周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜 呉の軍師を語るスレ at WARHIS
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550:無名武将@お腹せっぷく
06/12/22 10:38:39
>>544
グーグル先生に聞いたところどうも資治通鑑に胡三省が付けた注釈の一部っぽい。俺は原本持ってないんで確認は出来ないが。

俺も漢文の教養はないけど、「軍師祭酒止決軍謀」は曹操が198年に初めて置いた「軍師祭酒(軍祭酒)」の説明で、
劉備が設置した軍師中郎將の説明は「中郎將則有兵柄」の方じゃないかと。

>>545
ようは現代日本とは違う用法で使われてるのだから、そんな修飾語句をもって「(現代の我々が言う)軍師だった」するのは無理があると。

551:無名武将@お腹せっぷく
06/12/22 18:38:06
・軍師,亦古將軍號。
→軍師、また古の将軍の号。

・曹操初置軍師祭酒,而備置軍師中郎將,皆以一時軍事創置官名也。
→曹操、初めて軍師祭酒を置き、而して備、軍師中郎将を置き、皆一時の軍事を以って官名を創置するなり。

・然軍師祭酒止決軍謀,中郎將則有兵柄。
→然れども軍師祭酒は軍謀を決っするに止まり、中郎将は則ち兵柄有り。

・亮後又進軍師將軍。
→亮、後に又軍師将軍に進む。

※「軍師祭酒は軍略だけで、軍師中郎将は兵を動かす権力もあるよ」ってことだね。
読み下しの間違い部分には目をつぶれ。

552:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 03:45:31
むむむ

553:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 04:47:45
>>552
言わないぞ。

554:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 12:03:20
何が 言わないぞ。 だ

555:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 14:05:47
はははこやつめ

556:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 18:07:55
板違いだ。
続きは中国英雄板でやれ。

557:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 20:08:59
周瑜の天下二分て劉備擁立なんですか?

558:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 21:02:26
>>557
「呉書見聞」という有名サイトでその説をぶち上げてるから有名だけど、他の考えも十分できると思うよ。

559:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 22:10:38
>>557
個人的には違うと思う

560:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 00:38:43
周瑜のヌード写真流出
スレリンク(warhis板:1-100番)

561:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 00:46:31
献帝に対抗して劉備皇帝ってことか

562:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 01:20:26
関張を左右として使い北に対抗するにはそれしかないだろうね。
ただそれをやると孫権の立場が浮く。
まあ所詮周瑜は後漢朝の家来に過ぎなかったということだろう。
その意味で孫権が信用できる絶対的な家来は魯粛、呂蒙の二人だけ。陸遜は微妙。

563:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 01:51:51
孫権の評価は周瑜が一番
魯粛は最下位

564:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 03:11:23
孫権の評価が高く一番頼りにしてたのは間違いなく周瑜だと思うが
孫権が最も配下として信用していたのは呂蒙だろうな。

565:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 03:32:35
周ユは孫権が子供の頃からの知り合いだし(義理の兄?)、孫策死亡時にもし周ユいなかったら最悪の場合あそこで呉は滅びてたから孫権はかなり周ユの事信頼してたと思うんだけどな。
演義じゃいろいろ違うけど史実じゃ孫権の母も周ユよりだったみたいだし。

566:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 04:54:58
そりゃ孫権個人としては人間関係含めて周瑜に勝る頼れる人はいないだろう
ただ、孫氏政権の主としては特別な背景を持たない呂蒙はとても気易いだろうな

567:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 07:31:19
問題はそのどちらも早死になんだよなあ…
孫家はブラック企業なのか…

568:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 09:10:06
つ[長江の貝の中の寄生虫]
つ[孫権腹黒]

(´・ω・`)?

569:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 09:18:48
>>568
上は伴野朗 の『呉・三国志4』
下は桐野作人の『三国志蒼竜伝―周瑜・中原制覇の軍略』か

570:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 09:37:11
孫権にとって呂蒙はあれだ、初めて部活で出来たなついてくる後輩みたいなもんか

571:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 10:27:16
>>562
まず関張を使うにはそれしかないと言うけど、実際にわざわざ皇帝に担ぎ上げずとも既に周瑜は張飛を借りて使っているし、
関羽も考えようによっては同様(劉備が南部4群を攻めてた説をとるなら)。これを目的に劉備を担ぎたかったするには動機が弱いかと。

しかも周瑜の主張の根幹は「関羽・張飛を部下にしたい」という人材獲得の希望ではなく
「劉備に基盤を与え、股肱の2人と一緒に行動させればいつか絶対に脅威となりうる」という危機の警鐘の方だろうし。


次に現に都に本物の皇帝が居て、漢王室の体裁が曲がりなりにも整えられたままにも関わらず、
何処の馬の骨ともわからない劉備を「これ皇帝だから」と担ぎ上げて本当にメリットあるのか疑問。

形骸化したとはいえ朝廷の権威は遠く呉の地ですら未だ厳然と作用していたし、
こんな文字通りの反逆行為を行えば、大義名分を失い人心は離れ曹操勢力を勢いづけることにしかならないだろう。
「曹操こそ漢室の逆賊なのだから孫家が取り除かなければならない」という周瑜の主張がオジャン。

近い過去に袁紹の劉虞奉戴もあっさり頓挫してるし、周瑜がこんな自爆まがいの策を取るとも俺には思えない。
人心を失えば袁術張りの末路を辿るのがオチ。


そもそもこの説って「劉備を奉戴しよう」という明確な意思表示は一切本文になく深読みの類なわけで、
面白い説だけど、どうしても根拠に乏しい。主張の立脚点からして周瑜の言葉の裏の、言ってしまえばただの憶測。

最後に「周瑜は後漢朝の家来に過ぎなかった」というのが一番違和感ある。何故そう思ったのか聞かせて欲しい。
この説が仮に事実だったとしても勝手に皇帝を担ぎ上げようという不逞のやから以外のなにものでもないし、
そうじゃなくても魯粛に「正直言って漢室そろそろ終わる。次は孫家が来るね」と語っているのをどう捉えているの?

572:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 16:41:05
まあ、劉関張は天下に名が轟いていたから、手に入れたかったというのはあるだろうな。

573:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 17:50:35
周瑜→天下取りしてぇ。益州取って涼州と手を組んで曹操と大戦争じゃ。
魯粛・孫権→堅実にいこう。とりあえず三国鼎立。
劉備一家→根拠地欲しいなー。具体的に言うと蜀。

ありゃ、周瑜だけ仲間はずれなのね。

574:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 19:02:11
周瑜・孫策→天下取りしてぇ。益州取って涼州と手を組んで曹操と大戦争じゃ。
魯粛・孫権→堅実にいこう。とりあえず三国鼎立。
劉備一家→根拠地欲しいなー。具体的に言うと蜀。

575:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 22:05:59
>>570
嬉しいよな。大事にしたくなるよな。

576:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 23:19:05
>>570
呂蒙は孫権が勉強しろと言って本当に猛勉強して
学者顔負けの頭の良さにになったり死んだ後に
もらった褒美とかほとんど返還するくらいの超忠臣だしな
後輩にこんなのがいたらまじ可愛がりそうww

577:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 00:06:22
秀吉に仕えた武将と比較すると

蜂須賀正勝=程普
竹中半兵衛=周ユ
黒田官兵衛=呂蒙
小早川隆景=魯シュク
蒲生氏郷 =陸遜

まあこんなとこだろう


578:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 00:14:29
>>574

まともな意味で周瑜は孫策が大好きだったんだろうな。
最後の頃の言動とか行動は、周瑜は孫策の夢を実現したかったように見える。
だから孫権と癒着は出来なかったわけで、それが結局いい方向に呉を導いた気ガス


579:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 00:19:08
周瑜と孫策、両方長生きしていたら面白かっただろうなと思うもんな。

580:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 00:23:55
夢に生き、夢に死ぬ。だよ周瑜は。゚(ノд`)゚。

581:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 01:55:09
孫策時代の呉はみんなして
「イケイケェーー!!ノーブレーキだァ!1か0だ!それ男だぁぜー!」
みたいな一種アホなノリだからなw張昭や周瑜もなんかぶっ壊れてるw
それが孫策が死んで、その弟の孫権の為に今度は自分の身を律して行動し始める
せつない

582:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 13:06:15
孫策の時は中原はまだ曹操と袁紹が争ってた
孫権の時は赤壁で降伏しても仕方がない情勢


583:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 16:12:55
赤壁でもイケイケな周瑜&魯粛。

584:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 19:41:08
赤壁でもヌケヌケな大喬&小喬。

585:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 21:56:04
そして赤壁でもアゲアゲな黄蓋

586:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 23:53:46
いつになったら百叩きくらった黄蓋を甘寧が見舞って見破るイベが
無双に採用されるんだろう

剣山頭の甘寧クビにして横光甘寧でも採用しなきゃ無理か

587:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 00:03:40
それ以前に周瑜が黄蓋を百叩きするシーンが無双に採用されるのはいつなんだろうか

588:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 00:13:06
あの周瑜にいくら叩かれても、あの黄蓋ならきっと痛くない。

589:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 04:29:43
>>587
3猛将のあれでは不満?

甘寧の見舞いイベは確かにほしい

590:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 05:36:25
話豚切って申し訳無いのですが、疑問があります。

何故周瑜は偏将軍止まりだったのでしょう?
周瑜くらいならもっと高い官職でも良いと思うのですが。

当時の孫権ではそれ以上の官職を与えるのは不可能だったとか、取り敢えず
偏将軍にしといて後から別の官職与えようとしたら周瑜が死んでしまったとか
何か考えられる理由があったら教えて頂きたいです。

それとも、偏将軍って実は凄いんでしょうか?

591:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 13:10:43
>>590
孫権の階級が低かったから
そんだけ

592:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 14:24:53
>>590
下から数えりゃ、それなりにはすごいと思うよ

将軍将軍って、現代の我々は単に一軍の指揮者という意味でほいほい使ってるけど
当時は官職としての「将軍号」を持たない武将だって沢山いたはずだしね

593:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 14:46:02
周瑜の家柄や名声、実力なら孫権以上の階級にいけたかもしれないけど
孫家を立ててる周瑜の性格からして孫権より高い階級は望まなかったんじゃないか?

594:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 14:59:03
>>593
オイオイ、孫権以上の階級を貰うって=孫権勢力を離れるってことだろ。孫権から官位を任じられるから勢力の一員となるわけで。
性格の問題じゃない。

595:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 20:11:19

孫権以上の階級を貰う
 =孫権より上の地位( ・`ω・´)ノ
 =呉は本日をもちましてこの周瑜が率いさせて頂きます(^ω^)
 or曹操に孫権以上の位貰っちゃったよwww今日から魏に逝くぉwww


596:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 20:14:38
でも実質的には周瑜の方が孫権より権力あったかもね
水軍の総帥だし

597:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 20:22:08
呉は北からやってきた無頼や名士と地元豪族の連合政権だから皇帝権があまり強くない。
そういう点で東晋とよく似てる。

598:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:05:37
亀レスだけど
>>562
>その意味で孫権が信用できる絶対的な家来は魯粛、呂蒙の二人だけ。陸遜は微妙。

かなり主観入ってないか?




599:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:08:01
親族でも微妙、豪族は必要悪。
はっきり言って子飼い以外は全部信用出来ないお。

600:590
06/12/28 01:20:06
レス有難う御座いました。参考になりました。

601:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:27:29
>>599
だよな、ゲームとかじゃ呉って和気藹々な雰囲気で書かれてるけど実際ってものすごく腹黒さんだったんじゃ・・・

602:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:34:51
>>597
東晋は北の貴族と土着の豪族の間には越えられない壁がある

603:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:37:56
>>602
蜀の荊州閥と益州人の間の壁にも似てる

604:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:53:56
なんだかんだで二宮ではかなり豪族叩きして
孫皓時代の皇帝権はなかなかのものよ

605:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:55:33
皇帝や外戚が好き勝手できてるからなあ

606:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 09:04:12
>>604
彼の暴走も皇帝権の強化為と見るとまた面白い

どのみち最後の軍師はああなるんだろうけどさ…

607:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 14:26:44
なに軍師って

608:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 21:25:52
りっくんのまつろ?

609:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 23:20:26
スペシャルハリケーンミキサー

610:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 20:20:52
諸葛亮を『知 100』としたら、この4人はそれぞれどのくらいだろう?

611:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 21:29:16
ついでに呂布を『武 100』としたらそれぞれどのくらいだろう?

612:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 22:17:04
>>610
『知』が何を指すかにもよるんじゃね?
ついでに正史準拠か演義準拠かもな

613:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 22:47:33
正史準拠で。
難しいかもしれないけど、外交とか内政とか戦略とか全部含めて、っていうのはあれだから、戦略のみがいいかな・・・。

614:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 00:53:57
俺はロビンマスクと男の勝負がしたいんだ
byマンモスマン

615:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 00:59:11
子供時代に孫策と剣の腕が対等だったという民間伝承から、周瑜は武も結構高いと踏んでる俺がいるわけだが。

616:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 07:54:14
能力値とかなんだかは専用スレがあるわけでそっち行け

617:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 11:15:34
めよきうく
読気空
emoyikuk
←←←←←

618:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 17:39:04
>>610
とりあえず全員100は超えるわな

619:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 23:18:01
どうだろう。ロシュクとかは知はあまり高くなくてその分政治が高い気ガス

620:孔明廚
06/12/30 23:49:04
>>618
はぁぁ?!なんだと!お前なんか『知』が−15の癖に!

621:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 23:51:07
男性諸君、結婚すると不幸になる。幸せにして当たり前で感謝無し。都合の良い奴隷としてだけ感謝され、搾り取って用済みになればゴミ箱へポイ♪
女の外面は綺麗で清潔で良い人、内面はずるくて汚いため、口も悪い+薄情+嘘+女同士も上辺仲良し裏では悪口三昧
女の成分はA(性悪陰湿残忍+損得自己中感情)+B(良い女演技+体形+整形化粧+ファッション)
↑良い女演技は好きな男>>異次元>>男集団>他人の順に良くなる。年齢とともにBのメッキがはがれ内外ともに醜くなる(Aの良い女は極少数)
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それでも結婚する君へ究極護身法→[夫婦財産契約登記]
夫婦財産契約により、自分の稼いだ財産はすべて自分の物

弱い者いじめは最低と言いつつ、赤ちゃんを殺す母親(そして無罪判決(笑
狙撃は女子のほうが強い。男はノイローゼになってやめてしまうが
女は何人殺してもノイローゼにならない。骨盤が安定しているため

ナチスの拷問で、女の拷問の残虐非道さを見て、拷問をしていた男達もひいたという
拷問しながら楽しそうに笑みをうかべていたそうだ。罪悪感や引け目が無い

・有史以前が女尊男卑の時代だったことを指摘したのは、スイスの学者バッハオーフィン
アマゾン女族の女王は、法律を定め、男達には卑しい奴隷の仕事を課した
男児が生まれたら、生き埋めにするか、脚と腕を不自由にして、戦えなくし奴隷とした
・王位継承権が女性にだけあった古代エジプトでは女性権力が非常に大きかった
・日本でも卑弥呼が女王
URLリンク(kr.img.dc.yahoo.com) ←女集団が女一人をリンチしている動画(執拗に蹴り続けながら皆楽しんでる 一部エロ有

女は虐げられてきた?父系社会など人類の歴史から見ればほんのわずかな期間に過ぎない。むしろ

622:無名武将@お腹せっぷく
06/12/31 02:29:28
>>620
「テストでマイナス点を取る方法」とかなんとかいうのを思い出した

623:無名武将@お腹せっぷく
06/12/31 14:14:23
>>618
禿同
>>622
kwsk 本気で気になるんだがw

624:無名武将@お腹せっぷく
07/01/02 18:44:12
げえっカンヌ!


625:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 06:36:15
諸葛謹

626:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 11:17:32
の驢馬

627:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 13:33:53
あの子は家を滅ぼすだろう…

628:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 18:05:58
諸葛珍
ってなんかいそうだな

629:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 23:45:20
なんか変な流れだな…こういう時は呂蒙の話題でも話そうじゃあないか。

630:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 00:53:30
呂蒙はいい子だよ。
孫策軍の将校だったケ当の嫁の弟で、若い頃から孫策軍に入り浸っていた。
大人にバカにされて怒り殺傷沙汰になったのが孫策の耳に入って孫策の側近の一人になり、
ケ当が死んでその軍を継ぎ、孫策の死後も孫権に忠実に付き従います。
魯粛とは肩を抱き合う親友で本を読めと言われては従い、
獰猛すぎる甘寧の言動を諫めるくだりは穏和な性格が見てとれます。
陸遜と共に関羽を倒した時に呂蒙が施した「徳と免税による荊州の住民懐柔策」は、
呂蒙が常々考えていた呂蒙なりの「平和」を実戦したのではないかと思うわけです。
終わり。

631:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 01:08:20
周瑜も呂蒙も陸遜も軍師じゃねぇ!

632:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 05:17:06
んじゃ張悌

633:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 07:23:45
>>631
軍師は文官だけだと思ってるアフォですか?
というか魯粛も文官ではないのですが

上の方で「軍師将軍の称号」について云々があったけど
一般的な単語としては戦術参謀ができれば軍師ですよ

軍師は文官にしかなれないというなら
侍社会の日本には軍師が一人もいなかったことになるが…

634:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 08:29:11
戦術参謀の時点で周瑜はアウト

635:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 12:49:40
>>633
一般的な用語で言えば周瑜も呂蒙も陸遜も『軍師』じゃなく『司令官』だということでしょ。
周瑜の代表的事業である赤壁と江陵攻略(と征蜀未遂)について、戦略決定段階における孫権の参謀的役割もあったが、
メインは司令官として両作戦の総指揮をとり勝利に導いたことであり、そのことで『名将』として歴史に名を残してる。
呂蒙や陸遜も、それぞれ周瑜・魯粛や呂蒙の元で献策をしたこともあるけど、
呂蒙とはどういう人物か?と聞かれれば、それこそ『一般的』には「関羽から荊州を奪った呉の『名将』」であり、
陸遜は「夷陵で劉備を破った呉の若き(本当は大して若くないけど)『名将』」ということになる。
この他にも呂蒙の濡須や陸遜の石亭など、2人共指揮官として多くの成果を残しているわけで、
軍師と称するのには違和感を覚える人も居るんだろう。

