三国時代の文学スレッ ..
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331:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:15:53
>>325
なるほど。容姿は普通だったけど中身は凄かったということか。

332:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:36:16
>>322
よほど秀でているか、よほど妙じゃないと史書に容姿は記載されないぽ

>>327
兵馬俑人形は民族の違いもちゃんと表現できてるし、それ以前に人間だよなw
それに比べて三国志関係の廟の人形って…

>>329
なるほどデフォルメかー
そういや覇王別妃で虞妃が自害する絵がデッサン壊滅的、呪いかけられそうで怖かったよ
明か清の絵だと思うけどあれだけの隈取でやっと目を大きく描く
それが中国絵画クオリティなんだな

333:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:37:20
>>332
つまりネ申はよほどミニマム…

334:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:42:57
若い頃は岡村…

ジャーンジャーン

335:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:48:55
>>330
うーん、自分はてん足くらいしか思い出せない
足の小さい女がヨタヨタ歩いてるのが好しとかいう
でも背はある程度高かっただろうから違うなあ

336:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:54:25
>>330
趙飛燕じゃね?

337:330
07/03/19 11:21:07
>>336
それだ!
thx!! すっきりした〜〜

教えてもらったついでに
趙飛燕:前漢11代目成帝に寵愛され、妹の趙合徳と共に
成帝が他の女性に産ませた皇子を殺害したおっそろしい人。
手のひらの上で舞いが舞えるほど華奢だった。

後漢の梁冀の妻孫寿が
愁眉(への字眉)・啼粧(泣いた後のような変な化粧)
堕馬髻(馬から落ちたような変な髪型)・折腰歩(腰悪そうな変な歩き方)
を流行らせたとか
ネ申が一文字眉を流行らせたとか(流行ったのかしらないけどw)
女性の好みや風俗も文化的に面白いよね。


338:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 13:36:03
>>332
てことは逆に記述があるひとは
余程のものだったってことか

339:まとめサイト ◆XoQX5vgfQU
07/03/19 15:28:30
URLリンク(www.geocities.jp)
ここまでUP

URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
避難所消えそうだったので
僭越ながら新しくしてみました

340:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 15:39:54
>>310-311
雀喰うなら冬。寒雀は脂乗ってて旨いよ
と言ってた高校の数学のセンセを思い出した
大学の時、焼き鳥で雀を喰った。頭から

341:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 16:53:45
>>339
何時も乙です。
ただ、曹丕の与孫権書の訳が別のものになっています。
早く修正したほうがいいと思います。

342:まとめサイト ◆XoQX5vgfQU
07/03/19 17:04:26
>>341
指摘ありがとうございます。
訂正しました。

343:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 22:46:11
>>330
以前どこかのスレでも容姿については話題が出たような気が。
顧[小豈]之(字が出なかった…)の絵や趙飛燕の故事からだとやはり痩せ型
かつ女性らしいラインの持ち主が美人基準らしい。
ただ顔立ちの好みとかメイクが時代によって変化はするかも。

『洛神賦』でも抽象的表現ではあるけど美女イメージは現代と大差ない希ガス。

344:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 23:39:25
いつの時代でも
眉目のバランスがいいのは美人
ってことなのかなぁ

345:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 23:49:43
それにしても、眉毛つながりメイクは謎

346:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 00:38:18
>>343
三国志時代において絶世の美女だったと言い伝えられている甄氏も
そのような容姿だったのでしょうな。
……曹丕は妻達に眉毛つながりメイクをさせていたとは思いたくない。

347: ◆PeonY/.Dfk
07/03/20 00:40:14
まとめさんいつも乙であります(`・ω・´)ゝ避難所把握しますた。

>>283-
#短歌行(陸機)
Sugeeeee!!!!!!!! Thxです!! 陸機たん(*´Д`)ハァハァw
この短歌行のおもしろいところは、曹操の対酒当歌の短歌行のはじめの二句と
この作の二句の四声が、ぴったりきれいにそろっているのですー(去上平平、平平平平)。
ちなみに曹丕の短歌行は、そんなことはないぽですw。
>>261さんみたいに、陸機たんは曹操の短歌行を鼻歌でうたったりしてたんだろうなー……

>>296さんのように刹那的な酒宴をうたったはずの作なのですが、くえりかえされるセンチメンタルな表現は、
ワーっとたのしいお酒の席だよ! というよりは、まとわりついて離れない憂いをつよく感じさせると思うですー。
そいで七句めの蘋(タモジグサ)なのですが、これは田んぼとか水辺にはえる水草なのです。
五代十国の和成績さんという人が漁父という詩で「蘋風軽翦浪花時……」とよんでいるのですが、
彼は山東省の人で、これは水辺にしげるウキクサのうえをわたる風のことなのです。
そいで何がいいたいのかと言うと、寒く乾燥した洛陽には、「以春暉」というほどタモジグサが生えるのかなーと(ry
自分はこの作がいつ詠まれたのか知らないのですが、もし陸機たんが洛陽にいってから詠んだ作だったら、
陸機たんの頭のなかには、風にふかれる懐かしい南部の田んぼがあったのかなー……と妄想してみるテスト(ry

しかしゴージャスな四言詩ですおね(*´Д`)
曹植たんとかもそうですが、悲しいとか思うまえにきらきらしい才に圧倒されて(゚Д゚*)ポカーンてなるますw。


#曹操が文人のアイドルw
>>55-56あたりでも書いたのですがorz、曹操の業績や文才はもちろんですが、
曹氏が文学を愛し文人を保護したことを、文人のみなさんは讃えたんじゃまいかと思うのですー。
なにしろ後漢末期の乱世では、太学の内部にまで戦乱がおよび、文学とかいう場合じゃないよ! という
状態だったのですから、そこに戦場においても馬上で賦をよみ、蓋文章経国之大業不朽之盛事といい、
公主を文人に嫁がせ、サロンをひらいた気さくな学徒である曹氏を、詩人はこぞって讃えたのではないでせうか。

