シャンカラ/マハルシ等【不二一元論】アドヴァイタ
at PSY
1:神も仏も名無しさん
10/03/04 18:08:17 VgEBYxQC
インド古典のヴェーダやウパニシャッドから発展した、インド哲学の
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(純粋不二一元論)の分野について、
学究的で難解な議論はさておき、むしろ瞑想や体験など宗教的な視点から
結局‘真我探求’って何?とか、本当に‘梵我一如’を会得できるの?
とかを、素人〜覚者の分け隔てなく、自由に語りあおうという主旨の
「アドヴァイタ関連・雑談その他なんでもOK」の総合スレです。
■関連書籍 (分野を限定する訳ではありませんが、一応想定する本の範囲)
「ウパデーシャ・サーハスリー」シャンカラ著/前田専学訳
URLリンク(www.amazon.co.jp)
「あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え」デーヴィッド・ゴッドマン編/福間巌訳
URLリンク(www.amazon.co.jp)
「アイ・アム・ザット 私は在る ― ニサルガダッタ・マハラジとの対話」
モーリス・フリードマン編/福間巌訳
URLリンク(www.amazon.co.jp)
「ブッダのことば ― スッタニパータ」中村 元訳
URLリンク(www.amazon.co.jp)
■関連スレ
ニサルガダッタ・マハラジ「私は在る」I AM THAT
スレリンク(psy板)
【サマーディ】至高体験後の修行スレ【梵我一如】
スレリンク(psy板)
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 4
スレリンク(psy板)
2:神も仏も名無しさん
10/03/04 18:09:59 VgEBYxQC
昨年6月にニサルガダッタ・マハラジに突然はまり、衝動的に単発スレを
建てた初心者です。あちらのスレは前半は「無我・真我」など、
活発な(喧嘩っぽいとも言うw)論争その他で伸びたあと、中盤から
デヴィッド・ゴッドマン氏の「ニサルガダッタ・マハラジの思い出」を、
複数の方々が自発的に私訳を持ち寄る形式で、中身の濃い良スレとして
発展してるようで、ニサルガ愛好者の人々の応援カキコもあって、
素晴らしいことだと思います。
ただ、原文翻訳の投稿とその支援激励にスレが特化してしまい、自由な質疑応答や
雑談で流れを切る訳にもいかず、まだまだ中身を理解してない初心者の自分は、
すっかり置いてけぼりで、後半は完全にROM読者に徹していました… orz
怒りっぽいマハラジ師をちょっと棚上げしw、柔和なイメージのある
マハルシの言葉に共鳴したりしたあと、最近はシャンカラも読み始めたのを
きっかけとして、やはり自由な質疑応答・雑談もOKな雰囲気のスレが必要だと
思ったので、「アドヴァイタ関連なんでも総合」という位置付けの
スレを建ててみました。
3:神も仏も名無しさん
10/03/04 18:12:02 VgEBYxQC
とりあえず別スレで「勝義諦と世俗諦」という言葉を見かけ(恥ずかしながら)
初めて聞く単語だったので、google で検索してみたら、ものすごく難しそう…
言葉の意味はなんとなくわかるが、どこまでが勝義諦でどこからが世俗諦なのか
その境界線をどの辺に解釈するかで、仏教・ヒンズー教各派でも色々ありそうですね
って、のっけから言葉の意味や定義範囲にこだわりはじめる自分の悪い癖
そのものをなんとか退治しなきゃいけないんですが… orz
ニサルガの 「I AM THAT」 は、サンスクリットの「ソーハム」
( so'ham ← soH aham : 彼は我なり ) に相当する、と解釈して構わないのかな?
あと、個人的に面白そうだと思ったスレがあったんだけど
真我・無我・非我はすべて同じことではないのか [既にdat落ち]
スレリンク(psy板)
(これ、ニサルガのスレで去年7月頃に議論してた人が建てたのかも)
期待してROMってたけど、ちっとも伸びずすぐ落ちてしまったのが残念でした
4:神も仏も名無しさん
10/03/07 03:04:41 vC3r/gwa
ウパデーシャ・サーハスリー (シャンカラ著/前田専学訳) より引用
韻文篇 第十二章 三節
〔一〇人の少年たちが川を泳ぎ渡ってから〕
自分自身がその第一〇番めであった〔一人の少年〕が、
自分自身も〔他の〕九人のうちにいる、と考えて、
〔「一人足りない」と判断し、別の少年から、
「君が第一〇番目だ」と言われるまで、そのように理解していたように〕、
この混迷に陥った世人は、〔アートマンを統覚機能などのような〕
認識対象のうちにある、〔と考えて〕、それとは別様には〔理解して〕いない。
-----
かっこ〔 〕の中は、前田氏の注釈文で、それをつなげて読めるような
形に翻訳されているので、逆に少し読みづらくなってますが
意味はわかりやすいと思います。
ラマナ・マハルシの Be As You Are (あるがままに) を読んだ時に
「川を渡る10人」のたとえ話がでてきて、地元の民話か何かから
マハルシが創作したのかな、と思い込んでいたので、1200年も昔の
シャンカラ (Adi Shankara 788〜820 中世インド) の本に、
ちゃんと元の話が載っているのを知って、とてもびっくりしました。
他にも、縄をヘビと見間違える話とか、
鋳型に注いで様々な形になっても銅は銅、っていう話とか
ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが
質問者との対話で、よく引き合いに出すような例え話の元ネタが
昔のシャンカラの本にでてくるので、もしかすると
インドのヴェーダ関連の古典では、ありふれた題材なのでしょうか?
インドの古典はさっぱり知らなくて、何か勘違いしてたらすみません
5:神も仏も名無しさん
10/03/07 12:33:25 7JlzB5WP
マハラジのインタビューの翻訳をはじめたものです。
スレ主さんの姿がないなあ、、、と思っていたのですが、図らずもおいてけぼ
りにしてしまい申し訳ありません。
マハルシ関連書籍は、海外から取り寄せて色々持っているので、わかること
がありましたら、答えさせていただきたいと思います。
へびとロープの話とかよく出てきますよね。たぶん昔からある喩えなんだと思います。
マハルシ独自だろうと思う喩えもありますよ。映写機の喩え。昔にはなかった
だろうと思うので。
6:2
10/03/07 14:51:53 WgBxhBAI
>>5
いえいえこちらこそ、放置ぎみで他をうろうろ探索したりしてて
すみませんでした。ゴッドマン氏のインタビューの翻訳が始まってから
I AM THAT の多くの読者が、三々五々集まる全国規模(w?)のスレに
進展したみたいで、すごいことなんですが、うかつな発言ができなくなった(笑)
「Who Am I ?」や「Be As You Are」を勧めてもらって、読み始めたのが
自分がマハルシをまじめに考えるスタートになった、とも言えるので
たくさんの引用やバガヴァーン紹介の書込み、ありがとうございました
それまでは、ふんどし姿でにっこり笑うやせたお爺さん…
ぐらいの軽い印象しか持ってなかったんでw (マハルシの写真集の表紙?)
