司馬懿の軍事的才能評価スレ
at WARHIS
1:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 15:57:38
立ててみたが、スレ最後まで使いきれるかな^^
2:ひょーりみ ◆7rAzqBFcf.
07/02/13 15:59:52
そんなものはない
3:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:06:25
孔明の攻撃防ぎきったのに、ゲームでは孔明より弱いという陰湿ないじめ
4:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:07:35
あの諸葛孔明の侵略を阻んだのだから凄い
5:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:14:14
孔明も仲達もどっちも過大評価
6:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:17:18
URLリンク(strawberrymilk.gooside.com)
晋書 高祖宣帝懿紀
一応、正史の宣帝懿紀を読んでくれ
7:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:22:36
仲達と孔明。
中国史を代表する二大名将が同時代に生まれ、
そして同じ戦場で激突したのは、何という歴史の巡り合わせか。
8:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:25:47
優秀だが執拗に追撃する癖がある。
確かに追撃による戦果拡大はセオリーなのだが、並みの相手ならともかく、
孔明相手にそんなことやっていたらカウンター食らってやられる。
9:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:31:12
>>3
だからこそあれだけ凄い能力値なわけだが
10:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:35:54
>>8
孔明は追撃されて数万の損害を出しているが。
URLリンク(strawberrymilk.gooside.com)
諸葛亮は、魏軍が大軍でやってきたと聞き、自ら民衆を率いて上?の麦を刈り取ろうとした。
武将たちはみなそれに不安を抱いたが、宣帝は「諸葛亮は思慮深いが決断力に乏しい。
必ずや自軍の守りを固めて安泰にし、それから麦を刈り取るだろう。私なら二日間昼夜兼行で
進めば十分間に合わせることができる」と言った。そこで、兵の装備を軽装にし、
昼に夜をついで上?に向かった。諸葛亮は魏軍の巻き上げる砂塵を遠くから見、逃げた。
宣帝は「我々は通常の倍の道のりを進んで来たため、疲労している。兵法を知る者であれば
むさぼりかかるところである。
だが、諸葛亮は渭水を天険に我々に攻めかかろうとはしない。これなら与し易い」と言った。
さらに軍を進めて漢陽に宿営し、諸葛亮と遭遇した。宣帝は陣をかまえて諸葛亮を待ちうけた。
武将の牛金に軽騎を率いて諸葛亮をおびき寄せさせた。両軍が接触したが、それだけに終わり、
諸葛亮は退却した。宣帝はこれを祁山まで追撃した。諸葛亮は鹵城に屯営し、南北の二つの山を
天険とし、川をせき止めて二重に防御を固めた。宣帝が攻撃して防御を破ると、夜になって諸葛亮は
逃亡した。
宣帝はこれを追撃して破り、捕虜と斬られた者とは数万にのぼった。皇帝は使者を遣わして軍を労い、
宣帝に封邑を加増した。
その頃、軍師の杜襲と督軍の薛悌とが、「来年麦が実れば、諸葛亮は必ず攻め入ってくるでしょう。
ところが隴右には穀物がありません。冬になったら予め穀物を隴右に運び込んでおくべきです」と
言ってきた。宣帝は言った。「諸葛亮は、二度祁山に侵攻し、一度陳倉を攻撃したが、いずれも敗北し、退却した。
たとえ今後出撃してきたとしても、再び城を攻撃することはない。
野戦を仕掛けてくるはずだ。戦う場所は、隴東であって隴西(註22)ではない。また、諸葛亮はいつも食料不足を
かこっている。帰還すれば必ずや穀物を蓄えにかかるだろう。推測するに、三年間以上は動けないであろう」。
そして、宣帝は、冀州の農民を上?に移住させて耕作させ、京兆・天水・南安の製鉄を統制してゆくよう、上表した。
11:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:39:02
さらにこの時も追撃しているが、孔明は何も出来ず。
青龍二年[二三四年]、
諸葛亮は再び、十数万の兵を率いて斜谷から出撃し、?の渭水南岸に砦を築いた。皇帝はこれを憂慮し、
征蜀護軍の秦朗に歩兵と騎馬二万を統轄させ、宣帝の指令に従わせた。諸将は渭水の北に軍を置いて
諸葛亮を待ちうけようとしたが、宣帝は、「民は渭水の南に集中している。ここは争奪の的となるだろう」と
言い、すぐに軍を率いて渡河し、川を背にして砦を築いた。そして諸将に、「諸葛亮がもし剛勇であるのならば、
武功に出てきて、山にそって東に進むはずである。もし西に進み五丈原に出たのであれば、
我々の軍は事なきを得るであろう」と言った。はたして諸葛亮は五丈原に出、渭水を北へ渡ろうとした。
宣帝は武将の周当を陽遂に駐屯させ、諸葛亮をおびき出させた。数日の間、諸葛亮は動きをみせなかった。
「諸葛亮は五丈原で戦おうとしている。陽遂に向かいはしない。やつの狙いは分かっている」と宣帝は言った。
武将の胡遵と雍州刺史の郭淮を陽遂の防衛に当たらせ、積石で諸葛亮と対峙した。こうして、五丈原に臨む
地で戦いが始まった。諸葛亮は軍を進めることができず、五丈原に退却した。ちょうどそのとき、
彗星が諸葛亮の砦に堕ちた。宣帝は諸葛亮が必ずや破れるであろうことを知り、奇襲部隊を送りこんで
諸葛亮の背後を攻撃した。その結果、五百あまりの首級をあげ、捕虜千あまりを獲得した。降伏した者は
六百人あまりであった。
12:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:40:54
>>7
>中国史を代表する二大名将が同時代に生まれ、
>そして同じ戦場で激突したのは、何という歴史の巡り合わせか。
一瞬、韓信と項羽の事かと思った。
13:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 16:51:21
晋書を信じる奴を始めてみた
14:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 17:00:14
司馬氏に不利なことも盛り込まれているがな。
特に最後の下りをみるとむしろ辛くあたっているとすら思えるが。<晋書 高祖宣帝懿紀
15:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 18:53:39
孔明が名将なのは演技の話
16:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 19:43:32
言うまでもないが正史でも名将
17:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 19:52:14
三戦板の基本だな
好きな人物なら都合の良い記述だけを採り
嫌いな人物なら都合の悪い記述だけを採る
18:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 20:32:21
結論
仲達も孔明も超一流の名将
19:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 20:46:07
そうかあ? 周瑜伝や宣帝懿紀には孔明の前半の事績への言及なんかないんだよね。
蜀がらみで他国の伝や紀に頻出しているのはまず劉備、関羽が圧倒的
孔明の記述が出ているのってせいぜい魯粛伝とか後半の北伐にからんでの宣帝懿紀での
司馬懿の評価ぐらいしか他国の伝に出てこないし。
20:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 20:53:46
劉曄は「関羽と張飛は軍を率いれば厄介だし、
諸葛亮は政治に明るいから今のうちに蜀とってしまえ」
と曹操に進言しているのだがね。まあ無知にして無恥な奴は無視するとしてだな・・・・。
21:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 20:55:26
ちなみに魏書の武帝本紀にも孔明がらみの話なんか無かったように思う。
各地の群雄とか周瑜とか、張遼、黄蓋なんてのは散見できるが、孔明のことなんて
どこにも言及されてないような・・・・曹操の視界には孔明なんてはいってないし、
孔明のライバルと演戯ではあつかわれているはずの周瑜も伝の中で一言も孔明に対する
評価などしてないんだけどね。
蜀伝以外で孔明について言及したのはせいぜい呉書の諸葛瑾編とか、晋書の宣帝懿紀の
北伐話とか魏志の明帝がらみにぐらいしかでてこないんだけど?
22:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 20:56:41
>>20
政治に明るいというのと、名将というのはまったく別の話だよ
23:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 20:59:44
>>19
そもそも、諸葛亮は劉備が生存している内は軍事において活躍らしい活躍はしていない。
(例えあっても蜀討伐)
大体周瑜死亡時でさえ諸葛亮は劉備に見出されてから三年しかたっていないわけで、
しかもそれまで劉備政権下の兵力がそこまで多かったとは思えないし、
まず将軍として活躍するのは殆ど不可能。
諸葛亮ときたら、周瑜伝を持ち出すのは適当ではない。演義準拠の話ならばいいとはおもうが。
24:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:02:32
>>21
>曹操の視界には孔明なんてはいってないし、
蒼天厨みたいだな・・・・・。まあ事実だろうが。
諸葛亮が本格的に軍事行動を起こすのは劉備没後だし、
司馬懿に関しても曹丕没後。
25:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:04:19
諸葛亮の軍事に関する能力を云々するのに、前半生のみで、
それも他国での評判のみで考える理由が分からん。
26:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:05:53
>>21
>孔明のライバルと演戯ではあつかわれているはずの周瑜も伝の中で一言も孔明に対する
評価などしてないんだけどね。
そりゃあ、周瑜と孔明がライバルなんてのは演義とかそれに準拠する小説だけの話だしな。
第一、周瑜自身は劉備陣営に好意的にとらえていなかったし、
性格に一癖ある関羽や張飛でさえ自分の下で使える、劉備は呉に留めておけば骨抜きになる、
なんていっていた男だ。劉備陣営をまともに詮索する気はなかったんじゃないの?
27:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:20:38
>>25
前半生には三国志のビックイベント赤壁があるんだが・・・・・
後世に俗で語られる活躍って半分はあの戦いがらみだろw
戦いの当事者である曹操と周瑜から共に名前があがらないとは
どういう訳だろうかw
>>24
晋書には司馬懿が曹操から関羽の脅威にどう対抗するかとわれて意見を述べているシーンがあるが・・・・
曹丕とも仲がよく重要されているがな。
28:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:26:02
>>25
名声って自国の伝では補正がかかるから良しにつけ、悪しにつけ、
名前があがるって重要じゃないかな
どうでも良い存在なら名前挙げたりはしないし。
劉備ら3人は一時期曹操の所にも身を寄せていたから
魏の臣下とも直接交流あったわけだし、皆がその地から認めているわけで。
周瑜も直接2人にあっているから部下にほしがっているが、孔明なんて
名前あげているのは親交のあった魯粛か司馬懿しか知らないのはどういうことだろうね。
曹真伝や張コウあたりは未読だから北伐がらみの武将伝となれば言及あるだろうけど、
すくなくと荊州〜蜀入りまでほとんど誰もしらない状態だし。
29:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:31:30
>>28
荊州〜蜀入りまで有名ではないのも仕方ないだろ。
諸葛亮が本格的に軍事行動を起こすのは劉備没後って>>24で述べてる人いるじゃん。
そもそも名前が挙がってない=誰も知らないというのは極論ではなかろうか。
30:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:32:08
人物眼に優れた劉備が、孔明に軍事を任せていない事からも、
孔明に軍事の才が大して無い事は明白。
31:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:32:25
>>27
諸葛亮の赤壁での活躍を否定するのに、前半生での軍人としての評判を持ち出す必要ないだろ。
そもそも、蜀書でも諸葛亮の赤壁での活躍なんて書かれてないんだから。
孔明の軍才を否定したいなら、そんな変な事せず、
堂々と北伐なり南中制圧なりを考察して否定すればいい。
>>28
政治家としてなら、賈詡や劉曄が言及してるよ。
諸葛亮の軍事的才能を考える際に、前半生での他国の評判のみで考える必要は無い、って事。
32:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:34:33
諸葛亮は中郎将→将軍だから武官
あと益州攻めで後発の軍の大将
ちゃんと軍事を任せられてるじゃない
33:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:35:25
>>31
赤壁で重要な役割はたしているなら魏書、呉書でまずとりあげているだろう。
蜀がらみでとりあげられているのは
劉備との戦いは不利であった「武帝本紀」とかはあるけど、多分関羽や張飛が
奮戦したんだろうし。
34:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:39:12
>>31
張雲伝のラストに蜀漢から名をおくられたリストがあるけど、
先主時代には名前ががあがったのは法正。
孔明の名声があがったのは蜀に入ってからだとかかれてる。
あとは例の5人の武将とかホウトウぐらいか。
35:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:45:17
>>33
結局何が言いたいんだ?
