BJペン
基本情報
本名ジェイ・ディー・ペン
(Jay Dee Penn)[1]
通称ザ・プロディジー (The Prodigy)
国籍 アメリカ合衆国
誕生日1978年12月13日(33歳)
出身地ハワイ州ヒロ
所属ノヴァウニオン
→BJペンズMMA
身長175cm
体重77kg
階級ウェルター級、ライト級
スタイルブラジリアン柔術、ボクシング
ジェイ・ディー・"BJ"・ペン[2](Jay Dee "B.J." Penn、男性、1978年12月13日 - )は、アメリカ合衆国の総合格闘家、ブラジリアン柔術家。ハワイ州ヒロ出身。BJペンズMMA主宰。元UFC世界ライト級王者、元UFC世界ウェルター級王者。リーチ178cm。
ブラジル人以外の柔術家では史上初のムンジアル黒帯の優勝者。名ボクシングトレーナーのフレディ・ローチから絶賛されるほど優れたボクシング技術も持つ。また、UFCでライト級とウェルター級の2階級制覇を達成しただけでなく、ミドル級、ライトヘビー級でも強豪と互角以上に渡り合った。
総合格闘家リーガン・ペン
は実弟である。柔術の修行でアメリカ本土へ渡り、ハウフ・グレイシーに弟子入り。 ノヴァウニオンに移籍し、2000年に総帥アンドレ・ペデネイラスから黒帯を授与される。 後の2000年7月にはブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル)黒帯ペナ(-67kg)級で優勝、ブラジル人以外の選手として初めてアダルト黒帯の部を制する。
2001年5月4日のUFC 31で総合格闘技デビュー。ジョーイ・ギルバート
に1RでパウンドによるTKO勝ちを収めた。2001年11月2日、UFC 34で宇野薫と対戦。開始11秒でパンチの連打によるKO勝ち。
2002年1月11日、UFC 35のUFC世界ライト級タイトルマッチでジェンス・パルヴァーと対戦。腕ひしぎ十字固めを極めパルヴァーがタップアウトするシーンもあったが、ラウンド終了と同時だったため無効に。結果は0-2の判定負け。
2002年9月27日、UFC 39においてライト級王座決定トーナメントに出場、マット・セラと対戦し3-0の判定勝ちで決勝進出を決める。
2003年2月28日、UFC 41の決勝戦で宇野薫と再戦し、引き分け。王者は誕生しなかったが、再戦は行われなかった。
2003年10月10日、地元ハワイのRumble on the Rock 4において五味隆典と対戦。3Rにチョークスリーパーによる一本勝ち。五味は「試合したら怖いと思うのはBJくらい」と語っている[3]。
その後、ウェルター級に階級を上げ、2004年1月31日、UFC 46でマット・ヒューズにチョークスリーパーで1R一本勝ち。第4代UFC世界ウェルター級王者となるが、直後にK-1(FEG)と契約したことで、2004年5月にUFC世界ウェルター級王座を剥奪される。
2004年5月22日、K-1 ROMANEXでドゥエイン・ラドウィックと対戦。開始直後にテイクダウンに成功すると、パウンドからの肩固めで一本勝ち。
2005年3月26日、HERO'S旗揚げ戦において無差別級契約でLYOTOと対戦。マスト方式の判定0-3で敗れたものの、15kg以上の体重差があるにもかかわらず互角に渡り合う[4]。
2006年3月4日、UFC 58においてUFC復帰を果たすが、ジョルジュ・サンピエールに1-2の僅差の判定負け。序盤は打撃で優位に進め、テイクダウンは許すものの、グラウンドでも相手をうまくコントロールしており、ダメージの差を見るならBJの勝利ではないかという意見もあった。2006年9月、アローヘッド・ポンド・オブ・アナハイムで公開計量を終え、マット・ヒューズ(左)と
2006年9月23日、UFC 63でマット・ヒューズの持つウェルター級王座に挑む。打撃や変形三角絞めなどで序盤は圧倒しながらも試合中にアバラを痛め失速、3RにパウンドによるTKO負けを喫した。以後は再びライト級へ転向。
2007年、The Ultimate Fighter 5のコーチを務め、2007年6月23日のフィナーレでは同じくコーチを務めたジェンス・パルヴァーと対戦、裸絞めで一本勝ちし、5年半ぶりにリベンジを果たした。
2008年1月19日、UFC 80でジョー・スティーブンソンとUFC世界ライト級王者決定戦で対戦。