三国時代の文学スレッ ..
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399:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:11:22
曹丕チャーハン作ってるwww

400:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:14:08
ノー天気そうなネ申カワユスvv

401:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:21:00
本日は春分、旧暦ではまさに春のど真ん中
というわけで、陸機の春詠を置いていきますね

春詠
節運同可悲、莫若春気甚、和風未及燠、遺涼清且凜

402:1(ry
07/03/21 13:09:41
>>401
Thxです!! 春詠ってはじめてよみますた(´∀`)いい詩ダナー
ばちあたりAAorzを反省しつつ、へた訳してみるますー。

>>401適当書き下しorz)
「節は同じく運(めぐ)りて悲(あわ)れむ可(べ)く、春気の甚(はなは)だしきに莫若(しくはなし)
 和風は未だ燠(あつ)きに及ばず、涼清にして且(まさ)に凜(さむ)きを遺(わす)れんとす」

>>401適当訳orz)
「めでるべき季節がまた同じくめぐってきました。この春の空気のすばらしさには、いったいなにが及びましょうか?
のどかな春風はまだ暑すぎるということはなく、涼しくて清らかで、まさに寒さがなくなろうとしています!」

#すごいすごいいい詩ですねー! なごみまくりますた(´∀`)
↓前スレでちょっとこう思ったのですが、こんなきれいな春の詩もあるのですねー。
これは洛陽の春なのか、それとも呉の春なのでせうかね。三世紀も春はおなじくいいもんだったんだな。

>916 :1(ry:2007/03/03(土) 15:48:38
>唐代にはいると、漢詩といえばまずはあふれるような春のよろこびを
>うたったもの、という気がするのですが、建安の作ではなんとなくそういったものが
>少ないような気がして、不思議なのですー。なぜだろう?(気のせい??)
>
>のんきに春をめでている時代ではなかったとか、詠物詩が発展してなかったとか
>いろいろ思うのですが、やっぱり三世紀は文学の拠点がかなり北部だからかなー? と
>なんとなく思ったのですー。南部のようなあざやかな春は、北部にはこないのかなーと……。

403:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 13:36:20
春はいつでもいいもんさw

404:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 13:56:50
>>397のメンツの幽霊と花見したいねぇw

405:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:02:06
>>401
陸機の<春詠>と聞いてry…アルェ
『鮑參軍集』にもほとんどが同じ<春詠>が載ってるぞー

節運同可悲 莫若春光甚 和風未及燠 遺涼清且凜


406:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:14:03
>>401-402
>>405
ワロスwwwww何事が起こった?www

407:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:37:53
>>397
久々に力作AAキター!
春だねぇw

408:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:46:35
>>406
鮑參軍のほうが後の人だねえ。

409:1(ry
07/03/21 17:04:07
>>405
ありーほんとだ! 自分は鮑照さんの本もってないのでわからないですが、
陸機たんの春詠は、上海古籍出版の芸文類聚の巻三の春の詩のとこにでてるのですねー。

1)>>401が陸機たんの作で、>>405は陸機たんリスペクトな鮑照さんの本歌どりだよ。
2)>>401は鮑照さんの作なんだけど、隋唐とかになって拾遺するときに、
 なんかまちがえて陸機たんのとこにも入れちゃったよ。しかも一文字書きまちがえた。

こんなところでせうか?w

410:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:12:13
>>409
もいっこ<咏老>も鮑照とかぶってますvv
“鮑參軍集卷之二”でググったらありました!

<代陸平原君子有所思行>なんてのもあるので
リスペクトもありかもですね

411:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:16:29
鮑照は陸機オタだったんだなw

412:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:37:19
王敦の亀みたいに
「大好きでいつも彼が口ずさんだいた詩v」
みたいな意味合いなんでね?

413:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 23:03:06
>>310で李斯の話が出たのでコレを。
>>1 蘇軾OK? じゃあ李白もだいじょぶですね

李白<行路難>三首其三
有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨
含光混世貴無名 何用孤高比雲月
吾観自古賢達人 功成不退皆損身
子胥既棄呉江上 屈原終投湘水浜
陸機雄才豈自保 李斯税駕苦不早
華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道
君不見 呉中張翰称達生 秋風忽憶江東行
且楽生前一杯酒 何須身後千載名

[書き下し風味]
耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨
光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを
吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損(おと)す
子胥は既に棄てらる呉江の上(ほとり) 屈原は終に投ず湘水の浜
陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ
華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道(いう)に足らむ
君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く
且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須(もちひ)るや

潁川の水で耳を洗った許由の話は、ここでは玄晏先生(皇甫謐)の『高士傳』が
元ネタらしいです。

『史記』本傳に「蒼鷹」の文字はなく、『太平御覽』には入ってました

414:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 23:49:00
>>386
しかし中には鍾ヨウのような男もいるからなあ。ネタ多すぎだろ鍾ヨウ。
>>369
裴松之の所に荀ケが現れたら大変なことになりそうだw

415:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 12:33:53
>>409-410
だが少しリスペクト過ぎないか?w
パク(ry

416:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:01:45
まぁ、更には陳琳の遊覧詩の「節運時気舒、秋風涼且清」の
リスペクトなんですけどね^^^^^^;

417:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:03:54
「本歌取り」と言う言葉は、現代では死にました

418:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:08:56
>>409が本歌取りと言っているが…
まあ陳琳は兎も角、鮑照レベルの本歌取りを
現代で行なったら不味いだろうねw

419:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:45:23
>>393
北は麦、南は米って言うよね。

420:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 05:46:44
>>353
亀レスだけど、それの陸機バージョンの詳細キボン

421:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 11:17:25
>>420

『異苑』

晋清河陸機初入洛、次河南之偃師。
時人結陰、望道左若有民居、因往投宿、
見一年少、神姿端遠、置易投壺、与機言論、妙得玄微。
機心服其能、無以酹抗。
乃提緯古今、総験名実、此年少不甚欣解。
既暁便去、税驂逆旅、問逆旅嫗、
嫗曰「此東数十里無村落、止有山陽王家塚爾。」
機乃怪悵、還睇昨路、空野霾雲、拱木蔽日、
方知昨所遇者、信王弼也。
一説陸雲獨行、逗宿故人家。
夜暗迷路、莫知所従。
忽望草中有火光、雲時飢乏、因而詣前。
至一家牆院甚整、便寄宿、
見一年少可二十餘、豊姿甚嘉、論叙平生、不異于人。
尋共説老子、極有辞致。
雲出、臨別語云「我是山陽王輔嗣。」
雲出門廻望向処、止是一塚。
雲始謂俄頃已経三日、乃大怪悵。

422:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 12:18:22
gj!訳もおながいしますorz

423:1(ry
07/03/23 23:55:49
>>413
李白先生thxです!! すげーもりだくさんの詩ですねー(*´Д`)
唐宋の詩人のみなさんは、呉で周瑜や陸機を詩によむ人がたくさんいますおね。
行政上、南部にくる機会が多かったのでせうが……中世の人の古代ロマンだー。

>>421
Thxです!! Sugeeeeeeeeeee!! 六朝志怪(*´Д`)ハァハァハァハァハァハァ/ \ァ/ \ァ
陸機たんver.は異苑だったのですねー。異苑むずかしいから読んでな(ry orz orz orz
いちおうへた訳もうpしてみますが、むずかしくてたぶん盛大に間違ってる悪寒orz orz orz

>>421適当書き下しorz すみ括弧のなかを本気でフォローおねがいしますですorz orz orz)
晋の清河の陸機は初め入洛し、次に河南の偃師(えんし)に之(ゆ)く。
【時人の陰結するに、道の左に民居の若くの有るを望み、因りて往き投宿ずるに、
 一の年少の、神姿端遠するに見(まみ)えるに、投壺(とうこ)に易置し、機に言論を与うるに、
 妙を得て玄に微す。機は其の能に心服し、以って酹し抗う無き。
 乃ち古今の緯を提し、総じて名実を験し、此の年少の甚だ欣(よろこ)ぶを解さず。
 既に暁にして便(すなわ)ち去し、驂(そえうま)を税(と)きて逆に旅し、逆に旅して嫗に問うに、】
嫗は曰く、「此の東数十里に村落は無く、止(た)だ山陽に王家の塚の有る爾(のみ)。」
機は乃ち怪悵し、昨路を還りて睇(なが)めるに、空野に霾雲(ばいうん)し、
拱木(きょうぼく)が日を蔽い、方(まさ)に昨(きのう)知り遇う所の者は、王弼と信ずる也。
 一説には陸雲が獨り行き、故人の家に逗宿す。 夜の暗きに路に迷い、知り従う所莫(な)き。
忽(にわか)に草中に火の光るを望み、雲は時に飢乏し、因りて前に詣(いた)る。
一家の牆院の甚だ整うに至りて、寄宿を便ずるに、一(ひとり)の年少の二十餘可(ばかり)で、
豊姿の甚だ嘉く、論叙は平生とするも、人と異ならざるに見(まみ)える。
尋(つ)いで共に老子を説し、辞は極みに致り有る。
雲は出(い)で、別れに臨みて云い語らうに、「我は是の山陽の王輔嗣なり。」
雲は出でて門を廻りて向く処を望むと、止(た)だ是れ一塚なり。
雲は始めて俄頃(がけい)し已に三日が経ちぬと謂いて、乃ち大いに怪悵す。」

424:1(ry
07/03/23 23:58:23
>>421適当訳orz すみ括弧のなかはさっぱりわかりませんですたorz orz orz)
「晋の清河の陸機ははじめ洛陽に入り、ついで洛陽の東にある偃師に行きました。
【当時はとても暗かったので(?)、横道に人の家のようなものがあるのが見えたので、
 そこに行って泊まることにすると、ひとりのとても美しくきわだった姿の若者に会いました。、
 矢をつぼに投げいれて勝ったものが負けたものに酒をのませる遊びをして勝ったので(?)
 若者は陸機に思想を語りましたが、たいへんすばらしいものでした(?)。
 陸機はその才能に心服して、地をお酒できよめて聞き入りました(?)。
 その話は古今の緯書をしめし(?)、すべてが若者の名実をしめしているので(?)、
 この若者がなぜそんなによろこぶのか解りませんでした(?)。
 明け方になったのでそこを去り、馬車の馬を放って逆に道をたどり(?)、逆にたどっておばあさんに聞くと、】
おばあさんは、「この東の数十里には村落はなく、ただ山陽に王さんの家のお墓があるだけですよ」と言いました。
陸機はこれをふしぎで気の毒であると思い、きのうの道を戻りながらちらっと見てみると、
空と野原はまきあげられた砂でつちぐもり、ひとかかえもある木が日をおおったので、
きのう知りあった人はほんとうに王弼だったのだなぁとと信じました。

425:1(ry
07/03/23 23:59:24
 一説には、陸雲が一人ででかけて、むかしなじみの家に泊まりに行きました。
夜が暗くて道に迷い、どこにいるのかさっぱり分からなくなりました。
すると草がしげる中に火が光るのが見えたので、陸雲はお腹もすいていたので、
そっちへ行ってみました。一軒のかきねも建物もきれいな家についたので、
泊まっていくことにすると、ひとりの二十歳あまりで、容姿がとてもきれいで、
論説は古いものでしたが、人とちがっては見えない若者に会いました。
そしていっしょに老子について論じあい、教えの奥深くを極めるまで語りあいました。
陸雲が出発するときに、彼がお別れをして言うには、「私はこの山陽の王弼です」と言いました。
陸雲がそとに出て門からでてふりかえって見てみると、そこはただ一つのお墓でした。
陸雲ははっと気がつくとまたたくまに三日が経っていたと言い、大いにふしぎがって気の毒がりました。」

うあーんむずかしいorz orz orz orz orz(´;ω;`)

426:1(ry
07/03/24 00:00:13
これだけではなんなので、>>385さんのバイオレンス文官魯粛たんも捜神後記巻六からうpしておきますorz
>>385はほかのサイトさんからの引用らしいので、いちおうあらためてへた訳もしてみますorz。
(白文)
「王伯陽家在京口、宅東有大冢、相伝云是魯粛墓。伯陽婦、郗鑑兄女也、喪亡、王平其冢以葬。
後数年、伯陽白日在庁事、忽見一貴人、乗平肩輿、与侍従数百人、馬皆浴鉄、径来坐、謂伯陽曰、
我是魯子敬、安冢在此二百許年、君何故毀坏吾家。因顧左右、何不挙手、左右牽伯陽下床、
乃以刀環撃之数百而去。登時絶死、良久復蘇、被撃処皆発疽潰、尋便死。
一説王伯陽亡、其子営墓、得一漆棺、移至南岡、夜夢粛怒云、当殺汝父。尋復夢見伯陽云、
魯肅与吾争墓、若不如我不復得還。後於霊座褥上見血数升、疑魯粛之故也。墓今在長広橋東一里。」

