日本の捕鯨が持つ正当性を、対抗動画をもって知らしめようぜ その9
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729:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 00:04:12 7zhhOsy30
>>727
>古来から欧米の捕鯨は、主に鯨油を目的に行われていたのに対し、日本では肉は
>皮はもとより骨や内蔵まで余す所無く完全に有効利用してきました。
わるいけど、盟友ノルウェーの学者さんたちのお言葉だ。
『(日新丸は)1936年11月13日から1937年3月17日までの期間で1116頭の鯨を捕り、
9万1368バレル、1シロナガス単位当たり95.3の鯨油を生産した。.....
わずかな肉が塩漬けされただけで、事実上肉はほとんど全部捨てられた。」
THE HISTORY OF MODERN WHALING 419-20 頁
730:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 00:05:54 7zhhOsy30
もうちょっと詳しくって? ww
J.N. Tonnessen & A.O. Johnsen, "THE HISTORY OF MODERN WHALING"(英語版1982,
オーストラリア国立大学出版局他)オリジナル:Den Moderne Hvalfangsts Historie
(オスロ,1959-1970,ノルウェー語)
THE HISTORY OF MODERN WHALING 418 頁
ノルウェーでは日本が目も眩むほどの高額でノルウェー捕鯨銛撃ちを雇っている
という噂がたちました。しかしこれはあまり正しくない。1931年の規制以降、
大量のキャッチャーボートが廃船され、失業した砲手が大量にいたからだ...
........
ノルウェーの東京領事館員は高度機密報告として以下のように記している、
「日本はかなりの部分まで自国民でまかなえるが、はじめの数年間はノルウェー人
の熟練者を使用して、すべてをうまく軌道に乗せようと望んでいる。これは
ノルウェー捕鯨にとっては危険なことになる。彼らの無配慮で、節度の無い
やり方を見るならば、数年のうちに南極海のすべての鯨を日本人たちが捕り
尽くしてしまうだろうという恐れがあるのだ」.....
There were rumours in Norway that the Japanese had bought Nor-
wegian gunners for dazzling sums. This is hardly correct: owing to the
considerable reduction in the number of whale catchers operating after
I931, gunners were in plentiful supply, and there was no difficulty in
finding men who were unemployed. To start with they were paid a
fixed wage of 200 yen a month and 50-60 yen per whale as a bonus.
The position was a very different one after 1937, when the Japanese
and German expansion meant a considerable increase in the number
of whale catchers, and there was great competition to acquire gunners.
Japan was then compelled to adopt the customary Norwegian wage
rates. Two gunners engaged in 1937 on a two-year contract were
guaranteed a minimum income of 30,000 yen a year, and in 1938 five
gunners were secured on a three-year contract at 40,000 to 50,000 yen a
season. The bonus was particularly high, some 200 yen per whale. In a
highly confidential report the Norwegian Legation in Tokyo wrote that
"even though Japan to a certain extent can manage with her own
nationals, they would very much like in the first few years to have the
services of experienced Norwegians to start the whole thing off on
the right lines. This entails a serious danger to Norwegian whaling. In
view of their ruthless and uncontrolled method of working it is to be
feared that the Japanese will in a few years' time wipe out all the
whales in the Southern Ocean." Everything had to be done to prevent
this. Barring the Japanese from using Norwegian gunners and expedition
managers would admittedly not be a vital blow, but it would be felt.
However, nothing was done by the Norwegians ― or, rather, nothing
effective could be done.
731:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 00:07:18 7zhhOsy30
THE HISTORY OF MODERN WHALING 418 頁
南氷洋の次のシーズン、1935-6年には、日本人たちはすべて自分たちだけで
出来ることを示した。一人のノルウェー人の助けも無く、44145バレルの油が
折から価格上昇中の欧州市場に供給され、国内市場には大量の塩漬け肉が供給された。
肉を塩漬けにしたのは最初の数シーズンで、1937-8年南極シーズンには最初の
冷凍装置が実験された。大型冷凍船がはじめて就航したのは1939-40年だった。
これらの二つの出来事が日本の南氷洋捕鯨に大きな楽観主義を醸成した。
第三の要因はオイルの販売による外貨収入で、これは武器原材料の購入にあてられ
ると同時に、海軍と空兵力用燃料の積み上げにも役立った。さらに浮かぶ工場、
捕鯨母船は戦時には輸送船としての価値をも発揮する。
That the Japanese were capable of managing on their own was shown
by the Antarctic in her second season, 1935-6, when, without a single
Norwegian on board, she produced 44,145 barrels, and by the time the
oil was available on the European market prices were rising, while the
Japanese home market was supplied with large quantities of whale meat,
salted during the first few seasons, subsequently deep frozen. The first
deep-freezing experiments were undertaken in 1937-8, and the first
large refrigerated ship was despatched to the Antarctic in 1939-40. Both
these events created tremendous optimism with regard to the future of
Japanese whaling in the Antarctic. A third factor was that the sale of
oil procured foreign currency for the import of raw materials for the
armaments industry and for the stockpiling of fuel for the navy and
air force. Furthermore, the floating factories were to prove their worth
in wartime transport.
732:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 00:09:23 TkglWqZs0
NEW NATIONS EMBARKING ON PELAGIC WHALING 419
THE HISTORY OF MODERN WHALING 419 頁
神戸造船所はこの規模の船の建造としては記録破りの作業をし、157日で
日新丸を完成させ、1936年8月1日に就航させた。
........
(日新丸は)
1936年11月13日から1937年3月17日までの期間で1116頭の鯨を捕り、9万1368バレル、
1シロナガス単位当たり95.3の鯨油を生産した。5月15日に油はロッテルダムで降ろされ、
浮かぶ工場はパナマ運河を抜けてカリフォルニアへ向かい、日本向け燃料オイルを1万9600
トン積み込んだ。鯨油を購入したのは形式的にはユニリーバだが、これはドイツ国家のための
委託であることにほぼ間違いない。この時の価格は20ポンド10シリングのピークを打っていた。
利益は500万円と発表されており、国際収支の多大な困難に陥っていた日本にとっては、
これはおおいに有益だった。わずかな肉が塩漬けされただけで、事実上肉はほとんど全部
捨てられた。
外国の捕鯨業者は日本の急激な伸びにパニックに陥った。鯨油の行き先がドイツだということは、
この両国の貿易コネクションの拡大を意味している。ベルリン-東京枢軸という軍事-政治関係の
先導役を果たしているということになる。
The Kobe shipyard broke all records in completing a ship of this size,
when on 1 August 1936, after 157 days, the Nishin Maru (nisshin =
always new) was launched. She was powered by diesel engines powerful
enough to give her a speed of 15 knots, approximately 3 knots more
than the European floating factories. The twenty-three pressure boilers
were made in Japan, but six Hartmann cookers had been ordered in
Germany. At the same time eight whale catchers were built in Japan,
each of 267 gross tons, and with engines developing 795 h.p. With
TOKUSUKE SHINO as expedition manager and three Norwegian gunners
the expedition left Kobe on 7 October and called at Fremantle on
19 October. Here Shino died quite unexpectedly, just as he was about
to realise the dream of his life: he had started life as a gunner as far
back as 1907, had been one of the most ardent champions of whaling
in the Antarctic, and become a joint founder of Taiyo Nogei K.K.
Management of the expedition was now entrusted to RISABURO NAKABE,
son of the company's president, and on 3 November they set off for
the whaling grounds. Here, during a period from 13 November 1936 to 17
March 1937, 1,116 whales were caught, producing 91,368 barrels, 95.3
per BWU. On 15 May the oil was discharged in Rotterdam, and from
here the floating factory proceeded via the Panama Canal to California,
(420 THE HISTORY OF MODERN WHALING)
loading 19,600 tons of fuel oil for Japan. Formally, the whale oil was
purchased by Unilever, almost certainly operating on behalf of the
German state, just as the price reached its peak of £20 ids. The profit
was stated to be 5 million yen ― very useful when japan was
in very considerable difficulties with her foreign balance of payments.
Practically all the meat had been scrapped, only a small amount being
salted. Foreign whalers were seized with panic at Japan's rapid progress :
that the whale oil should have ended up in Germany was part and
parcel of the extensive trade connections between the two countries,
ushering in the military-political alliance of the Tokyo-Berlin Axis.
733:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 01:08:30 sld6y7dj0
日中戦争始まって飯も金もカツカツの時代の話を持ち出して何が言いたいんだか
鯨肉を持って帰れるならそうしてただろ
734:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 01:29:31 ANMunIET0
1972年の国連人間環境会議前に、英国WWFが鯨肉使用のドッグフード、キャットフードは
買うの止めましょうと、普通の動物愛護家たちにアピールするキャンペーンやってた
そうだけど、こういう使い方は「鯨を最大限に有効利用」になるのかな?ならないのかな?
もちろん当時捕鯨やってたのは、日ソ、ノルウェー&米国の原住民捕鯨だけだから、
英国にとっては輸入品だろうけどね。ノルウェーでは今でも養殖蟹の餌にしたりしてる
みたいだね。
735:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 01:59:01 sld6y7dj0
利用目的の善し悪しなんてないと思うよ
結局、鯨が資源として持続可能であればよいだけ
たとえば、世界で食糧が不足している現実があるのに、食糧をペット用に回すこと
そのものが非人間的であるとも言える。そういう意味では、養殖用のエサとして
使った方がマシということになるかもしれん。
736:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 02:35:24 XZdK6EyP0
>>733
>日中戦争始まって飯も金もカツカツの時代の話を持ち出して何が言いたいんだか
>鯨肉を持って帰れるならそうしてただろ
1116頭ってのが、はじめっから油目的で捕り過ぎなんじゃないの?