正史の諸葛亮を評価している人で、「諸葛亮は赤壁で大活躍したから名将」
なんて言っている人はいないでしょう。
魏や呉での評判を持ち出して、赤壁での活躍を否定したところでどうなるんだ?
>>34
諡の話か?
諸葛亮が死んだのは劉備より後なんだから、劉備時代に諡を贈られるわけないと思うけど。
36:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:54:38
孔明1人で伝があるだけで十分すげーだろ
37:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 21:56:43
仲達は「紀」 孔明は「伝」 勝負あったね<十分すごい度
38:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 22:00:09
陳寿に無視された司馬懿が何か?
39:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 22:03:26
陳寿は元々蜀人だからだろw
私情を挟むとは歴史家の風上にもおけませんねw
40:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 22:36:17
別に司馬懿を評価するのにわざわざ諸葛亮貶める必要は無いと思うんだけど
いいかげんスレタイに沿った話をしよう
41:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 22:42:43
じゃ、普通に第4次北伐
蜀が負けたなら律儀な孔明がまた降格とかするだろうが、そんなこともないし、
李平を厳しく弾劾してるあたり、やっぱ蜀がキ山で勝利してたとみる
42:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 23:47:53
>>32
単に軍勢を連れて行っただけじゃねーか。
孔明の仕事は補給なんだから、仕事の一部。
43:無名武将@お腹せっぷく
07/02/13 23:57:32
>>42
諸葛亮は犍為の郡境で張飛と分かれた後、徳陽の陌下で張裔を破っている。
蜀書法正伝及び張裔伝、更に華陽国志劉先主志を照らし合わせると分かる。
44:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 00:02:40
益州攻めの時って諸葛亮は趙雲を指揮してるよね
趙雲伝を見る限りでは、少なくとも趙雲は諸葛亮の命令で動いてたみたい
45:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 00:07:06
>>43
何、その伝ひとつたってないような雑魚w
どれぐらいの階級の奴よ?で万単位を率いていた将軍クラスをやぶってからげんきゅうしろよw
46:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 00:08:42
>>44
そりゃそうだろ。趙雲って将軍ではないからな。
魏でいえば許猪みたいなものだ。
47:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 00:12:46
>>44
よく分からんのよね。
法正は、援軍の大将が張飛であるかのように述べているし、
張裔伝でも、諸葛亮に敗れた事を「張飛に敗れた」としている。
諸葛亮伝では、「張飛と共に、趙雲らを率いて」とあるが、
趙雲伝では、諸葛亮が張飛と趙雲を率いていたように書いてある。
まぁ、この辺は司馬懿とあまり関係ないので、これ以上は
スレリンク(warhis板)
こっちでやったほうが良いと思う。
48:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 08:57:56
>>24
事実なわけあるか
襄陽名士サロンの非主流派の筆頭諸葛亮の存在はどうやっても無視できないぞ
非主流派と言っても権力構造を握っていた豪族から一歩引いた形というだけで
諸葛亮自身は、蔡氏を娶っている黄承彦から娘を嫁に貰っている
この娘が蔡氏の子供だとしたら諸葛亮も立派な支配豪族の姻戚関係にもなる
荊州を治めるに当たって諸葛亮は避けては通れない若手のビッグネーム
49:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 12:08:55
その割には司馬も周も曹も亮の名を上げてないなw
それほど有名なら人材好きの魏主が招聘にうごくはずだがw
50:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 12:46:40
自国の1/7の国力の敵国相手で
さらに相手より軍勢は多くて自国領内で戦いながら
敵国の将と互角の戦いだったんだから
司馬懿は孔明よりは下だろ
仮に司馬懿が孔明より優れていたら
国力差と自国領内という地の利で相手の軍に絶大な被害を与えられたはず
結局孔明が相手国領内、軍勢の少なさなどのハンデを克服して
引き分けに持ち込むことができた
まあ他の時代の王朝の初代が滅びた王朝の末代に対して相手を滅ぼすほどの能力の差(政治腐敗や農民反乱もあるが)を有していたのに対し
孔明と司馬懿は相対評価では孔明が上ながら
互いに相手を滅ぼせるだけの能力の差は無かったってことじゃないか
ほかの時代の将との差は分からないんじゃない?
二人とも低レベルな争いで互角だったのかもしれないし
51:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 12:49:02
>>50
俺理論はチラシの裏にでもかけや
52:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 12:58:26
>>51
今更何言ってんだ馬鹿w
53:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:03:42
>>52
相手にしてもらえずに火病かw
54:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:08:28
このスレはほとんど俺理論で構成されてるみたいだが
55:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:12:26
資料も何もない思い込みの50の長文なんて読む価値ないし
56:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:21:36
だったら煽りだけじゃなく
具体的にどこがおかしいか指摘した方がいいんじゃない?
57:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:24:12
おまえの長文をそもそも読んでないからどうでも良い
58:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:32:19
読みもしないで叩いてたのか
59:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:37:17
>>56に同意
どうも少しでもズレた(と感じる)意見がでると煽りばかりになる奴が増えたね
「まともに正史も読んでない奴の意見なんか聞いてられん」って感じの、
相手を見下す態度で否定したって傍目で見てる奴だって気分悪いだろうに
60:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:38:08
>>59
ねえ50くん自演して楽しいの
61:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:43:22
>>60
これが司馬厨か、気持ち悪いな
62:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 13:55:16
>>61
全くだ!これではコーメー厨と同じではないか。
63:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:00:15
3行以上は長文らしくて、まともに読めない子もいるからな
DQNってほんとカワイソ
64:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:03:28
中身の無いオナニー長文よむ位なら桃屋しょう猫の無双系エロ同人誌みた方が
楽しいだろ 常識的にかんがえて
65:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:13:07
>>49
そりゃそうだ
もう劉備の歯車にきっちり組み込まれてるもん
何をどうやっても戦線に出てくるのは劉備なんだし諸葛亮の名前が出てくる方がおかしいよ
66:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:14:07
>>64
お前にとってどっちが楽しいかとかどうでもいいから
とりあえず歴ゲ板か同人板へ行け
67:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:25:33
国力差や自国内と>>50は言うが、諸葛亮が不利を承知で攻めた。
それを司馬懿は相手が持たないのを見越して守りに撤した。
軍事は目的達成によって評価される。
諸葛亮は関中を抜くことが出来ず、司馬懿は抜かれるのを防いだ。
諸葛亮が対陣中に没したとはいえ、引き分けではない。
68:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:40:22
確かに戦略目標を達成できたかどうかで言えば司馬懿の勝ちだろうが
だからといって即能力的に司馬懿>諸葛亮とは
ならないんじゃないかって話でしょ
69:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:41:39
A君とB君がゴルフをしました
B君はハンデを5打もらいました
お互い目的は勝利
結果はB君が1打差で辛勝
B君は思いました
「目的は達成したけど能力は俺が下だな」
70:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:54:11
>>69
そういうことだね
71:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 14:55:37
>>68
あくまで>>50に対しての事で人物比較出来る代物ではありません。
72:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 15:07:07
ゴルフってw
無理に例えるなら、過労気味のA君がB君にB君の敷地のゴルフ場でそのゴルフ場をかけてゴルフを挑みました。
B君は端から相手にしません。
A君がレディースティーからじゃないと打てないのか?と言っても無視します。
そのうちA君が死んでしまいその取り巻きは帰りました。
73:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 15:07:39
>>65
関羽は劉備なみに頻出しているがな
74:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 15:11:00
だから関張は特別だってば
魏呉の武官を含めてもこれほど名前が出てくる奴はほとんどいないだろ
75:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 15:12:31
>>72
それだと結局どっちが上手かったのか分からないな
76:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 15:15:05
>>72
それ第五次だけじゃん
77:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 15:22:55
>>73
関羽は前線にいるからね
諸葛亮は曹操、周瑜が生きてる間は前面に出てこない
唯一孫権を説得した時に他勢力との接点があってそれはちゃんと名前出てきてる
武帝紀には実際に相対した劉備の名前が勢力代表者として出ちゃうし
周瑜とはそもそもカラミがないので書かれるわけがない
諸葛亮が権力握ってた時期の人物の伝には山程諸葛亮の名前は出る
他人の伝に名前出るのは前面にいたのがだれかって事なんだよ
78:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 15:29:49
>>74
実際に、魏、呉の君主から将兵にいたるまで劉関張の三人が面通ししているし
交友もあったし、戦っている中で同時代の将兵がどれほどいるのか知らんが
それでも多くの個人史の紀や伝で言及されるからよほど凄かったんだろう。
裏を返せば、孔明もはやくから結果だせば活躍した分、多くの武将や君主から欲しがられ賞賛されていたと
いうことでもあるそうだろ>>65
79:72
07/02/14 15:35:06
S君はミスターXの大会を荒らすために出ました。
デビュー戦ではキャディーがやらかして失敗しました。
次から好スコアーで最終日まで行きながら、食費の問題で帰らざるえませんでした。
S君の五度目の挑戦時、食費の問題で帰るとわかっているミスターXは大会を引き伸ばしました。
S君は過労で逝きました。
S君のクラブをみて、ミスターXは天下の奇才と誉めました。
あれっ?これでもどっちが上かわからないや。
80:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 15:55:55
>>78
だから賞賛されてるでしょ
劉ヨウに内政で劉備を支えてるって
諸葛亮が軍務に携わって前線で魏呉に関わった事なんか過労死寸前の10年間だけで
それ以前は後方支援担当なんだから敵方から名前出て来ないのは当然
魏や呉で後方支援のみで「こいつの内政すげぇ!」つって敵方の伝に書かれてる人間がいるか?
正史三国志では敵方の伝に名前が出るのは前線で戦う軍人、外交担当者、勢力代表者、この三者が基本
なのに途中まで後方担当だった諸葛亮がその時期に、敵方の伝で名前が出る程内政凄かったって事だろ
81:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 16:03:03
>>80
あんた>>65の時と意見ちがうやん
82:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 16:20:42
>>81
どこが違ってる?
>>49曹操、周瑜、司馬懿のところに名前が出て来ない>>>65だって前面で絡んでないじゃん
>>78早くから結果出せばもっと名前出てるでしょ>>>80普通内政凄いって事で敵から評価されるのは珍しいのに評価されてるじゃん
全く別件について話してるのに違うも違わないもないだろ
83:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 17:12:34
他人からの評判や、評価って、確かにその人物の能力を良く顕しているけど、
やはり実績も顧みなければならないよね。
陳寿は関羽・張飛を「国士の風」と評したし、魏呉の人間も「万人の敵」などと評したけれど、
戦績はというと、魏の五大将に較べれば少ないんだよね。
それに、馬良のように「白眉」と言われながらも、事績がそれほどでもない人物もあるし。
尤も、関羽や、張飛は馬良のような名士層じゃないから、評判やら名声が必要以上につくとも思えない。
(「万人」は恒例の誇大表現だけど)
ましてや関羽は知識人に対して傲慢だったし、知識人を敬愛していた張飛も劉巴に相手にされなかったし。
(寒門の孫堅は、王叡にこばかにされていた為、それを怨んで殺してしまったことを考えれば妥当だろう)
そんな中、洞察力に優れているであろう智者達の関羽・張飛評が的を射ていないものとも思えない。
それに、関羽が軍を北上させた結果、曹操に遷都を考えたくらいで(これを止めさせたのが、司馬懿達なわけで)
また張飛も、劉備が憚り、のちに諸葛亮以下憚ったという魏屈指の名将張郃を破っているし。
逆に考えれば、諸葛亮は荊州名士で、記述も多いのだから、評判よりもまず
実績から斟酌すべきだ。尤も、戦争の「結果」以上に「経過」なども考察する必要がある。
司馬懿に関しても同様。ただ「勝ったから」ではなく「途中」もみて評価してもいいと思う。
84:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 17:30:14
>>80
敵国で名前の挙がり、後方にいた人間でぱっと思いつくのだと、
呉の張昭「民衆からの信望あつく、北面して(臣下として仕え)孫策を助けてる」(王朗伝)
魏の劉曄「しばしば敵(魏国)のために奸計を授けてる」(呉主伝)
この辺りかな…評価としては諸葛亮は張昭に近いね。
人望・人脈で支えるナンバー2だ。
…というか、こういう賞賛は後の世から見た後付が多そうだからあんまり信用しない方がいいんじゃないか?俺が言うのもなんだけど。
例えば先主伝註に傅幹が「劉備は寛大で〜、諸葛亮は政治に熟練し〜、関張は勇猛で〜、こいつら揃ってるんだから必ず征蜀は成功する」
と趙センとの議論の際に言った言葉が残ってるけど、
常識的に考えて涼州出身の傅幹さんが特別南方事情に通じてるとも考え難く、逆に趙センは劉表に仕えていた人物で、
劉備とは面識もあるだろうし、荊州では中々に名の売れた諸葛亮を良く知っていておかしくない。
結局は劉備の入蜀は成功するわけで、傅幹の言葉は正しかったですねチャンチャンとなるわけだが、どうにも怪しい。
そう思って出所を見れば出典は「博子」。著者は傅玄。傅玄の父は傅幹。
これを見て「父親から聞いたとすれば正確性が高い」と言えなくもないが、俺は父親の明敏さを示すための創作じゃないかと思う。
こういう会話や手紙、独り言なんかは(〜〜に勝ったとかと比べて)捏造し易い部分だから、あまり重視しない方がいいんでない?
85:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 17:40:20
>>84
そこは中国的予言って奴だよ
とりあえず事件の前にやたら何でも「こうなるかも」「ああなるかも」って言っといて
事が成ってから「ほら、俺があの時言った事が当った」ってやるんだ
だから、中国人はとりあえず言っとけみたいな面がある
86:無名武将@お腹せっぷく
07/02/14 20:12:22
逆説的には、言質さえ取られなければ大丈夫だという面がある。
文化大革命華やかなりし頃、反動分子として牢屋にぶち込まれ責められても、
不利になる発言を一切しなければ結局釈放されたという。
日本だったらぺらぺらしゃべれば「改悛の情あり」ということで減刑もあるが向こうでは逆。
87:無名武将@お腹せっぷく
07/02/15 01:05:50
スレ支援
88:無名武将@お腹せっぷく
07/02/15 16:32:30
で、他スレからの転載になるが、司馬懿にすこぶる厳しく採点するなら、
孟達 →内応者の手による早期落城。しょせん相手は裏切り者だった。
諸葛亮→見通し甘く判断を誤り、優秀な部下を死なせ、大敗も経験した。
公孫淵→むしろ家臣の反対を押し切り「戦は数だ」と大軍を託し、出費がかさんでも途中で呼び戻さなかった明帝の器量が素晴らしい。
朱然 →窮地に陥る城を前に、大軍を持ちながら野戦を避け「いくぞ、いくぞ」のポーズだけ。
と言って言えないことはないが、北伐に関しては逆の結果も導き出せるくらい詳細はあやふやだし、
孟達・公孫淵戦でも見事な行軍速度が戦の決め手になったという説が有力で、
朱然は結局その動きを見て引き上げ、結果被害なく勝ったのだからケチをつけるようなものでもないだろう。
まぁ晋書など司馬懿を過度に礼賛してるのでは?という疑問も当然あるけど、
そういう細かな描写取っ払っても、やはり当時の魏で司馬懿以上の大功の持ち主は居ないので実力があることは疑いない…と思う。
後は重複矛盾する記述のどちらを選ぶかっていう取捨選択しだいで、稀代の名将からそこそこの良将ぐらいの開きが出るだろうけど。
89:無名武将@お腹せっぷく
07/02/15 17:05:44
>>38
どんなに活躍した人物でも、次の王朝で創始者として帝号を追号されてたり、初代皇帝だったりすると前王朝の正史には伝をたてられない。
魏書に司馬懿伝がないのは後漢書に曹操伝がないのと同じ事。
90:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 11:14:54
このスレ見てお前らが孔明大好きなのはよく分かったw
司馬懿本人の話より孔明の話の方が多いのは何事。
91:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 11:47:23
みんな孔明が好き?当たり前じゃないかw
孔明は好きだが孔明厨がキモくてウザいだけだよ。
92:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 17:20:39
で、司馬懿を語りたい奴は出てこない有様だろ?
いずれにせよ、司馬懿を語る為には諸葛亮は不可欠だし。
93:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 20:35:35
司馬懿は可愛げがない。
諸葛亮のように寿命を削ってまで魏に挑戦しながら果たせなかったという悲愴感や、
劉備や曹操のようにドジって危うく命を落としそうになったという茶目っ気がない。
もろもろの能力は高いかもしれないが魅力を感じないな。
94:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 22:19:43
軍略家としても、策士としても非常に優秀だったのだけれど、
魅力が感じられないなぁ・・・・。
なんつーか面白くねぇんだよ。冥土の司馬懿もこんなこといわれては困るだろうが。
95:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 22:40:24
張コウを無理に追撃させて死なせたのは天然じゃないの?
96:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 22:54:43
>>93
女装ネタや恐妻家エピがあるじゃないか
あとボケ老人のふり
97:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 23:22:23
URLリンク(www.geocities.jp)
ドヘタなポエムも作るんだぜ
98:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 23:39:57
もうみんな孔明が大好き、司馬懿とかどうでもいいし、
ってことがよく分かるスレであるな。
99:無名武将@お腹せっぷく
07/02/16 23:40:55
えらい言われようだな司馬イw
100:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 00:26:46
魏の基本戦略は、「守勢」。
領内に進出してきた蛮族、辺境の反乱者(蜀漢)については
先ず守備に徹する。国力、兵力差で、最終的に勝てるのだから
無理をする必要は無い。敵の疲弊を待って、致命的な一撃を加え
撤退に追い込めば良い。ただ、国内政治的な判断も必要なので
撤退する敵に対して与えた一撃は、最大限喧伝する。
大国に関して最も重要なのは、星を取りこぼさない事。
司馬懿は、対蜀戦に関して、一度も破綻無く守り抜いた。
101:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 01:27:47
>>93
完璧超人=司馬懿より、そりゃキンニクマン孔明の方が人気あるわなw
102:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 08:44:58
後三国志の司馬懿でも読んでおけ
103:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 13:50:50
国力の差で守勢に徹すれば相手が自滅するって
そのとおりだけど戦ってるんだから魏だって国力を消耗するんだぜ?