(前置きはこれ位にして) 映写機とスクリーンの喩えだけど
確かにこれは20世紀のマハルシならではの、わかりやすい話だと思う。
現代の我々にとっても親しみやすい。
ニサルガダッタの本にも同じ話が何度も出てくるけど
マハルシの受け売り、と言ったら語弊があるが(汗)
ラマナ・アシュラムからの多くの来訪者との対話で、ニサルガ師にとっても
もはや、共通によく出る有名な例え話になってたのかもしれませんね
7:5
10/03/07 18:58:31 7JlzB5WP
マハルシはまさに聖者の典型みたいな人でしたが、お茶目なところもあったみ
たいです。私が気にいっているストーリーを「Day by Day with bhagavan」から、、、
1945年3月31日
One night, a few days ago, after supper, when Bhagavanwas resting
on his cot in the verandah, east of his hall,something funny took place.
He was facing south.
Chadwick was sitting behind Bhagavan’s back.
Soon after Bhagavan took his seat and leaned on the cushions,
Chadwick from behind stealthily and unnoticed fanned Bhagavan.
さる数日前の夜、夕食後に、バガヴァンが講堂の東にあるベランダのベッドの
上で休んでいると、面白いことが起こりました。
彼は、南の方を向いていました。
チャドウィックはバガヴァンの背中に面して座っていました。
バガヴァンが座り、クッションに寄りかかると、チャドウィックは後ろからこっ
そりとバガヴァンに気づかれないように、あおいで風を送りました。
8:5
10/03/07 19:13:33 7JlzB5WP
When Bhagavan turned and looked, Chadwick withdrew the fan and remained still.
When Bhagavan turned his face south, Chadwick resumed fanning again.
Bhagavan turned round and Chadwick stopped.
Bhagavan was left wondering how he got the breeze.
Chadwick then laughed out and Bhagavan joined in the laughter.
This shows how even with such an eminent Master a devotee can play and both can enjoy the joke like children
バガヴァンが振り返って見ると、チャドウィックはあおぐのをやめ、じっとしていました。
バガヴァンが南に顔を向けると、チャドウィックは再びあおぎ始めました。
バガヴァンが振り返ると、チャドウィックはやめました。
バガヴァンはどこから風が吹いてくるのか分からないままでした。
するとチャドウィックが笑いだし、バガヴァンも一緒に笑いだしました。
このことは、このように優れた師とでさえ、信奉者は戯れることができ、
両者ともに子供のように冗談を楽しめることを示しています。
バガヴァンが身近に感じれる話ではないでしょうか。
9:神も仏も名無しさん
10/03/08 01:15:15 ExZhDRsb
まるで映画の1シーンを見てるような
ほのぼのした情景が目に浮かんでくるようだ… いいなぁ
10:神も仏も名無しさん
10/03/17 22:40:30 f251oCAk
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
11:神も仏も名無しさん
10/04/05 19:01:06 UhBCX37o
ニサルガダッタのスレは落ちちゃいましたね・・・
良スレだったのに
12:1
10/04/09 23:56:29 dkL6Df1U
殆どの大手プロバイダからの一般会員が、軒並み
2chアクセス規制・書込み禁止という大規模措置が、最近続いていたので
その期間中に、貴重なスレが DAT 落ちしてしまったのは、とても残念です。
他板と違って、「心と宗教」板のスレ落ち基準に一貫性があるのか
はっきり判りませんが、ニサルガダッタのスレはかなり伸びてたし
最後の書込みが3/28日付けなので、こちらのスレよりも書込みが最新だったし
活気があったように思います。
13:神も仏も名無しさん
10/04/13 20:04:47 BtOut0h6
Living the Inspiration of Sri Ramana Maharshi
A dialogue between David Godman and Maalok, an Indian academic now teaching in America
Page 3から
Maalok:
You obviously have a reverence for the people you were writing about.
Didn't that make it difficult to be objective about facts?
For example, if you saw something 'not so nice' (at least as perceived by an average reader) about these people or their lives,
there could have been a tendency to not include it in the books, given that you have a reverence towards them.
マーロック:
あなたは明らかにあなたが本に書いている人々に尊敬の念を持っています。
そのことは事実について客観的でいることを難しくしませんか。
たとえば、もしあなたがその人々や生き方で、何か「あまり好ましくないこと」(少なくとも一般的な読者にはそう思われる)見たとしたら、
本にそういうことを書かないようにしがちになるのではないですか。
14:神も仏も名無しさん
10/04/13 20:18:07 BtOut0h6
David:
Let me start with Ramana Maharshi.
I have been researching his life and teachings for a large part of the last twenty-five years
and in all that time I have not come across a single incident that I would keep out of the public domain
because it might give people a bad idea of him.
デイヴィッド:
まずラマナ・マハルシについて始めましょう。
私は彼の生き方と教えについて、その最後の25年の大部分を研究していますが、
その間中ずっと、人々が彼について悪く考えるだろうという理由で、
公開しないようにした出来事は、ただの一つもありません。
15:神も仏も名無しさん
10/04/13 20:32:03 BtOut0h6
His behaviour and demeanour at all times were impeccable.
All the attributes we associate with saintliness were present in him
: kindness, gentleness, humility, equanimity, tolerance, and so on.
彼の振る舞いや態度はいつも非の打ちどころのないものでした。
我々が聖者としての性質と結び付けるあらゆる性質が彼の中にありました。
親切、寛容、謙虚、平等性、忍耐などなど。
16:神も仏も名無しさん
10/04/13 20:42:24 BtOut0h6
For decades he lived his life fully in the public spotlight.
He had no private room of his own, so everything he did and said was open to scrutiny.
Except when he went to the bathroom, he was never behind a closed door.
数十年の間、彼は完全に公衆の目にさらされた生活をしていました。
彼は自分専用の私室を持たなかったため、その行動と言動のすべては調べることができました。
浴室に行ったとき以外は、彼は閉ざされたドアの後ろにいることは決してありませんでした。
17:神も仏も名無しさん
10/04/13 21:00:11 BtOut0h6
Up until the 1940s, if you wanted to come and see him at 2 a.m. in the morning,
you could walk into the hall where he lived and sit with him.
Some people did occasionally invent stories about him to try to discredit him,
but no one who had moved with him closely would ever believe them.