(適当書き下しorz)
「京口(けいこう)に王伯陽の家在りて、宅の東に大きな冢が在り、相(あい)伝いて云く是れ魯粛の墓なりと。
伯陽の婦(つま)は、郗鑑(ちかん)の兄の女(むすめ)也(な)れど、喪亡(そうぼう)するに、
王は其の冢を平(たいら)げ以って葬る。数年の後、伯陽の白日に庁事(ちょうじ)に在るに、
忽(にわか)に一(ひとり)の貴人の、平肩輿(へいけんよ)に乗り、侍従の数百人を与(くみ)し、
馬は皆鉄を浴び、径(みち)を来て坐すに見(まみ)える。伯陽に謂いて曰く、我は是れ魯子敬なり、
此の二百年許(ばか)りを冢に安んじ在るに、君は何故に吾が家を毀坏(きはい)するか。
因りて左右を顧み、何ぞ手を挙げざると。左右は伯陽を下床に牽(ひ)き下ろし、
乃ち以って刀環で之を数百撃ちて去る。時に絶死と登(な)り、良久(ややひさし)くして復(ま)た蘇るも、
撃たれし処が皆疽潰を発し、尋(つ)いで便(すなわ)ち死す。
一説には王伯陽が亡くなり、其の子が墓を営むに、一つの漆棺を得て、南の岡に移し至るに、
夜に夢で粛が怒りて云うに、当(まさ)に汝の父を殺すべしと。尋いで復た伯陽の夢に見(まみ)え云うに、
魯肅と吾は墓を争い、我は復た得て還らざるを不如(しかず)が若(ごと)し。
後に霊座の褥の上に数升の血を見るに、魯粛の故と疑う也。墓は今は長広橋より東に一里に在す。」

427:1(ry
07/03/24 00:01:29
>>426適当訳orz)
「江蘇省鎮江県の京口に王伯陽の家があって、屋敷の東に大きな塚があり、
魯粛のお墓だと言い伝えられていました。伯陽の奥さんは、東晋の大物である郗鑑の兄の娘でしたが、
彼女がなくなったので、王さんはその塚をくずして平らにしてそこに彼女を葬りました。
数年後、伯陽が真昼間に役所で仕事をしていると、とつぜんひとりの貴人が、肩でかつぐ輿に乗り、
馬はみな鉄の蹄鉄をはめ(?)、道をこっちに来て対峙するのに会いました。
彼は伯陽に、「私は魯粛です。この二百年ほど塚で安らかにしていたのに、君はなぜ私の家を壊したのですか……」
と言いました。そして左右にひかえる者達にふりかえると「殺(や)っちまいな!」と言いました。
左右の者が伯陽を床にひきずりおろし、刀のつかの後ろにある丸いところで
数百発彼をボコボコにしてから去りました。そのとき彼は気絶してしまい、しばらくしてまた気がつきましたが、
撃たれたところがみなぐずぐずのはれものになり、まもなくして死んでしまいました。
一説には、王伯陽が亡くなったので、その子供がお墓をつくる際に、一基のうるしぬりの棺おけが出てきたので、
南の岡に移したところ、夜になって夢のなかで魯粛が怒って「君の父を殺してくれるわ……」と言い、
ついでまた伯陽が夢にでてきて、「魯粛と私はお墓を争っており、私は魯粛に勝てないのでどうやら墓に戻れぬ」
と言いました。後に王伯陽の霊をまつってあるところのしき布に数リットルの血が見つかり、
魯粛がやったと考えられました。お墓は今では長広橋から東に434.16mのところにあります。」

こえぇぇぇぇぇぇ!! オカルト&バイオレンスな狂児かこいいよ狂児ww
しかし不運な王さんとやらには、まことにご愁傷さまでありますorz。
郗鑑さんの娘さんが王羲之の奥さんなので、郗鑑さんのお兄さんの娘さんが亡くなるこの話は、
おそらく四世紀おわりごろの話ですおねー。魯粛さんは217年に没しているので、
たしかに魯粛さんが墓にはいってから、大体200年ぐらいたったころですねw。
なんか正史の魯粛さんは、こういうことを素でやりそうなふいんき(ryが行間からあふれているように思えますw。
なんかこの魯粛のお墓は、いまでも江蘇省にあるらしい……行ってみたいような怖ろしいようなwww

428:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 00:26:24
>>427
乙っス!

しかし流石は狂児ww
まぁ、そこにしびれる憧れるワケだがww

429:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 00:51:29
呉軍師スレで、周瑜より魯粛の墓の方が
人気があるなんて不思議だと言われていたが、
このエピソードがあるから大切にされてるんじゃねw

430:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 01:20:54
晋の「清河」の陸機?陸雲の間違い??

431:1(ry
07/03/24 01:33:36
>>428-429
あるあるwwwww

>>430
自分も平原じゃなくて清河かー? やっぱ王弼の幽霊にあったのは陸雲たん? と
おもったのですが、>>423-425が自分にはむずかしすぎて意味がよくわかんなすぎなので、
疑問点はぜんぶ放置しますたorz……文意がわかってからかんがえるですーorz orz orz。

432:1(ry
07/03/24 02:01:39
30分考えたけどやっぱ>>421ワカンネorz orz

ついでに>>427訂正ですーorz
「肩でかつぐ輿に乗り」と「馬はみな鉄の蹄鉄をはめ(?)」のあいだに「数百人の従者をしたがえ」ですorz。

しかし、王伯陽さんも奥さんが郗鑑の兄の娘さんだし、決して身分の低いひとではなかったのでせうに、
その王さんが貴人というのですから、魯粛って身分があったというか、お金持ちだったんだなーw。いいなあ(ry

433:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 03:26:55
>>421
>税驂逆旅、問逆旅嫗
俺もお手上げ・・・○| ̄|_ナンダコリャ・・・

434:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 05:10:22
冒頭の「晋清河陸機初入洛」なんだが、
晋書の陸機伝に「至太康末、与弟雲倶入洛」とあるので
本来の原文は「晋の陸雲と陸機の二人が初めて入洛した」という意味だったんじゃないか
それが何らかの原因で混乱して「晋清河陸機」になったんじゃないかと思う
そうすると後半の一説の冒頭が「一説陸雲獨行」となって
わざわざ陸雲が「獨行」したと強調しているのもすっきりする

つまり最初のエピソード
 陸機と陸雲の二人とも王弼の幽霊に遭った(でも主役は陸機)
2番目のエピソード
 王弼の幽霊と遭ったのは陸雲だけ
ということじゃないかと推測する

435:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 05:35:57
次河南之偃師
も「次」には「いたる」の意味があるので
「河南の偃師に次(いた)る」で
河南郡の偃師県にいたるということだと思う
ただし、太平広記巻318にこの話が省略引用されていて、そこでは
「次河南、行偃師」となっているので、それを踏まえると
「河南に次り、偃師に之く」
(洛陽のある)河南郡に至り、(更に洛陽の一歩手前の)偃師県に行く
と読むのかもしれん(ちょっと表現としてくどい気もするが)

いずれにしても洛陽に着いてから偃師に向かったのではなく
洛陽に向かう途中、というか洛陽につく少し前の出来事だと思う

436:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 10:09:08
>>427
正史の魯粛ならやりそうだwww

>>434-435
GJ!!!!続きキボンヌ…

437:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 14:32:45
時に久しく結陰し、道の左を望むに民居有るが若し、因って往きて投宿するに、

時人は自分の持っているテキストでは「時久」に作っている
「結陰」は、ググルと樹木が影を作るの用例が多く出るが
謝霊運の悲哉行に「檐上雲結陰」とあり、
また張衡の南都賦に「玄雲合而重陰」という例もあるので、
恐らく空が分厚い雲に覆われて道を進むのに支障をきたすほど
暗くなったというこじゃないか
ちなみに太平広記では「結陰」を「陰晦」に作っている

難しく考えずに単に日が暮れて暗くなったというだけかもしれんが

438:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 14:38:25
お疲れです!連載みたいで続きが楽しみw

439:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 15:58:38
置易投壺の置易がさっぱりわからん

調べているうちに、太平広記巻318の他に芸文類聚巻79神と太平御覧巻884鬼下と
水経注巻16穀水にこの文章が引用されていることがわかった

>>434で王弼に会ったのは陸機と陸雲の二人じゃないかと言ったが
現行本異苑以外は陸機のエピソードとして清河の文字も陸雲もでてこないので、
現行本異苑の「晋清河陸機」の清河は単なる誤字で陸雲は関係ないかも試練

>>437の結陰についての考察も、芸文類聚と太平御覧は「時夕」としているので
難しいことは考えずに、日が暮れて暗くなったということでよさげ

440:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 16:33:49
ワクテカして待ってます!
俺は漢文が読めないからそもそも理解できないのだが
>>421はそんなに難しい文章なのか。
>>423氏も>>439氏も乙。

441:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 23:16:28
訳の続きを期待しつつ、同時進行で…

>>427
URLリンク(kankouha.cool.ne.jp)
>1.魯粛墓遺祉 (鎮江)     ランクC、到達
>2.鎮江魯粛墓 (鎮江北固山)ランクC、到達
>3.岳陽魯粛墓 (岳陽)    ランクB、到達
>4.亀山魯粛墓 (武漢)    ランクC、到達

江蘇省鎮江県の墓ってこの1か2じゃね?
魯粛墓は愛されてるというより恐れられて大事にされてそうだなwwww

442:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:05:02
演義のお人好しな魯粛像はどっから出てきたんかねえw

443:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:26:06
>>442
孔明の地位を相対的に高めるためじゃね?
あと、魯粛の戦略は劉備にある程度の力を持たせて曹操に対抗させるってことだから、
蜀びいきの人間からしたら、「劉備や孔明のために何故か頑張ってくれるお人好し」に見えちゃうのかもな。
まぁ何はともあれ、狂児かこいいよ狂児という結論は動かんワケだが。

444:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:33:47
>>441
狂児の墓4つもあんのかwwwwwww

445:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:38:59
一年少を見る、神姿端遠たり、置易投壺(?)、機と言論するに、玄微を妙得す。
置易投壺はわからん。現行本異苑と太平広記以外のテキストには「置易投壺」の語が
無いので、無視してもとりあえずは問題なさげ
「与機言論、妙得玄微」は、類聚と御覧は「與機言玄門妙物」に作り、水経注は
「與機言玄」とする
どのテキストも「玄」の字を共通して使っているが、王弼は周知の通り老子の注釈を
作る等、玄学すなわち老荘思想に通暁していたわけで、「妙得玄微」は「深遠な道理
(=老荘思想)を会得していた」ということじゃなかろうか

機は其の能に心服し、以って酹抗する無し。
酹抗は、現行本異苑以外は「酬(詶)抗」に作る(水経注は酬折)
酹抗にするのは恐らく現行本異苑の誤字で、酬抗と解釈して
「陸機は彼の才能に心服し、異議をさしはさめなかった」ということだと思う

「無以酹抗」の後に、水経注には「前致一辯」(前(すす)みて一辯を致す?)という
一文があるが、これもどういう意味かちょっとわからん

446:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:43:20
訳の続きキター(AA略
乙です!!

>>440
難しいのもあるが、異苑に誤字が多いんだと思う…


447:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 12:15:21
>>441
文革でも狂児の墓は壊さなかったのかw

448:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 18:49:06
「置易投壺」は易(書物)と投壺(ゲームの道具)を置いていたってことじゃないかな。
王弼は易と老子の注を作ってるし、三国志の注には投壺が上手だったとあるので。
王弼といえば易と投壺っていうイメージだったのかも。

449:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 20:30:54
凄い、段々解読されて来たじゃまいか

>矢をつぼに投げいれて勝ったものが負けたものに酒をのませる遊び
投壷はこれで良いのかな。

450:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 20:55:43
投壷は>>449の通り矢を壷に投げ入れる遊び。
古代中国版ダーツみたいなもの
南陽両漢画像石にその様子が描かれてる。
中公文庫版「易の世界」加地伸行編の表示を見るといいよ
王弼は義理易を創始した夭逝の天才で当時何晏などから
「鬼才現る」「あなたがネ申か」と言われた人物だから
ネ申が好きな陸兄弟が今度もまたまた別のネ申に出会ったとさ
というような話と桃割れる


451:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 21:12:06
『礼記』に投壺篇があって、投壺の礼について解説してる。
内容はおおまかには>>449なんだけど、
『礼記』で解説するくらいだから由緒正しいゲームだったんじゃまいか。
魏の時代に、どんな感じでやってたのかわからないけど。

452:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 21:17:01
>>424のそのゲームと本が置いてあったってことかね

453:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 23:19:13
>>450
鬼退治でもしてくれそうだなww >桃割れる

454:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 00:07:40
乃ち古今を提緯し、名実を総験するに、
まず、水経注・類聚・御覧は「乃」の字が「機」になっており、「提緯古今、総験名実」
は陸機の行動。
さらに「提緯古今」と「総験名実」は対になっている表現なので、「提緯古今」は
「古今を提緯す」と読みたい。「緯」の字には順序だてて系統化するという意味もあり、
「提緯古今、総験名実」は
陸機は古今の事について秩序だって指摘し、世間での評価とその実際について広く検証した
という意味で解釈してみたが、自分でもちょっと強引な解釈だと思う
もし、「緯」を緯書ととれば「緯を古今に提し、名実を総験す」と読み
緯書の神秘的な予言を古今の史実に即して提示し、その緯書の内容と史実を検証した
と解釈できる…のだろうか

此の年少は甚だしくは欣解せず。
まず欣解の正確な意味がわからんが、欣の字が入っているので、何か喜んだ様子を
指すものとすると、「不甚欣解」で、それ程喜ばなかったの意味になる。
ただし、芸文類聚は「不堪欣解(欣解に堪えず)」に作り、それだと大喜びしたの
意味になるが、他に「堪」とするテキストは無いようなので、「不甚欣解」で
いいと思う。

ここで、なぜ王弼があまり喜ばなかったかが疑問になるが、
陸機の話の内容は、「提緯古今、総験名実」で、提緯の意味がよくわからんにせよ、
古今の事件なり人物なりについて検証した内容と思われるので、
観念論・抽象論的な玄学を得意とした王弼の肌に合わなかった
ということじゃないだろうか

455:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 02:15:53
既に暁にして便ち去り、驂を逆旅(げきりょ)に税く。逆旅の嫗に問う。
逆旅は宿屋。
明け方になって立ち去り、馬車を宿屋に止め、宿屋の老婆に問い尋ねた。

嫗曰「[君何宿而来、]此東数十里無村落、止有山陽王家塚爾。」
水経注には[ ]の文句が付いている。
君 何(いずこ)に宿りて来るか
あなたはどちらで宿をとってきたのか
の意味

機は乃ち怪しみ悵(うら)み、昨路を還睇するに、空野霾雲、拱木日を蔽う。
方(はじ)めて知る 昨(きのう)遇う所の者は、信(まこと)に王弼なりと。

「怪悵」という熟語は辞書に載っていないが、類聚と御覧は「機乃怪、悵然、還睇昨路」
として、「陸機は驚き怪しみ、がっかりして昨日きた道を振り返って眺めると」と読める
還睇は振り返って見るの意味で辞書に載っている。
「空野霾雲、拱木蔽日」は水経注には「空野昏霾、雲攢蔽日」として、
水経注の考証を行った楊守敬によれば(楊守敬『水経注疏』)、水経注の方が
正しいらしい。
空野は「空と野原」と「何も無い野原」の両方の解釈が可能だが、後の句に「雲攢蔽日」
と空の様子を描写する表現がでてくるので、「何も無い野原」と解釈すると
空野昏霾(こんばい)たりて、雲攢(あつ)まりて日を蔽う
暗く何も無い野原が広がるなかりで、雲が集まって太陽を隠している
という意味だと思う。
方(はじめて)は現代中国語の「方始」「方才」の意味で、
「そこでようやく」「そこではじめて」のニュアンスだと思う。

456:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 02:20:45
>>433
逆旅(げきりょ)は宿屋だよ。
宿屋に泊まって、そこのばあちゃんに聞いたら、
「こっから東数十里に村なんてねーよー。山の南に王さんちの墓があるだけだー。」と答えた。
おかしいなと思って、もどって昨日来た道を眺めてみたら、何にも無くて土ぼこりが舞っていて、
ただお墓の木が木陰をつくっていた。
それではじめて、昨日遇った人は本当に王弼だったんだということがわかった。
ということですね。

457:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 02:24:26
リロードせずに書き込んだら、かぶってしまいました。すみません。
しかし、こんな時間に、こんなことを書いてる人間が二人いるなんてw

458:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 02:46:56
>>455
×暗く何も無い野原が広がるなかりで
○暗く何も無い野原が広がるばかりで

最後に後半の陸雲のエピソードの部分で
平生を論叙するに、人に異ならず、尋で共に老子を説くに、極めて辞致有り。
というのは、(若者が)日常について会話するときは(世間話みたいなもの?)
普通の人とかわりないが、老子について語り始めるとものすごい
って言う事じゃないかと思う

>>448-452
Thx
「置易与投壺」と書かれていればまだわかりやすかったのだが
この文章全体にも言えることだが、大元の原本は多分もっと詳しく丁寧に書かれていた
気がする
書写する人や引用する人が全部書き写すのが面倒だったのか、転写を重ねるうちに
省略や要約をされまくり、「置易投壺」みたいな語句がポツンと残って、
解釈を困難にしている気がする

459:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 02:47:29
>>455
×暗く何も無い野原が広がるなかりで
○暗く何も無い野原が広がるばかりで

最後に後半の陸雲のエピソードの部分で
平生を論叙するに、人に異ならず、尋で共に老子を説くに、極めて辞致有り。
というのは、(若者が)日常について会話するときは(世間話みたいなもの?)
普通の人とかわりないが、老子について語り始めるとものすごい
って言う事じゃないかと思う

>>448-452
Thx
「置易与投壺」と書かれていればまだわかりやすかったのだが
この文章全体にも言えることだが、大元の原本は多分もっと詳しく丁寧に書かれていた
気がする
書写する人や引用する人が全部書き写すのが面倒だったのか、転写を重ねるうちに
省略や要約をされまくり、「置易投壺」みたいな語句がポツンと残って、
解釈を困難にしている気がする

460:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 02:49:47
うはw連投ごめん
もう寝る

461:456
07/03/26 03:22:52
ゴメン。山陽は山の南ではなくて、地名だた。
山陽の王家の塚

462:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 04:18:53
陸機片付いたじゃまいか
皆乙!!!!!

463:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 10:51:38
漢書・匡衡伝に「解人頤」というのがあって、
解頤(おとがいをとく)というのはアゴを開くだから大笑することだそうです。
だから、「欣解」は喜んで笑うだろうと思います。
>>454>>458を考え合わせると、「乃提緯古今、総験名実、此年少不甚欣解。」と
「論叙平生、不異于人。」が同じことを言っていて、
「乃提緯古今、総験名実」=「論叙平生」と考えられるんじゃまいか。
易や老子ではない現実的な話題には、あまり興味を示さなかったということかな。

そろそろ桜も咲くので、かなり戻って>>401の春詠です。
韻とか解んないけど、こんな読みでどうでしょう。

節運同可悲、莫若春気甚、和風未及燠、遺涼清且凜
節の運(めぐ)りは同じく悲しむ可くも、春気の甚(はなは)だしきに若くは莫し。
和風は未だ燠(あつ)きに及ばず、涼を遺(のこ)して清且(か)つ凛。

季節の移り変わりはみな感慨深いけれど、春がやっぱり一番だ。
おだやかな春風はまだ暑くなく、涼しさを遺して清らか且つ凛としている。

464:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 12:08:32
どっちも(・∀・)イイ!
皆乙カレー!!

465:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 13:02:13
お疲れ様です
普段このスレに上がる様な文章が、
いかに計算された良い文章なんが分かるなァ

466:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 14:06:11
>>451
左伝なんかにも投壺の描写があった気がする。

467:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 14:42:59
>>466
横紙すまん。左伝て何か読みにくい。読みやすい注釈書ってある?

468:まとめサイト ◆XoQX5vgfQU
07/03/26 14:46:26
URLリンク(www.geocities.jp)
ここまでUP

469:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 15:18:12
>>465
いい文章は読みやすいよねw

470:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 16:05:46
>>466
昭公の伝十二年にあったよ。
「これが入ったら諸侯の旗頭になる。」と言って矢を投げて、
入ったら喜ぶってのは、宴会芸じゃなくてお呪いみたいな感じだな。
魏の時代には、もっと宴会芸っぽくなってたのかな。

>>467
オレも平凡社の中国古典文学全集の訳本しか持ってない。
なんか良いのないかな。

471:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 18:42:36
>>467>>470
明治書院版が特にいいとは思うけど、訳文のみだけどほぼ全訳の
平凡社版でもいいと思う。
いちおう両方買った人間の意見。

472:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 19:16:17
>>471
ありがとう。

文選巻二十六に陸機の赴洛道中作二首というのがありました。
王弼の幽霊に遇った旅の途中で作ったんかな。
二首のうち一首をうp。

?轡登長路嗚咽辭密親
借問子何之世網嬰我身
永歎遵北渚遺思結南津
行行遂已遠野途曠無人
山澤紛紆餘林薄杳阡眠
虎嘯深谷底鷄鳴樹巓
哀風中夜流孤獸更我前
悲情觸物感沈思鬱纒緜
佇立望故郷顧影悽自憐

473:無名武将@お腹せっぷく
07/03/26 19:18:23
最初の化けてる文字は、手偏に怱で、ソウ/す・べるです。

474:1(ry
07/03/27 01:22:27
まとめさん乙であります(`・ω・´)ゝ

>>434-463
#王弼(異苑)
Sugeeeeeeeeeeeee-----------!!!!!! Thxであります!!!!
自分は理系のシロートなので、ひとりではぜったいわかりませんですた(`;ω;´)ブワッ
礼記の投壷というのは、なんか専用の「矢羽のついていない矢」と「胴に持ち手のある壷」をつかって、
URLリンク(p.pita.st) ←こんなふうに矢をつぼにいれて、
勝った人はまけた人にお酒をのませるらしい……と、新字源に出ていますたorz。

王弼たんのの幽霊とあったのが陸雲たんバージョンはけっこう話がもりあがっていますが、
陸機たんバージョンはあんまりウケなかったのですねw。
どっちが王弼たんの幽霊に会ったんだろう。もしや、二人ともそれぞれ別に会ったのでせうかw。

>>463
#春詠
フォローthxであります!! この春詠ってつづきはなくて、これで完結しているのでせうか……(・∀・)?

#春秋左伝
自分も台湾學生書局のやつしかもってないので、図書館に行かないと読めないのですが、
明治書院の新釈漢文大系シリーズはべんりだと思うですー。

475:1(ry
07/03/27 01:27:33
>>472
#陸機の赴洛道中作二首
Thxです!! 自分の上海古書出版の文選では、
二首めもセットになってつづいていたので、いちおううpしてみるですー。

赴洛道中作二首 其二
(白文)
遠遊越山川  山川脩且廣
振策陟崇丘  案轡遵平莽
夕息抱影寝  朝徂銜思往
頓轡倚嵩巖  側聴悲風響
清露墜素輝  明月一何朗
撫枕不能寐  振衣獨長想

(其一、適当書き下しorz)
「轡(たづな)を揔(す)べて長路を登り、嗚咽し密親に辭す
子は何ぞ之(ゆ)くかと借問するに、世の網の我が身に嬰(かか)りしやと
永歎して北の渚に遵(したが)うも、思いは遺りて南の津(きし)に結ぶ
行き行きて遂に已に遠く、野の途(みち)は曠(むな)しく人は無し
山澤は紛として紆餘し、林薄は杳として阡眠たり
虎は深谷の底に嘯(うそぶ)き、鷄(とり)は樹の巓(いただき)に鳴く
哀風が夜の中を流れ、孤獸は我が前を更(へ)る
物に觸れて悲情を感じ、沈思は鬱として纒緜とす
佇立して故郷を望み、顧影して自憐し悽(いた)む 」

(其二、適当書き下しorz)
「遠く遊びて山川を越ゆるに、山川は脩く且つ廣し
策(むち)を振るいて崇丘に陟(のぼ)り、轡を案(おさ)えて平莽に遵う
夕に息(やす)みては影を抱(いだ)いて寝(い)ね、朝に徂きては思いを銜(ふく)みて往く
轡を頓(とど)めては嵩巖に倚(もた)れ、悲風の響くを側聴す
清露は墜ちて素(しろ)く輝き、明月は一(いつ)に何ぞ朗らかなる
枕を撫して寐(い)ぬるに能わず、衣を振るいて獨り長く想う」

476:1(ry
07/03/27 01:29:45
(其一、適当訳orz)
「たづなをとって長い道のりを出発し、むせび泣いて親しい者たちに別れを言います。
あなたはなぜいらっしゃるのですかと聞かれたので、世の中の網にかかってしまったのですと答えました。
ふかいため息をついて北の砂でできた渚にそっていきますが、
思いはあとにのこって南の岸の舟の渡しにとどまっています。
行って行ってこんなにも遠くまできてしまい、野の道はひろくてまったく何もなくて誰もいません。
山や沢がいり乱れて曲がりくねり、林と草むらは深く暗く生い茂っています。
虎が深い谷底でひくくうなり、鳥は高い木のてっぺんで鳴いています。
ものがなしい風が夜のなかを流れてゆき、はぐれた獣が私の前を通りすぎていきます。
こうした風物にふれては悲しみの情を感じ、深い物思いはうれいをもって心にまとわりついて離れません。
たちどまって立ってみては故郷をはるかにへだててながめ、
影をふりかえっては自分の身の上をあわれんで悲しみます。」

