周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜 呉の軍師を語るスレ
at WARHIS
[前50を表示]
600:590
06/12/28 01:20:06
レス有難う御座いました。参考になりました。
601:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:27:29
>>599
だよな、ゲームとかじゃ呉って和気藹々な雰囲気で書かれてるけど実際ってものすごく腹黒さんだったんじゃ・・・
602:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:34:51
>>597
東晋は北の貴族と土着の豪族の間には越えられない壁がある
603:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:37:56
>>602
蜀の荊州閥と益州人の間の壁にも似てる
604:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:53:56
なんだかんだで二宮ではかなり豪族叩きして
孫皓時代の皇帝権はなかなかのものよ
605:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:55:33
皇帝や外戚が好き勝手できてるからなあ
606:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 09:04:12
>>604
彼の暴走も皇帝権の強化為と見るとまた面白い
どのみち最後の軍師はああなるんだろうけどさ…
607:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 14:26:44
なに軍師って
608:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 21:25:52
りっくんのまつろ?
609:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 23:20:26
スペシャルハリケーンミキサー
610:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 20:20:52
諸葛亮を『知 100』としたら、この4人はそれぞれどのくらいだろう?
611:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 21:29:16
ついでに呂布を『武 100』としたらそれぞれどのくらいだろう?
612:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 22:17:04
>>610
『知』が何を指すかにもよるんじゃね?
ついでに正史準拠か演義準拠かもな
613:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 22:47:33
正史準拠で。
難しいかもしれないけど、外交とか内政とか戦略とか全部含めて、っていうのはあれだから、戦略のみがいいかな・・・。
614:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 00:53:57
俺はロビンマスクと男の勝負がしたいんだ
byマンモスマン
615:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 00:59:11
子供時代に孫策と剣の腕が対等だったという民間伝承から、周瑜は武も結構高いと踏んでる俺がいるわけだが。
616:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 07:54:14
能力値とかなんだかは専用スレがあるわけでそっち行け
617:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 11:15:34
めよきうく
読気空
emoyikuk
←←←←←
618:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 17:39:04
>>610
とりあえず全員100は超えるわな
619:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 23:18:01
どうだろう。ロシュクとかは知はあまり高くなくてその分政治が高い気ガス
620:孔明廚
06/12/30 23:49:04
>>618
はぁぁ?!なんだと!お前なんか『知』が−15の癖に!
621:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 23:51:07
男性諸君、結婚すると不幸になる。幸せにして当たり前で感謝無し。都合の良い奴隷としてだけ感謝され、搾り取って用済みになればゴミ箱へポイ♪
女の外面は綺麗で清潔で良い人、内面はずるくて汚いため、口も悪い+薄情+嘘+女同士も上辺仲良し裏では悪口三昧
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↑良い女演技は好きな男>>異次元>>男集団>他人の順に良くなる。年齢とともにBのメッキがはがれ内外ともに醜くなる(Aの良い女は極少数)
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男女は対等で平等。男が女を養ったり守る必要はない「見切れ!見切り千両!私不幸なの?嘘!泣いてます?演技!情けは不要!つけこまれるぞ」
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それでも結婚する君へ究極護身法→[夫婦財産契約登記]
夫婦財産契約により、自分の稼いだ財産はすべて自分の物
弱い者いじめは最低と言いつつ、赤ちゃんを殺す母親(そして無罪判決(笑
狙撃は女子のほうが強い。男はノイローゼになってやめてしまうが
女は何人殺してもノイローゼにならない。骨盤が安定しているため
ナチスの拷問で、女の拷問の残虐非道さを見て、拷問をしていた男達もひいたという
拷問しながら楽しそうに笑みをうかべていたそうだ。罪悪感や引け目が無い
・有史以前が女尊男卑の時代だったことを指摘したのは、スイスの学者バッハオーフィン
アマゾン女族の女王は、法律を定め、男達には卑しい奴隷の仕事を課した
男児が生まれたら、生き埋めにするか、脚と腕を不自由にして、戦えなくし奴隷とした
・王位継承権が女性にだけあった古代エジプトでは女性権力が非常に大きかった
・日本でも卑弥呼が女王
URLリンク(kr.img.dc.yahoo.com) ←女集団が女一人をリンチしている動画(執拗に蹴り続けながら皆楽しんでる 一部エロ有
女は虐げられてきた?父系社会など人類の歴史から見ればほんのわずかな期間に過ぎない。むしろ
622:無名武将@お腹せっぷく
06/12/31 02:29:28
>>620
「テストでマイナス点を取る方法」とかなんとかいうのを思い出した
623:無名武将@お腹せっぷく
06/12/31 14:14:23
>>618
禿同
>>622
kwsk 本気で気になるんだがw
624:無名武将@お腹せっぷく
07/01/02 18:44:12
げえっカンヌ!
625:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 06:36:15
諸葛謹
626:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 11:17:32
の驢馬
627:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 13:33:53
あの子は家を滅ぼすだろう…
628:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 18:05:58
諸葛珍
ってなんかいそうだな
629:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 23:45:20
なんか変な流れだな…こういう時は呂蒙の話題でも話そうじゃあないか。
630:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 00:53:30
呂蒙はいい子だよ。
孫策軍の将校だったケ当の嫁の弟で、若い頃から孫策軍に入り浸っていた。
大人にバカにされて怒り殺傷沙汰になったのが孫策の耳に入って孫策の側近の一人になり、
ケ当が死んでその軍を継ぎ、孫策の死後も孫権に忠実に付き従います。
魯粛とは肩を抱き合う親友で本を読めと言われては従い、
獰猛すぎる甘寧の言動を諫めるくだりは穏和な性格が見てとれます。
陸遜と共に関羽を倒した時に呂蒙が施した「徳と免税による荊州の住民懐柔策」は、
呂蒙が常々考えていた呂蒙なりの「平和」を実戦したのではないかと思うわけです。
終わり。
631:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 01:08:20
周瑜も呂蒙も陸遜も軍師じゃねぇ!
632:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 05:17:06
んじゃ張悌
633:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 07:23:45
>>631
軍師は文官だけだと思ってるアフォですか?
