【最後の】三国志大戦 ..
175:コラムス
07/06/08 11:40:55 itUM6WDS0
>>161からはチームメイトのにおいがするw
>>159の鍾ヨウです
鍾ヨウ 三公疾有り
幼い頃父鍾瑜と歩いていると、鍾瑜に人相見の男がこう言った。
「この子には貴相がありますが、水の相もあります。十分に気をつけられますよう」
鍾瑜は気にも止めなかったが数里ほど歩いたところで鍾ヨウを乗せた馬が
橋の上にさしかかり、驚いたため鍾ヨウは川に転落してしまった。
なんとか一命を取り留めた鍾ヨウだったが、父鍾瑜は先ほどの人相見の話を
思い出し、彼の占いは当たっているとして、それから先は鍾ヨウによく勉学をさせた。
これはもちろん逸話の一つであり絶対的な真実ではない。
鍾ヨウはその後曹氏政権の元で文臣として累進し、213年には大理(裁判を司る)
その後ついには相国(天子をたすけて万機を治める)として最高位の文官となる。
しかし219年に魏諷がクーデターを起こし、鍾ヨウはその責任をとって免職となった。
220年曹丕が帝位につくと再び中央に復帰し、223年に太尉(軍事の最高責任者/三公の一つ)
となる。曹丕は三公の3人(鍾ヨウ・華[音欠]・王朗)をこう評した。
「この3名は一代の偉人であり、後人が後を継ぐのは難しかろう」
この三公の3人は共に高齢で鍾ヨウは膝が悪く拝跪(一礼したり、君主に跪く)も、
ままならない程で華[音欠]は朝廷に参内するのに車を使わねばならなかった。
二人とも持病もあり、席に着くのにも侍衛が抱え上げて座らせたという。
このことから「三公疾有り」は故事となった。230年に死去すると曹丕も喪服で弔問に訪れた。
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