この項目では、プロ野球選手について記述しています。陶芸家の同名の人物については「井上善夫 (陶芸家)」をご覧ください。
井上 善夫基本情報
国籍 日本
出身地山梨県上野原市
生年月日 (1941-09-27) 1941年9月27日
没年月日 (2019-12-31) 2019年12月31日(78歳没)
身長
体重180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り1960年
初出場1960年
最終出場1971年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
日本大学第二高等学校
西鉄ライオンズ (1960 - 1967)
読売ジャイアンツ (1968)
広島東洋カープ (1969 - 1971)
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井上 善夫(いのうえ よしお、1941年9月27日 - 2019年12月31日)は、山梨県上野原市[1]出身のプロ野球選手(投手)。経歴 日大二高では2年生でエースとなり、1958年秋の東京地区大会決勝に進む。日大三高の千原陽三郎と投げ合い1-0で完封、翌1959年の春の選抜への出場を決める。選抜では、1回戦でこの大会準優勝の県岐阜商に0-9で大敗[2]。県岐阜商には高木守道がいた。同年の夏の選手権にも出場。準々決勝に進出するが、東北高の嶺岸征男、波山次郎両投手の継投の前に2-3で惜敗[3]。8月末からは全日本高校選抜の一員として石黒和弘、朝井茂治らとアメリカ西海岸・ハワイ遠征を果たす[1]。秋の東京国体では決勝で平安高の藤野隆司に投げ勝ち、初優勝を飾った。 翌1960年に西鉄に入団[1]、力のある速球とスライダー、カーブ、シュートを武器とした。1961年から先発陣の一角を任され、わずか1勝と期待を裏切るが、翌年からは先発、リリーフとも安定した成績を残す。1963年のリーグ優勝に貢献、日本シリーズでは第5戦に先発するが敗戦投手となる。1964年5月16日の対阪急戦でノーヒットノーランを達成[1]。これで勢いに乗り、同年は17勝を挙げ、初めて規定投球回(16位、防御率3.23)に達するなど好成績を記録、翌1965年も11勝を挙げる。それ以降は成績が上がらず、1968年に巨人に益田昭雄、吉田勝豊との交換トレードで移籍するが、あまり出番はなく翌1969年に自由契約となる[1]。その後広島に移籍、球威の衰えをコントロールでカバーし、中継ぎとして活躍する。1971年に現役引退[1]。 その後、東京・恵比寿で飲食店を経営[1]。2006年8月10日放送の『笑っていいとも!』のコーナー『夏休み特別企画 我が青春に悔いなし!!』に出演し、久々に公に姿を見せていた。 2019年12月31日午後2時42分、敗血症のため死去。78歳没。2020年1月3日に西武ライオンズが公表された[4][5]。詳細情報年度別投手成績 年
度球
団登
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
h
ブホ
h
ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
打被
本
塁
打与
四
球敬
遠与
死
球奪
三
振暴
投ボ
h
ク失
点自
責
点防
御
率W
H
I
P
1960西鉄22400001----.00021351.15021603240020183.161.29
1961411500017----.125458110.1106103006860052463.751.23
1962521821087----.533674159.21651837381233080673.781.27
1963361442064----.600479114.2111103132740053443.451.24
196460298311711----.6071031247.223417742710640102893.231.24
196541255211115----.423702168.2158195030750072663.521.23
1966291100024----.33327766.26451413330026212.841.17
1967351000016----.14338694.09041906481030262.491.16
1968巨人4000000--------225.081000500335.401.60
1969広島7200001----.000499.1151502810665.792.14
197027100011----.50011828.2242816210014134.081.12
197125000001----.00010224.2182713900982.921.01
通算:12年37912919824758----.44845111080.21043912911446612904674073.391.23
記録
ノーヒットノーラン:1回 (1964年5月16日、対阪急ブレーブス戦、平和台野球場) ※史上30人目
オールスターゲーム出場:1回 (1964年)
背番号
11 (1960年 - 1967年)
28 (1968年)
81 (1969年 - 1971年)
脚注^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、62ページ