ライカ
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この項目では、ドイツの光学機器メーカー及びカメラのブランドについて記述しています。その他の「ライカ」については「ライカ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ライカ
種別レンジファインダー・カメラ一眼レフカメラ双眼鏡
最初の生産国 ドイツ
発売1913年
公式サイト ⇒ライカ
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ライカM3

ライカ(Leica ) とは
ドイツの光学機器メーカーであったエルンスト・ライツのブランド

1.が元になったライカカメラ、ライカマイクロシステムズ、ライカジオシステムズの社名の一部

である。本稿ではエルンスト・ライツとライカカメラ、およびそのブランドとしてのライカについて述べる。
目次

1 エルンスト・ライツ

2 カメラのブランドとしてのライカ

3 メーカー名となったライカ

4 カメラ製品一覧

4.1 バルナック型ボディー

4.2 ライカMシリーズボディー

4.3 ライカRシリーズボディー

4.4 フィルムコンパクト機

4.5 デジタルカメラ


5 ライカ製レンズの名称

6 贈呈品

7 日本企業との提携

8 関連する作品

9 文献

10 注釈

11 関連項目

12 外部リンク


エルンスト・ライツ

源流は1849年にカール・ケルナーが設立した顕微鏡メーカーオプティシェス・インスティトゥート(Optisches Institut )に遡る。ケルナーの死後その会社をその未亡人が引き継いだが、従業員だったフリードリヒ・ベルトレ(Friedlich Berthle [1]、-1869年)がケルナーの未亡人と結婚し、社名をオプティシェス・インスティトゥート・ケルナー・ウント・ベルトレ(Optisches Institut Kellner Und Berthle )とした。

その後、以前スイスの工場で働いていたユンカースという見習いを雇用したが、この男が以前働いていたスイスの工場で行なわれていた効率的な生産方法について説明していた際に、さらにその方法について詳しい機械工エルンスト・ライツ1世(Ernst Leitz I 、1843年-1929年)を紹介し、雇用するようベルトレに勧め、1865年にこの会社にエルンスト・ライツ1世が参加することとなった。

1869年にベルトレが亡くなるとエルンスト・ライツ1世は事業を引き継ぎ、社名をオプティシェス・インスティトゥート・フォン・エルンスト・ライツ(Optisches Institut Von Ernst Leitz )、さらにエルンスト・ライツ・オプティッシェ・ヴェルケ(Ernst Leitz Optische Werke )とした。1905年にはボディー本体をヒュッティヒに外注しカメラ生産に参入、1907年には双眼鏡生産に参入した。
カメラのブランドとしてのライカ

エルンスト・ライツに勤めていた技術者、オスカー・バルナック1914年[2]、35mm映画用フィルムの2駒分を使用する小型カメラを試作した。これは後にライカの起源として「ウル・ライカ」と呼ばれることになる。試作した理由として「無類の写真好きであったが、小柄で体力もさほどなかったバルナックにとって当時主流の13×18cmガラス乾板を使用する木製大型カメラを持ち歩くことは困難だったため、自分にとって使いやすいカメラを求めて作り上げた」という説[3]、「映画用カメラの開発に従事していたバルナックが、当時感度も低く品質も安定していなかった映画用フィルムの適正露出を調べるためにそのフィルムの一部を使い実際に撮影してチェックするために開発した露出テスト用カメラが、スチルカメラとしても流用できることに気づいた」という説など諸説ある。

1920年にはエルンスト・ライツ1世が亡くなり、跡を継いだエルンスト・ライツ2世(Ernst Leitz II )がウル・ライカに着目、改良を加え「ライツのカメラ」(Leitz Camera )との意で「ライカ」と名付け1925年に市販一号機ライカI(A)を生産、販売することになった。

それまでのカメラは密着焼きにより写真を作るのが主流であったが、ライカはフィルムが小さく引き伸ばしを前提としたため、当時一般的でなかった引き伸ばし機が当初からシステムの一環として販売された。拡大に耐えるネガを作るために高性能のレンズが必要とされ、レンズ開発の技術者マックス・ベレークはライツ・アナスティグマット(Leitz-Anastigmat )をはじめとするさまざまな銘玉を世に出した。

また一般には「広角気味のレンズを常備し必要ならトリミングする」という手法が使われていたが、ライカの場合トリミングするとただでさえ小さいフィルム面積からの拡大率がより大きくなるため、画角に合ったレンズ交換の必要性が高かった。このため1930年レンズ交換が可能なライカC型が開発され、1931年に全てのカメラのフランジバックが統一され、エルマー(Elmar )3.5cmF3.5、エルマー5cmF3.5、エルマー9cmF4、エルマー13.5cmF4.5、そしてヘクトール(Hektor )5cmF2.5と基本的なレンズが揃った。

1932年連動距離計を搭載したライカII型を発売、交換レンズとして1931年にヘクトール7.3cmF1.9、1933年にズマール(Summar )5cmF2が発売され、とりわけ報道写真において卓越した画像を多数提供したため、ライカの名声は不動のものとなった。また1934年に極めて優秀な人物撮影用のレンズ、タンバール(Thambar )9cmF2.2が供給され、現代の写真撮影のライカ判全盛の基礎を確立した。

小さいフィルム面積に重要な画像情報が凝縮されていることから画質が損なわれがちだとして、旧来のフォトグラファーからは「撮影機材ではなく『スパイカメラ』にすぎない」等と蔑視されることもあった。しかし暗い場所での撮影のための大口径レンズ、広角や望遠での撮影のための交換レンズを揃えても2?3kgに収まり、写真家はかつての重い撮影機材から解放された。このことは僻地に持参する時や、被写体の動きを素早く捉えたい時にも役立った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Oak