1940年代まで、午前2時に彼に会いに行きたいなら、
彼が住む講堂に歩いて行き、共に座ることができました。
ときおり、信用を失墜させようとして彼に関する話をでっちあげる人もいましたが、
彼のそばで行動する人はだれもその話を信用しませんでした。
18:神も仏も名無しさん
10/04/13 21:14:00 BtOut0h6
There was simply no scope for scandal or misbehaviour because his life was so public, and so saintly.
He never dealt with money, never spoke badly of anyone, he owned nothing except his walking stick and his water pot,
and he was never alone with a woman.
Only people who had never watched him live his life could invent scandalous stories about him
and expect other people to believe them.
彼の生き方はまったく公然のもので、聖者そのものなので、単純にスキャンダルや不品行の余地は皆無でした。
彼はお金を決して扱いませんでしたし、誰の悪口も言いませんでした。杖と水さし以外何も持っていませんでした。
そして、女性と二人っきりになることも決してありませんでした。
彼の生き方を観察したことのない人だけが、彼についてのスキャンダルをでっちあげて、
他の人がそれを信じることを期待することができました。
19:神も仏も名無しさん
10/04/13 21:19:10 BtOut0h6
続きがあるのですが、ここまでにします。
なぜか今日は書き込む気が起きたので、私が気にいっている部分を翻訳してみました。
デイヴィッド・ゴッドマンさんへのインタビューの抜粋です。
20:神も仏も名無しさん
10/04/15 19:55:54 26TjnVMP
翻訳GJ! 続きに期待してます。
21:神も仏も名無しさん
10/04/16 03:10:12 QTsrrfUP
無数の意識の主体がいるというのが常識であって、
ただ一つの意識しか存在しないというアドヴァイタを
どうしても最終的に理解出来ないというか、しっくりこないんだけど。
心の内容も体を構成する原子も元々世界にあった材料で出来ていて、
世界から切り離された考えや体なんてものは存在しないというのはわかるんだが、
ならばなぜ個々の意識があるのかが分からない。
自分では空というのを体験したことがあると思うんだが、
そこにはただ意識しかないのであって、
それがすべての人の意識と同じものだという自覚はなかった。
ネットから落とした違ったプログラムが入った同じメーカー同じ型番の
別々のコンピュータという理解。
誰か説明出来る人答えてくれたらありがたい。
22:神も仏も名無しさん
10/04/16 20:34:48 Hq1G6XkK
>>21
その境地がどういうものかわからないけど、自分の意識と他の人の意識が同じかどうかを
気にする自我が抜けてないんじゃないかな
自分の意識と他人の意識が同じというのじゃなくて、自分の意識と他人の意識を区別しよう
とする自分などいないという意味で、全てはひとつであるんじゃないかな
自分も同じような疑問があったし、一応その答えは体験で出たかな
空の体験もどの程度空であるかでいろいろ違うと思うよ
自分も何度か体験してるけど、深みというか空の部分というかそのつど違った
完全に空になるとまた違うんだろう
いわゆる覚者と呼ばれる人たちでも完全に空になってるひとは少ないように思うし
自分もそこまでの体験はまだない
23:神も仏も名無しさん
10/04/17 01:03:51 b2cWAsnL
サマーディを体験している人が居るんだ。なら共感できると信じたいのだけど
私も自らの体験を通して言えることは、実に悟りを開いた人は謙虚で言葉を選んでいるのだと思う。
体験そのものより、世俗の人から見た勝義のほうが実に衝撃だったから、あれは無茶でしょ、生きてるそのものがなんなのか
自分の懐に閉まっているだけなのが苦しくなる。
いや、このような凄いことを目の当たりにして、理解される訳も無いので自分の懐にしまいこんで普通に知らない顔で
のほほん と生きるのが辛い。
ラマナ・マハルシとかリアルで会えたら一生付いていこうか真面目に悩む、それくらい世間の常識と違うんだよね。
24:神も仏も名無しさん
10/04/17 01:27:12 b2cWAsnL
サマーディ自体は世俗人の視点から見るならたいしたものではない。
ラジオで流れる音楽と人によっては対して変わらないのかも知れない。
問題は一切皆空とか全てはひとつとかのそれだよ。全然脳内ではない現実の話なんだよね。
25:神も仏も名無しさん
10/04/17 01:41:37 b2cWAsnL
悟りを開いた人はそれとなくやんわりと言ってるんだけどね。
ラマナも世界と神と真我はひとつなのだと、わかる人にしかわからない
理解される訳も無いのだと諦めるほかない。説明するのが色々と面倒というか
どうしようもないね。
26:神も仏も名無しさん
10/04/17 03:24:50 4GeAy0SR
>>22
酔っ払ってる時に書いたことに答えてくれてありがと。
確かに自我、考えも世界もなければ「一つ」も「複数」もないんだけど、
それだと考えが復活したとき、世界の中で暮らしている時には
やっぱり最終的な解決とはいかず、迷いが続くように思う。
インターネット和尚という人のサイトにいろんな見性の体験がのってて、
普通の女子高生や女子大生が自我を持ったままで
「すべてが一つ、あなたもあれもこれも私」という体験をしてる。
昔のような悟りたい願望はないんだけど、それでもちょっと羨ましい。
ここまで行けばこの問題はなくなるんだろうな、と。
でも、ラマナの言ってる状態はどうも単に考えの無い状態のことのようで
ボケ老人になればなんの悩みもない的な解決はちょっと…
27:22
10/04/17 05:40:32 +JuCZh6e
>>26
インターネット和尚、自分も見てるよw
あれもこれも私っていうなら似た体験はあるかな。
そうなったときはすべてが宇宙と思えたよ、そうとしか思えなかった。
あらゆるものが宇宙の一部とかでなく、それ自体宇宙そのもの、何もかも。
木も宇宙、犬も宇宙、壁も宇宙、自分も宇宙、なんでもそれ自体宇宙でしかない。
自分は宇宙でしかないものを勝手に犬とか壁とか自分とか解釈していただけなんだと気づいた。
もちろん、そんなことはわかってたけど、体験そのものにはなってなかったから。
そのときは目では犬とか壁とか自分とか、ちゃんとそれぞれに映ってるのに、なぜか実感は
どう考えても宇宙としか思えないんだよね。
目に映ることと実感は別物だとわかった。