348:1(ry
07/03/20 00:42:35
↑名前欄また誤爆しますたorz 済みませんorz orz orz

>>300-
#黄耳
うおーよかったです! 芸文類聚巻九十四から全文うpしてみますー。
(白文)
「述異記曰、陸機少時、頗好猟。在呉、豪客献快犬、名曰黄耳。機後仕洛、常将自隨。
此犬黠慧、能解人語、又嘗借人三百里外、犬識路自還、一日至家。
機羈旅京師、久無家問、因戯語犬曰、我家絶無書信、汝能賚書馳取消息不。犬喜、揺尾作声応之。
機試為書、盛以竹筒、繫之犬頚。犬出駅路、走向呉、飢則入草、噬肉取飽、毎経大水、
輒依渡者、弭毛掉尾向之。其人憐愛、因呼上船、裁近岸、犬即騰上速去。先到機家、口銜筒作声示之、
機家開筒取書、看畢、犬又伺人作声、如有所求。其家作答書、内筒、復繫犬頚。
犬既得答、仍馳還洛、計人行程五旬、犬往還裁半月。
後犬死、殯之、遣送還葬機村、去機家二百歩、聚土為墳、村人呼為黄耳冢。」

349:1(ry
07/03/20 00:43:32
>>348適当書き下しorz)
「述異記に曰く、陸機は少(わか)き時、頗(すこぶ)る猟を好む。呉に在りて、豪客が快犬を献じ、名して黄耳と曰う。
機の後に洛に仕うるに、常に将(も)って自ら隨う。此の犬は黠慧(かっけい)にして、能く人語を解し、
又(また)嘗(かつ)て三百里の外の人に貸すに、犬は自ら還る路を識りて、一日にして家に至る。
機は京師に羈旅(きりょ)し、久しく家問(かもん)の無きに、因りて戯れに犬に語りて曰く、
我が家より絶えて書信の無きに、汝は能く馳せ書を賚(たま)い消息を取らずや。犬は喜びて、
尾を揺らし声を作(な)して之(これ)に応ず。機は試みて書を為(な)し、竹筒を以って盛り、之を犬の頚に繫(か)ける。
犬は駅路に出(い)で、呉に向けて走り、飢えれば則ち草に入り、肉を噬(くら)い飽を取り、
大水を経ると毎(いえど)も、輒ち渡る者に依りて、毛を弭(び)し尾を掉(ふ)りて之に向かう。
其の人は憐んで愛し、因りて船の上に呼ぶに、裁(わず)かに岸に近づけば、犬は即ち騰上して速かに去る。
先ず機の家に到り、口に筒を銜(くわ)え声を作(な)して之を示し、機の家が筒を開け書を取り、看(み)畢(おわ)れば、
犬は又(また)人に伺い声を作し、求むる所の有る如し。其(すなわ)ち家は答書を作り、筒に内(い)れ、
復(ま)た犬の頚に繫(か)ける。犬は既に答えを得ると、仍りて馳せ洛に還り、人の行程を計るに五旬を、
犬が往還するに裁(わず)かに半月なり。後に犬の死するに、之(これ)を殯(もがり)し、送還せしめて機の村に葬り、
機の家を去ること二百歩に、土を聚(あつ)めて墳と為し、村人は黄耳冢と呼び為す。」

350:1(ry
07/03/20 00:52:53
>>348適当訳orz)
「述異記にいわく、陸機はわかいころ、とても猟が好きでした。呉にいたときに、お金持ちからすばらしい犬を
献上されたので、黄耳と名づけました。陸機がのちに洛陽につかえるようになったら、犬もみずからついてきました。
この犬はかしこい犬で、人のことばがよくわかり、また以前に130.24kmも遠くの人に貸したことがありましたが、
犬は自身で帰る道のりがわかって、一日で家に戻ってきました。陸機は洛陽の先生のところに身をよせていて、
ずっと家からのたよりがなかったので、冗談で犬に「私の家からずっとたよりがないが、きみが走って手紙を
もらってきて消息を得られないものかなぁ」と言いました。犬は喜んで、しっぽを振って鳴いてこれに応じました。
陸機はためしに手紙をかいて、竹筒にいれ、これを犬のくびにかけてやりました。犬は街道にでて、
呉に向かって走り、おなかがすいたら草むらに入って、肉をたべて満腹し、水が深いところにくるたびに、
そこを渡ろうとしている人のところにいき、服従のポーズをしてしっぽをふりながらその人を見つめました。
その人は犬が気の毒だし可愛いと思って、船の上に呼んでやりましたが、船が対岸に少しでも近づいたらば、
犬はすぐに上陸してすぐに行ってしまいました。いちばんに陸機の家に行って、口に竹筒をくわえて鳴いて
これを示すので、陸機の家の人が筒をあけて手紙をとって、読みおわると犬はまた家の人を見て鳴き、
なにかが欲しいような様子でした。それなので家の人は返事を書き、竹筒にいれて、また犬のくびにかけてやりました。
犬は返事をもらうと、洛陽に走って帰り、人が50日はかかる行程を、犬はわずかに半月で往復するのでした。
のちに犬がしんだら、これをかりもがりして、送り還してやって陸機の故郷の村に葬り、
陸機の家から200歩離れたところに土を盛ってお墓にして、村の人はこれを黄耳冢(塚)と呼びました。」

351:1(ry
07/03/20 00:55:00
↑黄耳君は、こういうわけらしいのですー。かしこいワン公だ(*´Д`)ハァハァ 餌は自給自足で(ry
東海道中膝栗毛で、やじきたは江戸から伊勢までの500kmぐらいを15日で歩くわけですから、
人の脚で50日かかるっつーと、三世紀の街道の状態とかをひいてもすごい距離ですおねー。
>>302さんのように、1000km以上はあったのでせうね。片道500kmとして、黄耳君は一日70km以上は
走らないといけないですね。長距離マラソンが42.195kmなのですから、りっぱな犬だー(´;ω;`)ブワッ

>>309-
#雀
自分も食用以外の可能性を考えていませんですたww羅家の人は、もしやすずめを飼う気だったのか(゚∀。)
台湾や中国でも雀の排骨がうっててテラウマスですが、あれはどうやら養殖した十姉妹らしいです。

352:1(ry
07/03/20 00:56:20
容姿の話がでているので、陸雲たんが美しい幽霊にあった話をうpしてみますw。

晋書巻五十四の列伝第二十四の陸雲伝より

「初、雲嘗行、逗宿故人家、夜暗迷路、莫知所従。忽望草中有火光、於是趣之。
至一家、便寄宿、見一年少、美風姿、共談老子、辞致深遠。向暁辞去、行十許里、
至故人家云、此数十里中無人居。雲意始悟、却尋昨宿処、乃王弼塚。雲本無玄学、自此談老殊進。」

