鰹節
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鰹節削り節(削られた状態の鰹節)

鰹節(かつおぶし)は、カツオを原料とする日本保存食品

基本的には魚体を三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟方に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。

加工工程の差異によって、鰹を茹で干したのみのもの(なまり節)、それを燻製にした荒節、さらにカビを付けることにより水分を抜きながら熟成させた枯節がある。通常よく知られている鰹節はカビまで生やしたものであるが、いずれも広くは鰹節と呼ぶ。「鰹節」の称は燻製法ができる江戸時代以前から既に用いられている。

うま味成分のイノシン酸を多量に含有し、調味料として好んで用いられる。ビタミンB群など栄養分を豊富に含む。

また、カビを生やした枯節(かれぶし)と呼ばれる種類の鰹節は、うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われている。

モルディブにも鰹節と同じものがあり、そちらのほうがより古いので、日本の鰹節はモルディブが起源であると考えられている[要出典]が、モルディブと日本、違う地域で偶然類似した品が現れた可能性もある。
目次

1 歴史

1.1 燻乾法以前

1.2 燻乾法の確立

1.3 削り節の改良


2 用途

3 伝統的製法の例

4 他の魚を用いたもの

5 その他

6 関連項目

7 脚注

8 外部リンク

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歴史


燻乾法以前

カツオ自体は古くから日本人の食用となっており、縄文時代にはすでに食べられていた形跡がある(青森県の八戸遺跡など)。5世紀頃には干しカツオが作られていたとみられるが、これらは現在の鰹節とはかなり異なったものであったようだ(記録によるといくつかの製法があったようだが、干物に近いものであったと思われる)。

宮下章氏が、『鰹節考』の中で「カツオほど古代人が貴重視したものはない。( 略)米食中心の食事が形成されて以来、カツオの煎汁だけが特に選ばれ、大豆製の発酵調味料と肩を並べていた」と述べているように、カツオが古代人にとっては最高の調味料だったといえる。

飛鳥時代(6世紀末-710年)の701年には大宝律令・賦役令により、この干しカツオなど(製法が異なる「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」に分類されている)が献納品として指定される。うち「堅魚」は、伊豆・駿河・志摩・相模・安房・紀伊・阿波・土佐・豊後・日向から献納されることとなった。

現在の鰹節に比較的近いものが出現するのは室町時代1338年-1573年)である。1489年のものとされる「四条流包丁書」の中に「花鰹」の文字があり、これはカツオ産品を削ったものと考えられることから、単なる干物ではない、かなりの硬さのものとなっていたことが想像できる。


燻乾法の確立

江戸時代に、紀州印南浦(現和歌山県日高郡印南町)の甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(焙乾法とも)を考案し、現在の荒節に近いものが作られるようになった。焙乾法で作られた鰹節は熊野節として人気を呼び、土佐藩は藩を上げて熊野節の製法を導入したという。

大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの発生に悩まされたが、逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案された。この改良土佐節は大坂や江戸までの長期輸送はもちろん、消費地での長期保存にも耐えることができたばかりか味もよいと評判を呼び、土佐節の全盛期を迎える。改良土佐節は燻乾法を土佐に伝えた甚太郎の故郷に教えた以外は土佐藩の秘伝とされたが、印南浦の土佐与一(とさのよいち)という人物が安永10年(1781年)に安房へ、 享和元年(1801年)に伊豆へ製法を広めてしまったほか、別の人物が薩摩にも伝えてしまい、のちに土佐節・薩摩節・伊豆節が三大名産品と呼ばれるようになる。カビを用いて乾燥させた節を枯節と呼び、カビは当初自然発生させていたが、昭和以降は純粋培養したカツオブシカビ(コウジカビの一種)を噴霧することで完成までの日数短縮と、好ましくないカビが発生する問題の回避を行なうのが主流になっている。

以後、薩摩や土佐、阿波紀伊伊豆など太平洋沿岸のカツオ主産地で多く生産された。江戸期には国内での海運が盛んになり、九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになり、遠州(静岡)の「清水節」、薩摩の「屋久島節」などを大関とする鰹節の番付表が作成された。
参考・文政五年(1822年)の諸国鰹節番付


大関 - 清水節(東方・遠州)、役島節(西方・薩摩)

関脇 - 宇佐節(東方・遠州)、御前節(西方・土佐)

小結 - 福島節(東方・遠州)、須崎節(西方・土佐)

以下、行司、前頭、世話方、勧進元が続く。

なお、土佐節、薩摩節などは土佐、薩摩などで作られた節の総称である。

1883年明治16年)に東京の上野公園で「第一回水産博覧会」で、1908年(明治41年)に「大日本水産会第一回鰹節即売品評会」が開催されるなど、各地で鰹節の品評が行なわれ、東の焼津節・西の土佐節の品質が高く評価された。明治以降、尖閣諸島の魚釣島や日本が国際連盟委任統治領としていた南洋諸島(南太平洋の島々)でも製造されるようになった。特に南洋ものは安価であったことから大いに市場を拡大したが、南洋諸島が第二次世界大戦後に日本の統治を離れたことで、この地域での鰹節産業は終焉を迎えた。


削り節の改良

水分を十分除去した鰹節は長期保存での腐敗は防止できたものの、カツオブシムシなどの害虫の発生と、有害なカビの発生に悩まされ続けた。大正時代に広島県福山市の富士ワ安部商が紙袋で包装して出荷する削り節を考案した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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