戦争は早く終わらせるに越したことはないのに
それでも地力の差に頼らざる得ないのは将の差があるからに他ならないとおもうんだけど。
104:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 14:10:41
諸葛亮はそういうことを言って攻勢に出たんだよ。
105:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 14:22:50
>>92
司馬懿の話振っても中々誰も食いついてこないなw
きっと居るには居るけど手堅い武将だから議論になりにくいのでは?
106:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 16:04:14
>>104
それじゃなくてもっと短いスパンでの話。
戦闘っていったほうがよかったかな?
107:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 16:04:21
>>103
陣張っていれば勝手に釘づけされてくれるから楽だったろうね。
108:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 16:44:00
>>106
短期間で見ても決戦のリスクを考えたら持久戦に持ち込んで被害を低く安定させる方が危機管理の面からも優れてないか?
そりゃ短期決戦に持ち込んで被害も少なく必ず勝てる保障でもあるなら決戦すべきだが。
109:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 17:45:47
うん。
司馬懿も負けるくらいなら
権力争いに多少遅れても勝ったほうが良いっておもったから持久戦を選んだんだとおもうよ。
でももともと魏の兵士のほう質は上だろうし、
それに加えて蜀は遠征軍、しかも自国での戦いで地の利もあるのに
負けを恐れるってよっぽどじゃないかな。
110:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 19:23:25
「晋書」宣帝紀の制
生きては実に怯じて未だ前まず、死しては虚を疑いて猶遁れんとす。
良将の道、失わるること斯に在らんか。
(諸葛孔明が生きているときは、その実体におびえて前進できず、
孔明が死んでもいつわりではないかと疑って、さらに逃げようとした。
良将としてそれまで活躍していたのに、ここでいっぺんに台無しにしてしまった。)
やっぱり、張郃失ったのが痛かったのかねぇ・・・・?
蜀側からも恐れられていたんだから、魏側ではそれ以上に武威は知られていただろうし、
魏の臣下の中でもかなりの高給料取りだから・・・・・。
111:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 20:10:36
>>109
残念
兵の質という意味で当時の蜀は変態孔明さんの発明した武器防具で時代最強
112:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 20:15:37
>>111
変なのを想像しちまったじゃないかw
113:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 22:14:39
変態といえば、月英さんとの夜のプレイは正常位中心か?
114:無名武将@お腹せっぷく
07/02/17 23:27:36
>>109
例えば周瑜は曹操が攻めてきた時どうした?まず対岸を占拠し守りを固め、曹操が仕掛けてきたのを撃退、長期戦に持ち込んだ。
陸遜も劉備が隙を見せるまでひたすら守りを固め、馬超に攻められた曹操も守るべきポイントを抑えた後に離間策で破った。
守備側が地の利を活かすってのはそういうことでしょ。相手が遠征してんだから守りを固め相手に無理を強いることこそ地の利ですよ。
結果諸葛亮はどうしようもなくて退くことになった。無理できないからね。
115:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 04:06:48
>>113
顔を見ないようにバックから
116:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 06:26:17
黄月英は地黒、赤毛なだけで顔は美人なんだよ。
支那人の価値観では色白、黒髪が最上だった。
月英さんは遠目に見ただけでは顔の良さなど分からず、
肌や髪の色で不美人だということにされた。
117:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 07:33:28
その根拠は?
118:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 07:47:09
ない。
119:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 10:38:56
そういえば、仲達の嫁や側室の話ってないのか?
120:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 12:42:00
>>119
嫁が側室を素手でキルしたという伝説が残っているな、ああ。
121:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 13:05:41
それどんな話?
122:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 15:28:15
下女が仮病を使って曹操への仕官を断った司馬懿の元気に動いてる(干してた書物が雨に濡れないよう取り込んでる)姿を見てしまい、幼奥様に口封じのため絞殺された事件。
下女はこのときの被害者ひとりしか居なかったから、以降暫くは家事全般を正室がこなしてたそうな。
このとき正室の張春華ってたしか十代前半かそこらだったらしい……
それともっと後だけど、司馬懿の浮気にキレて張春華が絶食、息子たちも母に倣って絶食、慌てた司馬懿が張春華に平謝り、なんて逸話もあったらしい。
123:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 18:21:49
帝嘗臥疾,后往省病.
帝曰:「老物可憎,何煩出也!」
后慚恚不食,將自殺,諸子亦不食.
帝驚而致謝,后乃止.