というか魯粛も文官ではないのですが
上の方で「軍師将軍の称号」について云々があったけど
一般的な単語としては戦術参謀ができれば軍師ですよ
軍師は文官にしかなれないというなら
侍社会の日本には軍師が一人もいなかったことになるが…
634:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 08:29:11
戦術参謀の時点で周瑜はアウト
635:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 12:49:40
>>633
一般的な用語で言えば周瑜も呂蒙も陸遜も『軍師』じゃなく『司令官』だということでしょ。
周瑜の代表的事業である赤壁と江陵攻略(と征蜀未遂)について、戦略決定段階における孫権の参謀的役割もあったが、
メインは司令官として両作戦の総指揮をとり勝利に導いたことであり、そのことで『名将』として歴史に名を残してる。
呂蒙や陸遜も、それぞれ周瑜・魯粛や呂蒙の元で献策をしたこともあるけど、
呂蒙とはどういう人物か?と聞かれれば、それこそ『一般的』には「関羽から荊州を奪った呉の『名将』」であり、
陸遜は「夷陵で劉備を破った呉の若き(本当は大して若くないけど)『名将』」ということになる。
この他にも呂蒙の濡須や陸遜の石亭など、2人共指揮官として多くの成果を残しているわけで、
軍師と称するのには違和感を覚える人も居るんだろう。
その点魯粛は逆に、司令官としての経験が無いではないけど、魯粛の大一番は赤壁開戦に持ち込んだことや単刀附会みたいな
呉蜀同盟と天下三文策の推進にこそあるので、参謀的な役割での「軍師」にマッチするのかと。
…というか今まで誰も文官のぶの字も出してないのにいきなりどうしたんだ?と思わないでもない。
勝手に「軍師は文官のみだと相手は思ってる!」と決め付けてアホ呼ばわりとかするのは荒れそうなんで止めて欲しい。
636:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 12:53:54
周瑜は孫策下では軍師でも良くないか。
637:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:00:33
残念ながら孫策時代にどんな献策したのかとかが残ってないんだよな…
確認できることは後方都市の慰撫や物資の供給みたいな後方支援的働きと、
副将として従軍したり指揮官として別働隊を指揮したりするような上級将校的役割を任されてたことぐらい。
イメージ的には孫策総指揮の下周瑜が軍師というのが凄いシックリくるんだけど。
638:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:22:05
>>633がどうしてそこまで話しを飛躍させたのかわからない
639:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:33:55
孫策がいた時はでかい戦いはなかったもんな。
640:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 14:14:03
>>637
周瑜よりもむしろ二張の方が軍師っぽい
641:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 14:18:30
挙兵した頃は朱治や孫静あたりが参謀っぽかったりしたのかな
呉景はいまいち頼りない感じだが
642:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:40:43
周瑜は参謀とか軍師というよりも、全てをふくめた右腕とか懐刀っていうイメージが強いんだが・・・
643:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:44:39
史実を無視しまくってる無双だけど呉の描写は意外にも史実に忠実だと思った。
呂蒙は置いておいて、よく周瑜や陸遜に扇持たせなかったと思う。
644:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:48:17
稲葉山城を17人で乗っ取った竹中半兵衛は神
645:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 00:00:29
>>644
え?前からすごい事は聞いてたがそんなに凄いのか?
646:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 00:17:53
このスレいつもリョモウに始まりシュウユに終わるなw
647:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 03:50:14
>>643
扇とは何じゃらほい?
648:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 04:09:55
>>647
無双で諸葛亮や司馬懿が武器として使ってる羽扇のことじゃないかね
649:無名武将@お腹せっぷく
07/01/07 00:51:15
さすがに羽扇キャラには無理があるだろう。
つうか呉にはでかい扇持ちが二人もいるしな。
まあそんなことはどうでもいい。
650:647
07/01/08 01:28:01
>>648-649
Thxです! 三国無双のサイト見てきたwwwあれは武器になるのか?www
でも、蘇軾が赤壁懐古で 「遥想公瑾当年、小喬初嫁了、雄姿英発、羽扇綸巾、談笑間……」と
言ってるから、周瑜も羽扇を持ってたのかも……まあほんとにどうでもいいことなので失礼しますた。
651:無名武将@お腹せっぷく
07/01/08 16:15:32
羽扇は三国時代よりもっと後の発明
652:無名武将@お腹せっぷく
07/01/08 16:46:30
根拠は?
653:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 03:03:33
三国時代の遺跡から出土してないから
654:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 12:46:16
>>650
羽扇綸巾はいわゆる儒将の姿を表すときに使う表現だが、
後世ではまんま孔明の衣装様式となった。
あと蘇軾の時代に赤壁が二つがあって、
彼がこの詩を作ったときに訪れた場所は
三国の赤壁じゃないってのも結構有名な話。
655:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 18:56:43
陸遜が良く若年設定で描かれるのはどう思う?
1.都督リレーの最後、夷陵での抜擢などの若いイメージに合ってるので良い。
2.夷陵時の年齢(既に40近いおっさん)や60過ぎまで活躍し続けたイメージに合わないのでダメ。
656:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 19:03:06
>>655
夷陵では上手く活かしてると思う
ただ、爺さん好きなので晩年の苦労も描いて欲しいなあ
657:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 22:15:40
横光では別に陸遜青年っぽいわけではないよな。
肥三国志の影響とかって、どっかで聞いたけど。
658:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 02:47:20
>>654
なるほど、小喬も嫁いでからもう何年もたってるし、
赤壁懐古にうたわれているのは、東坡先生の想像した詩景のなかにある
「俺の思うところのかっこいい周瑜像(補正あり)」ですねw。
陸遜は、演義だとずーっと仕官したての書生風イメージが……京劇でも陸遜の役には髭がない
(京劇では、成人の男の役で髭がない=髭なしでも鑑賞に堪えうる若いイケメンの役らしい)。
でもそのせいで、今でも中国南部では陸遜は伝承とかでやたらと人気があるらしい。
659:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 03:20:36
俺の頭では横光陸遜がデフォ
これくらい威厳がないと呉の武闘派をおさえられるかってんだ
660:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 04:06:01
オッサンくさいだけのような気もするが同意
661:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 07:19:33
はぐれ刑事みたいな感じだったのかもしれない
662:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 07:35:42
映像技術がハリウッド並の三国志は見てみたいけど、
呂蒙って感じのムサそうな俳優はたくさん居てもうつくしー周喩は難しいね。
諸葛亮は病弱な身長180センチイケメン・・これはいけそうかな?