逆に言うと普段は目に映る違いから自分で自分なりの実感を作ってるだけなのだとわかった。
その体験は歓喜でしかなかったよ。
空は何も無いって感覚だけど、それはあふれる歓喜だった。
第一全てがおもしろかった。
フロに入ればタイルの一枚一枚がそれぞれ宇宙
宇宙であるシャワーのノズルの穴から宇宙である水が降り注ぐ、それ全部宇宙自身
宇宙であるバスタブに満たされた宇宙であるお湯に宇宙である自分が入ったとたんはね返
るしぶきも全部宇宙、宇宙まみれ、もう笑うしかない、どこ行っても宇宙、宇宙しかない
結局それが3日続いて終わった
この体験は終わらないと思ったけどやっぱり終わりが来た
自我をまた作っちゃったんだね
28:22
10/04/17 05:46:22 +JuCZh6e
この体験のきっかけになったのはすごく根本的な自我への気づきなんだけど
こういうのは自分で気づいて効果あるものだから言うべきではないのかもしれないけど、
自分のそのとき気づいた自我は、現実があると思ってることだった
この世は夢かもとか嘘かもとか口ではいくらでも言えるけど、やっぱり心の中では、自分も
この世もあると思ってる。
あると思いながら、この世はないかもね、なんて言葉で言ってるだけ。
でもこの現実はないのかもって100%本気で思えた瞬間に世界が変わった。
現実があるはずだ、現実があってもらわないと困るっていう自我が消えたんだろうね。
○○だ、△△だっていう自我が個性をつくり、自分があるような錯覚をしてるんだろう。
やろうと思ってできることじゃないけど、ものすごく根本にある自我が抜けたら、かなり無と
いうか、かなり同じになると思うよ。
自分が個だと思うのは、やはり積み重ねられた自我とか物理的な個の身体性とかから、実感
までそう錯覚しちゃいだすんだろうね。
29:神も仏も名無しさん
10/04/17 12:03:38 b2cWAsnL
ラマナの想念の無いサマーディは言ってることが深すぎるからね。
でも本当に体験をしたのなら自我の個性を維持しながらの生活も可能だとわかるはずなんだけどね。
でも、この場合はヴァ−サナーから開放されて無いから元に戻ってしまう。ラマナの言ってる通りだよ。
ラマナは体験した者にしか知りえないことをシンプルに話る。
30:神も仏も名無しさん
10/04/17 12:19:01 b2cWAsnL
それでもサマーディ自体よりも
水がワインになる奇跡のほうが驚きだと思うんだけど、宗教は世間の人にとってはどうでもいいような酷評される
ことのほうが多いけど、ラマナも奇跡は否定してたけど、水がワインになるような奇跡を目の当たりにしたら誰でもきっと変わると思うな。
サマーディも確かに重要だけど、悟ってない所詮は世俗人の私には奇跡はもっと驚きだった。
やっぱりラマナ以外の他の聖者がそうであるように、奇跡とサマーディは切り離せないワンセットのような気はする。
31:神も仏も名無しさん
10/04/17 23:59:27 4GeAy0SR
>>27
>この現実はないのかもって100%本気で思えた
で、元に戻ったあとは、どっちに傾いている状態?
こんなスレに関わっているのだから頭の中にはヴェーダンタがあるんだよね?
常識とヴェーダンタとの折り合いはどうなってんの?
>>30
ヴァーサナから開放されてない=元に戻る=
自我の個性を維持しながらの生活も可能
ってことでいいのかな
でもこの場合、思考はあるからたまには
ヴェーダンタが常識との間で問題を起こすでしょ?
今の俺みたいに。
もうこの関係については言葉で考える必要が無い状態
になりたいんだよね。
個の消滅を選択出来ない以上
(自我が崩壊しそうになるとやはりそれは選べなかった、
自我を静かにさせるのがやっとだね)
ヴェーダンタを捨て去るのが平安への道かな、と。
ところでドラッグとババの影響ある?
32:神も仏も名無しさん
10/04/18 18:09:42 qM2Qvs49
サマーディは奇跡と同等だと思ってるからね。
水がワインに変わるとか言ったら馬鹿みたいだけど、自我を残そうと自我が完全に無くなろうと奇跡には変わりない。
何を持って奇跡とするのかって話になるけど、目に見えるのか見えないのかの違いだけで、
水がワインに変わるなんて見たことも聞いたこともないくらいにめったに起こることではないと思うよ。
本当にサマーディを知っている者なら水がワインに変わる、そのような人知を超えたことも受け入れていると思う。
33:神も仏も名無しさん
10/04/18 21:29:01 qM2Qvs49
自他が無い一つとは気のせいとかではない
現実に世界と一つなわけだから、意識がただ在るといっても本当に世界に意識が拡がっているのだからね。
周囲に居る人間も霊的に敏感なら他人の意識に触れられると思う。ラマナの周囲の人も空気の違いを感じていたらしいし
その意識の拡がりの沈黙で信者に平安を教えていたくらいだから
34:神も仏も名無しさん
10/04/18 21:38:37 qM2Qvs49
聖者は人の姿形をしていても、その精神は神なんだよ。
そして選ばれた人間だけに本当の姿を現したりする。クリシュナもアルジュナにビジョンを見せたりしていたらしい。
普通の人には世界が自分とは別の物質に感じられるけど、同じように偉大な聖者もただの人間にしか見えないように出来ているんだよね。
35:22
10/04/18 21:47:09 t7Y6VoWb
>>31
>で、元に戻ったあとは、どっちに傾いている状態?
現実はあるともないとも思ってるし、思ってないよ、不可知
でもあのときの状態でないから現実があると思ってるのかなあ
なんとなく現実うんぬんとは別の自我があって、あのような状態になれてないと思うけど
自分にどういう自我があるのか気づけてないわけだからなんとも言えないよね
新しい自我をまたつくり無明に覆われ、それが消えて無となりの繰り返しかな
でも繰り返すごとにクリアーにはなってきてる、全体的に
ヴェーダンタと常識に関しては、常識への自我が生まれたらヴァーダンタは遮られ、自我が
消えたらヴェーダンタへ戻りかな、単にそれだけ、システム的なかんじ
ところで
>ヴェーダンタが常識との間で問題を起こすでしょ?
ってどういうこと?
ヴェーダンタも真我であり、常識も真我であり、あらゆるものが真我で、真我以外ないなら
問題はないんんじゃないかな
真我をヴェーダンタとか常識とか自我が錯覚してるだけってことじゃ平安じゃない?
自我もまた真我だし、錯覚も真我だし、平安も真我だし、真我しかない…
自我で何かと何かを分けてそれらがあるように錯覚してるだけで、あらゆる全ては真我でしかない
36:神も仏も名無しさん
10/04/18 21:53:44 t7Y6VoWb
ドラッグは経験あるし、こういう世界に入ったきっかけのひとつだったけど、シラフで同じ経験
ができるとわかってから全くしなくなった
する必要もないし、害もあるし、しないほうがいい
あれは薬効とかでなく内面をリセットするだけで、自分でリセットすればいいだけだとわかった
もちろん簡単にはできないけど
空の経験者ならわかると思うけど
ババってなんだろ?
