三国時代の文学スレッド3
at WARHIS
1:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 14:55:13
後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や
曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などが
たくさんの優れた文学作品を残し、中国文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、
それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、
三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、
真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ
纏めサイトさん・過去ログ
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避難所
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関連スレ
ねえ、曹操の詩って良いよね(古文・漢文板)
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曹操の詩(中国英雄板)
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2:1(ry
07/03/05 14:57:32
前スレ
三国時代の文学スレッド2
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三国時代の文学スレッド
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前スレの過去ログ
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三国時代の文学スレッド
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3:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 15:18:41
乙
前スレ夜埋めるならもうこっちでいいかな。
于禁も丁儀も良く取れば取れる物だな。
4:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 16:44:15
>>1
乙です。
5:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 16:59:46
おつーる
6:1(ry
07/03/05 17:11:16
乙であります(`;ω;´)ゝ
_,,..,,,,_ _,,..,,,,_
_,,..,,,_/ ・ω・ヽ/・ω・ ヽ,..,,,,_ 前スレの>>983-から相談したとおり、
./ ・ω_,,..,,,,_ l _,,..,,,,_/ω・ ヽ ひとりの文学者に視点を固定しすぎると
| / ・ヽ /・ ヽ l その文学者にとっての利害が一般化してしまって
`'ー--l ll l---‐´ よりいろんな角度からの鑑賞がむずかしくなってしまうですね。
`'ー---‐´`'ー---‐´ せっかく三世紀の中国の人にたいして中立的な立場にあるしw、
唯一の解がないのが文学のいいところだとおもうので、
いろんな角度からマターリ鑑賞できるように気をつけていきたいですー。
7:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 17:14:51
>>6
乙です。
そんなに気にしなくてもいいんじゃないか?
文学スレなんだし、文学作品の鑑賞に留めておけば
角が立つようなこともないでしょう。
そこに政治や軍事を絡めるからややこしくなる。
8:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 17:16:18
ひよこw
楊修の先祖の雀話が不思議だった
4代しか続かないって予言されてたってことだよね
9:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 17:17:36
ま、作品と人格は必ずしも一致するとは限らないからね。
10:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 17:21:30
前スレの「不良が子犬を拾う〜」ワラタ
賈クあたりも、もし彼の文章が残っていたら
「実はかわいい親父じゃないか」ってことがあるのかもな
11:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 17:30:30
>>6
楽しくやってきましょー
三国時代以外でもこのスレのおかげで
王敦とか陸機兄弟など興味持った人いっぱいで幸せだよ('∀')
12:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 17:35:27
>>6
ひよこ饅頭カワイイw
しかし、思っていたよりも前スレが早く埋まってしまったけど
菊慈童うp気長にお待ちしてますー
13:1(ry
07/03/05 17:36:41
>>7,>>9
時代背景と文学作品の鑑賞は絶ちがたいですが、背景の考察は(とくに為政は)
文学側から追うのはむずかしいときも多いですからねー。
せっかく為政系の考察スレがまわりにいっぱいあるので、突っこんで考えたいときには
内容に適したスレがいいかもですね。逆に文化史を為政系のスレで考えるのはむずかしそうですーw。
>>10
賈クは奏請治王立周忠罪というのがあるみたいですが、これはビジネスライクですw。
>>8
後漢書の記述なので、自分もふしぎですー。楊修はちょうど五代目なのが(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
しかし、前スレ>>922さんに教えていただいたとおり、後漢書のあそこのとこを読んでから
野田黄雀行をよむと、曹植たんのもっていたものがどれほど大きなかなわない願望だったのかと思うですー。
その悲しみをあざやかに表現する気骨の太さをもった人が、それをどれだけ悔しく思っていたのかと。・゚・(ノД`)・゚・。
>>11
ずっと思っていたのですが、陸雲たんがただの爆笑ツマヨウジパクラーあつかいなのは
もうしわけないので、陸雲たんの詩をうpしてみるですー(`・ω・´)ゝ
>>12
バランスよくうpしてみるです(`・ω・´)ゝ
14:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 17:42:30
>>10
そういえば賈クも腹黒い軍師というイメージがあるけど
私生活面では娘の相手に役人の家柄を選ばなかったりと
良いお父さんだったらしいですねー
15:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 17:45:36
>>14
官界での権力闘争の怖さを知っているからこそ交友を広げないのは賢いよね
自分は一代限りでプレイヤーから降りますよって宣言すればあとは有り余る資産で悠悠自適だしさ
16:1(ry
07/03/05 18:37:28
>>14-15
陸遜・陸抗・二陸兄弟もプレイヤーからおりてくれれば。・゚・(ノД`)・゚・。
陸雲たんの詩をうpしてみるです。
『答兄機』 陸士龍
悠遠塗可極 別促怨会長
銜思恋行邁 興言在臨觴
南津有絶済 北渚無可梁
神往同逝感 形留悲参商
衡軌若殊跡 牽牛非服箱
(適当書き下しorz)