「初め、雲が嘗(かつ)て行き、故人の家に逗宿するに、夜の暗きに路に迷い、知る所の従う莫き。
忽(にわ)かに草中に火の光るの有るを望み、是れ之(これ)に趣(おもむ)く。
一家に至りて、宿に寄るを便ずるに、一(ひとり)の年(とし)少(わか)く、美しき風姿たるに見(まみ)え、
共に老子を談じ、辞は深遠に致る。暁に向かいて辞去し、十里(じゅうり)許(ばかり)を行くに、
故人の家に至りて云うには、此の数十里の中に人の居る無き。雲は始めて意を悟り、
却(しりぞ)きて昨宿の処を尋ねるに、乃ち王弼の塚なり。雲は本は玄学の無きも、此の談に自(よ)りて老を殊に進む。」

「あるとき、陸雲は出かけてむかしなじみの人の家に泊まりに行きましたが、夜が暗くて道に迷い、
どこにいるのかさっぱり分からなくなってしまいました。すると草がしげる中に火が光っているのがみえたので、
これに向かって行きました。一軒の家について、そこに泊まることにしましたが、ひとりの美しい容姿風体の
若者に会って、いっしょに老子についてをおしゃべりし、教えの奥深くまでを語りあいました。
明けがたになって別れのあいさつをしてそこを去り、4.3kmほどを歩いて友人の家につくと、
この数十里には人は住んでいないよと言われました。陸雲ははじめて事情を理解し、もどってきのうの宿が
あったところに行ってみると、そこはなんと王弼のお墓でした。
陸雲はもともとは老荘を学んでいなかったのですが、このおしゃべりをしてから老子にくわしくなりました。」

353:1(ry 連投すみませんorz
07/03/20 01:01:23
↑男かよ! という十三億人民の声がきこえてきそうですが、自分もそう思いますたw。
中国文学おそるべしですーw。王弼さんが没したのは22歳なので、たしかに美青年の幽霊ですねw。
しかし陸雲たんは爆笑して船からおっこちて溺れてあぼーんしかけたり、道にまよったり、
いったいこれで大丈夫なんだろうか……と心配になるです(゚∀。)
なんか別の資料では、道に迷って王弼の幽霊にあったのが陸機たんになってるのもあるらしいですが……
八陣図は三国志演義の話ですが、陸家の人は迷子になりがちなのかー? とかいらんことを(ry

#眉つながりメイク
自分もくあしく知りたいですーw。フリーダ・カーロみたいな感じだろうか……(゚∀。)

354:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 01:43:14
やはり眉を全剃りした上で一筆描きっぽくつながり眉が描かれてるのだろうか・・・

355:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:00:14
>>347
>>四声が、ぴったりきれいにそろっているのですー
sugeeeeeeeeeeeeeeee
ネ申オタのネ申だなwwwww

>>353
>>陸家の人は迷子になりがちなのかー? とかいらんことを(ry
wwwwwwwwwwwwwwww

356:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:06:26
眉毛を一本にする風習があるのを周ユが知っていたとすると
演義で曹操が二喬を欲しかったと聞いて激怒したのも頷ける!?

357:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:16:49
ほんっっとに幽霊好きだなwww

358:1(ry
07/03/20 02:28:34
#眉
URLリンク(cgfa.sunsite.dk) こんな感じでせうか……?

>>355
二句めの「幾」と「觴」が平声の上と下の違いはあるのですが、それでも陸機たんSugeeeeeee(*´Д`)
陸機たんの望郷の念はどれだけだったろうかと思うですー。司馬穎のときに呉にかえっていれば……。・゚・(ノД`)・゚・。

>>357
だってこの幽霊の話とか、晋書に真顔で出ているのですおw。晋書Sugeeeeeeeeeeeee!!!! wwwwww

359:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:35:40
>>353
怖いんだかほのぼのなんだかわからん話だ。でも面白い。
幽霊になってまでも老子にこだわる王弼。もっと論じたかったんだろう。

しかし王弼も美形だったのか。何晏と夏侯玄は有名だけど、王弼もか…。
荀粲も美形の可能性高いし、イケメンメンバーだな。

360:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:42:52
中国にもオカルト話は結構あるんだな〜
現代にもひょっこりと出てきそうだ。
是非とも甘党皇帝の幽霊に会いたいよw

361:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 03:33:44
>>358
映画「フリーダ」
URLリンク(www.frida.jp)

映画も眉毛が気になってしょうがなかったよ
生やしててこれじゃ筆で描いてあるのを正視できる自信はないw

362:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 03:35:03
>>361
Σ(゚∀゚)
きっとこんな感じだったに違いない!ww

363:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 03:43:51
>>358
こういう話が真顔で出ているから晋書は眉唾だと言われるんだw
でも面白いからいいw

364:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 08:12:00
ネ申も笑い上戸っぽいから
一文字眉だらけにしてうはははははははwwwwwwwww
と笑いたかったのかもしれない  お

365:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 14:44:10
>>364
ヒドスww
一本眉にしたのは曹操だけ?

366:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 14:49:54
>>348-351
黄耳はペットじゃなくて猟犬なんだね。
陸機が猟が好きとは意外。

367:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 14:59:35
>>347
すげえ!曹操は幽霊になって、陸機のとこに出てやれば良かったのになw
韻を揃えるぐらいオタなんだから大喜びするであろう。

368:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 15:30:54
>>367
きっと、あの世で一緒に酒を飲みあったりしているさw

369:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 15:44:43
操゚∀゚)<もしもし、一晩宿を貸してはもらえませんか
機・∀・)<どうぞどうぞ

 ペチャクチャ    ワイワイ
操゚∀゚)  (・∀・機 

操^∀^)アーッヒャッヒャッヒャ(^∀^機

〜翌朝〜

機^ー^) 。oO昨日の小さいお客人は楽しかったなぁ…
機・A・) 。oOしかし何で、あんなにネ申に詳しかったんだろう…
機・∀・) 。oO中華一のネ申オタを自負していたのに、士龍、我々はまだまだだね…

370:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:05:24
>>369
すごい和む(´∀`)カワユス

371:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:08:59
>>369

気づけよ!w

372:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:13:25
弼 ‘д‘) <私の幽霊では不満か!w

373:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:14:48
>>369
そのちっさいお客人のそばにぼーっとしたツラの大男はいなかっただろうか…

374:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:16:01
>>369
幽霊話なのにほのぼのw

375:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:18:10
>>372
美形でも男じゃなァw

376:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:25:27
飛゚∀゚彡<俺は義理固い男なんだぜ

377:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:34:19
おまいら幽霊大好き過ぎだwww

378:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:37:36
酒・甘物・幽霊は文学の友w

379:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:39:57
>>369
この後ネ申がお礼にやってきて・・・
と妄想してたら早速>>376が来てたww

380:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 18:45:49
>>369
操^∀^)アーッヒャッヒャッヒャ(^∀^機

↑これ、器に頭つっこむわ、川に落ちるわで
まるで吉本新喜劇のような場面なんだろうな

381:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 18:54:03
雲´∀`)<川に落ちるのは僕だよwwwwwwwwww

382:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 19:09:28
>>369-381
和んだwww

383:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 21:08:03
>>369-381
うん うん 和むわぁ〜
そして、なんだか…ηακετα..._〆(;ωq`)

384:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 00:07:54
ところでこの時代の人々にとって
幽霊ってどんなイメージだったのかな

畏怖すべきもの? 生者を護るもの?
嘘臭いのか、それともいて当たり前なのか……

385:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 02:06:13
呉の軍師スレからのコピペだけど幽霊のイメージの参考になるかなあ

魯粛が死亡してから100年近くがたった頃、王伯陽という人の家が京口にあった。
その東には塚があり、魯粛子敬の墓だと伝えられていた。
伯陽は妻がなくなった時、なんとその塚を壊して妻の墓とした。
数日して伯陽が役所にいると一人の貴人が輿に乗っているのを目にした。
従者が数百人も従い、人と馬とが連なっている。
貴人は伯陽に近づくと「私は魯粛子敬です。君はなにゆえ私の塚をこわしたのか?」と言い、
左右のものに目配せすると刀の柄で数百回も伯陽を打ち据えさせて帰っていった。
伯陽は気絶していたが、暫くすると、また息を吹き返したが、
なんと魯粛に打たれたところがすべて潰瘍になり、数日後に伯陽は息を引き取った。
一説に、伯陽が死亡し、その子が墓を作ろうとして、漆の棺桶をふたつ掘り出し、
南の岡に移しておいたところ、夜に魯粛子敬が怒って現れ、こういった。
「おまえの父親をころしてやる」と言った夢をみた。
続いてまた父、伯陽の夢をみた。
伯陽は「魯粛とわたしで墓争いをしていて私は日夜恐ろしくてたまらない」と訴えるのだった。
その後、数日して伯陽霊位の敷物の上におびただしい血でぬれていた。
魯粛子敬が原因ではないかと思われる。

出典は『捜神後記』らしい

386:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 02:17:16
呂蒙や曹操など関羽の死に関係した者がすぐ死んでしまったことで
関羽の霊が彷徨っているんだ・・・!! って怖くなって
関羽の怒りを静めるために関帝廟が出来たんだよね。
ってことは幽霊の概念ははっきりとあったってことだよね

387:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 02:47:12
肉体が消滅しても魂魄は存在し続けているので
現世で噂されたりすると九泉の下から帰ってくる・・・
ので、今日も論語をよく読んで日々の行いを正してから寝ようね!
ってところかな

388:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 02:56:03
陸機の幽霊が…って話なかった?

389:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 03:38:35
対酒当歌オフには、ゼヒ出席して欲しい陸機の幽霊

390:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 04:01:05
>>389
ネ甲と甘党ブログ皇帝とジョン・レノンの三曹にも是非出席してもらいたいw

391:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 04:14:36
>>347
話題が戻るんだけど、
田字草(デンジソウ/たもじ草)について調べてみた。

Wikipedia項目リンク
>洛陽市の気候の特徴は、四季がはっきりわかれ、
>冬は寒くて降水が少なく、春は乾燥し風が多く、夏は、
>非常に暑く雨が集中して多い。秋には、晴れて日照時間が長い。

らしいんで、湿地・田沼に生えるデンジソウが春に多いのは呉であると思う
だから短歌行の
>もし陸機たんが洛陽にいってから詠んだ作だったら、
>陸機たんの頭のなかには、風にふかれる懐かしい南部の田んぼがあったのかなー

これはいい所に注目した解釈だね
そう思って読むと胸に迫る物がある。

392:まとめサイト@残業 ◆XoQX5vgfQU
07/03/21 05:38:29
URLリンク(www.geocities.jp)
ここまでUP

393:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 08:37:56
残業乙w
>>391
陸機!!!!・゚・(ノД`)・゚・
この詩ずっと大好きだったのに、そんな解釈もあるとは今知ったよ…
洛陽では、米じゃなくて小麦なんだっけ。

394:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 11:29:02
魯粛の霊コワス!!

395:1(ry
07/03/21 11:33:24
| 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚)   ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧    ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` )   (´ー` )  (゚∀゚ *)  (´<_,` )  (´∀` )  (・∀・ )  (‘∀‘ )
 ̄  //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
   .\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 楨 ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
   ./ ◆<  ./.. ◆<  ./..◆< ./ ◆<  /..◆<  ../..◆<   ./ ◆<  
  /  '´ ヽ).../  '´ ヽ...)../  '´ .ヽ. .((操)))/  '´ヽ..) ./  '´ヽ..)/  '´ヽ )

∠/   ノノ∠/ ∧ ∧/   .  ノノ  (・∀・)っ   ∧ ∧    .ノノ     ..ノノ
           (; ゚Д゚)  。・゚・⌒)  (つ  /.  .  (゚∀゚,, )
            / 丕 o━ヽニニフ )) |  (⌒)  〔~植∪ ̄〕=
           しー-J    彡   _ し⌒^    ◎―◎=