37:21
10/04/19 01:24:28 rKSAsJ/X
>>36
ごめん。
自分の中の過去のデータから
文章の区切りの変な人や文の構造が崩れている人
(それと、同じく経験者なので内容から)=ドラッグ経験者
ワインの話=たしかサイババの講話に「あなた方は超能力を奇跡というが普通だと思ってい
るすべてのことが奇跡なんだ」みたいな話があったので、信者の人かな?と。
区切りが変だと思ったのは単に俺のほうのウィンドウの大きさに問題があった。
>>35
常識も真我だし、問題も真我だし、矛盾も真我、煩悶も真我であると。
同じ認識にあったことあるから気持ちも分かるんだけどね。
真我である俺は真我であるヴェーダンタと真我である常識の間で
真我である煩悶、問題を感じている。
すべて真我なら面倒くさいから真我省略したほうがよくない?
普通に問題があるでいいじゃん。
原子である犯人は原子である被害者を刺して死亡させたが、
すべては原子であり、増えも減りもしておらず原子的には何も起こっていないのだが
原子である犯人を原子である刑務所に送っても原子は増えも減りもせず
原子的に何も起こっていないので刑務所に送られた。
みたいな感じで、普通のことが残るっていうか。
38:神も仏も名無しさん
10/04/19 11:09:04 Z7C39jNd
奇跡の無い真我なんてないよ。
そんなのが悟ったなら、私には自他が無いと言えば悟ったことになるし、そんなのはあくまでもただの主観でしかない。
極端な話、寝たきりの昏睡状態が悟ったのと変わらなくなる。
釈迦もイエスもそうだけど、仕事もしない偉そうな講釈を喋るだけの人間なんて誰も相手になんかしないよ。
奇跡が現実に起こるから人々に認められるんだよ。
39:神も仏も名無しさん
10/04/19 11:20:51 Z7C39jNd
本当に真我に在るなら、天が味方をするんだよ。
その結果が奇跡で本物の証明にもなる。
40:神も仏も名無しさん
10/04/19 11:28:02 Z7C39jNd
真我を本当に知っているのなら、師は人間である必要は無いっていうラマナの言葉が理解できるはずだ。
41:神も仏も名無しさん
10/04/19 20:38:27 rKSAsJ/X
何に対しての反論か最初分からなかったよ。
サイババの言葉に対するもんだね。
ちょっと絡まりを解くのが難しいな。
「水からワイン」を「ぶどうからワイン」と俺が読み違えて
あなたが「普通の宇宙法則に従って宇宙が運行することこそ驚くべきことで
サマーディと同じくらいの奇跡」と言っているのかと思って、
サイババを連想してしまった。
そうではなくて、ずっと文字通り「奇跡の存在が大きい。奇跡があればみんな注目する」
って言ってるんだね。
正直でいいけど、ラマナを信奉するのに珍しい人だ。
42:22
10/04/20 01:45:50 ZkMjLQ0s
>>37 そうそう専用ブラウザ使ってるからふだん右端はそれでで折り返しちゃうんだよねー
ところで「問題がある」でいいんじゃない? 問題っていうかただ全て原因と結果があるだけでそれだけで
いいとか悪いとかでなく、ただそういうものがあるってことで、全て
真我でも無我でも真理でもいいけど、常識が真我、○○が真我ではなく、「真我でしかない」
にならないとおかしいんじゃないかな、実感として
言葉で説明するときは○○は真我、○○も真我、真我しかない、になるけど
実感は「真我!」それだけ、別に「空!」でも「真理!」でも「常識!」でも「問題!」でもなんでもいいけど
それはそのひとが勝手に言葉にするものだから
要はひとつであり二つでないってことかな、アドヴァイタってことで、ただ「○○!」
聞かれたことが理解できず答えになってないかもしれないごめん
ちなみにマハルシ系のラメッシの本読んだら、
「全てはもう決まっている、誰も何もしていない、ただ意識だけがある」って言ってた
あとプロバイダ規制くらったんでいちいち代行たのむのなんだし、しばらくレスできないようです
また規制解けたらきます
43:神も仏も名無しさん
10/04/20 14:25:03 s6BpsFC3
>>41
ラマナの言葉を読めば奇跡は認めてますよ。
ただ真摯な修行者には奇跡が妨げになるといっているだけ
我々のような世俗人には奇跡の存在は大きいですよ。
全ては真我で一つであると言ってて第三者から見て何の変化も無いほうがそもそもおかしい。
手を動かすように、世界が動くような
その人間が天に選ばれたであろう奇跡の証明は当然に要ります。
それ程のことでも起こらないと漁師の仕事を捨ててまで
まともな人間がイエスなどの聖者に付いていきませんから、釈迦もイエスもクリシュナも奇跡の伝説は多く残ってます。
44:神も仏も名無しさん
10/04/20 14:35:39 s6BpsFC3
そういった意味ではカトリックの聖人信仰はある意味正しいのですよ。
真我を実現したなら口先だけではいけない、それに信者から見た人格やら奇跡やらのプラスアルファを付け加えることで間違ったグルを排除できます。
45:神も仏も名無しさん
10/04/20 14:43:39 s6BpsFC3
確かに真摯な修行者には奇跡が妨げになる
これには大変に同意しますけど、釈迦もラマナも出家者等に対する言葉が多く残っているために
誤解されて悟りを哲学と勘違いする人は多いと思われますけど、事実は違います。真我は奇跡なんですよ。
46:神も仏も名無しさん
10/04/20 14:46:42 s6BpsFC3
奇跡の無い真我意識などは存在しません。水がワインに変わるようにです。
47:神も仏も名無しさん
10/04/20 14:48:27 s6BpsFC3
私の言っているのは真我実現のことですけど
48:神も仏も名無しさん
10/04/22 00:36:59 PTHSfhTz
がんばれ、
超がんばれ。
49:神も仏も名無しさん
10/04/22 12:13:09 vJdc2Sk8
奇跡を受け入れたとしても初心者です。入り口に立ったにすぎません。
真我体験があって中級者
そう考えたならば、確かにがんばらないと。
50:神も仏も名無しさん
10/04/22 12:18:46 vJdc2Sk8
奇跡を受け入れたとしても初心者
真我体験があって中級者
真我体験があって、出家生活のような節度ある暮らしを心がけて上級者
そのうえで真我実現した者など非常に稀ですね。
51:神も仏も名無しさん
10/04/24 01:32:32 a7iKl4JF
>>35
アドヴァイタの説明として、
@ブラフマンのみが実在する
A世界は存在しない
B世界はブラフマンである
というのがありますが、
22さんの仰る、自我もまた真我、錯覚も真我、というときの、
自我や錯覚というのはBにおける「世界」に当たるわけですね?