横光陸遜は服装鎧姿が異様にかわいい
アゴ紐が特に
663:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 08:36:25
>>662
考えてみると呂蒙の結核はあまり話に出てこないね
結核=吐血=美形は定番だと思うが。
先輩との差別化かな?
664:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 09:38:03
>>663
結核ってどこに書いてあった話し?
665:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 10:17:30
呂蒙好きの俺としては年を追うごとに姿を変化させたい
でかいガキ→筆が似合わない筋肉兄さん→やせ細った秀才
ってな感じで
666:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 17:41:58
>>665
じゃあ、貴乃花だな。知性的なイメージはないが。
667:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 21:03:05
>>666
親方なった時のやつれ具合は印象的だったね
リストラ対策にやたら部隊派手にしたこともあったし
結構派手好きなのかな?
思いついても中々出来ないと思う
668:無名武将@お腹せっぷく
07/01/11 08:56:07
>>666
ワロタw でもぴったりだ。
669:無名武将@お腹せっぷく
07/01/12 22:51:55
URLリンク(www.koutetsu-sangokushi.jp)
絶望した
670:無名武将@お腹せっぷく
07/01/13 23:16:14
ほっとくんだ
671:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 14:23:03
泣けるな…
呉はこの四人に焦点を当てて四部構成の作品にでも仕立てた方がウケルと思うのだが。
672:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:04:57
孫策生存時からの孫権視点の方が感動できるんだが
んでこのスレタイの4人を一人づつ孫権視点でピックアップして5部構成のがよくないか?
673:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:23:48
あげ
674:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:42:46
呉に限らず、映像関係ではトンデモ妄想三国志の方が受けるからって、
真面目な視点の三国志なんて作ってくんないんだろな…
人形劇でも見とくか
675:無名武将@お腹せっぷく
07/01/17 18:32:28
昔あった中国制作の三国志ドラマでも やっぱり呉って軽い扱いだったりする?
施績に関しての情報が調べにくい。 wikiにも載ってないし
676:無名武将@お腹せっぷく
07/01/19 18:11:26
>>675
施績について、本人の伝以外の記述(三国志内)
陳留王紀にて「施績は賊国の名臣ではあるが、(孫休死後の混乱から)猜疑心を抱いて主君から嫌悪されている」と評される。
胡質伝にて「施績・ショウ済らと共に長江・ワイ水一帯で名を知られた」と評される。
王昶伝にて、250年に王昶に打ち破られ、諸葛誕の反乱の際に王昶に足止めされたとされる。
孫休伝にて、263年に魏の蜀侵攻に関して軍をどのように動かすか検討するよう求められたされる。
孫皓伝にて、264年に丁奉と左右の大司馬に任じられ、269年の四月に死去したとある。
また弁亡論の中で「施績と范慎は威信の重さで人々に知られる」と評される
孫奐伝にて、孫壱らと共に諸葛融を攻めたとされる。
諸葛融伝では、孫壱・施績らを率いたのは施寛とされる。
孫和伝の註にて、太子派の一人として大都督施績の名が上がる。
鍾離牧伝の註にて、鍾離シュンが宜城・信陵に城を築いて防備を固めるべきと唐盛に進言するも、
施績・留平ら知略を備えた名将たちが、宜城・信陵を通過したのに城を作ろうと言ってないから(鍾離シュンの意見を)取り上げなかったとされる。
参考になれば。
677:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 00:34:33
三国志の時代、低い身分の出身者が出世するとなにかと足ひっぱる奴が多い。名士だの豪族だのの影響力は最近頻繁に耳にする。
そんな中で呂蒙を考えてみると、「元の儒学者でも及ばない」程書物を読み解くことで出自の不利を挽回したともとれることに気付いた。
司令官として磐石の人望も、呂蒙の努力の賜物の考えると感慨深い。
678:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 00:43:35
陸抗は孫策の孫
679:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 02:00:44
とりあえず軍師としての才能なら魯粛が一番上じゃないか?
周瑜の天下二分論ははっきし言って成功確立の極めて低いギャンブルだし、
呂蒙・陸遜が引っ掻き回したせいで魯粛の足を引っ張ってるような希ガス。
孫権も魯粛を一段下の評価をしてるけど、むしろこの評価が孫権の大局の
見えなさを表してると思うよ。
680:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 02:31:03
魯粛は荊州取り戻しに何度も失敗してる時点で
あまり高い評価は与えられん気がするんだが
681:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 03:27:45
最初の交渉で折半を勝ち取ったじゃないか。
682:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 05:33:10
>周瑜の天下二分論ははっきし言って成功確立の極めて低いギャンブル
これ、よくそう言われるけどさ、完全な成功は無理にしても
ある程度の戦果さへあげれば、その後の交渉を有利に進められたり
するんじゃないかな?
683:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 14:30:56
>>679
魯粛の天下三分がどういうものだか未だに良く分からんのだけど
wiki先生の言うとおり荊州とかを併合して天下二分を目指すものなら
呂蒙・陸遜の荊州取り戻しは魯粛戦略を引っ掻き回した行為じゃないと思うし
そもそも魯粛自身も劉備入蜀以後は荊州を思いっきり狙ってるんじゃないか?
684:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 14:35:26
今更周瑜の征蜀の成功率の高さを語っても新しい発見なんざないだろうからマンネリ気味の話題かな…
一応指摘しとけば当時の蜀は張魯との長期抗争状態にあって、国内では扈瑁の乱、続いて趙イの乱がおき、
ホウ義・李異ら手柄のある諸将は皆外部と結ぶ気配ありと言われる混乱状態。
さらに軍勢・防備の大部分は(高沛らの居る白水を初め)北方の張魯対策に割り振られてる中、
史実でも快進撃を続けた荊州方面から平素の備えを怠る劉璋目指して曹操を打ち破って意気揚がる精鋭軍団が一路成都を目指す。
これが「成功確立の極めて低いギャンブル」なら呉がとった他の作戦、
例えば「軍師としての才能なら一番上」の魯粛にはいったいどれだけ高い勝算をもつ作戦があったの?