「塗(みち)は悠遠なるも極(きわ)む可(べ)く、別れは促(すみ)やかに会うは長きを怨む
思いを銜(ふく)みて行邁(こうまい)を恋い、興(た)ちて言(ここ)に觴(さかずき)に臨む在り
南の津(きし)に絶済(ぜっせい)の有るも、北の渚には可梁の無きを
神(しん)は往きて逝く感を同じくし、形は留りて参商(さんしょう)を悲しむ
衡軌(こうき)の跡(あと)を殊(た)つが若(ごと)く、牽牛の箱(くるま)に服(つ)くに非ざる」
(適当訳orz)
「みちのりははるかに遠くても終わりがありますが、お別れはすぐなのに、
お会いできるのははるかに先なのをうらめしく思います。
思いを内に含み、遠くへゆかれることをこいしたいながら、たちあがってこのさかずきにのぞみます。
南の川岸には切りたった舟の渡し場がありますが、北の砂でできた渚にはかけられる橋がありません。
私の精神はいっしょについていって、最期のときも同じことを感じます。
しかし肉体はここに留まり、参星(オリオン座)と商星(金星)のように
常に二人が離れていることを悲しみます。
馬車の横木とそのわだちから、そのわだちの跡がたたれたようなものです。
車をひく牛が、車につながれなくなってしまったようなものなのです」
17:1(ry
07/03/05 19:02:00
>>16
これは、陸雲たんが兄の陸機とわかれることを悲しんで詠んだ作なのです。・゚・(ノД`)・゚・。
前スレ>>852-853さんの黄耳の話のとおり(違うときかも)、陸機はひとりで北(洛陽)に
いかなくてはいけなくて、陸雲たんは兄とわかれて南(呉)に残ることをうらんで詠んだのですね。
なので、さかずきというのはお別れのさかずきだと思うですー。
南部をながれる長江は赤壁があるぐらいなので、切り立った断崖のような川岸で、
その下に宋代の絵にでてくるような船着場のようなものがあるのだと思うのですが、
北部にある黄河は砂漠のなかを流れてくるので、砂洲があって遠浅で、
舟をわたしにくいし橋もかけづらいのではないのかと思ったです(違うかもorz)。
参商というのはオリオン座(深夜に南中)と明けの明星(午後一番に南中)のことで、
いちどに同じときに夜空にのぼることがないので、会えない人をたとえることだそうです。
さいごの句の牽牛は、ヒコボシのことではなくて牛車をひく牛のことだとおもうのですが、
二つ前の句でだした星座によびかたをかけて表現しているのですおね。
衡軌……のくだりは、上海古籍出版の文選の注がなんかよくわからなかったのでorz、
てけとーに訳してしまいますたorz。
とてもロマンチックなわかれの悲しみの詩だと思うですー。
郷土(呉)への憂国と愛情のおもいが薫り、しかしそれ以上に兄について行きたいという別れの悲しみと、
その別れる距離のとおさが、くりかえされる路に関した描写でどれほどのものかと想像させると思うですー。
馬車のあとについてできるわだちの跡が馬車からひきはなされる、
車をひく牛がもう車につながれていないという喪失感の表現は、いままで弟が兄についていき、
ときに助けていたんだなーと思わせ、それが失われるかなしさと淋しさを感じさせるように思いますた。
兄ちゃんと仲よしだったんだろうな。・゚・(ノД`)・゚・。
もし黄耳のときによんだ作ならば、このあと洛しばらくして陽で陸兄弟は合流できるわけで、よかったですー。
18:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 19:23:50
>>17を見るまで恋人と別れる詩かと思ったw
19:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 19:35:19
>>17
時系列的には、
曹操の爪楊枝パクって兄弟でキャッキャッと楽しい日々を過ごすのは
この後になるのかな?
20:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 20:26:34
>>18
俺も俺もノシ
兄貴と何歳違うんだ?どんだけ仲良かったんだ・゚・(ノД`)・゚・
21:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 20:35:17
>>19 兄弟でキャッキャッと楽しい日々
ならいいんだけどね。
手紙をやりとりしてたくらいなので、一緒に暮らした時期は短かったんじゃないかな?
しかも陸機は晋の人士達との間に強烈な軋轢を起こしてるから。
早く呉に帰って、兄弟仲良く東晋で高位に就いてくれていたら…と思うよ
でも、こんなに心惹かれることも無かったかもしれん
>>20
年子。ひとつ違い。お互いに作品を添削しあってたみたいだね
陸雲は兄以外の人に送った手紙も残ってるんだが、やっぱよそよそしいものが。
『平復帖』がさっぱりよくわからんのです
わかるとこまでうpしますが、どなたか助けていただけますか?
22:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 21:09:30
>>21
俺は漢文全く駄目なんで無理だが、誰かが手伝ってくれると思う…
陸雲は兄思いの良いヤシだ。・゚・(ノД`)・゚・。
23:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 21:36:07
>>16-17
兄貴を心底慕っているのがよく伝わってくるね
この兄弟、死ぬ時は一緒なんだよな
24:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 21:41:47
本当に陸一族は真っ直ぐな心を持っているよな…泣ける。
25:無名武将@お腹せっぷく
07/03/05 22:07:15
>>16-17
>衡軌……のくだりは、上海古籍出版の文選の注がなんかよくわからなかったのでorz、
>てけとーに訳してしまいますたorz。
明治書院「新釈漢文大系14文選」では
「衡軌若し跡を殊にせば、牽牛の箱(くるま)に服(つ)くに非ざるごとし」
と訓じ、軌を軛(くびき・轅の端の部分)の誤りとして、
「車の轅(ながえ)の端の横木と車軸とは共に在るべきなのに
迹を殊にするようなことがあっては、牽牛という名の星ばかりで、
車につけられないのと同じである(兄弟も衡軛のごとく一緒にいてこそよいのである)」
と作っているよ。
しかしこれは意味が通り難いので>>16の解釈の方がいいと思う
26:無名武将@お腹せっぷく
07/03/06 02:26:27
新スレage
27:無名武将@お腹せっぷく
07/03/06 10:36:57
某日、歴ゲー板に「無双シリーズ史上最悪の失敗点」というスレが立つ。
しかし良スレだったスレは三国無双2信者によって中盤から荒らされ大変なことに・・
しかし荒らし達はカズ子なるコテが犯人だということにしようとしたものの
明らかに自分達がスレの混乱を招いた張本人であることがバレバレw
好評な無双シリーズの他作品に対するすさまじい嫉妬から、いつもの如く
気持ちよくスレを荒らしてたゴキブリ共であったが
スレ住人らに自分達の厨行為を正当化するのが無理であることを思い知らされ突如豹変。
自分達のスレでコソコソ陰口叩きつつも恥ずかしいログを流すべく、
怒涛の連投で失敗点スレを埋めていくのであったw
この日を境にものすごい勢いで2信者は暴れ出し今も無双関連スレを荒らしてるが、
失敗点スレで論破されたという恥ずかしい過去は消えるのだろうか・・・
彡川三三三ミ
川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
川川::::::::ー◎-◎-) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
..川(6|:::::::: ( 。。)) < 2こそ最高w
川川;;;::∴ ノ 3 ノ \__________
ノ\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ ゲプッ
