金田一春彦は、日本語の乱れという考え方に異を唱え、次のような理由から日本語は乱れていないとした[3]。 「見る」のような上一段活用動詞、「食べる」のような下一段活用動詞、また「来る」のようなカ変動詞の可能表現としてそれぞれ「見れる」「食べれる」「来れる」と綴られるものは、「ら」の文字を含んでいないということから「ら抜き言葉」と呼ばれる。 この語法自体は、「左団扇と来(こ)れる様な訳なんだすね。」(永井荷風『をさめ髪』1899年)のように明治時代の文献にも観察されるが(松井栄一『国語辞典にない言葉』南雲堂 1983)、第二次世界大戦後には急速に広まった。「ら抜き言葉」という用語が用いられるようになったのは、比較的新しく、1988年の読売新聞社会部『東京ことば』(読売新聞社)では(ら抜き“れる”言葉)の見出しのもと、(「ら」抜きの言葉)(“れる”言葉)などの言い方が使われ、特に(“れる”言葉)が多用されている。また当時は「れる言葉」の発生は「『ら』を抜くことで舌が楽をできるから」と説明されることが多かった。 「ら抜き言葉」は、標準語圏においては口語として若年層を中心に用いられやすくある一方で、それ以外の一部の地域においては正当な活用形として使われている。土佐弁圏、名古屋弁圏、北陸地方、一部の中国地方などにおいてはかなり古くから「れる」と「られる」を区別した動詞化が一般的となっている。 また東北地方などでは能力可能と状況可能において、「れる」系と「られる」系に使い分けるということもなされており、「ら」が抜けたから「誤った日本語である」というのは標準語の観点からである。 「ら抜き言葉」の使用は関東地方においては大正期から始まったが、この傾向は国家の教育方針のもとで抑制されてきた。1970年に調査された東京都内の小中学生1539名は、「れる」と「られる」の使用について以下のような比率で分かれた。 (土屋信一「東京語の語法のゆれ」『NHK文研月報』21-9, 1971年) 言語学的には、「ら抜き言葉」の語形は従来から五段動詞に適用されてきた可能動詞化の法則を一段動詞にも適用したものだと解釈でき、この変化の背景には可能表現と受け身表現の形態上の区別がつくようになるという効果があったという説が広く受け入れられている。 こうした言語学的解釈を根拠に、「ら抜き言葉」は日本語を乱すものではなく、むしろ日本語をより合理的な言語体系へと発展させるべく寄与する「機能分化」であるとする議論も見受けられる。 現在においては「ら抜き言葉」を非標準的文法と知りつつ用いる者もいる。可能動詞化の法則にまつわる合理性に準拠するかたちで敢えて非慣用的・非伝統的な「ら抜き言葉」を使う者である。彼らは「ら抜き言葉の使用によって、可能表現と受け身表現・自発表現の違いが形態上明確になる」と議論する。すなわち従来標準語圏においては可能・受身・自発・尊敬といった種々の意味をすべて「られる」という語形で表すことが規定されてきたが、これが表現の曖昧さをもたらしかねないということがここでは問題視されている。 日常会話においては、特に若年層の間ではら抜き言葉の使用が好まれる傾向にある。しかしあくまで日常語であり、入学試験や就職の面接等で使えば不利になることが考えられる。 「ら抜き」を「ar抜き」とする意見もある。対象の語の音素をそのようにローマ字で表記すると問題の性格がより明瞭となることが指摘されている。すなわち、五十音表記のみに注目していると、たとえば「書く」「触る」「見る」のそれぞれの活用変化の間の関係について見いだせるものがないが、ここで当の語の音素を構成する子音と母音とを峻別して観察してみると、次のような共通点を確認できるようになる:「kak-u」(原形)、「sawar-u」(原形)、「mir-u」(原形)「kak-ar-er-u」(受動、尊敬)、「sawar-ar-er-u」(受動、尊敬)、「mir-ar-er-u」(受動、尊敬)「kak-er-u」(可能)、「sawar-er-u」(可能)、「mir-er-u」(?) 「書ける」や「触れる」を可能表現として確立させた要素(ar抜き)を「見れる」が所有していることから、これを正当な言語変化として認識できる、ということが主張される。これは更に、動詞の活用にまつわる従来の国学的な解釈にもとづく法則の数々(上一段、下一段、カ行変格など)をより合理的に統一することになる。この場合、「ら抜き言葉」という呼称、またそのような言葉を非文法的として排除する観点そのものが根拠を失うこととなる。 なお、五段活用の「書ける」「読める」のような可能表現も、かつては「書かれる」「読まれる」と受動表現と同じ形が使われたものが「ar抜き」を起こした形であり、通時的に見れば現在は可能表現における「ar抜き」が五段活用から一段活用へも広まりつつある状態ということができる。 参照: ⇒平成12年度「国語に関する世論調査」の結果について<問14> ら抜き言葉とは逆に、可能動詞に「れ」を足す言葉がある。1971年12月放送のテレビアニメ『ルパン三世』第10話にも「隠せれる」という用例がある。 例: また、ら抜き言葉「見れる」「来れる」に「れ」を足して「見れれる」「来れれる」とする用例もある。 「?している(してゐる)」のような言葉を「?してる」と表現するのが「い(ゐ)抜き言葉」である。 実際に話される言葉としては「い」の発音されない傾向にあり、これを反映して文学作品では明治時代から次のような例が見られた。 NHKニュースではアナウンサーは「い」を発音しているが、ニュース字幕にはい抜き言葉が散見されこれに違和感を覚える者もいる。ただしこれは画面内に文字を収めるための省略表記である場合もある。 使役の助動詞は、下記のように使う者が多いことから、五段活用動詞とサ行変格活用動詞の後では「せる」が使われ、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の動詞の後では「させる」が使われるという規則が見出されてきた。 しかし、一部では、下記のように五段活用動詞とサ行変格活用の動詞の後でも「させる」を使うことがある。これがいわゆる「さ入れ言葉」である。 敬語(特に謙譲語)に不慣れな人が、過剰に敬意表現を並べてしまうために使われるのではないか、ということから若い世代に多いと言われる[要出典]。
音韻の面では、訛った発音をする人は格段に減りつつある。
文法の面では、昨今日本語の乱れとされる言い方の多くは実は戦前からあるものである。また、その多くは表現の明快さや論理性を高める方向の変化であるから、むしろ歓迎すべき変化である。
全体として見ると、かつて日本語に地域ごとの方言しかなく異なる地域間では意思疎通が困難だったのが、共通語に統一されつつある現代は、「日本語の乱れ」どころか乱れが収まりつつある状況である。
文法の「揺れ」に関するもの
ら抜き言葉
見られる - 64.5%
見れる - 9.5%
両方 - 24.1%
来られない - 41.7%
来れない - 10.2%
両方 - 47.5%
れ足す言葉
×行けれる(正:行ける)
い抜き言葉
これは三四郎も知ってる事である。(夏目漱石『 ⇒三四郎』)
何をすねてるんだってことよ。(芥川龍之介『 ⇒老年』)
さ入れ言葉
やる(五段) → やら+せる
叩く(五段) → 叩か+せる
降りる(上一段) → 降り+させる
受ける(下一段) → 受け+させる
やる(五段) → やら+させる
叩く(五段) → 叩か+させる
是非お友達にも!
◇暇つぶし何某◇
[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:60 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:Momi