韓国起源説の一覧
[Wikipedia|▼Menu]

韓国起源説の一覧(かんこくきげんせつのいちらん)では、韓国起源説の主張事例の一覧である。

本項で取り上げる事例は、次の基準による。

「著名人が主張した説」または「メディアが報道した説」以上を対象とする。

韓国国内外における、説の認知度・浸透度は問題としない。


目次

1 日本の事物

1.1 武芸・武術

1.2 諸文化

1.3 食文化

1.4 言語

1.5 宗教・祭り

1.6 人物

1.7 歴史

1.8 動植物

1.9 技術


2 中国(満州を含む)の事物

3 その他の地域の事物

4 韓国起源説とは言えないもの

5 関連項目

6 出典


日本の事物
武芸・武術

事例主張反証
剣道
剣術

武士道日本のインターネットで韓国起源説が注目を集めるきっかけとなったのが、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説であり、特に剣道韓国起源説が注目を集めるきっかけとなった[1]。剣道韓国起源説がネットを介して流布されたことにより、全日本剣道連盟に対応を求める電子メールが殺到し、全日本剣道連盟は公式ウェブサイトで、韓国起源説を否定する事態になっている[2]。韓国最大の剣道団体である『大韓剣道會 (Korean Kumdo Association)』や『世界剣道協会 (World Kumdo Association)』が公式ウェブサイト等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており[3]、『国際剣道連盟 (International Kendo Federation)』に参加していながらも、その正式名称は『剣道』ではなく剣道の朝鮮語音の『コムド (kumdo)』であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している[4]。『大韓剣道会』の広報理事の崔民秀は「『剣道は日本のもの』という誤った認識を正す」と述べている[5]。また、『大韓剣道會』のソ・ビョンユン専務理事は「日本文化の多くが百済から流入し、刀も百済から日本に伝わったと日本人が話しているので、剣法も当然そのようなルートを通じた。刀の代表的なものが日本の神社に奉献されている七支刀で、百済王が日本国の君主に権威の象徴として下賜したというのが定説だ。日本王が『桓武天皇の生母が、百済の武寧王の子孫』だと表明したが、当時強大だった百済から武寧王の子孫の女性を送る際に、護衛の武士を同行させたのだろう。刀と武士が移動すれば、当然剣術も移動することになる」と剣道韓国起源説の根拠を述べている[4]。また、「バレーボールゴルフ野球レスリング卓球などの種目がどの国のものなのかと、熱を上げながら宗主国ばかりを突き詰めていたら、周囲からは当然変に思われるでしょう[4]」と、日本側の剣道の起源主張をけん制している。また、『大韓剣道會』の会長であり、国際剣道連盟(FIK)副会長のイ・ジョンニム氏は、剣道の近代化を成し遂げた国は「日本で間違いない」とするも、「日本で剣道という名称で定着する前には撃剣という名称が使用された。三国史記三国遺事などにあまねく登場する韓国語だったのだ。また、日本で11世紀以前まで使用した剣の形態も、三国時代に我が国で使用したものと同じだ。」と主張している[6]

また、韓国系移民が中心となり、米国を始めとした世界各国で『コムド』道場を開き、古代から伝わる韓国の武道として積極的に広報活動をしている。これらの道場では、日本のや日本刀を用いて、日本の剣術やそれを改変したものを「韓国古来の武術 (korean martial arts)」として『コムド』と同時に教えている場合もあり[7][8]、『剣道』と『コムド』の「他流試合」が行われることもある。一方、『大韓剣道會』と対立する『世界海東コムド連盟 (World Haidong Gumdo Federation)』[9]や『統合世界海東コムド連盟 (United World Haedong Kumdo Federation)』[10]は、『海東コムド (Haidong Gumdo)』が剣道の起源であると主張している。彼らは、侍や武士道の起源は高句麗の「士武郎(サムラン)」にあると主張しているが、韓国内で裁判が行われた結果、士武郎起源説は捏造であったことが発覚している[11]。このように本国では捏造扱いされている海東コムドだが、韓流ファンのフランスの若者が組織し、駐仏韓国文化院と韓国観光公社パリ支社と農水産物流通公社が後援して韓国文化を国際的に紹介する組織「Korean Connection」が、パリで開催した「Korean Connection 2011」で、韓国起源の古代武術として海東コムドの演舞を行っている[12][13]。「コムド」も参照また在米韓国系移民たちを中心とした別のグループが、「新羅の『花郎(ファラン・Hwarang)』は1800年前から存在した古代韓国の戦士であり、この戦士が使った武術を『花郎道・ファランド・Hwa Rang Do』である」と主張して、道場を開いて、日本の伝統武術を改変したものを「古来韓国武術」として教えている[14]。彼らは「すべての日本の武術の起源は朝鮮半島にある」と主張をし、その主張に沿った武術の系譜を公開している[15]。「花郎」も参照

2001年に日韓合作で、侍の起源を百済に求める映画『サウラビ』(朝鮮語で「ssaul-abi(戦う男)」を意味する)が製作され、韓国で公開された[16]。朝鮮日報は映画『サウラビ』を「三国時代、百済人が日本を開拓して文物伝播した歴史的事実を土台に、サウラビの魂が日本の侍精神に発展したという前提が込められている」と、侍の韓国起源説を歴史的事実として紹介した[17][18]。また、本作の制作発表会においてムン・ジョングム監督は「韓民族の魂と精神を再照明し、韓国人が忘れていた民族の優越性と民族意識を覚醒させることに焦点を合わせる」と発言をし、「侍」という日本文化を剽窃するばかりでなく、韓国文化の優越性にまで言及した[19]。なお、日本ではそのあまりにでたらめな歴史描写のためにDVD化されたのみで劇場公開はされなかった。2009年6月17日には毎日新聞 (韓国)慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が、「侍の起源は、二言なく韓国のサウラビ(戦う親父)である」と主張した[20]。「サウラビ」も参照

また、『釜山日報』のチョン・タルシク記者 は、「若光(高麗若光)は高句麗の最後の王だった宝蔵王の息子だ。彼は666年、日本に渡る。日本の埼玉県に定着した若光は高句麗滅亡の知らせを聞いて716年、日本武蔵国周辺一帯に散って生きた1千799人の高句麗遊民らを集めて高麗郡を建設する。1千799人の高句麗人らは細工、織物、鉄製など技術に長けた人々だった。彼らは鉄製農機具を導入、農作物収穫を極大化させた。高句麗人らは鉄器導入だけでなく、日本人たちに紙の製造技術まで伝播した。彼らは日本の関東地方を中心に武士集団も形成する。これが日本武士集団の始めだと言う。武士集団が形成された背景には高句麗人の鉄製技術と馬があった」と主張[21]。剣道は、韓国ではコムドと呼ばれ、テコンドーと並ぶ人気武道であり、日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことやの色や形程度であるが、日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化である。剣道の韓国起源論に対して竹嶋渉は「これは風が吹けば桶屋が儲かるの上を行く拡大解釈であるとしか言いようがない。言ってみればこれは日本の自衛隊の起源は種子島鉄砲を伝えたポルトガル人だと言っているようなものである」「大した根拠もなく『剣道の宗主国は韓国』などと放言しているソ・ビョンユン氏の姿勢も、われわれから見ると当然変なのである」と批判している[22]日本刀についての歴史は当該項目参照)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:389 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:FIRTREE