( * ヽー--'ヽ )
(∵ ;) ゚ ノヽ ゚ ):) ○三国無双2信者
(: ・ )--―'⌒ー--`,_). ○36歳
(___)ーニ三三ニ-) ○歴ゲー板の荒らし(そろそろ2年目に突入)
(∴ ー' ̄⌒ヽω ). ○無職
`l ・ . /メ / ○中卒(議論で瞬殺される凄まじい低能ぶり)
ヽ ∵ /~- / ○童貞
(__)))))_))))) ○好きな行為『2を誉めてくれないスレへの荒らし』
. ○嫌いなコテ『カズ子』
28:無名武将@お腹せっぷく
07/03/06 11:22:53
>>25の意味が解らないのでkwsk
29:無名武将@お腹せっぷく
07/03/06 14:52:17
>>18
遅れ馳せながらノシ
こんなに仲のいい兄弟が゚・(ノД`)・゚
30:まとめサイト ◆XoQX5vgfQU
07/03/06 16:08:57
URLリンク(www.geocities.jp)
ここまでUP
31:無名武将@お腹せっぷく
07/03/06 20:01:25
>>30
いつも乙です。
32:無名武将@お腹せっぷく
07/03/06 21:42:52
>>28
轅(ながえ):馬車・牛車(ぎっしゃ)などの前方に長く突き出ている2本の棒。
先端に軛(くびき)をつけて牛や馬に引かせる。
>>16の軌を軛の誤りとして、轅と軛は共にあるべきであると解しているらしい。
しかし軌を原文通り馬車の軌(わだち)と解釈するほうが「若殊跡」が自然に解釈出来るし、
牽牛は>>17氏の如く表現を掛けているだけで実際は荷引き牛と解釈したほうが自然であると思う
33:1(ry
07/03/07 01:11:52
まとめさんいつも乙であります(`・ω・´)ゝ
>>18-
#答兄機(陸雲)
これがいつごろの作なのか、上海古籍出版の文選と文津出版社の陸清河集には
かいてないようなので、自分はよくわかりませんですたorz
「南津有絶済、北渚無可梁」というのは、あきらかに長江流域を去って
黄河のほうへいく兄をさしていると思うので、陸機が洛陽にいって
陸雲は呉にとどまる(そいで陸機が黄耳に手紙をたのむ?)という場面だとおもうのですが……orz
もしそうなのだとしたら、陸雲も晋につかえ、ツマヨウジの手紙をかいたりするのはこのあとですおね。
URLリンク(www.geocities.jp)
↑前スレにうpしたところなのですが、世説新語なので本当かどうかよくしらないのですが、
洛陽ではいそがしくて離れて文通していることも多かったのでせうが、
こうして一緒の寮にすんでいたりできたこともあったみたいで、よかったです(*´Д`)
司馬穎のときに兄弟で呉にかえっていれば……うあーんばかばか。・゚・(ノД`)・゚・。
陸雲はこの作で「南津有絶済、北渚無可梁」として、亡国への愛情をうたっていますが、
しかしあるいは呉をすててでも兄についていきたい、という心情をうかがわせるところが、
陸雲らしいなーと(自分は)思うのですー。すごく兄ちゃんが好きだったんだろうな。・゚・(ノД`)・゚・。
>>25,>>28,>>32
URLリンク(p.pita.st) ←わかりづらくてすまんですが、牛車とかはたぶん
こういうふうになっていると思うのですー。自分も「軌は軛のあやまり」「牽牛=ヒコボシ」とするよりも、
「軌」も「牽牛」ももじどおり「わだち」「車をひく牛」として(牽牛は参商と表現だけをかけことばにして)、
「車(陸機)とわだちの跡(陸雲)がべつべつにされる」「車をひく牛が車につながれていない」としたほうが、
とおりがいいかと思ったのですが、よくわからんです……orz。
>>21
平復帖か、ふっ、まかせたまえ。といえればいいのですが、むりぽですorzw
でもぜし読みたいのでうpきぼんですー(0゜・∀・)wktk
34:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 01:19:35
絵の横に伸びている棒がナガエ?
35:1(ry
07/03/07 01:38:00
>>34
そうなのですー。封筒の裏でみづらくて済みませんorz
ながえの先にくびき(牛の背中をまたいでいる黒いやつ)をつけて、そのくびきを牛にくっつけて(?)
車をひかせるのだと思うですー。中国の三世紀の牛車はちがうかもなのですが……orz orz orz
そいで、牛車(馬車でも)のけつのところを見ていただければ一目瞭然だと思うのですが、
車のわだちは、いつも車のうしろにでっぱったながえの先っぽをおいかけて離れず
ついてできるのですおね。それを、いままで車(兄)をおっていたわだち(弟)にたとえて、
車からわだちをひきはなすなんて、そんな無理な表現をすることで、
兄ちゃんとの別離のかなしさを詠んだのかなーと思ったのですー。
そうすると、つぎの牽牛……にも詩景がむりなくつながるし、全体をとおしてくりかえし
描写される、兄がゆく路のながさを想起させる表現にも合致するかなーと思ったのですが……。
軌(わだち)を軛(くびき)のあやまりとしてしまうと、>>32さんのように、「跡を殊つ」というのが
意味不明になってしまい、しかも次の句でヒコボシを出してくると、もうわけがわからないので
>>16のように解釈してみたです……でも文選も長いあいだ学者のみなさんが研究されている
ことなので、自分がまちがっている可能性はおおきいのであまり信用しないでくだされorz orz
36:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 08:49:14
牛カワイイw
37:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 15:30:16
いい兄弟だな。陸抗もいい父ちゃんだったんだろうな・・・
38:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 15:54:29
おじいちゃんの陸遜も…ゲームじゃ少年のイメージが強いけど
39:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 15:59:20
陸抗・陸機陸雲はゲームじゃどんなイメージになってるの?
40:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 16:28:17
>>39
どっちも未登場。三国志大戦では陸抗が最近になって
出たけど女の子みたいになっていた…
41:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 16:37:56
無双陸遜
URLリンク(www.gamecity.ne.jp)
大戦陸抗
URLリンク(www.geocities.jp)
陸機陸雲は西晋扱いになるから三国志ゲーには出ないのかもな。
42:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 17:52:27
このままじゃ不憫なので大戦の渋い陸遜も貼っておく。
URLリンク(www.geocities.jp)
43:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 18:39:55
歴史の表舞台に顔出した時は40代だしな
そして古代人は食生活の関係で現代日本人に比べると10年ほど年上の内臓年齢の法則
もう既に現代人の50代であるからして大戦陸遜でさえもちょっと若すぎると思うぜ
44:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 18:58:28
じゃあ二陸も可憐な詩人兄弟を想像しとったが、オヤジ同士の文通だった訳か…
…オヤジ兄弟ハァハァw
45:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 19:05:25
>>42
イカ!?