その点魯粛は逆に、司令官としての経験が無いではないけど、魯粛の大一番は赤壁開戦に持ち込んだことや単刀附会みたいな
呉蜀同盟と天下三文策の推進にこそあるので、参謀的な役割での「軍師」にマッチするのかと。

…というか今まで誰も文官のぶの字も出してないのにいきなりどうしたんだ?と思わないでもない。
勝手に「軍師は文官のみだと相手は思ってる!」と決め付けてアホ呼ばわりとかするのは荒れそうなんで止めて欲しい。

636:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 12:53:54
周瑜は孫策下では軍師でも良くないか。

637:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:00:33
残念ながら孫策時代にどんな献策したのかとかが残ってないんだよな…
確認できることは後方都市の慰撫や物資の供給みたいな後方支援的働きと、
副将として従軍したり指揮官として別働隊を指揮したりするような上級将校的役割を任されてたことぐらい。

イメージ的には孫策総指揮の下周瑜が軍師というのが凄いシックリくるんだけど。

638:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:22:05
>>633がどうしてそこまで話しを飛躍させたのかわからない

639:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:33:55
孫策がいた時はでかい戦いはなかったもんな。

640:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 14:14:03
>>637
周瑜よりもむしろ二張の方が軍師っぽい

641:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 14:18:30
挙兵した頃は朱治や孫静あたりが参謀っぽかったりしたのかな
呉景はいまいち頼りない感じだが

642:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:40:43
周瑜は参謀とか軍師というよりも、全てをふくめた右腕とか懐刀っていうイメージが強いんだが・・・


643:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:44:39
史実を無視しまくってる無双だけど呉の描写は意外にも史実に忠実だと思った。
呂蒙は置いておいて、よく周瑜や陸遜に扇持たせなかったと思う。

644:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:48:17
稲葉山城を17人で乗っ取った竹中半兵衛は神

645:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 00:00:29
>>644
え?前からすごい事は聞いてたがそんなに凄いのか?

646:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 00:17:53
このスレいつもリョモウに始まりシュウユに終わるなw

647:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 03:50:14
>>643
扇とは何じゃらほい?

648:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 04:09:55
>>647
無双で諸葛亮や司馬懿が武器として使ってる羽扇のことじゃないかね

649:無名武将@お腹せっぷく
07/01/07 00:51:15
さすがに羽扇キャラには無理があるだろう。
つうか呉にはでかい扇持ちが二人もいるしな。
まあそんなことはどうでもいい。

650:647
07/01/08 01:28:01
>>648-649
Thxです! 三国無双のサイト見てきたwwwあれは武器になるのか?www
でも、蘇軾が赤壁懐古で 「遥想公瑾当年、小喬初嫁了、雄姿英発、羽扇綸巾、談笑間……」と
言ってるから、周瑜も羽扇を持ってたのかも……まあほんとにどうでもいいことなので失礼しますた。

651:無名武将@お腹せっぷく
07/01/08 16:15:32
羽扇は三国時代よりもっと後の発明

652:無名武将@お腹せっぷく
07/01/08 16:46:30
根拠は?

653:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 03:03:33
三国時代の遺跡から出土してないから

654:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 12:46:16
>>650
羽扇綸巾はいわゆる儒将の姿を表すときに使う表現だが、
後世ではまんま孔明の衣装様式となった。

あと蘇軾の時代に赤壁が二つがあって、
彼がこの詩を作ったときに訪れた場所は
三国の赤壁じゃないってのも結構有名な話。

655:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 18:56:43
陸遜が良く若年設定で描かれるのはどう思う?

1.都督リレーの最後、夷陵での抜擢などの若いイメージに合ってるので良い。
2.夷陵時の年齢(既に40近いおっさん)や60過ぎまで活躍し続けたイメージに合わないのでダメ。

656:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 19:03:06
>>655
夷陵では上手く活かしてると思う
ただ、爺さん好きなので晩年の苦労も描いて欲しいなあ

657:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 22:15:40
横光では別に陸遜青年っぽいわけではないよな。
肥三国志の影響とかって、どっかで聞いたけど。

658:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 02:47:20
>>654
なるほど、小喬も嫁いでからもう何年もたってるし、
赤壁懐古にうたわれているのは、東坡先生の想像した詩景のなかにある
「俺の思うところのかっこいい周瑜像(補正あり)」ですねw。

陸遜は、演義だとずーっと仕官したての書生風イメージが……京劇でも陸遜の役には髭がない
(京劇では、成人の男の役で髭がない=髭なしでも鑑賞に堪えうる若いイケメンの役らしい)。
でもそのせいで、今でも中国南部では陸遜は伝承とかでやたらと人気があるらしい。

659:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 03:20:36
俺の頭では横光陸遜がデフォ

これくらい威厳がないと呉の武闘派をおさえられるかってんだ

660:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 04:06:01
オッサンくさいだけのような気もするが同意

661:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 07:19:33
はぐれ刑事みたいな感じだったのかもしれない

662:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 07:35:42
映像技術がハリウッド並の三国志は見てみたいけど、
呂蒙って感じのムサそうな俳優はたくさん居てもうつくしー周喩は難しいね。
諸葛亮は病弱な身長180センチイケメン・・これはいけそうかな?

横光陸遜は服装鎧姿が異様にかわいい
アゴ紐が特に

663:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 08:36:25
>>662
考えてみると呂蒙の結核はあまり話に出てこないね
結核=吐血=美形は定番だと思うが。
先輩との差別化かな?

664:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 09:38:03
>>663
結核ってどこに書いてあった話し?

665:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 10:17:30
呂蒙好きの俺としては年を追うごとに姿を変化させたい

でかいガキ→筆が似合わない筋肉兄さん→やせ細った秀才

ってな感じで

666:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 17:41:58
>>665
じゃあ、貴乃花だな。知性的なイメージはないが。

667:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 21:03:05
>>666
親方なった時のやつれ具合は印象的だったね
リストラ対策にやたら部隊派手にしたこともあったし
結構派手好きなのかな?
思いついても中々出来ないと思う

668:無名武将@お腹せっぷく
07/01/11 08:56:07
>>666
ワロタw でもぴったりだ。

669:無名武将@お腹せっぷく
07/01/12 22:51:55
URLリンク(www.koutetsu-sangokushi.jp)

絶望した

670:無名武将@お腹せっぷく
07/01/13 23:16:14
ほっとくんだ

671:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 14:23:03
泣けるな…

呉はこの四人に焦点を当てて四部構成の作品にでも仕立てた方がウケルと思うのだが。

672:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:04:57
孫策生存時からの孫権視点の方が感動できるんだが
んでこのスレタイの4人を一人づつ孫権視点でピックアップして5部構成のがよくないか?

673:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:23:48
あげ

674:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:42:46
呉に限らず、映像関係ではトンデモ妄想三国志の方が受けるからって、
真面目な視点の三国志なんて作ってくんないんだろな…
人形劇でも見とくか

675:無名武将@お腹せっぷく
07/01/17 18:32:28
昔あった中国制作の三国志ドラマでも やっぱり呉って軽い扱いだったりする?

施績に関しての情報が調べにくい。 wikiにも載ってないし

676:無名武将@お腹せっぷく
07/01/19 18:11:26
>>675
施績について、本人の伝以外の記述(三国志内)

陳留王紀にて「施績は賊国の名臣ではあるが、(孫休死後の混乱から)猜疑心を抱いて主君から嫌悪されている」と評される。
胡質伝にて「施績・ショウ済らと共に長江・ワイ水一帯で名を知られた」と評される。
王昶伝にて、250年に王昶に打ち破られ、諸葛誕の反乱の際に王昶に足止めされたとされる。

孫休伝にて、263年に魏の蜀侵攻に関して軍をどのように動かすか検討するよう求められたされる。
孫皓伝にて、264年に丁奉と左右の大司馬に任じられ、269年の四月に死去したとある。
また弁亡論の中で「施績と范慎は威信の重さで人々に知られる」と評される

孫奐伝にて、孫壱らと共に諸葛融を攻めたとされる。
諸葛融伝では、孫壱・施績らを率いたのは施寛とされる。

孫和伝の註にて、太子派の一人として大都督施績の名が上がる。
鍾離牧伝の註にて、鍾離シュンが宜城・信陵に城を築いて防備を固めるべきと唐盛に進言するも、
施績・留平ら知略を備えた名将たちが、宜城・信陵を通過したのに城を作ろうと言ってないから(鍾離シュンの意見を)取り上げなかったとされる。


参考になれば。

677:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 00:34:33
三国志の時代、低い身分の出身者が出世するとなにかと足ひっぱる奴が多い。名士だの豪族だのの影響力は最近頻繁に耳にする。

そんな中で呂蒙を考えてみると、「元の儒学者でも及ばない」程書物を読み解くことで出自の不利を挽回したともとれることに気付いた。
司令官として磐石の人望も、呂蒙の努力の賜物の考えると感慨深い。

678:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 00:43:35
陸抗は孫策の孫

679:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 02:00:44
 とりあえず軍師としての才能なら魯粛が一番上じゃないか?
周瑜の天下二分論ははっきし言って成功確立の極めて低いギャンブルだし、
呂蒙・陸遜が引っ掻き回したせいで魯粛の足を引っ張ってるような希ガス。
 孫権も魯粛を一段下の評価をしてるけど、むしろこの評価が孫権の大局の
見えなさを表してると思うよ。

680:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 02:31:03
魯粛は荊州取り戻しに何度も失敗してる時点で
あまり高い評価は与えられん気がするんだが

681:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 03:27:45
最初の交渉で折半を勝ち取ったじゃないか。

682:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 05:33:10
>周瑜の天下二分論ははっきし言って成功確立の極めて低いギャンブル
これ、よくそう言われるけどさ、完全な成功は無理にしても
ある程度の戦果さへあげれば、その後の交渉を有利に進められたり
するんじゃないかな?


683:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 14:30:56
>>679
魯粛の天下三分がどういうものだか未だに良く分からんのだけど
wiki先生の言うとおり荊州とかを併合して天下二分を目指すものなら
呂蒙・陸遜の荊州取り戻しは魯粛戦略を引っ掻き回した行為じゃないと思うし
そもそも魯粛自身も劉備入蜀以後は荊州を思いっきり狙ってるんじゃないか?

684:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 14:35:26
今更周瑜の征蜀の成功率の高さを語っても新しい発見なんざないだろうからマンネリ気味の話題かな…

一応指摘しとけば当時の蜀は張魯との長期抗争状態にあって、国内では扈瑁の乱、続いて趙イの乱がおき、
ホウ義・李異ら手柄のある諸将は皆外部と結ぶ気配ありと言われる混乱状態。

さらに軍勢・防備の大部分は(高沛らの居る白水を初め)北方の張魯対策に割り振られてる中、
史実でも快進撃を続けた荊州方面から平素の備えを怠る劉璋目指して曹操を打ち破って意気揚がる精鋭軍団が一路成都を目指す。

これが「成功確立の極めて低いギャンブル」なら呉がとった他の作戦、
例えば「軍師としての才能なら一番上」の魯粛にはいったいどれだけ高い勝算をもつ作戦があったの?
「呂蒙・陸遜が引っ掻き回さない」状態での魯粛の公算ってどんな形?


685:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 20:52:28
魯粛の構想というのは曹操を破るのは難しいから江東の地盤を固めて荊州に
兵を進めて長江流域を制圧して自立するという奴
周瑜の二分論も呂蒙の荊州奪取もこの魯粛の構想に沿ってるわけだ

686:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 23:30:02
魯粛以前に孫策時代から張紘が提唱してる、呉の基本戦略ですな。

687:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 00:40:23
>684
 劉備が入蜀する時点では呉は越の平定に明け暮れている状態、その状態で
荊州の平定に乗り出すほどの荊州人士に対するコネも少なく 統治の名目も
無く 越と同様に荊蛮に悩まされるのは明らか。旧劉表勢力は曹操の横槍で
常に不安定な状態が続くと思う。
そこから更に蜀を攻めるとなると時間的に曹操に先を越される確立が高くな
り長江上流を抑えられると圧倒的に不利。三国時代は早めに終わったろうね。
だから周瑜の天下二分論は当時の状況では極めて困難な状況だったと思う。

688:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:02:07
赤壁後から曹操が攻勢に動き出すまで結構間なかったっけ?
確かに荊州の守りは固めてはいたけど

689:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:11:23
曹操の関中侵攻が211年。
赤壁が208年なのでそこまで遅れているとはいえない。

690:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:15:23
687の続き
 呉にとっての天下三分とは後の呉の崩壊につながった蜀の地域を、
友好的な勢力に支配させるってのが前提なのよね。(それにぴったし
当てはまるのが劉備だったわけで、魯粛の理解と呉の後押しが無け
れば諸葛亮の天下三分論もただの書生の戯言に過ぎないと思う。)
 つまり>685 の言うような呂蒙の荊州奪取は蜀との友好関係を損
なう呉(と言うより魯粛か)の戦略としての天下三分論の真逆の行動で、
呉の存在そのものを危険にする行為だった思う。
 これ以降、対魏の呉蜀の共同作戦が常にちぐはぐで、その不協和音
の状態のまま蜀は滅び、やがて呉も滅ぶ。

691:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:17:10
赤壁の後、曹操は明らかに兵力と勢いを失っていた
関中諸将から人質を取り彼等を抑えてから漢中を攻めようとしたが関中諸将の乱を招き、平定はしたものの兵力を損耗した
つまり赤壁後は曹操が荊州にも益州にもろくに動けない状態で、益州攻めの大チャンス
だから周瑜(孫権)も劉備も益州を攻めようと躍起だった
周瑜のプランも充分現実性はあった
最大の問題は劉備が邪魔すること

692:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:18:30
>>687
まず入ショクの段階で山越討伐に明け暮れてたの根拠は?
呉主伝をみても黄祖討伐以前に山越討伐関連の話題は集中してるし、入ショク前後はむしろ出てこない。
普通に考えれば山越問題が落ち着いたからこそ本格的に黄祖討伐に乗りだせたはず。

荊州にコネがないはずの呉が既に名士ホウ統などを配下に納めていたことは?

曹操が荊州情勢をそこまで不安定にさせるほどの扇動を行えるという根拠は?
そんなことできるなら当然史実においても実行してるよね?

693:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:25:39
>>687
>そこから更に蜀を攻めるとなると時間的に曹操に先を越される確立が高くなり

さすがは曹操。張魯を飛び越え蜀を制圧するなんて朝飯前ですね。
漢中を落とすこともできず多大な犠牲を払って結局引き上げた誰かとは比べ物にならないや!!

694:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:25:39
あのまま荊州方面からの侵攻を塞がれてた状態で
呉はどっから魏に侵攻できたの?

695:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:26:27
>>690
魯粛は元々長江流域全てを抑えることを目標としてた
それには上流の益州も含まれたはずで、魯粛もまた天下二分の考えだった
それが三分になるのは、劉備が荊州を抑えてしまったことと対曹操の駒としては有効だったためと思われる
魯粛も孫権も本質的には荊州は勿論益州も支配しようと考えており、呂蒙による荊州取りは魯粛のプランに反するものではなく、実際に魯粛は呂蒙の関羽攻めの策を聞き喜んでいる

696:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:31:43
>>690
そもそも魯粛自身が主導した荊州奪取はなんなんだ?
「これ以降、対魏の呉蜀の共同作戦が常にちぐはぐで」って、それまでは息のあった共同作戦を続けてたと思ってるのか?
219年の荊州奪取から、蜀が滅びたのは44年後の263年、呉が滅んだのは61年後の280年。「その状態のまま」随分長く続いたようで。

697:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 02:20:15
>692
 手元にソースが無いが張温伝で出てくるはず。ずーっと山越に悩まされてる
けどこれから頑張るからって。これよりも10年以上後の話だと思うよ。

 

698:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 05:38:02
>>692
ホウ統が周瑜に仕えていたのは周瑜が南郡太守だったからだよ
別に呉に仕えていたわけじゃない
その証拠に南郡が劉備の支配下に入ったら劉備軍内に組み込まれているだろ


699:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 05:40:56
ということは別に南郡太守であればが誰でも良かったと

700:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 06:01:45
>>699
ホウ統伝をちゃんと読み返せばわかるだろうけど
ホウ統は周瑜が南郡太守になる前に郡の任命によって功曹になっている
時期は劉表政権か曹操南下後か定かにされてないが
当然曹仁が南郡にいた時も彼は南郡の役人を務めていただろう
上が曹操軍→孫権軍→劉備軍と変わっていっただけで
彼が南郡の功曹として南郡太守に仕えていたことに変わりは無い

701:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 08:53:11
>>690
長江ラインを固めて守るのに不利な徐州を捨て、
今以上に防御を硬くするというのが呂蒙の考えなわけだけど
その
>呉の存在そのものを危険にする行為だった思う。
というのは聞けば聞くほど意味不明だ。
分かりやすく説明してくれ。

702:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 12:48:17
>>697
張温伝で「山越の討伐さえ済めば曹丕と正面からことを構えるつもりだ(と諸葛亮に伝えてくれ」という言葉が出てくるし、
諸葛格など後年においても山越討伐は出てくるが、それは「入蜀段階で平定に明け暮れている状態」を意味しないだろ。
前にも述べたが国力をそちらに回さなければならないほど悩まされていたのは呉主伝にも残る200〜206年で、
この間は実際黄祖討伐に赴くも国内の山越が蠢動したため撤退を余儀なくされてる。

しかし賀斉らの活躍もあり、国内の不安勢力掃討の意味ではこの時点で一段落ついており、
それが黄祖討伐の成功や赤壁の開戦を可能にした。

これ以後の山越討伐の話題は呉主伝に登場しなくなり、国力を注いだ治安事業から地方官による人員補充的なものになってくる。
その史跡は地方管理を任される部下の伝に「〜〜人を降伏させ、〜〜人を兵士として軍に編入した」という形でのみ残されるようになる。
国内を悩ます賊というより開発の余地あるフロンティアとして受け止められるようになっていく。