まとめさん乙であります( ゚∀゚)o彡゜

なんの脈絡もないですが、三曹&建安七子&おまけで二陸はってみるw

396:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 11:36:52
おおスゲ!でもズレてるよw

397:1(ry
07/03/21 11:39:59
| 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚)   ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧    ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` )   (´ー` )  (゚∀゚ *)  (´<_,` )  (´∀` )  (・∀・ )  (‘∀‘ )
 ̄  //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
   .\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 楨 ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
   ./ ◆<  ./.. ◆<  ./..◆< ./ ◆<  /..◆<  ../..◆<   ./ ◆<  
  /  '´ ヽ).../  '´ ヽ...)../  '´ .ヽ. .((操)))/  '´ヽ..) ./  '´ヽ..)/  '´ヽ )
∠/   ノノ∠/ ∧ ∧/   .  ノノ  (・∀・)っ   ∧ ∧    .ノノ     ..ノノ
           (; ゚Д゚)  。・゚・⌒)  (つ  /.  .  (゚∀゚,, )
            / 丕 o━ヽニニフ )) |  (⌒)  〔~植∪ ̄〕=
           しー-J    彡   _ し⌒^    ◎―◎=




俳rz 避難所でテストしてきたのに……バチがあたったのかw orz orz orz

398:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 11:49:01
OK(´∀`)二日連続で和むw

399:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:11:22
曹丕チャーハン作ってるwww

400:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:14:08
ノー天気そうなネ申カワユスvv

401:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:21:00
本日は春分、旧暦ではまさに春のど真ん中
というわけで、陸機の春詠を置いていきますね

春詠
節運同可悲、莫若春気甚、和風未及燠、遺涼清且凜

402:1(ry
07/03/21 13:09:41
>>401
Thxです!! 春詠ってはじめてよみますた(´∀`)いい詩ダナー
ばちあたりAAorzを反省しつつ、へた訳してみるますー。

>>401適当書き下しorz)
「節は同じく運(めぐ)りて悲(あわ)れむ可(べ)く、春気の甚(はなは)だしきに莫若(しくはなし)
 和風は未だ燠(あつ)きに及ばず、涼清にして且(まさ)に凜(さむ)きを遺(わす)れんとす」

>>401適当訳orz)
「めでるべき季節がまた同じくめぐってきました。この春の空気のすばらしさには、いったいなにが及びましょうか?
のどかな春風はまだ暑すぎるということはなく、涼しくて清らかで、まさに寒さがなくなろうとしています!」

#すごいすごいいい詩ですねー! なごみまくりますた(´∀`)
↓前スレでちょっとこう思ったのですが、こんなきれいな春の詩もあるのですねー。
これは洛陽の春なのか、それとも呉の春なのでせうかね。三世紀も春はおなじくいいもんだったんだな。

>916 :1(ry:2007/03/03(土) 15:48:38
>唐代にはいると、漢詩といえばまずはあふれるような春のよろこびを
>うたったもの、という気がするのですが、建安の作ではなんとなくそういったものが
>少ないような気がして、不思議なのですー。なぜだろう?(気のせい??)
>
>のんきに春をめでている時代ではなかったとか、詠物詩が発展してなかったとか
>いろいろ思うのですが、やっぱり三世紀は文学の拠点がかなり北部だからかなー? と
>なんとなく思ったのですー。南部のようなあざやかな春は、北部にはこないのかなーと……。

403:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 13:36:20
春はいつでもいいもんさw

404:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 13:56:50
>>397のメンツの幽霊と花見したいねぇw

405:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:02:06
>>401
陸機の<春詠>と聞いてry…アルェ
『鮑參軍集』にもほとんどが同じ<春詠>が載ってるぞー

節運同可悲 莫若春光甚 和風未及燠 遺涼清且凜


406:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:14:03
>>401-402
>>405
ワロスwwwww何事が起こった?www

407:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:37:53
>>397
久々に力作AAキター!
春だねぇw

408:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:46:35
>>406
鮑參軍のほうが後の人だねえ。

409:1(ry
07/03/21 17:04:07
>>405
ありーほんとだ! 自分は鮑照さんの本もってないのでわからないですが、
陸機たんの春詠は、上海古籍出版の芸文類聚の巻三の春の詩のとこにでてるのですねー。

1)>>401が陸機たんの作で、>>405は陸機たんリスペクトな鮑照さんの本歌どりだよ。
2)>>401は鮑照さんの作なんだけど、隋唐とかになって拾遺するときに、
 なんかまちがえて陸機たんのとこにも入れちゃったよ。しかも一文字書きまちがえた。

こんなところでせうか?w

410:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:12:13
>>409
もいっこ<咏老>も鮑照とかぶってますvv
“鮑參軍集卷之二”でググったらありました!

<代陸平原君子有所思行>なんてのもあるので
リスペクトもありかもですね

411:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:16:29
鮑照は陸機オタだったんだなw

412:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:37:19
王敦の亀みたいに
「大好きでいつも彼が口ずさんだいた詩v」
みたいな意味合いなんでね?

413:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 23:03:06
>>310で李斯の話が出たのでコレを。
>>1 蘇軾OK? じゃあ李白もだいじょぶですね

李白<行路難>三首其三
有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨
含光混世貴無名 何用孤高比雲月
吾観自古賢達人 功成不退皆損身
子胥既棄呉江上 屈原終投湘水浜
陸機雄才豈自保 李斯税駕苦不早
華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道
君不見 呉中張翰称達生 秋風忽憶江東行
且楽生前一杯酒 何須身後千載名

[書き下し風味]
耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨
光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを
吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損(おと)す
子胥は既に棄てらる呉江の上(ほとり) 屈原は終に投ず湘水の浜
陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ
華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道(いう)に足らむ
君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く
且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須(もちひ)るや

潁川の水で耳を洗った許由の話は、ここでは玄晏先生(皇甫謐)の『高士傳』が
元ネタらしいです。

『史記』本傳に「蒼鷹」の文字はなく、『太平御覽』には入ってました

414:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 23:49:00
>>386
しかし中には鍾ヨウのような男もいるからなあ。ネタ多すぎだろ鍾ヨウ。
>>369
裴松之の所に荀ケが現れたら大変なことになりそうだw

415:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 12:33:53
>>409-410
だが少しリスペクト過ぎないか?w
パク(ry

416:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:01:45
まぁ、更には陳琳の遊覧詩の「節運時気舒、秋風涼且清」の
リスペクトなんですけどね^^^^^^;

417:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:03:54
「本歌取り」と言う言葉は、現代では死にました

418:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:08:56
>>409が本歌取りと言っているが…
まあ陳琳は兎も角、鮑照レベルの本歌取りを
現代で行なったら不味いだろうねw

419:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:45:23
>>393
北は麦、南は米って言うよね。

420:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 05:46:44
>>353
亀レスだけど、それの陸機バージョンの詳細キボン

421:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 11:17:25
>>420

『異苑』

晋清河陸機初入洛、次河南之偃師。
時人結陰、望道左若有民居、因往投宿、
見一年少、神姿端遠、置易投壺、与機言論、妙得玄微。
機心服其能、無以酹抗。
乃提緯古今、総験名実、此年少不甚欣解。
既暁便去、税驂逆旅、問逆旅嫗、
嫗曰「此東数十里無村落、止有山陽王家塚爾。」
機乃怪悵、還睇昨路、空野霾雲、拱木蔽日、
方知昨所遇者、信王弼也。
一説陸雲獨行、逗宿故人家。
夜暗迷路、莫知所従。
忽望草中有火光、雲時飢乏、因而詣前。
至一家牆院甚整、便寄宿、
見一年少可二十餘、豊姿甚嘉、論叙平生、不異于人。
尋共説老子、極有辞致。
雲出、臨別語云「我是山陽王輔嗣。」
雲出門廻望向処、止是一塚。
雲始謂俄頃已経三日、乃大怪悵。

422:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 12:18:22
gj!訳もおながいしますorz

423:1(ry
07/03/23 23:55:49
>>413
李白先生thxです!! すげーもりだくさんの詩ですねー(*´Д`)
唐宋の詩人のみなさんは、呉で周瑜や陸機を詩によむ人がたくさんいますおね。
行政上、南部にくる機会が多かったのでせうが……中世の人の古代ロマンだー。

>>421
Thxです!! Sugeeeeeeeeeee!! 六朝志怪(*´Д`)ハァハァハァハァハァハァ/ \ァ/ \ァ
陸機たんver.は異苑だったのですねー。異苑むずかしいから読んでな(ry orz orz orz
いちおうへた訳もうpしてみますが、むずかしくてたぶん盛大に間違ってる悪寒orz orz orz

>>421適当書き下しorz すみ括弧のなかを本気でフォローおねがいしますですorz orz orz)
晋の清河の陸機は初め入洛し、次に河南の偃師(えんし)に之(ゆ)く。
【時人の陰結するに、道の左に民居の若くの有るを望み、因りて往き投宿ずるに、
 一の年少の、神姿端遠するに見(まみ)えるに、投壺(とうこ)に易置し、機に言論を与うるに、
 妙を得て玄に微す。機は其の能に心服し、以って酹し抗う無き。
 乃ち古今の緯を提し、総じて名実を験し、此の年少の甚だ欣(よろこ)ぶを解さず。
 既に暁にして便(すなわ)ち去し、驂(そえうま)を税(と)きて逆に旅し、逆に旅して嫗に問うに、】
嫗は曰く、「此の東数十里に村落は無く、止(た)だ山陽に王家の塚の有る爾(のみ)。」
機は乃ち怪悵し、昨路を還りて睇(なが)めるに、空野に霾雲(ばいうん)し、
拱木(きょうぼく)が日を蔽い、方(まさ)に昨(きのう)知り遇う所の者は、王弼と信ずる也。
 一説には陸雲が獨り行き、故人の家に逗宿す。 夜の暗きに路に迷い、知り従う所莫(な)き。
忽(にわか)に草中に火の光るを望み、雲は時に飢乏し、因りて前に詣(いた)る。
一家の牆院の甚だ整うに至りて、寄宿を便ずるに、一(ひとり)の年少の二十餘可(ばかり)で、
豊姿の甚だ嘉く、論叙は平生とするも、人と異ならざるに見(まみ)える。
尋(つ)いで共に老子を説し、辞は極みに致り有る。
雲は出(い)で、別れに臨みて云い語らうに、「我は是の山陽の王輔嗣なり。」
雲は出でて門を廻りて向く処を望むと、止(た)だ是れ一塚なり。
雲は始めて俄頃(がけい)し已に三日が経ちぬと謂いて、乃ち大いに怪悵す。」

424:1(ry
07/03/23 23:58:23
>>421適当訳orz すみ括弧のなかはさっぱりわかりませんですたorz orz orz)
「晋の清河の陸機ははじめ洛陽に入り、ついで洛陽の東にある偃師に行きました。
【当時はとても暗かったので(?)、横道に人の家のようなものがあるのが見えたので、
 そこに行って泊まることにすると、ひとりのとても美しくきわだった姿の若者に会いました。、
 矢をつぼに投げいれて勝ったものが負けたものに酒をのませる遊びをして勝ったので(?)
 若者は陸機に思想を語りましたが、たいへんすばらしいものでした(?)。
 陸機はその才能に心服して、地をお酒できよめて聞き入りました(?)。
 その話は古今の緯書をしめし(?)、すべてが若者の名実をしめしているので(?)、
 この若者がなぜそんなによろこぶのか解りませんでした(?)。
 明け方になったのでそこを去り、馬車の馬を放って逆に道をたどり(?)、逆にたどっておばあさんに聞くと、】
おばあさんは、「この東の数十里には村落はなく、ただ山陽に王さんの家のお墓があるだけですよ」と言いました。
陸機はこれをふしぎで気の毒であると思い、きのうの道を戻りながらちらっと見てみると、
空と野原はまきあげられた砂でつちぐもり、ひとかかえもある木が日をおおったので、
きのう知りあった人はほんとうに王弼だったのだなぁとと信じました。

425:1(ry
07/03/23 23:59:24
 一説には、陸雲が一人ででかけて、むかしなじみの家に泊まりに行きました。
夜が暗くて道に迷い、どこにいるのかさっぱり分からなくなりました。
すると草がしげる中に火が光るのが見えたので、陸雲はお腹もすいていたので、
そっちへ行ってみました。一軒のかきねも建物もきれいな家についたので、
泊まっていくことにすると、ひとりの二十歳あまりで、容姿がとてもきれいで、
論説は古いものでしたが、人とちがっては見えない若者に会いました。
そしていっしょに老子について論じあい、教えの奥深くを極めるまで語りあいました。
陸雲が出発するときに、彼がお別れをして言うには、「私はこの山陽の王弼です」と言いました。
陸雲がそとに出て門からでてふりかえって見てみると、そこはただ一つのお墓でした。
陸雲ははっと気がつくとまたたくまに三日が経っていたと言い、大いにふしぎがって気の毒がりました。」