陸兄弟は、いいオッサンが笑い病だったり、追っかけしたりしてるのを想像するのが楽しい
46:無名武将@お腹せっぷく
07/03/07 19:30:30
>>45
それは曹一族などにも当てはまりますなw
このスレはいいオッサンの可愛さに萌えるのが多いしなww
47:1(ry
07/03/08 02:32:50
>>36-
うひー、陸遜も陸抗もなぜかジャニーズ風にw>>42はしぶいww
陸遜はいつ名を議から遜にかえたのかしらないのですが、あざなは伯言さんなので、
陸議と呼応しているあざなですから、大人になってあざなをもってしばらくしてから
名を遜にあらためたのでしょうかー。陸康の家を陸績にかわってとりまとめるように
なったときとか……? 孫権が将軍になって21歳で出仕したらしいので、このへんの
どっかで訳あって、へりくだった名にあらためたのかな……
でも呉軍師スレに陸遜のカエルの民話(陸遜がカエルをいっぱいつかまえてきて、頭に
墨ぬって放したので、いまでも長江流域には頭に墨ぬった模様のカエルがいる)をかいたら、
「それは関羽の使者を油断させるためにやったんだよー」と教えていただいたのですが、
>>43さんのとおりならば、みため50代のオッサンがカエルに色ぬりを……(*´Д`)
関羽への一連の手紙といい、なんか陸遜は苦労の人だ(ノД`)
#後期スレで嵆康の話をみかけたので、平復帖をまっているあいだに
嵆康さんの詩をうpしてみます。
『雑詩』 嵆叔夜
微風清扇 雲気四除
皎皎亮月 麗于高隅
興命公子 携手同車
龍驥翼翼 揚鑣踟蹰
粛粛宵征 造我友廬
光燈吐輝 華幔長舒
鸞觴酌醴 神鼎烹魚
絃超子野 歎過綿駒
流詠太素 俯讃玄虚
孰克英賢 与爾剖符
48:1(ry
07/03/08 02:36:53
(適当書き下しorz)
「微風は清く扇(あお)ぎ、雲気は四(よも)に除(はら)う
皎皎(けいけい)たる亮月(りょうげつ)、高隅にて麗(うるわ)し
公子の命(おお)せに興(た)ちて、手を携え車を同じくす
龍驥(りょうき)は翼翼として、鑣(くつわ)を揚げれば踟蹰(ちろう)す
粛粛として宵(よい)に征き、我が友の廬(いおり)に造(いた)る
燈(あかり)は光りて輝きを吐き、華幔(かまん)は長く舒(の)ぶ
鸞觴(らんしょう)に醴(あまざけ)を酌(く)み、神鼎(しんてい)に魚(うお)を烹(に)る
絃は子野(しや)を超え、歎(たん)は綿駒(めんく)を過ぐ
太素(たいそ)を流詠し、俯して玄虚(げんきょ)を讃(たた)う
孰(いずれ)ぞ克(よ)き英賢なるは、爾(なんじ)に符(ふ)を剖(さ)きて与わん」
(適当訳orz)
「かすかな風がきよらかにそよぎ、雲は四方にふきはらわれました。
こうこうと白くあかるい月は、夜空のすみに美しく光っています。
公子さまのおおせに立ちあがり、手をとって同じ車にのりました。
訓練されたりっぱな駿馬はすばらしく走り、たずなをひけばゆっくりと進みます。
しずかにおごそかに夕ぐれの道をすすみ、我々の友人のいおりにつきました。
あかりは光ってかがやきがこぼれ、きれいなとばりは長くすそをひいています。
鳳凰のようなさかずきにあまざけをくみ、すばらしい鍋で魚を煮ます。
琴のしらべは春秋時代の晋で盲目の琴の名手としられた師曠をもしのぎ、
うたごえは戦国時代の斉で名歌手としられた綿駒よりもすばらしいものです。
列子にかかれたものごとのはじまりについてをのうたをたわむれに詠み、
下をむいては奥深く覗いしれない老荘の原理をたたえます。
もしどこかに賢くすぐれた人がいるのならば、あなたにもこの楽しみの割り符の半分をあげますよ」
49:1(ry
07/03/08 02:39:33
嵆康は黄初四年(223)-景元二年(262)、正始年間の文人で、曹叡たんが病没して
曹芳が即位した239年にはまだ16歳で、司馬師が曹芳を廃位したのは254年で31歳、
39歳で呂安に連座して処刑されているですー。それで、彼は竹林の七賢のひとりで、
奥さんも曹家の人で、思いっきり曹家シンパだったので、この詩にでてくる公子というのは
曹家の皇帝ではないだれかだと思うのですー。誰だろう?w とにかく、曹家のみなさんは、
太祖曹操・高祖曹丕・烈祖曹叡と詩文をよくしたからなのか知らないのですが、
とても文人を大切にする政策をとってくれたのですおね。だから、嵆康みたいな
ヘンクツの隠者めいた人とも、公子みずから遊びにいったりして仲よくしてくれたのですねw。
彼は地位は高かったのですが、清談ばっかしてる人で、哲学を論ずるかたわらで、
謎のくすりをつくってのんだり、鍛冶屋さんのまねごとをしたり、琴をひいたりお酒をのんだりと、
なんつうかリベラル派というかヒッピーというか、J=J.ルソーみたいな人ですおね。
なんか18世期のフランスのごとく、そういう一周したデカダンスがおされとしてはやっていたらしいw。
そういうわけで、この作はクーデター前によまれたもので、友人というのは同じヒッピー仲間の
竹林の七賢の誰かじゃないかな……とか思うのですが、建安から黄初のころの詩文とくらべると、
なんとゴージャスでセレブなおされ文化人の薫りがプンプンではないでせうかw。
孔融の文章を「体気高妙、有過人者。然不能持論、理不勝詞、以至乎雑以嘲戯」と評した曹丕が
これをみたら、ひっくり返るんじゃまいかと思うぐらいですw。
二十世紀前半に苦境のなかでブルースをうたったミュージシャンの人が、
それをルーツとしたロックンロールでくるくる踊る70年代のヒッピーのみなさんをみたら、
おどろいてひっくり返るであろうようなものでせうか……w
「興命公子、携手同車」のところは、おもいっきし曹植たんの↓妾薄命二首其一になぞらえていますね。
URLリンク(www.geocities.jp)
自分はどうしても、嵆康さんとか阮籍さんとかの詩はおされセレブ文化人風にみえますw。
50:無名武将@お腹せっぷく
07/03/08 07:17:27
やっぱり呉軍師スレにもいたのかww
陸議→陸遜への改名時期は色々読んでみたり
調べたりしたけどどうもわからんね
URLリンク(cte.main.jp)
51:無名武将@お腹せっぷく
07/03/08 11:09:48
>>47-49
まじセレブだw
すばらしい鍋って何だwww
52:無名武将@お腹せっぷく
07/03/08 15:06:29
>>48-49
ケイ康って隠者で、本だと「先生」「なんじゃ?」という風に書かれているから
老人のイメージがあったけど、意外と若かったんだね。
>>この作はクーデター前によまれたもので
もしそうなら二十代の詩だwwwww
53:無名武将@お腹せっぷく
07/03/08 20:21:58
恵帝をかばって死んだのがケイ康の息子だっけ?