「呂蒙・陸遜が引っ掻き回さない」状態での魯粛の公算ってどんな形?
685:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 20:52:28
魯粛の構想というのは曹操を破るのは難しいから江東の地盤を固めて荊州に
兵を進めて長江流域を制圧して自立するという奴
周瑜の二分論も呂蒙の荊州奪取もこの魯粛の構想に沿ってるわけだ
686:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 23:30:02
魯粛以前に孫策時代から張紘が提唱してる、呉の基本戦略ですな。
687:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 00:40:23
>684
劉備が入蜀する時点では呉は越の平定に明け暮れている状態、その状態で
荊州の平定に乗り出すほどの荊州人士に対するコネも少なく 統治の名目も
無く 越と同様に荊蛮に悩まされるのは明らか。旧劉表勢力は曹操の横槍で
常に不安定な状態が続くと思う。
そこから更に蜀を攻めるとなると時間的に曹操に先を越される確立が高くな
り長江上流を抑えられると圧倒的に不利。三国時代は早めに終わったろうね。
だから周瑜の天下二分論は当時の状況では極めて困難な状況だったと思う。
688:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:02:07
赤壁後から曹操が攻勢に動き出すまで結構間なかったっけ?
確かに荊州の守りは固めてはいたけど
689:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:11:23
曹操の関中侵攻が211年。
赤壁が208年なのでそこまで遅れているとはいえない。
690:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:15:23
687の続き
呉にとっての天下三分とは後の呉の崩壊につながった蜀の地域を、
友好的な勢力に支配させるってのが前提なのよね。(それにぴったし
当てはまるのが劉備だったわけで、魯粛の理解と呉の後押しが無け
れば諸葛亮の天下三分論もただの書生の戯言に過ぎないと思う。)
つまり>685 の言うような呂蒙の荊州奪取は蜀との友好関係を損
なう呉(と言うより魯粛か)の戦略としての天下三分論の真逆の行動で、
呉の存在そのものを危険にする行為だった思う。
これ以降、対魏の呉蜀の共同作戦が常にちぐはぐで、その不協和音
の状態のまま蜀は滅び、やがて呉も滅ぶ。
691:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:17:10
赤壁の後、曹操は明らかに兵力と勢いを失っていた
関中諸将から人質を取り彼等を抑えてから漢中を攻めようとしたが関中諸将の乱を招き、平定はしたものの兵力を損耗した
つまり赤壁後は曹操が荊州にも益州にもろくに動けない状態で、益州攻めの大チャンス
だから周瑜(孫権)も劉備も益州を攻めようと躍起だった
周瑜のプランも充分現実性はあった
最大の問題は劉備が邪魔すること
692:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:18:30
>>687
まず入ショクの段階で山越討伐に明け暮れてたの根拠は?
呉主伝をみても黄祖討伐以前に山越討伐関連の話題は集中してるし、入ショク前後はむしろ出てこない。
普通に考えれば山越問題が落ち着いたからこそ本格的に黄祖討伐に乗りだせたはず。
荊州にコネがないはずの呉が既に名士ホウ統などを配下に納めていたことは?
曹操が荊州情勢をそこまで不安定にさせるほどの扇動を行えるという根拠は?
そんなことできるなら当然史実においても実行してるよね?
693:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:25:39
>>687
>そこから更に蜀を攻めるとなると時間的に曹操に先を越される確立が高くなり
さすがは曹操。張魯を飛び越え蜀を制圧するなんて朝飯前ですね。
漢中を落とすこともできず多大な犠牲を払って結局引き上げた誰かとは比べ物にならないや!!
694:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:25:39
あのまま荊州方面からの侵攻を塞がれてた状態で
呉はどっから魏に侵攻できたの?
695:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:26:27
>>690
魯粛は元々長江流域全てを抑えることを目標としてた
それには上流の益州も含まれたはずで、魯粛もまた天下二分の考えだった
それが三分になるのは、劉備が荊州を抑えてしまったことと対曹操の駒としては有効だったためと思われる
魯粛も孫権も本質的には荊州は勿論益州も支配しようと考えており、呂蒙による荊州取りは魯粛のプランに反するものではなく、実際に魯粛は呂蒙の関羽攻めの策を聞き喜んでいる
696:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:31:43
>>690
そもそも魯粛自身が主導した荊州奪取はなんなんだ?
「これ以降、対魏の呉蜀の共同作戦が常にちぐはぐで」って、それまでは息のあった共同作戦を続けてたと思ってるのか?
