage 2007/03/17(土) 23:15:10 ID:7uKTbgbI
>> 251
このように、(日本語で「悟り」と言った時には)、実に多彩な読みが可能となる。
当然、(「悟り」という日本語に於いて)どの解釈を採用するかによって、以下の問いへの答えは変わってくる。
(※余談だが、勿論、文脈によって、何について言われているかという語義が違うことは、仏典の中にも見られることだし、
何より、日本語で「悟り」(「悟った」とか「悟りを得た」とか)と訳せる部分は実はあまり多くない。
それらの多くは意訳となっていると思われる。このことの意味はかなり大きなものがあると思う。
特に、翻訳でなく解説の際、「悟った」と言われる時は、
「ある状況を把握し易く『括った謂い』『ラベルを貼った謂い』として
(殆どそのことに無自覚に)用いられている(用いてしまっている)」ことに自覚が必要だと思う。)
スレリンク(psy板:251番)
517:参4
11/06/14 22:44:01.31 DwI4/zfb
スレリンク(psy板:263番)
263 素人 1/3 sage 2007/03/19(月) 01:20:57 ID:okBKQgYl
>> 257
>類推無ければ近づけないとも
賢明だねw
(哲学や認識論的に言えば、「対象そのものを知ることは不可能」という極論も成り立つわけだしw)
>悟りと覚りのちがいも
区別されることもあるし、区別なく使われることもある。
>>254※印中の文のように、大きなラベルとして用いられる時は区別ないだろうし、
文脈上差異化を図りたい・微妙なニュアンスの違いを表したい
(→漢字が違うことの意義をきちんとしたい)等の時はこだわって使う人もいるだろう。
>> 253中の区分を利用すれば、「悟り」は「1〜7」、「覚り」は「1・4・5」となろう。
少しく喩えを用いるなら、「ご飯」「ごはん」「飯(めし)」「メシ」等が解り易いかもしれない。
厳密に言えば「ご飯」は米を炊いたものであるべきだろうが、普通に「食事」や「食事をとること」も指す。
「ちょっとご飯食べてくる。一時間くらいで戻るよ」とか「よお、メシくいに行こうぜ。」とか。
この時食べるのがラーメンでもスパゲッティでもサンドイッチでも、やっぱり「ご飯」「飯(めし)」だよねw
これは、『栄養を摂取する、主要な補給物』『主食』という意味合いが拡大したものと見ていいだろう。
こだわる人は「ごはん」としたら「食事」「ご飯」としたら「米」とするかもしれない。(尤も、音では一緒なワケだがw)
こうした、語義の幅(拡大)があるという理解でいいんじゃないかな。
>日常的に知ることと別の次元にあるのかどうか ・・・・・ イメージ。
253の1で言えば、広義に於いて様々な「あ、そうかっ!」だと見做すことも勿論可能。
ただ、(古来インドに於いても)やはり宗教的領域について言われるものであろうと思われるし、
「一般的気づき」と「宗教的核(コア)との出会い」と、二通りの語義を把握していればいいんじゃないかな。
両親の想いに気付き、親孝行を決心した反抗期の青年が
「俺、親子関係について悟っちゃったかもwww」なんて会話を友人とするのもありだろ?w
(ま、もともとは、「宗教的気づき」が原点であろうが、
こうした語義の拡大は、上記「ご飯」同様、頻繁に見られることだと思う。)
518:参5
11/06/14 23:04:11.69 DwI4/zfb
スレリンク(psy板:266番)
266 素人 3-補/3 sage 2007/03/19(月) 01:33:33 ID:okBKQgYl
263補:
もし、「悟り(sa・to・ri)」の語義を骨格として抜き出すなら、
『核心への気づき』『核心の発見・受けとめ』ということができるかもしれない。
だから、その核心の内容を問わず、
『物事の核心に気づいた時』に、『悟った』と用いることが可能なのだと思う。
とするならば、やはり「○○の枠の中で」という条件が常に必要なのだろう。
そして、日常会話ではそれが、無意識に文脈として規定されている、と・・。
――――
>>501
以上、表記は全て「悟」の字だが深い意味は無いw
ただ、個人的には、(上の方でも少し触れたように)
「悟」の方が「総合的、最大公約数的ラベル」として使い易いので、こっちを使うことが多いかな・・。
(自灯明法灯明よりは、誤用としての位置付けは低くなってると思うよ。)
また、上で漢和辞典の補足を載せたが、禅に於いて多用されているのも、
そうした意味合い、「明らかになった、視界が開けた、全てを了解した」といった部分が理由かもしれない。
519:神も仏も名無しさん
11/06/14 23:30:46.87 Uj7cO79V
了解、セブン。
真宗君は、どうしても「目覚める」という意味を「さとり」に投射したいのだろうが
俺としては、見慣れた「悟り」で、射程を広く使用したほうが便利だな。
文脈上、「覚り」とする必要性がないときは「悟り」の表記でいくわ。
相手も、其のほうが理解しやすいだろうしw
520:神も仏も名無しさん
11/06/15 00:00:21.04 1rhjQAVx
仏教なんて人間の営みの
ほんの一部しか問題にしていない
521:神も仏も名無しさん
11/06/15 00:02:48.00 uRgjlNlk
「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは
さとりなり。」
「迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する
漢あり、迷中又迷の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なり
と覚知することをもちゐず、しかあれど諸仏なり、仏を証しもてゆく。」
(「正法眼蔵:現成公案」)
522:神も仏も名無しさん
11/06/15 00:08:34.07 1rhjQAVx
仏教なんてただの言葉の遊び
523:神も仏も名無しさん
11/06/15 00:19:18.78 zM/oNUhI
上記道元によれば、「迷いを迷いと知るのが悟った人であり、悟りに執するのが
悟っていない人である。悟った人が本当に悟った人でるならば、自分の悟っている
ことさえ自覚しない」。従って、意識的に悟りを目指す者は、悟っていないこと
になる。
524:神も仏も名無しさん
11/06/15 00:37:00.03 ell5KqBg
目の前に蝋燭を置けば、明かりに眩んで夜道は見えない
視線から外して蝋燭をもてば、足元や行き先が照らされる
自分も何とかできないのでは万法は遠い
努めることがなければ証されることもない
525:神も仏も名無しさん
11/06/15 01:47:02.84 zM/oNUhI
>>524
上記道元の「自己をはこびて・・・」以下の現代語訳と要約。
(現代語訳)「自己の立場から、あれこれと思案して、ものごとの真実を明ら
かにしようとするのが迷いである。ものごとの真実が自然に明らかになるのが、
悟りである」。
(要約)「自己をむなしくして客観を生かすことによって、真実があきらかに
なる。」
要するに、「悟ろうなどと思ったら悟れない。あるがままの現実を知るのが
悟りである」。
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