54:無名武将@お腹せっぷく
07/03/08 22:48:28
鍋までもすばらしいとは流石セレブ
魚も旨いんだろうな
55:1(ry
07/03/09 01:48:54
>>50
Thxです! なるほど、いつ陸遜が名をあらためたのかは謎なのですね。
孫権の弟の孫翊、あざなは叔弼のふるい名は孫儼、魏元帝曹奐のあざなは景明、
ふるい名は曹璜で、どちらのあざなも新しい名と呼応しているのですおねー。
陸遜のあざなは伯言で、ふるい名の議と呼応しているので、ちょっとふしぎですー。
>>51-
「神鼎」というのはなんだかよくわからなかったので、「すばらしい鍋」とてけとーに……(ry
鼎というのは金属製のなべかまのことで、曹丕が薄葬詔で「無蔵金銀銅鉄、一以瓦器
(金銀銅鉄を墓に埋蔵せず、すべてかわらけにしなさい)」といったように、
いくら当時の中国にりっぱな金属をつくる技術があったとしても、金属製品はやっぱ貴重品で、
市井のみなさんはおもに土器をつかっていたのでは……と思うのですー。
そんななかで、>>48に列挙されているものは、りっぱな鼎にりっぱな(おそらく金属の)さかずき、
よく訓練されて緩急も自在なすばらしい馬、洛陽の近郊を音もなく夜道をすすむ馬車、
こうこうと光るともしび、美しいとばり布、伝説的な名人をもしのぐすばらしい音楽と、
これまさに文明の華ぞといった、絢爛たる詩景なのですおね(じっさい、ローマか中国かという
三世紀なのですから、これは当時の文明の頂点をきわめた光景でせう)。
そこで嵆康たちは酒に酔いながら、老荘の思想をたわむれにうたっているのです。
その文明の華たる洛陽で、学問をたっとび、みずからも共に詩文に興じる気さくな公子の姿が
えがかれているのは、皇帝の一族が手厚い文化政策をおこなっていることを象徴した風景ですおね。
嵆康は奥さんが曹家の人というのもあるのですが、それをとてもよいものだと考えているで
あろうことが、公子や友人と仲よく酒宴に興じている詩景からもよくわかると(自分は)思うのですー。
56:1(ry
07/03/09 01:52:17
そいで、>>48の雑詩ですが、なぜこんなに鼻につくほどwそういったぜいたくな酒宴の光景が
えがかれているのかなのですが、自分は嵆康はわざとそうしたのではないかと思うのですー。
魏書王衛二劉傳伝第二十一の王粲伝付嵆康伝にかかれていますが、嵆康は隠者ですが
処世もたくみで、なんというか道楽隠者(?)のような人なのですおね。清談をする人は皆そうですが、
かれらは自身が本当にたっとぶべきだと考えている学問を、生臭い世間に利用されてボロボロにされるのが
いやで、書をもって竹林にひっこんでしまったようなのが清談ムーブメントだと思うのですー。
その竹林で、世俗のものは何もなく、皇族から手厚い保護をうけて、美しい純粋な学問の世界にあそぶ
文明をよろこび、文化政策を施す皇族をよろこび、自分たちのエリート的境遇を満喫し、
学問をたたえたのが、>>47-48の雑詩の詩景のように自分には見えるです。
そいで、最後の「孰克英賢、与爾剖符」は、すべての人の上に平等であるという学問の本質にのっとった句、
酒宴のたのしさをあらわす戯れ言であるとともに、ここまでの全体に世俗をすてた、
ある意味では非生産的で退廃的なうたげの描写に、ふっと水をさす表現であると思うですー。
「このたのしみの割り符をわけてあげる」という表現は、この状況が皇族のお墨付的な保護のもとに
存在しているものであることを暗示しています。しかし、魏書にかかれているように処世にたくみで
聡明な嵆康は、この詩をよんだのが254年以前であっても、司馬氏の不隠さに気づいていたと思われますー。
皇族のうしろだてのもとにこの楽しみがあることをよく知っていた彼は、このような宴がいつまでも
続くものではない可能性もよくわかっており、だからこそこのような刹那的な享楽をよんだのでは……
と、自分には思えたですー。そのへんをストレートに表現せずに、自分たちの未来をも皮肉った諧謔で
ひねってみるあたりが、インテリのあそびだなーと思うのですがw。
>>53
#嵆紹
そうなのですー。しかしウドンがなんとかというのは何なのでせう?(・ω・)
57:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 03:21:50
鍋一つからこういう考察が出来るこのスレが好きだ。
58:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 14:26:35
鍋からという訳でもなかろうw
公子は誰なんかね。曹耄?
59:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 14:31:27
曹髦は年が合わなくね?公子沢山いるからこれだけから特定はむりぽ
60:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 16:34:16
曹家は文学好きな家風なんだな
61:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 17:19:46
>>60
曹彰のような体育系もいるけどなw
62:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 18:33:28
文武両道なのだ
63:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 21:07:14
>>55
陸遜の字か。やはり名前変えたら字も変えるものなのだろうか
64:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 22:07:54
そういえば
甘寧のあざなって、なんかちぐはぐだよね
65:無名武将@お腹せっぷく
07/03/09 23:12:29
よくわからんけど「遜」って良い意味ではないみたいだね
甘寧の字はさすが元ゴロツキという感じが・・・w
66:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 00:36:10
名前が「寧(しずか・おだやか)」なのに、あざなが威勢のいい「興覇」
どこから出てきたんだろう
67:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 01:03:50
>>55-56
相変わらずスレを見ていて良かったと思わせる解説乙です。
曹家の文化政策と言うのは、かなり強力な物だったのかな
68:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 01:04:01
そういや、周瑜も名と字、両方に「美しい球」という意味が入っているらしいね。
さすが美周郎。
69:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 01:10:31
周瑜の名と字、と聞いてつい諸葛瑾が脳裏を過ったのは秘密だ
70:1(ry
07/03/10 02:46:27
#あざな
孫権の弟、孫翊のふるい名は儼なのですが、これは孫権が王さまになったので
それを補佐するんだよーという意味の翊にあらためたのでは……と思うですー。
あざなの叔弼さんも、翊に呼応した字(たすけるよ!)ですおね。
魏元帝、曹奐のふるい名は璜で、なぜあらためたのかは自分は知らないのですが、
あざなは景明さんで、こちらも新しい名の奐(ひろくあきらかだよ!)と呼応しているのですおねー。
蜀の韋曜・あざなは公嗣のふるい名は昭ですが、これは新旧どちらの名も似たような意味だし、
そもそもあざなと名があんまり関係ないような……(関係あるのかもですが)。
陸遜のあざなの伯言さんだけ、ふるい名の議と呼応しているので、やっぱりふしぎですー。
遜はへりくだった意味なので、陸康さんちを陸績にかわって治めるようになったときに、
年齢が上だから家を采配してるだけで家長じゃないよ! とあらためたとか、孫権につかえてから
もう各方面にへりくだってへりくだっての連続だったので。・゚・(ノД`)・゚・。、なんかそのへんで
名もあらためたのかなーとか思ったのですが……でもあざなは変えてないってことは、
生きているあいだはずっと議に呼応した伯言というあざなを使ってたのでせうから、
没後に名を変えたのかも……? なんかやっぱりふしぎですー。
甘寧の寧は、浙江省の海岸にある水上交易都市の寧波と関係あるようなないような……とか思ったですw。
あざなの興覇さんは、「水賊のおやぶんだよ!」みたいでおもしろいですが、何か典故があるのかなw。
呂蒙なんかは、あざなは子明さん(あかるいよ!)なので、蒙(くらいよ!)と正反対の意味なのですねー。
>>69さんのとおり、周瑜・あざなは公瑾さんも、諸葛瑾・あざなは子瑜さんも、
典故は同じ春秋左伝宣公十五年の↓瑾瑜なのですおねw。
どんな美しい宝石にもキズはあるんだよーという話なので、周瑜様といえど虫歯や水虫ぐらいあったかも
しれませんし、諸葛瑾のようにすばらしい才能をもった人でも、顔がちょっとロバうわ何をあqwせdrfg
71:1(ry
07/03/10 02:47:38
(白文)
「十五年春、公孫帰父会楚子于宋。宋人使楽嬰斉告急于晋。晋侯欲救之。
伯宗曰、不可。古人有言曰、雖鞭之長、不及馬腹。天方授楚、未可与争。
雖晋之彊、能違天乎。諺曰、高下在心。川沢納汚、山藪蔵疾、瑾瑜匿瑕、
国君含垢、天之道也。君其待之、乃止。」
(適当書き下しorz)
「十五年春、公孫帰父は楚子と宋にて会す。宋人は楽嬰斉をして晋に急を告げさしめる。
晋侯は之(これ)を救わんと欲す。伯宗は曰く、不可なりと。古人の言に有りて曰く、
鞭の長きと雖も、馬の腹に及ばず。天は方(まさ)に楚に授くに、未だ与(とも)に争う可からず。
晋の彊(つよ)きと雖も、能く天に違わん乎。諺に曰く、高下は心に在りと。
川沢は汚(けが)れを納(い)れ、山藪は疾(きず)を蔵(かく)し、瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、
国君は垢(はじ)を含むは、天の道也(なり)。君は其れ之を待てとし、乃ち止む。」
(適当訳orz)
「宣公十五年の春に、魯の公孫帰父は楚の荘王と宋で会いました。宋側は楽嬰斉をつかわして
宋の急をつげさせました。晋の景公はこれをたすけてあげようとしました。部下の伯宗は、
「いけません」といいました。「昔の人は、どんなにムチが長くても、馬の腹までは
とどきませんといっています。天がまさに楚の味方をされているときに、いっしょになって
戦争をしてはいけません。晋がいくら強くても、天にはさからえないのです。ことわざでも、
たかいひくいは心が決めること、といいます。川や沢にはきたない泥水もまざっており、
山や藪はおそろしいわざわいを内包しており、すばらしい宝玉も小さなキズを隠しており、
国の王さまもときには恥をのむことは、天にきめられたありかたなのです」。
(伯宗がこう言ったので、晋の景公は)救援をだすのを中止しました。」
>>67
曹魏は高祖が皇帝の名で、「蓋文章経国之大業、不朽之盛事」と明言してますしねーw。
政策はあまり文学スレむきではないらしいので、公的な面の文化保護はほかのスレむきかもですが、
私的な面では>>60さんのとおり、皇族みずから詩文を愛してたしなむ人が多かったのですから、
皇族手ずからの保護があたえられたという点では、当時としても非常に影響力があったのではないでせうか?
72:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 03:41:07
>周瑜様といえど虫歯や水虫ぐらいあったかもしれませんし
ちょww
73:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 04:03:29
>>66
どっちも国系だよね。
74:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 04:05:38
>>70-71
本当に字は漢字の意味を調べれば調べるほど面白いですね。
まとめサイトにある曹一族の字の話題も貼っておこう。
URLリンク(www.geocities.jp)
周瑜や諸葛瑾の元ネタは初めて知りました。
そのような意味があったとは…確かに周瑜も完全無欠だったとはいえ、
人間ですからねー欠伸や屁をこくことぐらいしてたでしょうな。
(幻滅するようなこと書いてスミマセン…)
そういえば、曹丕の孫にあたる曹髦も文学サロンを開いたりしていたと聞きますし、
文学好きは遺伝し続けていたんでしょうね。
曹丕が長生きしていたら孫と仲良く詩を作ったりしたのかな…と
妄想して泣けてきます。
75:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 04:08:27
おまいら欠伸や屁や虫歯程度なら良いが、水虫はヤメレw
76:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 04:15:23
じゃあ間を取ってワキガで
77:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 04:16:38
おまえら周瑜様のファンに殺されるぞw
78:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 05:27:07
偏頭痛とか腰痛とかだよ、多分!
79:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 08:06:39
周瑜オタですが飛んできますたw
水虫だけは簡便な!