あるスレで、あなたの発言の一部をコピーして、
自我や錯覚も真我なのだから、Aにおける、世界は存在しない、
というのはおかしい、と主張している人がいます。
Aの過程を経ない@→Bではアドヴァイタにはならないと思いますが如何ですか?
Aにおける世界というのは我々のエゴが見ている錯覚としての世界で、
それはブラフマンの見ているBの世界とは異なるという意味でOKですか?
まあ、こんなのは所詮言葉の遊びに過ぎないとも思いますが。
52:神も仏も名無しさん
10/04/24 15:05:14 hUx0B/dt
これですかね?
「神との対話」と「神の使者」の共通点と相違点 6
スレリンク(psy板)
53:神も仏も名無しさん
10/04/24 16:18:24 a7iKl4JF
そうです。
議論というより無意味な言い掛かりでしかありませんが。
54:神も仏も名無しさん
10/04/24 22:49:38 JowVviha
ラマナの本をよく読めば、それらの答えは書いてあるのに
全てが真我だとか言いながらも、何故そのような初心者のような疑問ばかりを持つのだろうか?
真我体験してラマナを信じてるのだから、それなりにわかっている人ばかりだと思ってたのに
55:神も仏も名無しさん
10/04/24 22:58:41 JowVviha
ヴァーサナはその人の人格そのものだから、前世からの気質
例えば2chして楽しいとか議論が楽しいとかがそうだよ。
だからヴェーダンタが重荷になるって話は自然体じゃ無いからだよ。
科学者が研究好きだったりするのと一緒で、ラマナみたいな修行者はお喋りより瞑想の平安が好きなんだよね。
これは釈迦の中道と合い通じると思う。嫌々苦行するのでなく
信じられないかも知れないけど、それが好きでやってるんだよね。
56:神も仏も名無しさん
10/04/24 23:02:17 a7iKl4JF
まあ、あのスレには近づかないことをお勧めします。
彼等は『神との対話』という一昔前に流行ったチャネリング本の信奉者で、
尚且つ、脳呼吸という韓国系のカルト団体と関わりのある連中のようで、
議論というより、自分たちの信じている教義にとって脅威となる別の系統の教えにヒステリックに反応しているだけですから。
彼等にとっては、ラマナやニサルガダッタやラメッシの本は、
難解過ぎて理解する能力もないでしょう。
『神との対話』という偽書でマスターベーションするのが彼等にとっては関の山です。
いつか自分たちの無知を恥じ入る日が来るのかも知れませんが。
57:22
10/04/25 01:59:20 V1BIL0uO
なんかへんなことになってますねw
前もって言っとくと、アドヴァイタ自体そんなに知らないんですよね。
ラマナとかマハラジとかもちろん読んだけど、自分は仏教の無分別とか、クリシュナムルティ
の否定して否定して最後に残ったものが真理だって方法から入ったから。
個人的にはアドヴァイタと同じだと思うけど、詳しくないんで、それでよければ自分なりに言い
ます。
@ABもそもそも言葉だから矛盾してますよね。Aで世界が存在しないとしながら、Bでそれ
はブラフマンであり、そのブラフマンは実在すると@で言ってるし。
だから言い換えると
@ブラフマンのみがあり
A世界とはブラフマンを自我によって見た錯覚という意味では存在しないとも言えるが
Bその錯覚の世界も、ブラフマンである世界も、全て世界はブラフマンでしかない
ってことかな。
でも@だけでもいいしAだけでもいいしBだけでもいいと思うんですよ。
っていうか、どれもブラフマンだし、○○だから△△で□□だって捉えること自体ブラフマン
でないし、それもまたブラフマンだと思います。
ブラフマンってのは、ブラフマンであることもブラフマンでないことも、全てブラフマンじゃない
ですか?
ブラフマンのみが実在するとかしないとか判断する自分(自我)などいないし、世界が存在す
るとかしないとか気にする自分(自我)もいないし、世界はブラフマンであるかどうか判断する
自分もいない。
そのとき全てはブラフマンでしかないってことかな。
58:22
10/04/25 02:02:19 V1BIL0uO
自我に関しては、何をもって自我とするかですよね。
(全てがブラフマンなら果たして自我と呼べるものがあるのかってことでもあるし)
呼吸、睡眠ぐらいは自然にするかもしれないけど、自我(欲求)がなくても食べるのかとか。
自我がなければ死ねといわれて死ぬかとか。
殺されるときに抵抗しないかとか。
でも殺されるときに抵抗しないってのもそういう判断をした自我かもしれないですしね。
相手に合わそうとか受け入れるというのも自我な場合もあると思います。
一見自発的な行為も受動的な態度も、実は自我と重なる部分とそうでない部分があるので
はないでしょうか。
でもこういうのは言葉による説明であって、「全てがブラフマン」としか言いようがないと思い
ます。
全てがブラフマンなら自も他もないですしね。
自も他もないなら能動か受動か言えませんし。
自我はブラフマンだから自我として自我はないって言ってもいいし、自我はブラフマンだか
らブラフマンとしてあるって言ってもいいし、どう言ってもいいと思います。
どう言ってもブラフマンしかないのだから。
ただ、全てがブラフマンだと気づいてる人と気づいてない人がいるだけです。
しかしどちらもブラフマンです。
59:22
10/04/25 02:04:37 V1BIL0uO
ブラフマンってなんだとかいろいろ自分が考えちゃうわけど、そもそもそういう自分なんてい
ない、考える必要もないって気づくことが重要なんじゃないでしょうか。
どちらにせよブラフマンでしかないのでしょうが。
いろいろ議論?が起きてるようですが、仏教でいう勝義諦(悟りにおける真理)と世俗諦(世
俗の言葉で表せた真理)の混同が言葉上で起きているからではないでしょうか。
どちらにせよブラフマンでしかないのでしょうが。
みたいに思いますよ。
自分も体験があるだけで悟った人ではないですしよくわかんないですけどねw
60:神も仏も名無しさん
10/04/25 07:04:38 E+94+gHG
>>57-59
当たり前のことですよねえ、この程度のこと。
それもわからないのが>>56
61:神も仏も名無しさん
10/04/25 08:56:05 9eakbRe4
そうそう。
神との対話信者がいかに馬鹿かがよくわかりますよねぇw
>>60は日本語も理解できないようだしwww
62:神も仏も名無しさん
10/04/25 09:06:42 9eakbRe4
神との対話(笑)
幼稚園児が偏微分についての議論に参加しようとしてるようなもんだなw
まず君は算数を習うのが先でしょw
神との対話(笑)
幼稚園児がこんな駄本読んだくらいで哲学してるつもりになってるなんて、
傍から見てるこっちが恥ずかしくなるからやめてくださいね、そこの君w
神との対話(笑)
63:神も仏も名無しさん
10/04/29 23:19:57 qgvJ3uTn
@【ブラフマン】のみが実在である
A〈世界〉は存在しない
B【世界】は【ブラフマン】である
Aの〈世界〉とBの【世界】について。
【ブラフマン】のみが実在であることがわからない段階の人にとって、
〈世界〉とは〈わたし〉の外側に確固として存在する客観的な何ものかなのであり、
その客観的な〈世界〉の中に〈わたし〉が生きている、という「〈世界〉理解」にある。
つまり、彼らにとって〈わたし〉と〈世界〉とは、相互に干渉しつつも、
それぞれが独立し分離した存在として位置づけられているわけだ。
さて、Bにおける、【世界】は【ブラフマン】である、ということの意味は、
文字通りの意味での【世界】=【ブラフマン】なのであって、そもそもそれしかない、
それもこれもあれも何もかも、すべては【ブラフマン】であり、
つまりは、【世界】はただ【世界】として在る、ただそのようにして在る、
在るものとしてそこに在る、それそのものとしてそこに在る…。
それは、〈わたし〉が〈わたし〉の外側に確固として存在する何ものかとして、