>>698
そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る。他に幾らでも士官先があるのだから。
龐統は周瑜の死後その遺骸を届けに赴き、後に「貴方は以前周瑜の功曹であって〜、主君が変われば現在の主君に云々〜」
とあり、「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」なんてどうして言える?単に周瑜死後に鞍替えしただけだろう。
現に劉備軍に行った時は従事兼県令として既に「彼は南郡の功曹として南郡太守に仕えて」居ない。
第一仮に龐統が南郡に仕えてるだけでその支配者に服従しているだけだとしても、呉の占領に対して
荊南で随一とも言える龐統ほどの名士が(全くコネ等に関係なく)黙って職務に励んでくれるなら、どっちにしろ荊州士人に対するコネなんてなくても支配は安定することになるだろ。

703:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 12:50:14
>>702の中段、
「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」じゃなくて
「南郡に仕えていたわけで呉に仕えていたわけじゃない」の間違いだ。

704:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:17:03
いきなりですが、陸遜の正室ってダレ?孫策の娘は側室だった・・・よね?

705:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:19:15
>>704
無双腐女子じゃね?

706:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:24:02
腐女子が同人誌を書くにあたり情報が見つからないので教えてくれと申しております。

707:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:40:33
>>705
よく分かったね。

708:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:49:41
そもそも正式に正室と側室を立てて区別するなんて皇族の人間ぐらいなんじゃないの?
袁紹が庶子というくらいだから有力家は本流と区別してたのかもしれんが、嫡子の陸抗が孫策の外孫扱いなんだから当然孫策の娘が正妻扱いなんでしょ。
そもそも「孫策の娘は側室」って一体どこから?

709:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 15:04:08
>>708
嫡長子は伯、庶長子は孟とされるように、少なくともまともな知識人階級では嫡庶、正妻と妾の別ははっきりしていた
曹操の正妻丁氏が子が無くても正妻だったように
正妻の実家は大抵親戚付き合い近所付き合いもある同等の家だから、子が無くてもむげに扱うわけにもいかないのだ
むしろ「長子を生んだら正妻になる」ことがままある皇帝家の方が流動的

710:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 16:16:06
>>702
>そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る。他に幾らでも士官先があるのだから
去らない人間もいる。それだけの話なんだけどな

>龐統は周瑜の死後その遺骸を届けに赴き、後に「貴方は以前周瑜の功曹であって〜、主君が変われば現在の主君に云々〜」
とあり、「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」なんてどうして言える?単に周瑜死後に鞍替えしただけだろう
だから、上が勝手に変わっただけだろ

>現に劉備軍に行った時は従事兼県令として既に「彼は南郡の功曹として南郡太守に仕えて」居ない。
劉備は荊州牧なんだからホウ統を南郡の功曹から従事兼県令へすることは可能だろ

>第一仮に龐統が南郡に仕えてるだけでその支配者に服従しているだけだとしても、呉の占領に対して
荊南で随一とも言える龐統ほどの名士が(全くコネ等に関係なく)黙って職務に励んでくれるなら、どっちにしろ荊州士人に対するコネなんてなくても支配は安定することになるだろ
何をもってホウ統を荊南で随一の名士としているか知らんが
コネがあろうがなかろうが呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば
荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
実際蜀から荊州を奪った後、呉はうまく荊州を切り盛りしたじゃないか
潘シュン伝の注でも荊州の人士たちがたいした抵抗も無く下についたことが書かれている
実力で荊州を取って、さらに荊州牧の官位を持ったこの時の呉にはそれが可能だったと言うことだ

問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ

711:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 17:00:07
>>710
だからその「龐統が能動的に主君を(それ以前の誰か)→周瑜→劉備と変えたのではなく、支配者が変わったのに合わせて役所に勤め続けただけ」の根拠は?
周瑜が南郡を落とし、再編を行わずに役所をそのまま引き継いだという資料でもあったっけ?特に明言されてない部分をあえて
「いや、龐統は呉に仕えていたわけじゃないんだ」と断言できるのは何故?
特に「南郡に出仕し続けること≠呉に仕えること」を分けなければいけない理由と根拠は?

「龐統が荊南で随一ともいえる」としたのは司馬キから受けた度々の高評、
博巽の「半英雄」(文脈上褒め言葉なんだろう)、揚州の名門・大学者である陸績、虞翻らと並んで称され親交を結んでいることからも、
州を越えた付き合いのある名士の証左だろう(他にも諸葛亮など居るので随一は言いすぎだったかも知れないが、トップクラスと言って良いはず)

「荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない」っていうか既に従えてるじゃん。
その「荊州を抑えるには軍事力と権威が必要で」、「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか疑わしい」とするならその根拠は?

そもそも>>687から「荊州南部全域の平定を目指してる」みたいな書き方に思えるが、当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域。
蛮族が多く住む武陵(武陵蛮・五渓蛮)を中心とした地域は劉備側の領内だし、
そもそも荊州人士に対する影響力と蛮族問題は別物だろうになんで>>687は「越と同様に荊蛮に悩まされるのは明らか」なんて言ってるの?
それとも>>698以後の人物は別人?

712:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 18:11:22
>>711
自分は687じゃないので687の主張の立証なんてできないよ
それは687自身にしてもらってくれ

>「龐統が能動的に主君を(それ以前の誰か)→周瑜→劉備と変えたのではなく、支配者が変わったのに合わせて役所に勤め続けただけ」の根拠は?
700で既に根拠は書いているんだがね…
どうも君が、周瑜が南郡に来る前からホウ統が郡の功曹であったとする明確な根拠がないといっているのか
周瑜が再編を行わずに役所をそのまま引き継いだという根拠がないといっているのかよくわからんのだけど?