>>68
両方とも美しい珠という意味でも、美しさは瑜>瑾
名前が瑜で字が瑾な周瑜なら謙遜になるがが、
名前が瑾で字が瑜な諸葛瑾は自信家だったんだろうかw
甘寧の字については趙雲とかと同じく何となくカッコイイからでつけてそうだw
80:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 10:05:30
1氏も周瑜オタじゃ無かったか?…w
瑾>亮>均と地道になってる気がする…
81:1(ry
07/03/10 10:54:44
周瑜様オタノシ
曹植たんもシラミがいるし、水虫ぐらいよゆうであります(`・ω・´)
>>79
趙雲さんのあざな子龍は、雲と龍が呼応していますおね。
じつは陸雲たんもあざなが士龍で、おなじパターンだw。
82:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 12:22:58
まあ三国時代の靴じゃ水虫にはとてもなりそうもないけどなw
83:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 13:32:35
どんな靴だったの?
84:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 17:22:14
>>70
ものすごくどうでもいいけど自分の名前が孫匡の字とちょっと似てて意味もなく親近感。
彼も「助ける」って意味合いの名前と字使ってますよね。
みんなでお兄ちゃんを助けるぞ!と思ってたのかな…。
孫朗は孫権の弟としてはひとりだけ異質な感じ。助けるぞー系じゃない。
なんでだろ?
85:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 17:29:26
>>70
公嗣も伯言も単に身分や兄弟順を示してるだけで名との呼応は特に考えられてないんじゃないかな?
86:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 17:44:24
>>85
伯・叔・公は兄弟字だけど、翊と弼、議と言、奐と景明、は呼応しているね。
曜(昭)と嗣は知らんが。
>>81
雲竜型ってあるしなあ。
87:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 17:49:40
>>86
嗣は後継ぎという意味だから公嗣で身分というか立場を表わしてる。
88:86
07/03/10 17:51:20
スマン言葉が足りなかった。曜(昭)と嗣は呼応していないよね。
89:無名武将@お腹せっぷく
07/03/10 17:56:15
呼応はしてないね。
ただ「後継ぎが後を継いで君主となれば下々を照らす存在となるから名と呼応してる」と言えるかもしれない。
ムリありすぎだがw
90:1(ry
07/03/10 23:35:46
>>86
雲と龍は、司馬遷さんのうけうりですが、史記巻第六十一の伯夷列伝第一に、
(白文)
君子疾没世而名不称焉。賈子曰、貪夫徇財、烈士徇名、夸者死権、衆庶馮生。
同明相照、同類相求。雲従龍、風従虎、聖人作而万物睹。伯夷叔斉雖賢、得夫子而名益彰。
顔淵雖篤学、附驥尾而行益顕。厳穴之士、趣舍有時若此、類名堙滅而不称、悲夫。
閭巷之人、欲砥行立名者、非附青雲之士、悪能施於後世哉。
(適当書き下しorz)
「君子は世を疾没せども焉(いずく)んぞ名を称えざるかな。賈子に曰く、
貪夫(たんぷ)は財に徇(したが)い、烈士は名に徇(したが)い、夸者(こしゃ)は権に死し、衆庶は生に馮(よ)る。
明を同じくして相(あい)照らし、同類は相求む。雲は龍に従い、風は虎に従い、聖人は作(な)して万物を睹る。
伯夷と叔斉の賢きと雖も、夫子(ふし)にして彰し益(ますます)名を得る。
顔淵の学に篤きと雖も、驥尾に附して益(ますます)行いを顕ず。厳穴の士の、
趣舍(しゅしゃ)有らば此の時の若くし、類いて名を堙滅(いんめつ)させて称えざる。
悲しい夫(かな)。閭巷の人に、砥ぎ行きて名を立てんと欲す者の、青雲の士に附かざるは、
悪(いずく)んぞ能く後世にて施(あらわ)さん哉。」
91:1(ry
07/03/10 23:36:57
(>>90適当訳orz)
「君子は亡くなって世を去っても、その名を称えるべきなのです。賈子は、
「よくばりな男は財産に殉じ、気性がつよく節義をまもる男は名に殉じ、
おごりたかぶった者は権力のために死に、そこらへんの人は命を惜しがる」といっています。
同じ明かりのもとにいる者はたがいに照らしあい、同類はたがいを求めます。
雲は龍につきしたがい、風は虎につきしたがい、りっぱな人はあらわれて万物をごらんになるのです。
伯夷と叔斉はかしこい兄弟でしたが、(業績を書かれて)あきらかにされたので、
ますますその名を称えられたのです。顔淵はりっぱな学問をした人でしたが、
孔子の弟子だったのでますますそのおこないが知れ渡ったのです。
仙人のようなきびしい暮らしをしているりっぱな人は、(書物に記すのを)取るか捨てるかによって、
このように業績が世に知られもし、あるいは名がうずもれて消えてしまって称えられなくなるのです。
悲しいことです。ちまたの人で、研鑚をつんで名をたてようと思った人は、身分があって
名声の高い人のところに弟子入りしないと後世に業績をのこせないのでしょうか?
(いえ、そんなことのないように、私はこれからこの王侯名族以外の人々についての列伝をかきます)。」
とかいてあるです。趙雲さんと陸雲たんの意外な接点ですねーw。
92:1(ry
07/03/10 23:37:51
#ちなみに陸機たんのあざな士衡は、
後漢書巻二十九の申屠剛鮑永郅ツ列伝第十九の郅ツ伝に、
「西至長安、乃上書王莽曰、臣聞天地重其人、惜其物、故運機衡、垂日月、含元包一、甄陶品類、
顕表紀世、図録予設。」
「西して長安に至り、乃ち王莽に上書して曰く、臣の聞くに天地は其の人を重んじ、其の物を惜しみ、
故に機衡を運じ、日月(じつげつ)を垂れ、元を含み一を包みて、品類を甄陶(けんとう)し、
紀世を顕表して、図録に予(あた)え設(しつらえ)る。」
「西にいって長安について、王莽に上書して、「私の聞くところによれば、天はそれが人であることを重んじ、
それが物であることを惜しむので、機衡をうごかし、月日をめぐらせ、ものごとを分類し、
そうして分けたものを導いて、世のめぐりをあきらかにあらわし、本に書いておくのです。」
とかいてあって、注に「機衡、北斗也。」とでているので、機衡は北斗七星のことらしい。
さらに、鮮于璜碑にも機衡がどうのと書いてあるらしいです。 by 和漢書法大全さん
陸兄弟は、なんとなく空系というか宇宙系というかSF系(?)の名とあざなをもった兄弟なのですねーw。
曹操・孟徳さんと司馬徽・徳操先生の「徳操」は、荀子の勧学に典故がでているらしいです。by 新字源さん
93:1(ry
07/03/10 23:43:39
そいで、あざなの話ばかりして何がいいたいのかというと、>>86さんのように、
三国時代に名をあらためている人で、名とあざなが呼応している人は、
みんなふるい名でなく新しい名に見合ったあざなを使っているようなのですー。
なのに、陸遜さんだけふるい名(議)に呼応したあざな(伯言)なのがふしぎじゃね?