〈わたし〉を取り囲む未知の何ものかとして見なしている、その〈世界〉ではない。
実のところ、〈わたし〉がいて、それを取り囲むように〈世界〉が存在している、
という認識にある人にとって、【世界】は「まだ」ただの一度も経験されてはいないのだ。
それは「〈わたし〉それ自体」が、【世界】についての真の経験を拒絶する、
その隔壁として立ちはだかっているからだ。
64:神も仏も名無しさん
10/04/29 23:21:02 qgvJ3uTn
【ブラフマン】のみが実在であるという証言の意味は、〈わたし〉という隔壁の、
文字通りの意味での消滅の報告なのであり、それはつまり、〈わたし〉がその外側に、
客観的な確固たる〈世界〉として認識しているもの、の消滅に他ならない。
そのとき、【世界】はただ【世界】としてそこに在り、つまりそれは、
【ブラフマン】のみがただそこに実在する、ということなのであって、
そこで初めて、本当の意味での「【世界】が経験される」ことが起こるわけだ。
「あらゆるものは【ブラフマン】である」と言う資格を有するのは、
そのあらゆる事どもを「ほんとうに経験している」人だけなのである。
そして、それをほんとうに経験しているのは、決して〈わたし〉ではないのだ。
なぜなら〈わたし〉は、〈わたし〉ではないもの、つまり〈わたし〉を取り囲み、
外側に確固として客観的に存在していることになっている〈世界〉、すなわち、
「分離されたもの」を「ほんとうに経験する」ことなどできやしないからだ。
〈わたし〉が、それを取り囲む客観的な〈世界〉を「経験しているつもり」になっている以上、
実際は如何なる事象をも、真の意味において「まるで経験などしていない」のであるから、
その人が「経験しているつもり」になっている事どもは、〈わたし〉の消滅によって、
当然のごとくに消え去る、というよりも、そんな経験は元からなかったのだから、つまり、
A〈世界〉は存在しないし存在していなかった、という理解となって結実することだろう。
つまり、〈世界〉が消滅するのであって、【世界】が消滅するのではない。
存在しないのは〈世界〉なのであって、実際には【世界】以外が存在しないのである。
65:ixtlan
10/05/02 19:43:44 VEyvQtCU
不二一元サイト
1. Back to THE TRUTH
URLリンク(www.advaita.org.uk)
2. Advita Meditation Center
URLリンク(www.advaitameditation.org)
3. Center For Non-Dualism
URLリンク(www.centerfornondualism.org)
4. Non Duality Com
URLリンク(nonduality.com)
5. Advita Fellow Ship
URLリンク(advaita.org)
6. Non-Duality Press - UK
URLリンク(www.non-dualitypress.com)
66:神も仏も名無しさん
10/05/03 17:12:09 B0BUyX0A
神道とキリスト教はどちらも神と私は別々の
初心者の信仰だとは思うけど、バランスは大切
服は大きすぎず、小さすぎずが一番
全てはブラフマンとか私には大きすぎる服だ。
67:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:13:58 8tb4/TGD
test
68:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:21:47 8tb4/TGD
18の続き
When outsiders did make up stories about him, Sri Ramana would react with amusement
rather than annoyance. When a disgruntled ex-devotee brought out an extremely libellous
pamphlet about him in the early 1930s, the ashram manager wanted to go to court
and sue the author to protect the good name of Sri Ramana and the ashram.
部外者が彼についての話をでっち上げたとき、 スリ・ラマナはうんざりした様子というよりも、
むしろ楽しそうに反応しました。1930年前半に、不満を持った元信者が彼についてひどく
中傷する内容のパンフレットを出版した時、アシュラムの管理者は、スリ・ラマナとアシュラム
の名誉を守るため、裁判所に行き、著者を相手取って訴訟を起こそうとしました。
69:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:24:07 8tb4/TGD
Sri Ramana dissuaded him and said, 'Why don't you instead sell it at the front gate?
The good devotees will read it and not believe a word of it. The bad devotees will
believe it and stay away. That way we will get fewer visitors here.'
スリ・ラマナは彼を引き留め、言いました。「かわりに正面の門のところで販売したらどうですか。
よい信者はそれを読んで、その一言も信じないでしょう。悪い信者はそれを信じて、いなくなるで
しょう。そうして、ここに来る人が少なくなるでしょう。」
70:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:27:13 8tb4/TGD
The manager, of course, could never agree to such a proposal since the devotees would
not stand for such a scurrilous booklet being sold on the ashram's premises.
However, the whole incident illustrates an interesting aspect of Sri Ramana's character
: not only was he unmoved by personal criticism, he occasionally enjoyed it,
and at times even seemed to revel in it.
管理人はもちろん、そのような提案に決して同意できませんでした。というのも、信者はその
ような口汚い小冊子がアシュラムの敷地内で売られるのに我慢できなかったでしょうから。
しかしながら、この出来事はスリ・ラマナの性格の興味深い一面を表しています。彼は個人的な
批判に動揺しなかっただけでなく、ときおりそれを楽しんでいましたし、非常に喜んでさえいる
ような時もありました。
71:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:36:32 8tb4/TGD
It is said in the sastras that response to praise or blame is one of the last things to go
before enlightenment happens. It was definitely absent in Sri Ramana. Let me mention one o
ther story that very few people have heard about.
