asics
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株式会社アシックス
ASICS Corporation種類株式会社
市場情報

東証1部79361972年5月29日上場
大証1部79361964年4月3日上場

本社所在地 日本
〒650-8555
兵庫県神戸市中央区港島中町7丁目1番1号
電話番号078-303-2231(代表)
設立1943年5月27日
(中央産業株式会社)(注1)
業種その他製品
事業内容スポーツシューズ、用品の製造販売
代表者代表取締役会長 和田 清美
代表取締役社長 尾山 基
資本金239億7,200万円
売上高連結:2,419億44百万円
単独:748億01百万円
(2009年3月期)
純資産連結:982億62百万円
単独:542億04百万円
(2009年3月31日現在)
総資産連結:1,749億21百万円
単独:993億13百万円
(2009年3月31日現在)
従業員数連結:5,230人 単独:1,304人
(2008年12月31日現在)
決算期3月31日
主要子会社関連会社参照
外部リンク ⇒http://www.asics.co.jp/
特記事項:注1:1963年6月1日に(旧)オニツカ株式会社を株式額面変更目的で吸収合併。当社の事業のルーツは、(旧)オニツカ株式会社に1958年に合併された「鬼塚株式会社」(1949年9月1日設立)。
 ・編・歴 
アシックス関東支社社屋(東京都墨田区錦糸

株式会社 アシックス(ASICS Corporation)は、兵庫県神戸市中央区港島中町に本社を置く、競技用シューズを中心とするスポーツ用品メーカーである。
目次

1 概要

1.1 沿革

1.2 ナイキとの関係

1.3 社名の由来

1.4 水着


2 主な商品(一部ブランドのみ)

3 主な契約選手

4 ユニフォームサプライチーム

5 研究機関

6 関連会社

6.1 連結子会社


7 脚注

8 外部リンク

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概要

アシックス(ASICS)のブランドで競技用シューズやスニーカー、アスレチックウェアなどを製造、販売する。スポーツシューズに強みを持ち、とりわけマラソン競技、バレーボールなどでは高いブランド力を持つ。

アシックスに社名・商標を変更する以前のブランドであるオニツカタイガーは、レトロな雰囲気からファッションアイテムとしての人気を呼び、現在では再び一般向けシューズのブランドとして製造販売されている。

海外にも進出しており、ブランド全体の知名度ではトップブランドにはやや劣るものの、オニツカタイガーが、特にヨーロッパで人気を集めている。シューズの他、スポーツウェア、アウトドア用品等の製造販売、輸入等も行っている。

2006年3月期の連結売上構成はスポーツシューズ66%、スポーツウエア24%、スポーツ用品10%となっている。


沿革

鬼塚喜八郎1949年(昭和24年)に神戸で興した鬼塚商会がバスケットシューズの製造販売をしたことに始まる。その年9月に法人組織の鬼塚株式会社とした。

鬼塚は選手や監督に直接意見を聞き、シューズの改良を進めながら全国を営業して歩き、高校の運動部を中心に徐々にオニツカの製品が売れていった。鬼塚は、シューズのブランドを、新鮮で印象に残り、スポーツシューズにふさわしい強さと敏捷性を表すものとして「虎印」とした。虎印の商標権はすでに他社に取得されていたため[1]、鬼塚と組み合わせて「ONITUKA TIGER」印を横につけ、虎の絵の下にTigerの文字を入れたマークを靴底につけた。

1953年(昭和28年)からマラソンシューズの開発を開始、1956年(昭和31年)にオニツカタイガーがメルボルンオリンピック日本選手団用のトレーニングシューズとして正式採用され、スポーツ界での知名度はさらに高まった。

1958年(昭和33年)に生産子会社のオニツカ株式会社が存続会社となり、鬼塚株式会社、販売子会社の東京鬼塚株式会社を合併。

1961年(昭和36年)の毎日マラソン出場のために来日したアベベ・ビキラを鬼塚はホテルまで訪問し「裸足と同じぐらい軽い靴を提供するからぜひ履いてくれ」と説得し、シューズを提供。アベベはその靴を履いて毎日マラソンに優勝。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは、オニツカの靴を履いた選手が体操、レスリング、バレーボール、マラソンなどの競技で金メダル20個、銀メダル16個、銅メダル10個の合計46個を獲得。(但しマラソン優勝のアベベは、このときはプーマを履いていた。)

1963年(昭和38年)に、当時休眠会社の中央産業株式会社が、オニツカ株式会社を吸収合併し「オニツカ株式会社」に商号変更(株式額面変更目的)。現在の株式会社アシックスは、この会社である。

1964年(昭和39年)2月に神戸証券取引所、同4月には大阪証券取引所第2部に上場を果たすが、オリンピック景気の落ち込みに対し経営危機となり、1966年(昭和41年)には取引先に対し約束手形の支払を繰り延べてもらう事態も生じていたと後に鬼塚は語っている。

1972年(昭和47年)5月に東京証券取引所第2部、1974年(昭和49年)には同1部に指定替えとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Momi