219年の荊州奪取から、蜀が滅びたのは44年後の263年、呉が滅んだのは61年後の280年。「その状態のまま」随分長く続いたようで。
697:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 02:20:15
>692
手元にソースが無いが張温伝で出てくるはず。ずーっと山越に悩まされてる
けどこれから頑張るからって。これよりも10年以上後の話だと思うよ。
698:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 05:38:02
>>692
ホウ統が周瑜に仕えていたのは周瑜が南郡太守だったからだよ
別に呉に仕えていたわけじゃない
その証拠に南郡が劉備の支配下に入ったら劉備軍内に組み込まれているだろ
699:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 05:40:56
ということは別に南郡太守であればが誰でも良かったと
700:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 06:01:45
>>699
ホウ統伝をちゃんと読み返せばわかるだろうけど
ホウ統は周瑜が南郡太守になる前に郡の任命によって功曹になっている
時期は劉表政権か曹操南下後か定かにされてないが
当然曹仁が南郡にいた時も彼は南郡の役人を務めていただろう
上が曹操軍→孫権軍→劉備軍と変わっていっただけで
彼が南郡の功曹として南郡太守に仕えていたことに変わりは無い
701:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 08:53:11
>>690
長江ラインを固めて守るのに不利な徐州を捨て、
今以上に防御を硬くするというのが呂蒙の考えなわけだけど
その
>呉の存在そのものを危険にする行為だった思う。
というのは聞けば聞くほど意味不明だ。
分かりやすく説明してくれ。
702:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 12:48:17
>>697
張温伝で「山越の討伐さえ済めば曹丕と正面からことを構えるつもりだ(と諸葛亮に伝えてくれ」という言葉が出てくるし、
諸葛格など後年においても山越討伐は出てくるが、それは「入蜀段階で平定に明け暮れている状態」を意味しないだろ。
前にも述べたが国力をそちらに回さなければならないほど悩まされていたのは呉主伝にも残る200〜206年で、
この間は実際黄祖討伐に赴くも国内の山越が蠢動したため撤退を余儀なくされてる。
しかし賀斉らの活躍もあり、国内の不安勢力掃討の意味ではこの時点で一段落ついており、
それが黄祖討伐の成功や赤壁の開戦を可能にした。
これ以後の山越討伐の話題は呉主伝に登場しなくなり、国力を注いだ治安事業から地方官による人員補充的なものになってくる。
その史跡は地方管理を任される部下の伝に「〜〜人を降伏させ、〜〜人を兵士として軍に編入した」という形でのみ残されるようになる。
国内を悩ます賊というより開発の余地あるフロンティアとして受け止められるようになっていく。
>>698
そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る。他に幾らでも士官先があるのだから。
龐統は周瑜の死後その遺骸を届けに赴き、後に「貴方は以前周瑜の功曹であって〜、主君が変われば現在の主君に云々〜」
とあり、「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」なんてどうして言える?単に周瑜死後に鞍替えしただけだろう。
現に劉備軍に行った時は従事兼県令として既に「彼は南郡の功曹として南郡太守に仕えて」居ない。
第一仮に龐統が南郡に仕えてるだけでその支配者に服従しているだけだとしても、呉の占領に対して
荊南で随一とも言える龐統ほどの名士が(全くコネ等に関係なく)黙って職務に励んでくれるなら、どっちにしろ荊州士人に対するコネなんてなくても支配は安定することになるだろ。
703:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 12:50:14
>>702の中段、
「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」じゃなくて
「南郡に仕えていたわけで呉に仕えていたわけじゃない」の間違いだ。
704:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:17:03
いきなりですが、陸遜の正室ってダレ?孫策の娘は側室だった・・・よね?
705:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:19:15
>>704
無双腐女子じゃね?
706:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:24:02
腐女子が同人誌を書くにあたり情報が見つからないので教えてくれと申しております。
707:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:40:33
>>705
よく分かったね。
708:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:49:41
そもそも正式に正室と側室を立てて区別するなんて皇族の人間ぐらいなんじゃないの?
袁紹が庶子というくらいだから有力家は本流と区別してたのかもしれんが、嫡子の陸抗が孫策の外孫扱いなんだから当然孫策の娘が正妻扱いなんでしょ。
そもそも「孫策の娘は側室」って一体どこから?
709:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 15:04:08
>>708
嫡長子は伯、庶長子は孟とされるように、少なくともまともな知識人階級では嫡庶、正妻と妾の別ははっきりしていた
曹操の正妻丁氏が子が無くても正妻だったように
正妻の実家は大抵親戚付き合い近所付き合いもある同等の家だから、子が無くてもむげに扱うわけにもいかないのだ
むしろ「長子を生んだら正妻になる」ことがままある皇帝家の方が流動的
710:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 16:16:06
>>702
>そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る。他に幾らでも士官先があるのだから
去らない人間もいる。それだけの話なんだけどな
>龐統は周瑜の死後その遺骸を届けに赴き、後に「貴方は以前周瑜の功曹であって〜、主君が変われば現在の主君に云々〜」
とあり、「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」なんてどうして言える?単に周瑜死後に鞍替えしただけだろう
だから、上が勝手に変わっただけだろ
>現に劉備軍に行った時は従事兼県令として既に「彼は南郡の功曹として南郡太守に仕えて」居ない。
劉備は荊州牧なんだからホウ統を南郡の功曹から従事兼県令へすることは可能だろ
>第一仮に龐統が南郡に仕えてるだけでその支配者に服従しているだけだとしても、呉の占領に対して
荊南で随一とも言える龐統ほどの名士が(全くコネ等に関係なく)黙って職務に励んでくれるなら、どっちにしろ荊州士人に対するコネなんてなくても支配は安定することになるだろ
何をもってホウ統を荊南で随一の名士としているか知らんが
コネがあろうがなかろうが呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば
荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
実際蜀から荊州を奪った後、呉はうまく荊州を切り盛りしたじゃないか
潘シュン伝の注でも荊州の人士たちがたいした抵抗も無く下についたことが書かれている
実力で荊州を取って、さらに荊州牧の官位を持ったこの時の呉にはそれが可能だったと言うことだ
問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ
711:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 17:00:07
>>710
だからその「龐統が能動的に主君を(それ以前の誰か)→周瑜→劉備と変えたのではなく、支配者が変わったのに合わせて役所に勤め続けただけ」の根拠は?
周瑜が南郡を落とし、再編を行わずに役所をそのまま引き継いだという資料でもあったっけ?特に明言されてない部分をあえて
「いや、龐統は呉に仕えていたわけじゃないんだ」と断言できるのは何故?
特に「南郡に出仕し続けること≠呉に仕えること」を分けなければいけない理由と根拠は?
「龐統が荊南で随一ともいえる」としたのは司馬キから受けた度々の高評、
博巽の「半英雄」(文脈上褒め言葉なんだろう)、揚州の名門・大学者である陸績、虞翻らと並んで称され親交を結んでいることからも、
州を越えた付き合いのある名士の証左だろう(他にも諸葛亮など居るので随一は言いすぎだったかも知れないが、トップクラスと言って良いはず)
「荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない」っていうか既に従えてるじゃん。
その「荊州を抑えるには軍事力と権威が必要で」、「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか疑わしい」とするならその根拠は?
そもそも>>687から「荊州南部全域の平定を目指してる」みたいな書き方に思えるが、当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域。
蛮族が多く住む武陵(武陵蛮・五渓蛮)を中心とした地域は劉備側の領内だし、
そもそも荊州人士に対する影響力と蛮族問題は別物だろうになんで>>687は「越と同様に荊蛮に悩まされるのは明らか」なんて言ってるの?
それとも>>698以後の人物は別人?
712:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 18:11:22
>>711
自分は687じゃないので687の主張の立証なんてできないよ
それは687自身にしてもらってくれ
>「龐統が能動的に主君を(それ以前の誰か)→周瑜→劉備と変えたのではなく、支配者が変わったのに合わせて役所に勤め続けただけ」の根拠は?