うあーんむずかしいorz orz orz orz orz(´;ω;`)

426:1(ry
07/03/24 00:00:13
これだけではなんなので、>>385さんのバイオレンス文官魯粛たんも捜神後記巻六からうpしておきますorz
>>385はほかのサイトさんからの引用らしいので、いちおうあらためてへた訳もしてみますorz。
(白文)
「王伯陽家在京口、宅東有大冢、相伝云是魯粛墓。伯陽婦、郗鑑兄女也、喪亡、王平其冢以葬。
後数年、伯陽白日在庁事、忽見一貴人、乗平肩輿、与侍従数百人、馬皆浴鉄、径来坐、謂伯陽曰、
我是魯子敬、安冢在此二百許年、君何故毀坏吾家。因顧左右、何不挙手、左右牽伯陽下床、
乃以刀環撃之数百而去。登時絶死、良久復蘇、被撃処皆発疽潰、尋便死。
一説王伯陽亡、其子営墓、得一漆棺、移至南岡、夜夢粛怒云、当殺汝父。尋復夢見伯陽云、
魯肅与吾争墓、若不如我不復得還。後於霊座褥上見血数升、疑魯粛之故也。墓今在長広橋東一里。」

(適当書き下しorz)
「京口(けいこう)に王伯陽の家在りて、宅の東に大きな冢が在り、相(あい)伝いて云く是れ魯粛の墓なりと。
伯陽の婦(つま)は、郗鑑(ちかん)の兄の女(むすめ)也(な)れど、喪亡(そうぼう)するに、
王は其の冢を平(たいら)げ以って葬る。数年の後、伯陽の白日に庁事(ちょうじ)に在るに、
忽(にわか)に一(ひとり)の貴人の、平肩輿(へいけんよ)に乗り、侍従の数百人を与(くみ)し、
馬は皆鉄を浴び、径(みち)を来て坐すに見(まみ)える。伯陽に謂いて曰く、我は是れ魯子敬なり、
此の二百年許(ばか)りを冢に安んじ在るに、君は何故に吾が家を毀坏(きはい)するか。
因りて左右を顧み、何ぞ手を挙げざると。左右は伯陽を下床に牽(ひ)き下ろし、
乃ち以って刀環で之を数百撃ちて去る。時に絶死と登(な)り、良久(ややひさし)くして復(ま)た蘇るも、
撃たれし処が皆疽潰を発し、尋(つ)いで便(すなわ)ち死す。
一説には王伯陽が亡くなり、其の子が墓を営むに、一つの漆棺を得て、南の岡に移し至るに、
夜に夢で粛が怒りて云うに、当(まさ)に汝の父を殺すべしと。尋いで復た伯陽の夢に見(まみ)え云うに、
魯肅と吾は墓を争い、我は復た得て還らざるを不如(しかず)が若(ごと)し。
後に霊座の褥の上に数升の血を見るに、魯粛の故と疑う也。墓は今は長広橋より東に一里に在す。」

427:1(ry
07/03/24 00:01:29
>>426適当訳orz)
「江蘇省鎮江県の京口に王伯陽の家があって、屋敷の東に大きな塚があり、
魯粛のお墓だと言い伝えられていました。伯陽の奥さんは、東晋の大物である郗鑑の兄の娘でしたが、
彼女がなくなったので、王さんはその塚をくずして平らにしてそこに彼女を葬りました。
数年後、伯陽が真昼間に役所で仕事をしていると、とつぜんひとりの貴人が、肩でかつぐ輿に乗り、
馬はみな鉄の蹄鉄をはめ(?)、道をこっちに来て対峙するのに会いました。
彼は伯陽に、「私は魯粛です。この二百年ほど塚で安らかにしていたのに、君はなぜ私の家を壊したのですか……」
と言いました。そして左右にひかえる者達にふりかえると「殺(や)っちまいな!」と言いました。
左右の者が伯陽を床にひきずりおろし、刀のつかの後ろにある丸いところで
数百発彼をボコボコにしてから去りました。そのとき彼は気絶してしまい、しばらくしてまた気がつきましたが、
撃たれたところがみなぐずぐずのはれものになり、まもなくして死んでしまいました。
一説には、王伯陽が亡くなったので、その子供がお墓をつくる際に、一基のうるしぬりの棺おけが出てきたので、
南の岡に移したところ、夜になって夢のなかで魯粛が怒って「君の父を殺してくれるわ……」と言い、
ついでまた伯陽が夢にでてきて、「魯粛と私はお墓を争っており、私は魯粛に勝てないのでどうやら墓に戻れぬ」
と言いました。後に王伯陽の霊をまつってあるところのしき布に数リットルの血が見つかり、
魯粛がやったと考えられました。お墓は今では長広橋から東に434.16mのところにあります。」

こえぇぇぇぇぇぇ!! オカルト&バイオレンスな狂児かこいいよ狂児ww
しかし不運な王さんとやらには、まことにご愁傷さまでありますorz。
郗鑑さんの娘さんが王羲之の奥さんなので、郗鑑さんのお兄さんの娘さんが亡くなるこの話は、
おそらく四世紀おわりごろの話ですおねー。魯粛さんは217年に没しているので、
たしかに魯粛さんが墓にはいってから、大体200年ぐらいたったころですねw。
なんか正史の魯粛さんは、こういうことを素でやりそうなふいんき(ryが行間からあふれているように思えますw。
なんかこの魯粛のお墓は、いまでも江蘇省にあるらしい……行ってみたいような怖ろしいようなwww

428:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 00:26:24
>>427
乙っス!

しかし流石は狂児ww
まぁ、そこにしびれる憧れるワケだがww

429:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 00:51:29
呉軍師スレで、周瑜より魯粛の墓の方が
人気があるなんて不思議だと言われていたが、
このエピソードがあるから大切にされてるんじゃねw

430:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 01:20:54
晋の「清河」の陸機?陸雲の間違い??

