三国時代の文学スレッド3 at WARHIS
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55:1(ry
07/03/09 01:48:54
>>50
Thxです! なるほど、いつ陸遜が名をあらためたのかは謎なのですね。
孫権の弟の孫翊、あざなは叔弼のふるい名は孫儼、魏元帝曹奐のあざなは景明、
ふるい名は曹璜で、どちらのあざなも新しい名と呼応しているのですおねー。
陸遜のあざなは伯言で、ふるい名の議と呼応しているので、ちょっとふしぎですー。

>>51-
「神鼎」というのはなんだかよくわからなかったので、「すばらしい鍋」とてけとーに……(ry
鼎というのは金属製のなべかまのことで、曹丕が薄葬詔で「無蔵金銀銅鉄、一以瓦器
(金銀銅鉄を墓に埋蔵せず、すべてかわらけにしなさい)」といったように、
いくら当時の中国にりっぱな金属をつくる技術があったとしても、金属製品はやっぱ貴重品で、
市井のみなさんはおもに土器をつかっていたのでは……と思うのですー。
そんななかで、>>48に列挙されているものは、りっぱな鼎にりっぱな(おそらく金属の)さかずき、
よく訓練されて緩急も自在なすばらしい馬、洛陽の近郊を音もなく夜道をすすむ馬車、
こうこうと光るともしび、美しいとばり布、伝説的な名人をもしのぐすばらしい音楽と、
これまさに文明の華ぞといった、絢爛たる詩景なのですおね(じっさい、ローマか中国かという
三世紀なのですから、これは当時の文明の頂点をきわめた光景でせう)。
そこで嵆康たちは酒に酔いながら、老荘の思想をたわむれにうたっているのです。
その文明の華たる洛陽で、学問をたっとび、みずからも共に詩文に興じる気さくな公子の姿が
えがかれているのは、皇帝の一族が手厚い文化政策をおこなっていることを象徴した風景ですおね。
嵆康は奥さんが曹家の人というのもあるのですが、それをとてもよいものだと考えているで
あろうことが、公子や友人と仲よく酒宴に興じている詩景からもよくわかると(自分は)思うのですー。

56:1(ry
07/03/09 01:52:17
そいで、>>48の雑詩ですが、なぜこんなに鼻につくほどwそういったぜいたくな酒宴の光景が
えがかれているのかなのですが、自分は嵆康はわざとそうしたのではないかと思うのですー。
魏書王衛二劉傳伝第二十一の王粲伝付嵆康伝にかかれていますが、嵆康は隠者ですが
処世もたくみで、なんというか道楽隠者(?)のような人なのですおね。清談をする人は皆そうですが、
かれらは自身が本当にたっとぶべきだと考えている学問を、生臭い世間に利用されてボロボロにされるのが
いやで、書をもって竹林にひっこんでしまったようなのが清談ムーブメントだと思うのですー。
その竹林で、世俗のものは何もなく、皇族から手厚い保護をうけて、美しい純粋な学問の世界にあそぶ
文明をよろこび、文化政策を施す皇族をよろこび、自分たちのエリート的境遇を満喫し、
学問をたたえたのが、>>47-48の雑詩の詩景のように自分には見えるです。

そいで、最後の「孰克英賢、与爾剖符」は、すべての人の上に平等であるという学問の本質にのっとった句、
酒宴のたのしさをあらわす戯れ言であるとともに、ここまでの全体に世俗をすてた、
ある意味では非生産的で退廃的なうたげの描写に、ふっと水をさす表現であると思うですー。
「このたのしみの割り符をわけてあげる」という表現は、この状況が皇族のお墨付的な保護のもとに
存在しているものであることを暗示しています。しかし、魏書にかかれているように処世にたくみで
聡明な嵆康は、この詩をよんだのが254年以前であっても、司馬氏の不隠さに気づいていたと思われますー。
皇族のうしろだてのもとにこの楽しみがあることをよく知っていた彼は、このような宴がいつまでも
続くものではない可能性もよくわかっており、だからこそこのような刹那的な享楽をよんだのでは……
と、自分には思えたですー。そのへんをストレートに表現せずに、自分たちの未来をも皮肉った諧謔で
ひねってみるあたりが、インテリのあそびだなーと思うのですがw。

>>53
#嵆紹
そうなのですー。しかしウドンがなんとかというのは何なのでせう?(・ω・)

57:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 03:21:50
鍋一つからこういう考察が出来るこのスレが好きだ。


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