(其二、適当訳orz)
「遠く他国へ仕官するのに山川を越えて来てみれば、山川は長くしかも広いのです。
ムチをふるっては高い丘にのぼり、たづなをおさえては草原をすすみます。
夕べにやすむときは自分の影を抱いて寝て、朝に出発するときには思いを内にふくみながら行きます。
たづなをとめては大きな岩にもたれ、風が悲しくひびくのをじっと聞いています。
透明な露がおちて白くかがやき、明るい月のまったく何とくもりなくあきらかなことでしょう。
枕にもたれても眠ることはできず、(ねがえりをうって)衣の袖をふるってはひとり長く思いにふけります。」

477:無名武将@お腹せっぷく
07/03/27 02:18:14
(´;ω;`)ブワッ・・・
そこまで行きたくないのなら断れないものなのか・・・

478:無名武将@お腹せっぷく
07/03/27 21:39:30
断ったらどうなったんだろね

479:無名武将@お腹せっぷく
07/03/28 01:15:11
司馬懿みたいに「さっさと来ないとヌッ殺ス」と脅されるw

弁亡論を著したのが上洛前か後か気になる。
あんなの堂々と書いて大丈夫なんだろうか。

480:無名武将@お腹せっぷく
07/03/28 02:50:42
>>474
赴洛道中作二首をうpしたものです。訳つけなきゃと思いつつ、ほったらかしでした。乙です。
ボクはつい最近ここに来るようになったので、1さんはその筋の学科の学生さんだと思ってました。
理系のシロートなのに、こんだけ読むのは逆にSugeeeeeeeeeeeee-----------!!!!!! であります!!!!

春詠はこれで全部のようです。秋詠というのもありました。

肅肅素秋節、湛湛濃露凝、太陽夙夜降、少陰忽已升
肅肅(しゅくしゅく)たる素秋の節、湛湛(たんたん)たる濃露凝(こ)る。
太陽は夙夜降り、少陰は忽(こつ)として已に升る。

静かな秋、清らかな濃い露が凝結する。
盛んだった陽気が朝夕に衰えていき、
ふと気付くと、小陰の気が已にあらわれている。

素秋は、五行で金気は色は白、季節は秋で、素は白だから素秋というそうです。
北原白秋の名前とおなじですね。
ちなみに青春は五行で木気は色は青、季節は春だから青春だそうです。

481:無名武将@お腹せっぷく
07/03/28 03:11:26
田中芳樹の「創竜伝」で知った厨房時代の思い出>青春

482:無名武将@お腹せっぷく
07/03/28 03:38:02
>その筋
甘寧のことかー!!w

483:無名武将@お腹せっぷく
07/03/28 03:49:19
このスレは他学部出の人が多いんじゃなかった?
逆に、専門に勉強した人では思い付かない発想をするから面白いよ
勿論、専門的なフォローがあってこそ話が進むんだが

484:無名武将@お腹せっぷく
07/03/28 10:48:26
多いもなにも
板の性格上、ちょっと文系よりかもしれないが
リアル社会とあまり変わらないんじゃないか・・・

485:無名武将@お腹せっぷく
07/03/28 11:50:16
>>479
晋書の陸機伝では、いつ作られたかは明言していないが
上洛前の部分に弁亡論を長々と引用しているから
上洛前の作品なんかな?

今まで何度か陸機伝を読もうとしたことがあるが、
そのたびに最初のほうに出てくる弁亡論でいきなり挫折しているw

486:無名武将@お腹せっぷく
07/03/29 03:49:03
太平広記巻317
魯粛

孫権病。巫啓云。「有鬼著絹巾、似是故将相。呵叱初不顧、径進入宮。」
其夜、権見魯粛来、衣巾悉如其言。(出幽明録)
( )内は原注

孫権病む。巫 啓(もう)して云わく、「鬼の絹巾を著(つ)くる有り、
是れ故将相に似たり。呵叱(かしつ)すれども初めより顧みず、径(ただ)ちに進みて
宮に入る」と。其の夜、権 魯粛の来るを見る、衣巾 悉く其の言の如し。
(幽明録に出づ)

孫権が病気になったおり、祈祷師が申し上げました。「絹の頭巾をした幽霊がおり、
亡くなった大臣のようであります。声をあげて咎めましたが鼻にも引っ掛けずに、
そのまま進んで宮殿に入っていきました。」その夜、孫権は魯粛が来るのを目にしたが、
その服装は祈祷師の言葉どおりだった。

魯粛 何しに来たん(´・ω・`)

487:無名武将@お腹せっぷく
07/03/29 05:37:09
>>486
つまり、祈祷師が見かけた幽霊が魯粛だったってこと?

488:無名武将@お腹せっぷく
07/03/29 07:55:53
魯粛は「おまえ長生きしすぎじゃね?」って言いにきたんだよ

489:無名武将@お腹せっぷく
07/03/29 23:37:39
なんか凄いな魯粛w

490:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 03:31:22
魯粛出すぎだろwww
呉は祈祷師とか巫女とか好きでよく使ってるけど
言ってることはトリック満載の出鱈目に違いねえから

1 孫権は魯粛に後ろ暗いところがある(スピリチュアルアタック)
2 もうだめぽ・・・お迎えが近いですよ(孫策か周瑜でもいいけど魯粛)
3 魯粛好きすぎの孫権にサービス(お見舞いに来てたよ、よかったね)

この三択だなw
しかし怖い話だ

491:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 10:58:21
>>490
三択に甜茶吹いたw
(只今花粉症)

何で幽霊エピ多いの魯粛は

492:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 13:00:18
幽霊になりやすい体質だったとか?(何だそりゃ)

493:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 14:27:20
死んでるんだから、体質はないだろー。霊質とか魂質とかかなw
霊体っていうから、やっぱり体質かな?

494:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 15:51:44
「狂児ならそんな訳のわからんことやりそう」と思われてたんじゃ?w

495:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 15:54:45
生前の魯粛の性格や逸話からだと、化けて出るようなタイプにゃ思えないけどね。

幽霊で登場して欲しい程、呉の民に愛されてたととるべきか?でも、怖い話もあるしなあ・・・

496:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 16:03:04
日本的に考えると、恨みがましいタイプが化けて出るって感じだけど
中国だと、豪快な奴が化けて出やすいんだろうか?