と、>>47にも>>55にも>>70にもかいたのですが、ひつこくきになって(ry
94:1(ry
07/03/11 00:08:18
>>82-83
ところで三世紀の中国の人は、どんな靴をはいていたのでせうかw
曹操は従者に「履不二采(一色以上のはきものをはかせない)」としたらしいですが、
二色以上のくつってなんだろう……周瑜さんは南部の水軍提督なので、なんか足がむれてそうだと勝手に(ry
95:無名武将@お腹せっぷく
07/03/11 00:20:18
麻と絹を織って作った靴とかがあったようだね。
漢字の銘文が織り込んであったり、何色もの糸を使って模様を織り込んだりとかしたようだ。
木靴やら下駄やらもあったらしいけど。
竹林の七賢とかは、基本的には裸足だと思うけどね。
96:無名武将@お腹せっぷく
07/03/11 00:20:29
陸機の名と字のつながりは初めて知った。北斗七星カッコヨス
周魴が偽投降する際に使用した書簡には陸議と書かれているから
そのときはまだ改名してなかったのかも?
呉志では陸遜で統一されているけど魏蜀の方では陸議表記がちらほら見られるね
97:1(ry
07/03/11 00:34:59
>>96
Thxです!! じゃあ、陸遜はずいぶん遅くに名をあらためたのですねー。ほんとに没後かも?
>>95
Thxです!! 通気性のよさそうなくつですねー。そういうのならムレない(ry
もようとか色糸とか、三世紀にもうそんなぜいたくなくつもあったのですね。
前スレからうpしたくて仕方ない魯迅先生の『魏晋風度及文章与薬及酒之関系』では、
何晏ちゃんとか清談をして五石散をのむ人は、皮膚がよわくなってたびやくつがはけないので
下駄やはだしの生活をはじめて、それが風流ということになったと書いてあるですー。
なので、ふだんはいてたタビやくつはよほどゴツゴツした皮かなにかでできたものと思っていますたが、
男性用にも布のやわらかいぜいたくなくつがあったのですねー。
韓非子には、南部(越)の人は冠をかぶらず、いれずみをしてはだしでいると書いてあるので、
三国時代も呉の人はまた文化がちがったのでせうね。提督がはだしってこともないのでせうがw。
98:無名武将@お腹せっぷく
07/03/11 00:37:19
>>92
感無量です!北斗七星(´;_ゝ;)泣ケタゼ
>>94
『世説新語』雅量編に、阮孚が屐を集めていた
王徽之、王献之兄弟が火事で逃げる時屐を取る暇も無く〜
とある。屐(げき)は下駄の事で、晋の時代に大流行したそうです
晋以前では>>95さんの説明のものか、皮で作った靴とか
紐で調節したらしいです
99:1(ry
07/03/11 00:50:01
>>92びみょうに訂正orz
×……本に書いておくのです。」 →◎……本に書いておくのです」といいました。」
#北斗七星
「衡」ははかりなのですが、むかしは北斗七星で時間とか方角(?)をはかったので、
それと「機」のはたらきめぐらせるというのがくっついて、機衡で「北斗七星(が巡る)」らしいです。by 新字源さん改
>>98
Thxです!! 晋の貴族文化は、曹魏の清談がベースになっているぶぶんが
すごくおおきいので、げたも何晏ちゃんとかがはやらせたのが残ったのでせうかね(0゜・∀・)
皮のくつでは、何晏ちゃんのかよわげな足wはすりむけそうですw。
100:無名武将@お腹せっぷく
07/03/11 01:01:49
>>99
糸で作った靴は、「絲履」と呼ばれてる。
>>98氏の補足以外では、残ってるのは草鞋くらいかな?
少し時代が下るが、南北朝時代の顔氏家訓には、当時の貴族が高下駄をよく履いていた事が書かれているらしい。
101:無名武将@お腹せっぷく
07/03/11 01:11:36
>>97
>韓非子には、南部(越)の人は冠をかぶらず、いれずみをしてはだしでいると書いてあるので
冠売りと靴売り夫婦だっけ?
102:無名武将@お腹せっぷく
07/03/11 01:25:06
靴の話題が出たので中国社会風俗史を引っ張り出して見たら
曹真が履をはいて昇殿することを許されていたり、
曹操が北征の帰途に客が来ると知ると驚喜して
早速履を揃えて出迎えたとか書かれていますね。
103:無名武将@お腹せっぷく
07/03/11 01:46:37
>>22さん >>33 1さん お言葉に甘えてうPさせて頂きます
《平復帖》平原内史呉郡陸機士衡書
彦先羸瘵、恐難平復。往屬初病、慮不止此、此巳爲慶。
承使唯男、幸乃復失前憂耳。呉子楊往初來至、吾不能尽。
臨西復来、威儀詳跱、擧動成觀、自軀體之美也。
思識☐愛之邁前、勢所恆有。宜☐稱之。
夏伯榮寇辭之際、聞問不悉。
彦先羸瘵(るいさい)し、平復し難きを恐る。
往(さき)に初め病に属(およ)ぶや、
此に止まらざるを慮(うれ)ふも、此に巳て慶と為す。
唯男を使して、幸ひに爲に復(また)前憂を失ふ耳。
呉子楊往(さき)に初めて來至(いた)るや、吾尽くす能わず。
西より復来るに臨めば、威儀詳(つまび)らかに跱(そな)はり、
挙動観を成し、自ら軀体の美なり。
思識☐愛の邁前なるは、勢の恒に有る所なり。宜しく之を☐称すべし。
夏伯栄寇乱(こうらん)の際なれば、聞問悉(つく)されず。
☐は不明な文字。故宮博物院の解説を参考としました。
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