まあどっちにしても、NHK脅して「その時歴史は壊れてた!」みたいな海外向け言い訳番組
作らせないと、よーつべの「日本国捕鯨美談」みたいのは通用しないってことだね。
怖いのは、ノルウェーでも「数年のうちに南極海のすべての鯨を日本人たちが捕り
尽くしてしまうだろうという恐れがあるのだ」という、日本的捕鯨産業の節操のなさを
見抜いてるところでしょう。あまり自分勝手な「情報戦」ばかりやってると、ノルウェー人、
アイスランド人にも嫌われるだろうな。
昔の太地や鮎川みたいな沿岸捕鯨だと、きちんと無駄無く、日本的に端正な資源の使い方を
するのだけど、ノルウェーの著者たちがにおわせてるように、戦略的国策産業になると、
やることが横柄、傍若無人、政治判断ですべてケテーになるということじゃないかな?
1960年代、70年代の大洋漁業-シエラ号海賊捕鯨事件の場合は、なんたって違法捕鯨だから、
日本でいちばん高値が付く部位だけごく小部分冷凍して、アフリカ沖合で冷凍船に積み替えて
たって話だね。
なんか、あんまり日本には伝わってない話が、英語メディアにはいっぱいあるんだけど、
どこかの出版社が「目から鱗の真実!捕鯨史」みたいなの出さなきゃいけないんじゃないかなあ。
737:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 02:54:41 XZdK6EyP0
>>735
>利用目的の善し悪しなんてないと思うよ
>結局、鯨が資源として持続可能であればよいだけ
経済活動や法行為に一切の倫理性を問わないというのは、19世紀英国功利主義とか、20世紀だと
ポジティヴィズムというのかな、いろいろ思想としてはあるようだけど、どうなのですかね。
少なくとも資源・環境政策、医療医薬政策、科学研究コードだと、倫理性や美学性を表面に出す
ということが、それが特に特定倫理、特定宗教に拘泥、抵触しない限り、むしろ積極的に
認められてよいという傾向じゃないかと思いますが。
世界遺産関連の条約とか、特に1991年南極条約・環境保護プロトコルなんかだと、
署名各国代表、2ちゃん廚がヒキツケ起こすような「甘ったるい」南極の自然賛美
やってますね。
そういうのはイカンと言って、今更「功利主義哲学」振り回しても、もうどうにもならないんじゃ
ないですか?
それで
>そういう意味では、養殖用のエサとして使った方がマシということになるかもしれん。
だし、穀物を燃料原料にしちゃいかんという話になるんだろうけど。
ただ、残念ながらノルウェーのミンククジラの場合は、有害物質含有量が食品基準を
上回るから蟹の餌にしてるんだそうだ。その蟹の有害成分はどうかって?
どこかの船場吉兆にでも輸出してるから問題ないんじゃないの?
738:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 03:30:58 iMQxGnbm0
こっち↓でやれっての
スレリンク(kokusai板)
739:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 06:19:40 3LzOiQzu0
ここのあらし、削除依頼できないかな。
740:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 07:22:23 QYftod8R0
>>729
>事実上肉はほとんど全部捨てられた
「南氷洋捕鯨航海記」大村秀雄(著)粕谷俊雄(編)
にも書かれておりますね。
“肉捨て場”なる場所もあったようで。w
741:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 07:26:49 QYftod8R0
あのオリンピック捕鯨はやり過ぎたと思う。
獲れて母船が処理できずに捨てたこともある。
肉もいいところだけとってあとは海にすてたものだ。
(昭和)30年代の前半までは南氷洋のどこへ行ってもクジラが群れていたが、
後半になると鯨の数がめっきり減ってしまった。
キャッチャーで何日間走っても鯨に行き会わない。海水ばかりだった。
(和歌山県太地町出身の砲手の話「捕鯨II」 山下渉登 法政大学出版)
URLリンク(www.whalelove.org)
742:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 07:31:56 QYftod8R0
○鮎川、操業当初は骨・皮・内蔵などを廃棄していた
湾内でシロナガスクジラなど大型鯨種を解体処理するものですから、相当な水質汚濁を招いたことは想像
に難くありませんし、操業当初は骨・皮・内蔵などを廃棄していたために周辺集落の漁場にまで影響を及
ぼしたとの記録があります。しかしながら、結果的に捕鯨会社にとって幸いだったのは、当時の鮎川がこ
れといった基幹産業のない小集落であったことで、捕鯨会社が村の行政運営に大金を寄附したり、漁業採
藻税の一つとして多額の「捕鯨税」を納税したりすることで折り合いがつき、さらには、捕鯨会社に就職
して企業労働者に転身する者であるとか、鯨の内蔵類を買い取って肥料を製造する「鯨肥産業」に乗り出
す者が出てくるなど、いつしか捕鯨が当地の地域経済の中心を担うようになり、そののち、飲食娯楽産業
も含めて様々な関連産業が根付いて活況を呈するようになり、昭和30年前後の捕鯨産業のピークに向かっ
て隆盛を極めていったのです。
URLリンク(www.whaling.jp)
743:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 07:34:30 iMQxGnbm0
>>740-742
>>738でやれバカ
744:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 07:38:15 3LzOiQzu0
>>741
>URLリンク(www.whalelove.org)
緑豆のウェブサイトにのってるプロパガンダの1つだな。
他のスレでもそうだけど、こんなことばっかりやってても、ますます反感
かうだけだよ。
まさか、お前は捕鯨推進派の工作員か?
745:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 07:52:15 3LzOiQzu0
>>742
そのつづき、なかなかいいことが書いてあるではないか。
やはりお前は捕鯨推進を目的とした工作員だな。
「しかしながら、結果的に捕鯨会社にとって幸いだったのは、当時の鮎川がこれと
いった基幹産業のない小集落であったことで、捕鯨会社が村の行政運営に大金を寄附
したり、漁業採藻税の一つとして多額の「捕鯨税」を納税したりすることで折り合い
がつき、さらには、捕鯨会社に就職して企業労働者に転身する者であるとか、鯨の内
蔵類を買い取って肥料を製造する「鯨肥産業」に乗り出す者が出てくるなど、いつしか
捕鯨が当地の地域経済の中心を担うようになり、そののち、飲食娯楽産業も含めて様々
な関連産業が根付いて活況を呈するようになり、昭和30年前後の捕鯨産業のピークに向
かって隆盛を極めていったのです。」
この後のレポートもおもしろいな。やるじゃないか。
「鯨の食文化を守る、これもスローフードな考え方」
「IWCセントキッツ会議に出席して」
URLリンク(www.whaling.jp)
746:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 07:54:43 iMQxGnbm0
お前も無駄に相手すんなよ
747:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 08:02:47 QYftod8R0
>>744
>緑豆のウェブサイトにのってるプロパガンダの1つだな。
緑豆のウェブサイトに載っているからといってべつに
緑豆が「獲れて母船が処理できずに捨てたこともある。
肉もいいところだけとってあとは海にすてたものだ。」
と言っているわけじゃない、和歌山県太地町出身の砲手の話として
山下渉登氏が言っているのね。
「獲れて母船が処理できずに捨てたこともある」
「肉もいいところだけとってあとは海にすてたものだ」
よく覚えておこう。
748:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 08:18:31 QYftod8R0
>>742
○明治39年当時の鮎川漁民、鯨の解剖による地先海面の汚染を恐れて反対した
東洋漁業が進出したころは、鮎川の漁民は小漁や採貝藻によって生計を支えているものが多く、鯨の解剖
による地先海面の汚染を恐れて反対した。当時の村長が鮎川浜の発展を考え、捕鯨事業の何たるかを知ら
ぬ漁民を熱心に説いて廻ったり、又東洋漁業も年額三百円を村の基本財産に寄付することを申出、ようや
く事業所の開設にこぎつけたようである。今私が沿岸小型捕鯨再開にむけて走り廻る姿と対比して見ると
今昔の感にたえない。勿論その頃の役場の記録を見ると明治38 年度の村の予算は二千六百三十二円で 39
年度三千二百四円で40 年度八干百七十一円と飛躍的に増加した事を考えると、いかに鯨が村の経済をうる
おしたかが想像される。勿論従業員をふくめた他県からの流入があり人口が急増した事は当然である。大
正、昭和を通じて、南極捕鯨の乗員として多くの町民が参加し、まさに捕鯨一色にこの町が発展したので
ある。しかし、昭和27 年日本水産が女川へ、大洋漁業、極洋捕鯨が塩釜へと交通不便から工場を移転し、
さらに昭和63 年、商業捕鯨禁止と、いわゆる鯨城下町がかつて一万三千人いた町民が現在七千五百人と、
さらに過疎が進む中で観光の町へ脱皮をはかりながら小型沿岸捕鯨再開こそ、この町の再生のカギになり
そうである。ご声援の程を。
URLリンク(www.whaling.jp)
749:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/14 08:18:46 3LzOiQzu0
>>747
「和歌山県太地町出身の砲手の話」を「山下渉登氏」とかいうアホがが偽造してるじゃねーか。
ばーか。
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