431:1(ry
07/03/24 01:33:36
>>428-429
あるあるwwwww

>>430
自分も平原じゃなくて清河かー? やっぱ王弼の幽霊にあったのは陸雲たん? と
おもったのですが、>>423-425が自分にはむずかしすぎて意味がよくわかんなすぎなので、
疑問点はぜんぶ放置しますたorz……文意がわかってからかんがえるですーorz orz orz。

432:1(ry
07/03/24 02:01:39
30分考えたけどやっぱ>>421ワカンネorz orz

ついでに>>427訂正ですーorz
「肩でかつぐ輿に乗り」と「馬はみな鉄の蹄鉄をはめ(?)」のあいだに「数百人の従者をしたがえ」ですorz。

しかし、王伯陽さんも奥さんが郗鑑の兄の娘さんだし、決して身分の低いひとではなかったのでせうに、
その王さんが貴人というのですから、魯粛って身分があったというか、お金持ちだったんだなーw。いいなあ(ry

433:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 03:26:55
>>421
>税驂逆旅、問逆旅嫗
俺もお手上げ・・・○| ̄|_ナンダコリャ・・・

434:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 05:10:22
冒頭の「晋清河陸機初入洛」なんだが、
晋書の陸機伝に「至太康末、与弟雲倶入洛」とあるので
本来の原文は「晋の陸雲と陸機の二人が初めて入洛した」という意味だったんじゃないか
それが何らかの原因で混乱して「晋清河陸機」になったんじゃないかと思う
そうすると後半の一説の冒頭が「一説陸雲獨行」となって
わざわざ陸雲が「獨行」したと強調しているのもすっきりする

つまり最初のエピソード
 陸機と陸雲の二人とも王弼の幽霊に遭った(でも主役は陸機)
2番目のエピソード
 王弼の幽霊と遭ったのは陸雲だけ
ということじゃないかと推測する

435:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 05:35:57
次河南之偃師
も「次」には「いたる」の意味があるので
「河南の偃師に次(いた)る」で
河南郡の偃師県にいたるということだと思う
ただし、太平広記巻318にこの話が省略引用されていて、そこでは
「次河南、行偃師」となっているので、それを踏まえると
「河南に次り、偃師に之く」
(洛陽のある)河南郡に至り、(更に洛陽の一歩手前の)偃師県に行く
と読むのかもしれん(ちょっと表現としてくどい気もするが)

いずれにしても洛陽に着いてから偃師に向かったのではなく
洛陽に向かう途中、というか洛陽につく少し前の出来事だと思う

436:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 10:09:08
>>427
正史の魯粛ならやりそうだwww

>>434-435
GJ!!!!続きキボンヌ…

437:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 14:32:45
時に久しく結陰し、道の左を望むに民居有るが若し、因って往きて投宿するに、

時人は自分の持っているテキストでは「時久」に作っている
「結陰」は、ググルと樹木が影を作るの用例が多く出るが
謝霊運の悲哉行に「檐上雲結陰」とあり、
また張衡の南都賦に「玄雲合而重陰」という例もあるので、
恐らく空が分厚い雲に覆われて道を進むのに支障をきたすほど
暗くなったというこじゃないか
ちなみに太平広記では「結陰」を「陰晦」に作っている

難しく考えずに単に日が暮れて暗くなったというだけかもしれんが

438:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 14:38:25
お疲れです!連載みたいで続きが楽しみw

439:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 15:58:38
置易投壺の置易がさっぱりわからん

調べているうちに、太平広記巻318の他に芸文類聚巻79神と太平御覧巻884鬼下と
水経注巻16穀水にこの文章が引用されていることがわかった

>>434で王弼に会ったのは陸機と陸雲の二人じゃないかと言ったが
現行本異苑以外は陸機のエピソードとして清河の文字も陸雲もでてこないので、
現行本異苑の「晋清河陸機」の清河は単なる誤字で陸雲は関係ないかも試練

>>437の結陰についての考察も、芸文類聚と太平御覧は「時夕」としているので
難しいことは考えずに、日が暮れて暗くなったということでよさげ

440:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 16:33:49
ワクテカして待ってます!
俺は漢文が読めないからそもそも理解できないのだが
>>421はそんなに難しい文章なのか。
>>423氏も>>439氏も乙。

441:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 23:16:28
訳の続きを期待しつつ、同時進行で…

>>427
URLリンク(kankouha.cool.ne.jp)
>1.魯粛墓遺祉 (鎮江)     ランクC、到達
>2.鎮江魯粛墓 (鎮江北固山)ランクC、到達
>3.岳陽魯粛墓 (岳陽)    ランクB、到達
>4.亀山魯粛墓 (武漢)    ランクC、到達

江蘇省鎮江県の墓ってこの1か2じゃね?
魯粛墓は愛されてるというより恐れられて大事にされてそうだなwwww

442:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:05:02
演義のお人好しな魯粛像はどっから出てきたんかねえw

443:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:26:06
>>442
孔明の地位を相対的に高めるためじゃね?
あと、魯粛の戦略は劉備にある程度の力を持たせて曹操に対抗させるってことだから、
蜀びいきの人間からしたら、「劉備や孔明のために何故か頑張ってくれるお人好し」に見えちゃうのかもな。
まぁ何はともあれ、狂児かこいいよ狂児という結論は動かんワケだが。

444:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:33:47
>>441
狂児の墓4つもあんのかwwwwwww

445:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:38:59
一年少を見る、神姿端遠たり、置易投壺(?)、機と言論するに、玄微を妙得す。
置易投壺はわからん。現行本異苑と太平広記以外のテキストには「置易投壺」の語が
無いので、無視してもとりあえずは問題なさげ
「与機言論、妙得玄微」は、類聚と御覧は「與機言玄門妙物」に作り、水経注は
「與機言玄」とする
どのテキストも「玄」の字を共通して使っているが、王弼は周知の通り老子の注釈を
作る等、玄学すなわち老荘思想に通暁していたわけで、「妙得玄微」は「深遠な道理
(=老荘思想)を会得していた」ということじゃなかろうか

機は其の能に心服し、以って酹抗する無し。
酹抗は、現行本異苑以外は「酬(詶)抗」に作る(水経注は酬折)
酹抗にするのは恐らく現行本異苑の誤字で、酬抗と解釈して
「陸機は彼の才能に心服し、異議をさしはさめなかった」ということだと思う

「無以酹抗」の後に、水経注には「前致一辯」(前(すす)みて一辯を致す?)という
一文があるが、これもどういう意味かちょっとわからん

446:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:43:20
訳の続きキター(AA略
乙です!!

>>440
難しいのもあるが、異苑に誤字が多いんだと思う…



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