【仏教】悟りを開いた人のスレ88【天空寺】
at PSY
161:素人A
10/11/25 07:37:49 EGj27Gbi
もう少しか( >>144 つづき)以上のような長竹・芭蕉の全消息が、すなわち描かれた絵である。したがつて、香厳のように
石が竹にあたる音を聞いて大悟した場合、大悟以前の蛇も、大悟後の竜も、いずれも描かれた絵であろう。それを以前は凡夫、
以後は聖者ではないかなどと疑ってはならない。「あの竿はこのように長い」のであり、「この竿はこのように短い」のであり、
「この竿はこのように長い」のであり、「あの竿はこのように短い」のである。これらは皆描かれた絵であるから、長いは長い
まま、短いは短いままで齟齬は来たさないのである。長い絵があれば、短い絵がないわけでは無い。悟りがあれば迷いもある。
いずれも描かれた絵である。この道理を明らかに究明すべきである。
まさしく全世界・全存在は悉く描かれた絵であるから、人も事象もすべて絵より現われ、仏祖も絵より成就するのである。
そういうわけであるから、「描かれた餅」でなければ、飢えを充たす薬はない。また「描かれた飢え」でなければ、人に出会うこと
は無く、また「描かれた充」でなければ、力量はでて来ないのである。およそ「飢えを充たし」「飢えないを充たし」「飢えを充たさず」
「飢えないものを充たさない」などは、総て「描かれた飢え」でなければ出来ないことであり、また言えないことでもある。ともかく
自己そのものが「描かれた絵」であることを参級すべきである。この大切な主旨を参学するとき、「物を転じ、物が転ずる」という働き
を、心身に究めつくしていくことが出来る。このような不思議な働きが現われないようでは、仏道を学力量はまだ成就してないと
思うべきである。この働きを実現させることが、「悟られた絵の成就となるのである。」 終わりやつと終わった。やれやれ
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