張飛とか

497:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 16:43:31
張飛は義理固いだけで(ry

498:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 19:09:10
>>495
会ってみたいという当時の人々の願望が現れたのかも知れないね。

499:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 19:10:42
関羽のこと考えるとやっぱり
日本と同じく
恨み残して死んだ奴が出たと考えられてるんじゃまいか

500:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 19:24:13
中国の幽霊はパワフルだな

501:無名武将@お腹せっぷく
07/03/30 21:30:32
よく成仏できなかった人が現世で幽霊になるとか言うから
きっと生前に未練を残してしまったんじゃなかろうか
とか思ってみたり

502:無名武将@お腹せっぷく
07/03/31 20:19:12
ミ・д・ミ

でもこういう話があるってことは
幽霊って物が信じられてたってことだよな……

503:無名武将@お腹せっぷく
07/04/01 22:54:27
お、落ちてない

みんなどうしたんだろ……

504:無名武将@お腹せっぷく
07/04/01 23:16:05
応援上げ

505: 【豚】
07/04/01 23:45:43
立って半年たってないから落ちない、でおkかな よく知らんけど

過疎板とはいえ、本当にみんなどこいっちゃったんだと不安になるな

506:無名武将@お腹せっぷく
07/04/02 00:01:37
仁寿殿前 有大方銅鏡。高五尺餘 広三尺二寸、立着庭中。
向之便写人 形體了了 亦怪也。
          『太平御覽』巻七一七

仁寿殿の前に 大方の銅鏡有り。高さ五尺餘 広さ三尺二寸
立てて庭中に着く。之に向かひて便(すなわ)ち人を写せば、
形體了了として、亦た怪なるなり。

仁寿殿の前に、大きな四角の銅鏡がある。高さは五尺あまり、幅は三尺二寸で
庭の中に立ててある。これに向かって人を写すと全身がはっきり見えるので
不思議なことである。

御覽巻七一七、服用部十九「鏡」に<陸機与弟雲書曰>として載っていました。
自分の姿を鏡に映して不思議がる陸機。
その事を弟に手紙で伝える陸機。
厳しい顔でポーズとかとってたら陸雲でなくても笑いがこみ上げてきます。ププッ

507:無名武将@お腹せっぷく
07/04/02 00:23:55
うんこスレの中に埋もれてこのスレがあるのを見ると、何と言うか……

508:無名武将@お腹せっぷく
07/04/02 13:50:19
>>506
仁寿殿て皇帝が執務したり臣下に謁見する場でいいのかな?
皇帝に謁見する前に臣下たちがそれ見て身だしなみチェックとかしてたら
確かに笑えるw

509:無名武将@お腹せっぷく
07/04/02 18:13:28
この時期はみんな忙しいんだろうな…
オイラは今日から暫く毎日が日曜日だけどな'`,、'`,、('∀`)'`,、'`,、

前スレにも惇が銅鏡ブン投げたの出てたけど、
昔はデカイ鏡が無かったのか。

510:無名武将@お腹せっぷく
07/04/02 18:23:02
>>509
まずもって、でかい銅板を作らなきゃいけない。
ここで第一関門。
んで、そのでかい銅板をひたすら磨かなきゃいけない。
ここで第二関門。

かなり国力と技術力がないときっついかと。

511:無名武将@お腹せっぷく
07/04/02 18:37:36
博物館やなんかで見られる銅鏡って
大体顔くらいの大きさ(2〜30センチ)の丸いのだよね。
投げるにもお手頃

台所のステンレスくらいには映ったんだろうか

512:無名武将@お腹せっぷく
07/04/02 19:56:51
>>511
昔ミュージアムショップで買った銅鏡だとこんぐらい映る。
URLリンク(www.uploda.org)
ちょっと黄色っぽいけど顔見るには支障ない。

513:無名武将@お腹せっぷく
07/04/02 21:02:41
>>511
NHKの歴史番組にも銅鏡が出てたな。重たくて飛べないと思うけど
投げたくなる形だったw

514:無名武将@お腹せっぷく
07/04/03 18:32:56
>>512
結構よく映るもんだな!
しかしこれをぶん投げたら

ごわゎわゎわゎん

と鳴りそうだ

515:無名武将@お腹せっぷく
07/04/04 14:14:43
へぇー…
銅鏡って結構きれいに映るんだ

516:無名武将@お腹せっぷく
07/04/04 16:27:00
画像流れちゃってた…
再うpきぼんぬ

517:無名武将@お腹せっぷく
07/04/04 21:21:55
>>516
再うpしますた。
URLリンク(winplus.or.tp)

518:無名武将@お腹せっぷく
07/04/04 21:43:04
最近このスレを発見してまとめサイトを見るに
陸機の「二本足の猿」を見てびっくりな陸雲宛の手紙の断片があるくだり
「二本足の猿」というのは人間のように「二足歩行」してる猿を発見してびっくり
って事が言いたかったんでしょうか?
それとも前脚を欠いた猿。。とか?って別にびっくりしないか
猿も常には四本足で歩行するんだけど
当たり前に二本足でも歩行できるから別段びっくりするような事ではないと思うんだけど。。

519:無名武将@お腹せっぷく
07/04/05 02:24:53
>>517
ぐっじょぶ

520:無名武将@お腹せっぷく
07/04/06 00:15:34
>>517
(*゚▽゚)b グッジョブ! にぶ〜く映るのかと思ってた。見てびっくり。

<燕歌行>二首 其二   
別日何易会日難 別るる日は何ぞ易く会う日は難し
山川悠遠路漫漫 山川悠か遠く路は漫漫たり
鬱陶思君未敢言 鬱陶(むねふさ)がり君を思いて未だ敢えて言わず
寄声浮雲往不歎 声を寄せるも浮雲往きて還らず
涕零雨面毀容顔 涕(なみだ)零(こぼ)れ面に雨(なが)れ容顔を毀つ
誰能懐憂独不歎 誰が能(よ)く憂を懐(いだ)き独(ひと)り歎かざる
展詩清歌聊自寛 詩を展べ清歌し聊(いささ)か自ら寛(ゆる)うす
楽往哀来摧肺肝 楽しみ往き哀しみ来りて肺肝を摧(くだ)く
耿耿伏枕不能眠 耿耿(こうこう)と枕に伏し眠ること能わず
披衣出戸歩東西 衣を披(かず)き戸を出でて東西に歩む
仰看星月観雲間 星月を仰ぎ看(み)て雲間を観(み)る
飛?晨鳴声可憐 飛?(ひそう)晨(あした)に鳴く声憐む可し
留連顧懐不能存 留連して顧み懐(おも)いて存ること能わず

『玉臺新詠』九  『初學記』十五


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