聖典では、称賛と非難への反応が、悟りが起こる前にもっとも消えにくいものであると言われています。
それは、スリ・ラマナにおいては全くありませんでした。では、非常にわずかな人しか聞いたことのない
別の話をしましょう。
72:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:40:06 8tb4/TGD
There used to be a scrapbook in the hall where Sri Ramana lived. If there were any
stories about him in the newspapers, someone would cut them out and paste them in the book.
They were either neutral reports that gave information about his life, teachings and ashram,
or they were very favourable testimonials.
昔、スリ・ラマナが生活していた講堂にはスクラップブックがありました。新聞に彼に関する記事が載ると、
誰かがそれを切り取って本にはりつけました。それらは彼の生活や教えやアシュラムに関する情報を与える
中立的な報告か、とても好意的にラマナを推薦するものでした。
73:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:44:42 8tb4/TGD
One day a highly critical report appeared in a newspaper. Sri Ramana himself cut it
out and pasted it on the front cover of the scrapbook, overruling the horrified
objections of all the devotees. 'Everyone should have their say,' he said. 'Why
should we keep only the good reports? Why should we suppress the bad ones?'
This is all a roundabout way of saying that there are no bad stories about Sri Ramana,
so the question of suppressing them doesn't arise.
ある日、非常に批判的な報告が紙面に現れました。スリ・ラマナは自分でそれを切り取って、
スクラップブックの表紙にはりつけ、ショックを受けたすべての信者の異議を却下しました。
彼は言いました。「すべての人は自分の意見を持つべきです。なぜよい報告だけ保存するべき
なのですか。なぜ悪い報告を伏せるべきなのですか。」これはスリ・ラマナについて悪い話が
ないということを言うための遠回しの方法です。ですから、伏せておくという問題は起こりません。
'Everyone should have their say,' he said. 'Why should we keep only the good reports? Why should we suppress the bad ones?'
This is all a roundabout way of saying that there are no bad stories about Sri Ramana, so the question of suppressing them doesn't arise.
74:神も仏も名無しさん
10/05/07 15:55:20 8tb4/TGD
A few years ago I was sitting in on a conversation between Kunju Swami, someone
who had been with Sri Ramana since the early 1920s, and a friend of mine, Michael James.
Kunju Swami was revising one of his books, deleting a few stories that he thought might
give a bad impression of Sri Ramana. To me the deletions were pointless.
数年前、私はクンジュ・スワミと、1920年代の初期からスリ・ラマナと共にいたある人と、
友人のミッシェル・ジェーンと座りながら話していました。クンジュ・スワミは彼の
本の一つを改訂していて、スリ・ラマナに悪い印象を与えるだろうと思う2・3のストーリー
を削除しました。私にとっては、その削除は意味のないものでした。
75:神も仏も名無しさん
10/05/07 16:00:14 8tb4/TGD
For example, when Sadhu Natanananda first came to Sri Ramana in 1918, he asked someone in the temple
in town for directions.The man he spoke to said, 'Don't waste your time going to see that man.
I have been visiting him for sixteen years. He is completely indifferent to everyone.'
たとえば、1918年にサードゥ・ナタナナンダがスリ・ラマナのところに初めて来たとき、彼は街にある寺院
にいた人に道を尋ねました。彼が話しかけたその男が言いました。「その人に会いに行って時間を無駄にしないほ
うがいい。私は16年間、彼を訪れている。彼はすべての人に全く無関心だ。」
76:神も仏も名無しさん
10/05/07 16:03:58 8tb4/TGD
Kunju Swami wanted to delete this reply because he didn't want people to feel that someone could
spend sixteen years visiting Bhagavan and not feel some benefit. For me, this is a reflection
on this particular visitor's spiritual immaturity, not a criticism of Sri Ramana's transforming power.
The story reflects badly on the person who was unable to recognise Sri Ramana's greatness, not on
Sri Ramana himself. It may rain twenty-four hours a day, but nothing will grow in sterile soil.
クンジュ・スワミは、16年間バガヴァンを訪問しても、その恩恵を感じない事がありうると人々に思って
ほしくなかったので、この答えを削除したかったのです。私にとっては、このことは、この特定の訪問者の
精神的な未熟さの不名誉で、スリ・ラマナの変容させる力への批判ではありません。このストーリーは、
スリ・ラマナの偉大さを認識できない人を非難していて、スリ・ラマナ自身を非難していないのです。
一日に24時間雨が降るかもしれませんが、不毛の土地では何も育たないでしょう。
77:神も仏も名無しさん
10/05/07 16:12:22 8tb4/TGD
Anyway, Michael asked Kunju Swami, 'In the thirty years that you were associated with
Sri Ramana [1920-50] did you ever see him do or say anything that was so bad or so
embarrassing that you feel that you couldn't tell anyone, or make it public, because
it would reflect badly on his public image?'Kunju Swami thought for a while and said
'No'.'Then who are we protecting by censoring stories?' asked Michael.He didn't receive
an answer.
ともかく、ミッシェルはクンジュ・スワミに尋ねました。「あなたがスリ・ラマナとかかわ
ってきた30年間(1920−50)に、彼のイメージに傷がつくと思い、あなたが誰にも言
えないとか公にできないと感じるような悪いことや、恥ずべきことを、スリ・ラマナがしたり、
言ったりしたのを見たことがありますか。クンジュ・スワミは少し考えて、「いいえ」と言い
ました。「では、我々は話を検閲して削除することで、誰を守っているんでしょう。」と
ミッシェルは尋ねました。彼は返答を得ませんでした。
78:神も仏も名無しさん
10/05/07 16:15:51 8tb4/TGD
Kunju Swami felt that that it was an expression of his Guru bhakti to filter out any
stories that might, even remotely, cause readers to think that Sri Ramana was not some
great omnipotent being who transformed everyone who came to him. I take a different view.
I don't think I need to burnish Sri Ramana's image at all because the uncensored truth
of his life speaks for itself.
クンジュ・スワミは、スリー・ラマナが来る人すべてを変容させる偉大な全能者でないと、読者に
かすかにでも思わせるかもしれない話を取り除くことを、グルへのバクティの表現と感じていたのです。
私は別の見解です。私はスリー・ラマナのイメージを良くしようとする必要があると全く思いません。
彼の人生の検閲されない真実が、それ自身で語るからです。
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