香西氏
◇ピンチです!◇
◇暇つぶし何某◇

[Wikipedia|▼Menu]

この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年4月)

香西氏(こうざいし、こうざいうじ)は、日本の氏族。河西とも書かれる[1]


目次

1 讃岐香西氏

1.1 出自

1.2 室町時代

1.2.1 上香西氏

1.2.2 下香西氏



2 源姓の香西氏

3 筑後の香西氏

4 系譜

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 参考文献



讃岐香西氏

香西氏
三階松
三階松に岩に笹[注釈 1]
本姓称・藤原氏[1]
讃岐国綾氏流[1]
家祖香西資村[1]
種別武家
出身地讃岐国香川郡香西邑[1]
主な根拠地讃岐国阿野郡
讃岐国香川郡笠居郷佐料[注釈 2]
支流、分家上香西氏(武家
下香西氏(武家
凡例 / Category:日本の氏族

讃岐国国司であった藤原北家の流れを汲むとされる日本氏族室町時代には讃岐東部において最大の勢力を有する国人となり、讃岐守護であり室町幕府管領となった細川京兆家に仕え細川四天王と呼ばれた。応仁の乱後には山城国丹波国にも所領を有し、その後の細川氏の内訌にも大きく関与した。
出自

平安時代末期、讃岐藤原氏二代目・藤原資高が地名をとって羽床氏を称し、三男・重高が羽床氏を継いだ。次男・有高は大野氏、四男・資光は新居氏を称した。資高の子の中でも資光は、 治承7年/寿永2年(1183年)の備中国水島の合戦で活躍し、寿永4年(1185年)の屋島の戦いでは、源義経の陣に加わって戦功を挙げ、源頼朝から感状を受けて阿野郡(綾郡)を安堵された。

鎌倉時代承久3年(1221年)の承久の乱においては、幕府方に与した新居資村が、その功によって香川郡12郷・阿野郡4郷を支配することとなり、勝賀山東山麓に佐料館、その山上に詰めの城・勝賀城を築いた。そして姓を「香西氏」に改めて左近将監に補任された。一方、後鳥羽上皇方についた羽床氏・柞田氏らは、それぞれの所領を没収され、以後羽床氏は香西氏の傘下に入った。
室町時代

南北朝時代には、香西氏は北朝につき、羽床氏は南朝についた。室町幕府における讃岐守護は細川氏であり、応仁元年(1467年)から始まった応仁の乱では、香西氏は東軍の総大将・細川勝元の内衆として活躍し、当主の香西元資は、香川元明、安富盛長、奈良元安と共に「細川四天王」と呼ばれた。

香川氏安富氏、奈良氏は元々は讃岐の国人ではなく、細川氏の讃岐入部に伴って香川氏と奈良氏は西讃安富氏東讃に入り、香川氏は西讃岐守護代、安富氏は東讃岐守護代に任ぜられたが、香西氏の所領は安富氏を凌ぐものであった。東讃は、他に植田氏、寒川氏などが割拠しており、それぞれ細川家や三好家の上洛戦に協力し、畿内でも武功を挙げている。

香西元資の長男・元直は常に京都にあって勝元を補佐した為、讃岐の領地は元直の弟・元綱が相続し、元直系の上香西氏、元綱系の下香西氏に別れた。
上香西氏

元直の子・香西元長は、勝元の子・管領・細川政元の助力を得、明応6年(1497年)には山城守護代となった。


是非お友達にも!
■暇つぶし何某■

[次ページ]
[記事の検索]
[おまかせリスト]
[ブックマーク登録]
[mixiチェック!]
[Twitterに投稿]
[オプション/リンク一覧]
[話題のニュース]
[列車運行情報]
[暇つぶしWikipedia]

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE