1984年_(小説)
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1984年
Nineteen Eighty-Four

著者ジョージ・オーウェル
訳者新庄哲夫1972年)、高橋和久2009年
発行日1949年
1972年
発行元Secker and Warburg
ハヤカワ文庫、新版ハヤカワepi文庫
ジャンルSFディストピア
イギリス
言語英語
コードISBN 978-4-15-120053-3

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『1984年』(1984ねん、Nineteen Eighty-Four)は、イギリスの作家ジョージ・オーウェル小説1949年刊行。単に『1984』とも。
目次

1 概要

2 作品背景

3 あらすじ

4 登場人物

5 設定

5.1 地理

5.2 党とイデオロギー

5.3 国民

5.4 政府

5.5 ニュースピーク

5.6 ダブルシンク


6 文化的影響

6.1 ダブルスピーク

6.2 文学

6.3 漫画

6.4 音楽

6.5 CM

6.6 映画

6.7 ゲーム


7 原書

8 日本語訳

9 他メディア展開

9.1 映画

9.2 テレビドラマ

9.3 漫画

9.4 オペラ


10 備考

11 脚注

12 関連項目

13 外部リンク

概要

トマス・モアユートピア』、スウィフトガリヴァー旅行記』、ザミャーチンわれら』、ハクスリーすばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く作品で、全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。なお、著者などは言及していないが「1984年」という年号は、本作が執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラム説などがある(後述)。これによって、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示したものとなっている。

出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の暗黒』などとともに反全体主義、反集産主義のバイブルとなった。また政府による監視検閲権威主義を批判する西側諸国の反体制派も、好んでこの小説を引用する。

1998年にランダム・ハウス、モダン・ライブラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100[1]」、2002年にノルウェー・ブック・クラブ発表の「史上最高の文学100」[2]に選出されるなど、欧米での評価は高く、思想・文学・音楽など様々な分野に今なお多大な影響を与え続けている。
作品背景

オーウェルは1944年にはこの小説のテーマ部分を固めており、結核に苦しみながら1947年から1948年にかけて転地療養先の父祖の地スコットランドジュラ島でほとんどを執筆した[3]。病状の悪化により1947年暮れから9か月間治療に専念することになり、執筆は中断された。1948年12月4日、オーウェルはようやく『1984年』の最終稿をセッカー・アンド・ウォーバーグ社(Secker and Warburg)へ送り、同社から1949年6月8日に『1984年』が出版された[4][5]

1989年の時点で、『1984年』は65以上の言語に翻訳される成功を収めた[6]。『1984年』という題名、作中の用語や「ニュースピーク」の数々、そして著者オーウェルの名前自体が、今日では政府によるプライバシーの喪失を語る際に非常に強く結びつくようになった。「オーウェリアン」(Orwellian、「オーウェル的世界」)という形容詞は、『1984年』などでオーウェルが描いた全体主義的・管理主義的な思想や傾向や社会を指すのに使われるようになった。

当初、この小説は、『ヨーロッパ最後の人間』(The Last Man in Europe)と題されていた。しかし1948年10月22日付の出版者フレデリック・ウォーバーグに対する書簡で、オーウェルは題名を『ヨーロッパ最後の人間』にするか、『1984年』にするかで悩んでいると書いている[7]が、ウォーバーグは『ヨーロッパ最後の人間』という題名をもっと商業的に受ける題名に変えるよう示唆している[8]。オーウェルの題名変更の背景には、1884年に設立されたフェビアン協会の100周年の年であることを意識したという説[9]、舞台を1984年に設定しているディストピア小説『鉄の踵』(The Iron Heel, ジャック・ロンドン、1908年)や『新ナポレオン奇譚』(The Napoleon of Notting Hill, G.K.チェスタトン、1904年)を意識したという説[10]、最初の妻アイリーン・オショーネシー(Eileen O'Shaughnessy)の詩、『世紀の終わり、1984年』(End of the Century, 1984)からの影響があったとする説などがある[11]アンソニー・バージェスは著書『1985年』(1978年刊行)で、冷戦の進行する時代に幻滅したオーウェルが題名を執筆年の『1948年』にしようとしたという仮説を上げている。ペンギン・ブックス刊行のモダン・クラシック・エディションから出ている『1984年』の解説では、当初オーウェルが時代設定を1980年とし、その後執筆が長引くに連れて1982年に書きなおし、さらに執筆年の1948年をひっくり返した1984年へと書きなおしたとしている[12]

オーウェルは1946年のエッセイ『なぜ書くか』(Why I Write)では、1936年以来書いてきた作品のすべてにおいて、全体主義に反対しつつ民主社会主義を擁護してきたと述べている[13]。オーウェルはまた、1949年6月16日全米自動車労働組合のフランシス・ヘンソンにあてた手紙で、「ライフ」1949年7月25日号および「ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー」7月31日号に掲載される『1984年』からの抜粋について、次のように書いている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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