帝退而謂人曰:「老物不足惜,慮困我好兒耳!」
帝嘗て疾に臥して、后は病に往省す。
帝曰く「ババア帰れ、うぜーんだよ!」
后慚恚して食べず、将に自らを殺さんとし、諸子もまた食べず
帝驚き而して謝り致し、后乃ち止む
帝退き而して謂れを人に曰く「バ、ババアが大事だったんじゃないんだからねっ、子供が大事だったんだから!」
ツンデレ伝説司馬懿
124:無名武将@お腹せっぷく
07/02/18 20:07:03
>>123
キモオタは巣にでもカエレ
125:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 01:02:58
>>122
なんかここでは話の印象がだいぶかわるな
URLリンク(mujin.parfait.ne.jp)
張春華Zhang Chunhua
チョウシュンカ
(チヤウシユンクワ)
(189〜247)
晋宣穆皇后
河内平睾の人。司馬懿の正室、司馬師・司馬昭らの生母である。
父は粟邑県令の張汪、母の山氏は山濤の大伯母にあたる。春華は若いころから徳行があり、人並み以上の智識を
備えていた。(司馬懿に嫁いで)司馬師・司馬昭・司馬幹・南陽公主を産んだ。
司馬懿は最初、中風を口実として魏武(曹操)の命令を断ったのだが、あるとき書物の虫干しをしていて、急に激しい雨
が降ってきたので、思わず立ち上がって書物を片付けた。そのときの様子を女中に見られてしまった。春華は仮病が
知られて罪過を被ることを恐れ、口封じのため自分の手でその女中を殺した。司馬懿の家では女中を一人しか雇っ
ていなかったので、春華は自分で炊事をすることにした。司馬懿はこのことから春華を尊重するようになった。
その後、寵愛は柏夫人に移り、春華はほとんど拝謁を許されなくなった。司馬懿が病気に伏せたので、春華が
見舞いに行ったところ、司馬懿は「憎らしい老いぼれめ、どうしてわざわざ出てきやがったんだ!」と言った。
春華は恥ずかしさと怒りのあまり食を断って自殺しようとした。子供たちも食を断った。司馬懿がびっくりして謝っ
たので、春華はようやく思い止まった。司馬懿は(部屋を)出るとき「老いぼれはどうなってもよいが、わしの
かわいい子供たちが心配でな!」と言った。
春華は正始八年(二四七)に崩御した。ときに五十九歳。洛陽の高原陵に埋葬され、広平県君の位を追贈された。
咸煕元年(二六四)に宣穆妃と追号され、武帝司馬炎が受禅したとき皇后と追尊された。
126:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 01:11:37
「老いぼれはどうなってもよいが、わしのかわいい子供たちが心配でな!」
ツンデレwwwww
127:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 06:29:15
諸葛亮も司馬懿も個性が強い嫁さんだなぁ
ただ者じゃないね。
128:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 10:04:02
かなりキツイ性格の人物じゃね
女中を絞殺してるし
129:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 10:53:11
司馬懿にしたって司馬師の最初の妻を殺してるけどな
130:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 11:23:14
下手人は司馬師説もあるからなあ
131:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 12:51:43
>>129
その話詳しく
132:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 13:40:17
>>129
確か、曹氏から来た人だよね。不審死した嫁さん
133:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 14:01:50
曹氏というか、夏侯玄の妹。曹爽の従兄弟。
134:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 15:19:44
被害者詳細って下のであってる?
URLリンク(ja.wikipedia.org)夏侯徽
これだと司馬師が毒殺したことになってるけど、司馬師の項だと司馬懿が誅殺したことになってた。
135:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 16:47:25
司馬懿の芝居はうまいねー
136:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 17:44:51
疑問なんだけど、wikiでは
234年に妻の夏侯徽が司馬懿に誅殺される。或いは司馬師自身が殺害したともいう。 こ
のように司馬師は家庭では不幸が相次いで続いていた人物である。
249年に司馬懿が曹爽に対してクーデターを起こすとこれに協力した。
251年に父・司馬懿が亡くなると、その後を継ぎ魏の全権を掌握した。252年(嘉平四年)には大将軍になった。
とあるけど、宗族の娘を殺害するなんてかなり思い切ったことしているけどなんで不問になったのかね。
曹爽へのクーデターでの連座で処刑されたのかと思っていたが、14年前にすでに殺されているとは
なんか違和感感じる。
137:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 18:00:21
夏侯氏と曹氏は曹叡の頃大分疎遠になってたから
138:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 18:24:02
曹真以外低能ぞろいだからね。
139:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 18:48:48
Wikipedia項目リンク
夏侯玄みると生母は徳陽郷主(曹真の妹)。
従って曹爽とは血の濃い従兄弟同士である。同母妹に夏侯徽(景懐皇后、司馬師の前妻)。
経歴
父の夏侯尚が曹操時代からの功臣であったこと、彼自身が政治能力に優れていたことから、
20歳の若さで散騎侍郎・黄門侍郎に任じられる。しかし曹叡(明帝)に目通りした際、
毛皇后の弟である毛曾と同席させられたことに対して嫌悪感を露わにしたため、怒りを買って羽林監に左遷されられた。
曹叡と夏侯氏って仲悪かったのかな
でも夏侯覇は結構重用されてね? 後に蜀にぼうめいしたけど
140:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 18:50:50
249年に曹爽が処刑されると、夏侯玄は中央に召し返されて大鴻臚となり、数年後には太常に転任した。
夏侯玄は曹爽との関係を理由に抑圧され、また、当時の朝廷では妹婿でもあった司馬師が専横を極めて
おり、彼は妹を毒殺されたことを恨んでいた。そこで夏侯玄は254年に、張緝(張既の子)や李豊らと共に
妹の仇討ちも含めて、国家のために司馬師の誅殺を目論んだ。しかし、司馬師に機先を制されて計画は
事前に露見し、夏侯玄は捕らえられて三族皆殺しとなった。斬刑の場に臨んでも、夏侯玄は顔色一つ変えず、
堂々とした様子だったという。正元年間に入り、夏侯玄の従子(おい)である夏侯本(夏侯儒の孫?)が
昌陵亭侯に封じられ、夏侯玄の跡継ぎとして認められた。
毒殺した事実は公然のモノだったんだな。
しかし正妻殺したぐらいでは司法は動かない時代なんだなー
魏の法律はどうなっとんじゃ?
141:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 19:06:42
>>138
有能無能の話しではない
夏侯氏が軍事の名門として魏内部での巨大派閥になっていた
豪族の力を削ぎ、中央集権国家を志向していた曹叡は親類とはいえど夏侯一族が疎ましかった
いや、親類であればこそ、その疎ましさはいや増しただろう
皇族に近く権力を持った一族、それがどんなに危険な存在であるかは想像に難くない
曹叡は何かと理由を付けては夏侯氏を排除していった
夏侯楙に至っては妾を囲ったという公主の讒言から殺害されかけている
危うく命だけは助けられたがこのスキャンダラスな事件で夏侯氏の名声は揺らいだ
142:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 20:34:05
過大評価と書いてる方が居るけど
孔明 仲達の良い所
●情報収集の早業 政の迅速活、指示
●多分現代でもだが、小さい事を大きく伝える口上
●適材適所への配置
日本においては秀吉の情報収集力、行動力
それに、孔明は中国では政治の天才でしょ?
143:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 20:38:32
>>110
張?戦死させたのは司馬懿の狙い通りだったんでないかい?