前者ならホウ統伝に先に功曹就任が書かれてその後に周瑜の太守就任の話が来ているんだから
普通に読めば周瑜が太守になる前からホウ統は郡のだったとなるだろ
逆に周瑜が太守になってから功曹になったのにそこが史書の順番が違うってのはかなりおかしな話だ
後者なら周瑜着任前に功曹であったホウ統が、周瑜着任後も功曹を務めているんだから
ホウ統に関しては再編を行わなかった証明になるだろう

さらに「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか」について
>当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域
だとわかっているなら、荊州の火種があることの否定はできないと思うぞ

713:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 19:44:37
劉備が龐統を免官しようとした時、魯粛がとりなしてるから劉備の版図となった地域の役人・人士は孫呉との話し合いでそのままスライドさせたんじゃねえか?そのまま

714:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 20:04:10
>>712
端的に言えば龐統が以前の職責を続投したことが、どうして「別に呉に仕えていたわけじゃない」のかわからない。
征服者が征服地の人士を元の職責で迎え入れたら「頭が変わっただけでその征服者に仕えているわけじゃない」となるのか?
俺は「龐統は(劉表→魏?)→呉→劉備と仕えた」と考えていて、その根拠が>>702の「貴方は以前周瑜の功曹であって〜」とかだったりするわけだが、
何が「上が勝手に変わっただけだろ」なのが意味不明。
上が変わったっていっただけで劉表にも曹操にも孫権にも劉備にも仕えてないってことか?証明しろってのはその部分。

最後の三行は悪いがそれだけじゃ何を言いたいかわからない。どうもさっきから部分的な引用で話が逸れて行ってる気がするから、
貴方の>>710
>コネがあろうがなかろうが呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば
>荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
>実際蜀から荊州を奪った後、呉はうまく荊州を切り盛りしたじゃないか
>潘シュン伝の注でも荊州の人士たちがたいした抵抗も無く下についたことが書かれている
>実力で荊州を取って、さらに荊州牧の官位を持ったこの時の呉にはそれが可能だったと言うことだ

>問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ

というのを>>711で俺なりに要約した以下の解釈が正しいというなら
『「荊州を抑えるには軍事力と権威が必要で」、「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか疑わしい」とするならその根拠は?』
までまとめて答えてくれ。前の条件はそっちが主張してるもので、後ろのはそれを受けてのものだ。後ろだけ答えられても困る。
その「荊州の火種があることの否定はできない」も含めてね。

715:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 20:55:40
>>714
君は702において
>そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る
と言っている。
それはホウ統がどの勢力に組するか選んでいると言っているように自分は読んだんだけどね
自分はホウ統は勢力ではなく南郡を治める資格のある人物に南郡の役人として仕えていると言うものだ
当然その資格があれば劉表にも曹操にも周瑜にも劉備にも仕えるだろう
ただし、その資格が無くなった人物についていくことは無い
そういう点で狭義的なつながりを結んでいないのはわかるだろ
少なくとも南郡の功曹を務めていたときのホウ統の行動はそうとしか取れない
だから710で>呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
とも言ってるんだ

で、君が聞きたいって言う
>問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ
について君自身が>当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域
と言ってるだろう
呉は郡太守までしか荊州に対する支配権を持っていない
一方で劉備は荊州牧として(荊州南方に限定されるが)荊州の諸郡の支配権を持つ立場にある
呉が荊州で何らかのアクションを起こそうと思ったときに
劉備にとって不利益な行為であれば荊州牧の権限を持って邪魔をしてくる可能性が無いわけじゃないだろ
だから「荊州の火種があることの否定はできない」と言ってるんだ
そして、荊州人士を見た場合、ホウ統にしても呉だからと選んで仕えていると言うより
その権限があるから仕えていると言ったほうがいい状態である以上
荊州牧の劉備の意向と南郡太守の周瑜の意向がぶつかった時、どちらを尊重する人士が多いかを考えたら
より権限が広い劉備に動く数の方が多いんじゃないか?
だから南郡太守に仕える行為と呉に使える行為はイコールでは結べないんだよ

716:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 21:53:39
>>715
あんたキメエよ。
御託を並べて話すのは結構だが、
知識をひけらかすのは嫌われる元だぞ。

717:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 21:59:06
>>716
んなこといっちゃ何もできないぜw
でも、4都督スレなのにずれてるな。

718:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 22:36:22
>>715
>それはホウ統がどの勢力に組するか選んでいると言っているように自分は読んだんだけどね
別にそれで間違ってないけど。>>698の「ホウ統が周瑜に仕えていたのは周瑜が南郡太守だったからだよ。別に呉に仕えていたわけじゃない」
に対して「呉に仕えて、後に劉備に仕えただけだろ」って言ってる。これが絶対だとは言わないが、
孫権が南郡を支配した後に能動的に孫権に着くことを選び、さらに後に劉備に鞍替えすることを自ら選んだと考えても不都合はないはず。

>少なくとも南郡の功曹を務めていたときのホウ統の行動はそうとしか取れない。
この「そうとしか取れない」がわからない。別に適当に龐統が赤壁で勝利した孫権勢力を見込んだが、周瑜の死と共に見限って劉備に仕えたとか、
理由は幾らでも考えられるだろ。龐統が南郡の帰趨にのみ従ったと限定できるような記述はないじゃない。

しかもその龐統の動きの理由が「あくまで南郡を実力で押さえた人間に着く」だったと仮定し
また荊州人士全体に言えることだとさらに仮定したとして、荊州牧の資格は本来劉jに、後に李立が任じられたと言われるが、
こちらに従っては居ない(カイ越らはこちらに従ったが)。圧倒的な軍事力・官位・権威などを誇る曹操陣営に。
ということは(前項の仮定を信じるなら)龐統は刺史の称号でもなく、情勢的な見通しでも軍事力でもなく、「南郡を実行支配している」ことを重視してるとなる。

貴方の仮定通りならむしろ必要なのは実効支配しているという事実になり、荊州牧の劉備の意向と南郡太守の周瑜の意向がぶつかった時、
南郡その他の人士は周瑜に従い、南部四郡その他は劉備に従うという至極穏当な結果に落ち着くね。
あとの問題は突然出てきた「劉備が呉に敵対的な行動をとるのか?」についてだけど、これは今までの流れと外れるのでよしておこう。


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