武士
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当世具足を身に着けた侍
手彩色写真。元の写真はフェリス・ベント( ⇒en)による1860年代の撮影。

武士(ぶし、もののふ)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在し、戦闘を本分とするとされた宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員。古代末に発生した武士はその武力で古代を終焉させ、中世社会で主導的役割を果たし、近世で完成された社会体制を築き上げた。同義語として兵者(つわもの)、、武者などがある。
目次

1 武士起源論

1.1 在地領主論

1.2 職能論

1.2.1 武官と武士の違い

1.2.2 「職能」武士の起源

1.2.3 芸能の家としての武士


1.3 国衙軍制論


2 武士の身分

3 公権力の担い手

4 文官としての武士

5 武士道

5.1 武士道と近代の意識


6 武士・武者に関する言葉

6.1 武士に関する言葉

6.2 武者に関する言葉など


7 関連項目

8 脚注

9 参考文献

10 外部リンク

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武士起源論侍の
横浜市歴史博物館所蔵。侍の
ロシアはモスクワにあるトレチャコフ美術館所蔵。平安時代の武士、那須与一を描いた画
鳥取県渡辺美術館所蔵。川中島の戦い天文22年[1553年])の様子が描かれた一図

武士の起源に関しては諸説があり、まだ決定的な学説があるわけではない。主要な学説としては以下の3つを挙げることができる。

古典的な、開発領主に求める説(在地領主論)

近年流行の、職能に由来するという説(職能論)

律令制下での国衙軍制に起源を求める説(国衙軍制論)

在地領主論

武士の起源に関する研究は中世の“発見”と密接に関わっている。明治時代の歴史学者三浦周行らによって日本にも「中世」があったことが見出された。当時の欧米史学では、中世は欧米に特有のもので、近代へ発展するために必須な時代とされていた。アジア・アフリカはいまだ(当時)古代社会であり、欧米のような近代社会に発展することは不可能とされていた。三浦らは、ヨーロッパの中世が、ゲルマン民族の大移動によって辺境で発生した「武装した封建領主」である騎士によって支えられていたことに着目し、日本で平安時代中期から東国を中心とした辺境社会で活躍した武士を騎士と同じ「武装した封建領主」と位置づけ、アジアで唯一「日本にも中世が存在した」ことを見出し、日本は近代化できると主張した。武士は私営田の開発領主であり、その起源は、抵抗する配下の農奴と介入する受領に対抗するために「武装した大農園主」が起源とする。

この学説は広く受け容れられ、戦後も学界の主流を占めることとなった。唯物史観の影響を受け、武士は古代支配階級である貴族宗教勢力を排除し、中世をもたらした変革者として石母田正らによって位置づけられた。
職能論

しかし、「開発領主」論では全ての武士の発生を説明できたわけではなかった。特に、武士団の主要メンバーである源氏平氏藤原氏などを起源とする上級武士や朝廷など権門と密接に結びついた武士の起源を説明できない。

そこで、佐藤進一上横手雅敬戸田芳実、高橋昌明らによってこれら在京の武士を武士の起源とする「職能」武士起源論が提唱された。
武官と武士の違い

武士は、一般に「武芸に通じ、戦闘を職業とする軍人、あるいは兵法家のこと」とされるが、これだけでは平安時代以前の律令体制下の「武官」との違いがはっきりしない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Momi