700で既に根拠は書いているんだがね…
どうも君が、周瑜が南郡に来る前からホウ統が郡の功曹であったとする明確な根拠がないといっているのか
周瑜が再編を行わずに役所をそのまま引き継いだという根拠がないといっているのかよくわからんのだけど?
前者ならホウ統伝に先に功曹就任が書かれてその後に周瑜の太守就任の話が来ているんだから
普通に読めば周瑜が太守になる前からホウ統は郡のだったとなるだろ
逆に周瑜が太守になってから功曹になったのにそこが史書の順番が違うってのはかなりおかしな話だ
後者なら周瑜着任前に功曹であったホウ統が、周瑜着任後も功曹を務めているんだから
ホウ統に関しては再編を行わなかった証明になるだろう
さらに「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか」について
>当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域
だとわかっているなら、荊州の火種があることの否定はできないと思うぞ
713:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 19:44:37
劉備が龐統を免官しようとした時、魯粛がとりなしてるから劉備の版図となった地域の役人・人士は孫呉との話し合いでそのままスライドさせたんじゃねえか?そのまま
714:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 20:04:10
>>712
端的に言えば龐統が以前の職責を続投したことが、どうして「別に呉に仕えていたわけじゃない」のかわからない。
征服者が征服地の人士を元の職責で迎え入れたら「頭が変わっただけでその征服者に仕えているわけじゃない」となるのか?
俺は「龐統は(劉表→魏?)→呉→劉備と仕えた」と考えていて、その根拠が>>702の「貴方は以前周瑜の功曹であって〜」とかだったりするわけだが、
何が「上が勝手に変わっただけだろ」なのが意味不明。
上が変わったっていっただけで劉表にも曹操にも孫権にも劉備にも仕えてないってことか?証明しろってのはその部分。
最後の三行は悪いがそれだけじゃ何を言いたいかわからない。どうもさっきから部分的な引用で話が逸れて行ってる気がするから、
貴方の>>710の
>コネがあろうがなかろうが呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば
>荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
>実際蜀から荊州を奪った後、呉はうまく荊州を切り盛りしたじゃないか
>潘シュン伝の注でも荊州の人士たちがたいした抵抗も無く下についたことが書かれている
>実力で荊州を取って、さらに荊州牧の官位を持ったこの時の呉にはそれが可能だったと言うことだ
>問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ
というのを>>711で俺なりに要約した以下の解釈が正しいというなら
『「荊州を抑えるには軍事力と権威が必要で」、「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか疑わしい」とするならその根拠は?』
までまとめて答えてくれ。前の条件はそっちが主張してるもので、後ろのはそれを受けてのものだ。後ろだけ答えられても困る。
その「荊州の火種があることの否定はできない」も含めてね。
715:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 20:55:40
>>714
君は702において
>そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る
と言っている。
それはホウ統がどの勢力に組するか選んでいると言っているように自分は読んだんだけどね
自分はホウ統は勢力ではなく南郡を治める資格のある人物に南郡の役人として仕えていると言うものだ
当然その資格があれば劉表にも曹操にも周瑜にも劉備にも仕えるだろう
ただし、その資格が無くなった人物についていくことは無い
そういう点で狭義的なつながりを結んでいないのはわかるだろ
少なくとも南郡の功曹を務めていたときのホウ統の行動はそうとしか取れない
だから710で>呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
とも言ってるんだ
で、君が聞きたいって言う
>問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ
について君自身が>当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域
と言ってるだろう
呉は郡太守までしか荊州に対する支配権を持っていない
一方で劉備は荊州牧として(荊州南方に限定されるが)荊州の諸郡の支配権を持つ立場にある
呉が荊州で何らかのアクションを起こそうと思ったときに
劉備にとって不利益な行為であれば荊州牧の権限を持って邪魔をしてくる可能性が無いわけじゃないだろ
だから「荊州の火種があることの否定はできない」と言ってるんだ
そして、荊州人士を見た場合、ホウ統にしても呉だからと選んで仕えていると言うより
その権限があるから仕えていると言ったほうがいい状態である以上
荊州牧の劉備の意向と南郡太守の周瑜の意向がぶつかった時、どちらを尊重する人士が多いかを考えたら
より権限が広い劉備に動く数の方が多いんじゃないか?
だから南郡太守に仕える行為と呉に使える行為はイコールでは結べないんだよ
716:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 21:53:39
>>715
あんたキメエよ。
御託を並べて話すのは結構だが、
知識をひけらかすのは嫌われる元だぞ。
717:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 21:59:06
>>716
んなこといっちゃ何もできないぜw
でも、4都督スレなのにずれてるな。
718:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 22:36:22
>>715
>それはホウ統がどの勢力に組するか選んでいると言っているように自分は読んだんだけどね
別にそれで間違ってないけど。>>698の「ホウ統が周瑜に仕えていたのは周瑜が南郡太守だったからだよ。別に呉に仕えていたわけじゃない」
に対して「呉に仕えて、後に劉備に仕えただけだろ」って言ってる。これが絶対だとは言わないが、
孫権が南郡を支配した後に能動的に孫権に着くことを選び、さらに後に劉備に鞍替えすることを自ら選んだと考えても不都合はないはず。
>少なくとも南郡の功曹を務めていたときのホウ統の行動はそうとしか取れない。
この「そうとしか取れない」がわからない。別に適当に龐統が赤壁で勝利した孫権勢力を見込んだが、周瑜の死と共に見限って劉備に仕えたとか、
理由は幾らでも考えられるだろ。龐統が南郡の帰趨にのみ従ったと限定できるような記述はないじゃない。
しかもその龐統の動きの理由が「あくまで南郡を実力で押さえた人間に着く」だったと仮定し
また荊州人士全体に言えることだとさらに仮定したとして、荊州牧の資格は本来劉jに、後に李立が任じられたと言われるが、
こちらに従っては居ない(カイ越らはこちらに従ったが)。圧倒的な軍事力・官位・権威などを誇る曹操陣営に。
ということは(前項の仮定を信じるなら)龐統は刺史の称号でもなく、情勢的な見通しでも軍事力でもなく、「南郡を実行支配している」ことを重視してるとなる。
貴方の仮定通りならむしろ必要なのは実効支配しているという事実になり、荊州牧の劉備の意向と南郡太守の周瑜の意向がぶつかった時、
南郡その他の人士は周瑜に従い、南部四郡その他は劉備に従うという至極穏当な結果に落ち着くね。
あとの問題は突然出てきた「劉備が呉に敵対的な行動をとるのか?」についてだけど、これは今までの流れと外れるのでよしておこう。
719:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 22:38:29
なんかキモイ奴らが討論するスレになったの?ここ。
720:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 22:38:34
>>716
俺は714だけど、議論してんだから御託を並べるしかないし、知識に頼らず妄想で語られた方が困るだろ。
721:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 23:10:01
世界史板で議論するとボロクソに論破されるから、こっちでやってんだよ、文句あっか
722:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 00:28:49
>>676 いやどうも。 朱然が好きだから施績についても知りたかったんですよ。
小男なのに強い武将ってどんな感じだったのかな〜
723:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 02:45:37
本当にキモイ書き込みだな
自分で読み返して恥ずかしくならないのか?
724:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 07:21:55
荒れてきたな
725:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 07:55:17
>>ホウ統フリーク
周瑜とからめて語ってる以上俺は別にとめないが
一文を改行なしで書ききらないで、適当に改行入れて区切ってくれ
ここは掲示板なんだから
考察用に作られたサイトと同じ方法で記述してもただ読みにくいだけだ
他の奴が読みやすいかどうかより自分が書きなぐって一人で満足できるか
どうかの方が大事だというのならこのまま鬱陶しがられてろ
726:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 08:44:19
>>725
でもお前改行位置変だよ
下二行部分は書きなぐってのところで改行だろ
「できるかどうか」はこれで1つの慣用表現に近いから切ったらダメ
727:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 09:57:49
これはいい粗探しスッドレ
728:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 11:09:48
なんか書き込みしづらくなってきたな
729:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 16:21:06
軍師として一番スケールがでかく逝ってるのは魯粛君
孫権に
「漢王朝?どうでもいいって!そんな事よりあんたが皇帝になりなよ」
「曹操と戦えって、俺は曹操に使えても大守になれるけどあんたはやばいよ」
など吹き込んだのは魯粛
730:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 16:30:15
>>729
>「曹操と戦えって、俺は曹操に使えても大守になれるけどあんたはやばいよ」
でも、呉書見聞によると、これは大法螺らしいね。
731:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 17:48:05
劉曄つーコネがあるからホラでもなんでもない
732:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 19:42:39
魯粛は嘘つきまくり。
733:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 20:00:06
人間時にはハッタリもいるわな
ハッタリだけで一国の主になったような奴もいるしなw
734:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 20:49:16
魯粛って戦国時代の縦横家みたいな奴だよね
735:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 22:20:29
>>730
魯粛は家柄こそ確かに良くないが(恐らく商人出身)、先祖が金を唸るほど蓄えてたので、魯粛はそれを盛大にばら撒いて(おかげでキチガイ息子扱いだが)、
ちゃっかり名士層と親交を結んでる。蜀でいうと糜竺とかに近い。
勉学にもそれなりに励んでいたし、劉曄・周瑜など揚州名士との繋がりもあるから魯粛の言は大方間違いじゃないはず。
呉書見聞は魯粛についてちょっと過剰表現なとこがあると思うぞw(あそこが魯粛の再評価に大きく寄与してるのは確かだけど)
736:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 23:40:04
改行しようぜ。
737:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 00:41:13
改行を随分気にする人がいるけど、どこからが読みにくいのかわからんのだが…
俺の環境だと>>735とかは折り返しもなく表示されるし。どのくらいの長さから読みにくいわけ?
738:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 01:07:00
大体IEで書き込む時の窓よりちょっと長いくらいまでが限界
でないと環境次第で改行とかおかしくなる
739:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 01:12:46
>>737
俺ならこうだな↓
魯粛は家柄こそ確かに良くないが(恐らく商人出身)、先祖が金を唸るほど蓄えてたので、
魯粛はそれを盛大にばら撒いて(おかげでキチガイ息子扱いだが)、
ちゃっかり名士層と親交を結んでる。蜀でいうと糜竺とかに近い。
勉学にもそれなりに励んでいたし、
劉曄・周瑜など揚州名士との繋がりもあるから魯粛の言は大方間違いじゃないはず。
呉書見聞は魯粛についてちょっと過剰表現なとこがあると思うぞw
(あそこが魯粛の再評価に大きく寄与してるのは確かだけど)
740:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 01:24:16
WEBで文章晒す時は、できれば改行が適度にあるといい。
全角30文字とかどこかで見たが、その通りにしなくても
句読点を目安に、あまり長くなりすぎないように改行したらいいんじゃないの?
741:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 05:54:26
漢朝や曹操からすれば、魯粛の家柄なんて問題じゃないでしょう。
問題なのは魯粛の思想。
反曹操で漢朝不要論を唱えていた魯粛は、劉曄等でもかばいきれないと思う。
反曹操は、漢初のカイ通にならって犬は飼い主以外に吠えるものとできるが、
漢朝不要論は建前上、曹操も孫権も漢の臣である以上、明確な叛意でありかばいきれない。
742:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 12:37:33
>>740
同意。
ただ、掲示板だからよけいに改行がほしい感じなので、
個人の歴史考察サイトとかで論文を書く分には
左右にマージンとれば別に改行によけいな気を使わんでもいいと思う
ブログとかだとびっちり書いても幅が10cmぐらいしかないところもあるしな
743:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 12:49:22
もってまわった言い方をされると見る方はきつい
なるべく短いレスで書くようにしてくだちい
744:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 13:50:47
そう言いつつ曹操は漢を蔑ろにする発言をした夏侯惇とか許してるね
745:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 13:56:51
>>741
魯粛がおおっぴらに孫権の皇帝即位に触れたのは赤壁の後の会見の場が最初のはず。
魯粛の突然の宣言(多少は表現を濁してあったが)に一同唖然とし、孫権は手を打って喜んだ。
それまでは魯粛と孫権の2人だけの直接会談の時のみ。赤壁がなければ曹操が魯粛個人の思想など知る由もない。
ちなみに周瑜も「江南に帝王の気があり…」なんて言ってるが、これも魯粛以外には漏らしてないのだろう。
事実周瑜には曹操陣営の引き抜きがかかってる。
746:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 14:15:43
あんまり触れたくはないが、「2chのおやくそく」
頭のおかしな人には気をつけましょう
利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって来ています。
頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。
頭のおかしな人の判定基準
・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
・自分の感情だけ書く人
「あんたキメエよ。 御託を並べて話すのは結構だが、知識をひけらかすのは嫌われる元だぞ。」
「他の奴が読みやすいかどうかより自分が書きなぐって一人で満足できるか
どうかの方が大事だというのならこのまま鬱陶しがられてろ」
747:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 14:25:57
>>745
周瑜のは変節させて敵性勢力である孫権との間を裂き、味方に引き込むという計略の一環なわけだから
降服後に孫権に付随する形での魯粛の登用とは訳が違いますよ。
勿論、曹操が魯粛の思想を見抜く、又は魯粛の思想がばれること無ければ、
魯粛が登用されることはあるでしょうが、それでも孫権陣営の中で、
もっとも反曹操で、実際に工作を行っていた魯粛は、幕僚の中でも処罰の対象と成りやすい人物でしょう。
748:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 15:18:13
反曹については袁紹勢力の中でも激しく曹操を非難した陳琳が許され、
曹操を裏切って走った陳宮、畢ェ、魏チュウを再び受け入れ…と受け入れた例も多く、
逆に侵略される以前に反曹の態度を取ったから降伏後処罰された例を俺は知らない。
近い例でいけば徐州虐殺くらいだろうか…
成公英なんかの例だと、「元の主への忠節から」と判断され好まれることも多い。
本心からだけじゃなく、度量の広さを示すためのアピールになるし。
漢室云々については曹操だってむしろ内心は「取ってかわろう」と思ってると思われるわけで、
隠した思想を見抜かれたところで気に入られこそすれマイナス要因になるとは思えん。
>>741も「建前上」とあるし、「公の場でこういう態度とられたら庇いきれない」が741の主張じゃなかったの?
だから「当時は孫権以外は知らないから問題ない」と書いたんだが。
ちなみに「曹操も孫権も漢の臣である以上〜」とあるけど、実際には少なくとも孫権には処罰されてないね。
749:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 15:52:58
>>748
陳琳、陳宮、畢ェ、魏チュウは降服じゃないよ。
成公英は韓遂を失ったから降服した。
魯粛の状況で、歴史上においての類似例は、
劉そう、張繍など、全て君臣共に許されている。
…
…
ごめん、確かに魯粛も許されるかも…
魯粛の発言の疑問点は、魯粛はOKで孫権はNGってとこだね。
750:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 17:06:45
魯粛の発言は「俺は許されるけど、アンタ殺されるよ」じゃなくて、
「俺は田舎帰ればツテもあるし、そこそこ出世して好きに生きられるけど、アンタは飼い殺しだよ」程度のものだと思う。
751:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 18:06:08
ところで周瑜がちょっと失敗した演奏者を睨むのって嫌がらせ?
752:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 18:20:04
>>751
振り返っただけで睨んだかどうかまでは定かではないけど、どっちにしろ演奏者にゃ嫌がらせ以外のなにものでもないなw
余談だけど、周瑜の一瞥が欲しい女官がワザと間違えたという民間伝承があるそうな。
753:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 21:31:06
>>741
孫ぽこもそうだが、当時の曹操一党に対する認識が間違ってる
曹操も殆どの家臣たちも、一応の公式見解はともかく通常には漢帝への忠誠なんて皆無に等しい
曹操を聖人と呼んだ董昭、公然と曹操が帝位に即くことを前提に話をした夏侯惇など、魯粛が孫権を皇帝にしようと考えたように彼等は曹操を皇帝にしようと考えていたし、半ば公然とその意見を表明している
魯粛が皇帝にする対象を曹操に鞍替えさえしたら、曹操の側でも何も問題はない
754:無名武将@お腹せっぷく
07/01/24 00:59:09
>692
>まず入ショクの段階で山越討伐に明け暮れてたの根拠は?
明け暮れてるかどうか知らんが張温伝等に出てくるように大軍動かせる
状態じゃないよね。しかも益州まで。
>曹操が荊州情勢をそこまで不安定にさせるほどの扇動を行えるという根拠は?
>そんなことできるなら当然史実においても実行してるよね?
呂蒙伝に出てこない?益州に攻め込んでたらもっと大々的にやってたと思うよ。
馬鹿じゃないんだし。だまってみてると思うほうが無理があると思う。
>694
>呉はどっから魏に侵攻できたの?
別に急いで攻めなくてもいいじゃん。
>695
>呂蒙による荊州取りは魯粛のプランに反するものではなく、実際に魯粛は
>呂蒙の関羽攻めの策を聞き喜んでいる。
呂蒙伝に今までの(魯粛の)方針を変更するって出てくるはず。魯粛が喜んだ
のは呂蒙が呉下の阿蒙じゃなかったから。「おおっ勉強してるじゃん」ってだ
けでしょ。
>696
>そもそも魯粛自身が主導した荊州奪取はなんなんだ?
単刀会の事かな?約束守れよって兵力を背景に圧力を加えたんじゃないのかな。
むしろ劉備・関羽との衝突を回避しようとする努力が涙ぐましくないか?
>701
>>呉の存在そのものを危険にする行為だった思う。
>というのは聞けば聞くほど意味不明だ。
なんで?この後蜀と戦争になるじゃん。上流から攻めてくる蜀相手に楽勝だった?
敵を限定するために魏と屈辱的な和睦を結ぶんだよ。劉曄の進言が容れられてたら
魏も同時に攻め込んだかも。数十年後の滅亡の時と同じ複数ルートで攻め込まれる。
魯粛と呂蒙の違いって蜀との友好関係と荊州どっちを優先するかって違いでしょ。
魯粛と同派の諸葛謹の伝で「荊州に固執すると、もっと大きな物を失う」みたいな感じ
で出てくるはず。この場合立場が逆だけど。
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