何しろ当時軍歴が一番古くて、且つ歴戦の名将、その上
文に目を転じてもいっぱし以上の知識を持ち、且つ優れた人間
を推挙していた、なんて武将は司馬懿にとってはそれこそ目の上
のたんこぶなんでないかい?
144:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 20:49:46
>>143
全然たんこぶでない
145:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 22:41:12
確かに名将だがいくらなんでも年とりすぎ。
それに元降将だし。
146:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 23:04:20
チョウゴウも畳の上で死にたかっただろうに
仲達って無能だよね
147:無名武将@お腹せっぷく
07/02/19 23:28:30
司馬懿もまだ若かったし、キ山での負けを取り返したかった
148:無名武将@お腹せっぷく
07/02/20 00:02:34
>>142
孔明は政治の天才と言うより内政手腕が優れてただけ
政治の天才というと軍事も外交も人事も全て含まれる
149:無名武将@お腹せっぷく
07/02/20 00:38:11
>>147
あの頃、何歳だっけシバイと孔明
150:無名武将@お腹せっぷく
07/02/20 00:42:14
若くないぞ
第4次北伐(AD231)司馬懿52歳 孔明50歳
両者円熟した時期だな
151:無名武将@お腹せっぷく
07/02/20 00:42:48
URLリンク(kyoto.cool.ne.jp)
儒教以外の学問における司馬懿像
結構かけているな
152:無名武将@お腹せっぷく
07/02/20 13:36:24
>>151
なんというか…良く調べたなって感じ。
153:無名武将@お腹せっぷく
07/02/20 19:14:15
そりゃ京大ならそのぐらい調べるわな
154:無名武将@お腹せっぷく
07/02/24 19:16:55
age
155:無名武将@お腹せっぷく
07/02/24 23:20:50
>>151
考証すごいなさすが京大生・・・・
2ちゃんの厨には到底無理なレベル
156:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 01:01:04
>>155
史料をまとめただけじゃないか
こんなのを考証凄いとか言うのは京大ブランドで目が曇ってるよ
157:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 07:49:49
>>156
おまえがリンク先の論文越えるシバイ関連の考証を披露してみろ
話はそれからだ。
158:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 09:12:10
本人乙
159:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 10:16:31
>>157
156は「こんなの考証じゃない」と言ってるんだから、
「だったらお前が考証を披露しろ!」ってのは論理的につながってない。
「155は考証である。ならなら〜」みたいに論理を展開すべき。
160:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 10:18:35
ならなら→なぜなら
161:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 10:30:12
155が考証であるかどうかの話であって、
そこで156が考証を披露しても何の関係もないっしょ。
162:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 10:56:27
と>>156が自演している訳ね。
昨日までこのスレほぼ停滞していたのに急に活性化する不思議w
何故かな?
163:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 11:24:32
156は「こんなの考証じゃない」と言ってるんだから、
「だったらどういうのが考証なんだ? それを提示してくれ」ってのは論理的に完全につながるな。
164:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 11:53:57
ごめん。「こんな考証凄くない」といってるだけだった。
165:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 12:19:52
理屈っぽ〜い
気持ち悪〜い
166:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 12:24:21
↑ 劣勢なものがよく書き込む敗北宣言
167:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 13:03:17
>今回、必要なデータを収集するにあたっては、文淵閣四庫全書子部のうち、儒家以外の書物から、「司馬懿」「司馬宣」「晋宣」「仲達」という語句を含む文章を収集するという方法をとった。
こんなん文淵閣四庫全書子部が電子データ化されてるのに検索かけただけじゃねーか
>>152-153のよく調べたな、京大なら〜なんてブランドに目が踊らされてるだけがどうかね
168:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 13:05:23
>>167
素直にいえよ
僕にはこんな論文かけませんただの厨な2ちゃんねらーです
京大生の前にはゴミのような存在にすぎませんとな
男の嫉妬みにくいよwwww
つか文句いうならおまえがそれ以上の論考みせれば済む話でね?
169:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 13:14:40
何で論評に対して「それ以上の考察」っていうのかね
それじゃあおすぎに「じゃあお前映画取れ」とか言っちゃうタイプ?
170:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 13:45:56
>>169
単なるクレーマーか
いるんだよね。 難癖つけるくせに
おまえがやれといわれると全然できない
171:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 14:06:46
この論文?はさー
>大局的に見れば、魏と蜀の戦いは、ただ国力で圧倒的に優る魏が防御という有利な側にまわり蜀を防ぎきったというだけであることもあり
>さして戦力・戦術論の題材としてのとりどころがあるわけでもないのに、題材のうちの2/3を占めている。
こう言っちゃってる時点で完全に欠陥品じゃん?
大局的に〜からさして〜あるわけでもないのに〜、辺りは書いた人の主観な上に大事な所見落としてる
司馬懿と司馬孚の献策で成国渠の整備と臨晋陂の構築してから魏は蜀に対してようやく涼州方面で圧倒的な国力差を生かせるようになったんだし
最後の北伐以外は諸葛亮の北伐戦略が機能してて国力差が軍事力の差になっていなかった
それどころか、武装なんかでは蜀の方が圧倒的に質が高かったせいで蜀有利ですらあったのもこれまでの先達の研究、考察でわかってるわけじゃん
つーか、国力を生かせるようにしなかった/させなかった事が司馬懿と諸葛亮の北伐でのキモだったのにそれを無視してる論文ってどうよ
で、他にもこんな風に一々例を挙げると面倒臭くなるような突っ込みどころ満載の論文で何でここまで擁護する人が出るのかが不思議
172:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 14:42:07
他人の文にケチつけるだけで、自分はなんの論も出せない奴って多いからね。
で、あんたが認める「凄い考証」とやらはどれだ?
173:無名武将@お腹せっぷく
07/02/25 14:57:23
学者なら石井仁先生、中林史朗先生とか凄いよね
まあ中村先生の方はネット上に掲載してある文章しか読んでないが
ネット上だとニセクロ氏とか孫ぽこ氏とかが考察系三国志サイトの中では最右翼じゃないかね
後期無双スレの北伐考察してる人(コテないからこんな表現で悪いが)も凄いと思うよ
面白いから読んでみればいいんじゃない?
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