青銅器
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銅鐸日本の青銅器)

青銅器(せいどうき)は、青銅で作成した工芸品である。一般に銅銭などの貨幣は青銅製であってもこの範疇に含まない。主に古代に作られ、青銅器が出現してから鉄器が出現する直前までを青銅器時代と呼ぶ。

古代中国では、で作成された。
目次

1 中国における青銅器の歴史

2 弥生時代の青銅器

3 青銅器の種類

3.1 容器

3.2 楽器

3.3 武器


4 コレクション

5 関連項目

6 参考文献

7 外部リンク

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中国における青銅器の歴史

中国で、青銅器がいつのころから使用され始めたのかは明確な回答は出ていないが、現在までのところ紀元前2000年ごろ、二里頭文化時代には既に制作されていたことが発掘調査などで判明している。青銅器が使用され始めた時期から、鉄器が使用され始めるまでの期間を青銅器時代と呼ぶが、いわゆる四大文明(北アフリカエジプト)、西アジアメソポタミア)、南アジアインダス)の各文明)の中で、他の三地域がおよそ5500年前(紀元前3500年ごろ)に青銅器時代を迎えたのに比較して、中国の青銅器時代の到来は若干ながら遅れている。このことから、中国の青銅器文化は他の先進地域より青銅器が持ち込まれた結果発達したとの見方も多い。但し、5000年ほど前の中国には石器・銅器(青銅器ではないことに留意する必要がある)併用時代があることから、青銅器も中国大陸で独自に発達したとの見解もあり、詳細はなお研究が待たれる。

ここでは中国の青銅器を五期に分類するが、三期分類・四期分類なども存在する。第二期、亜形父丁鼎(図)
第一期:二里頭文化から(殷)初期まで
種類も少なく、大きさも小さい。初期には銅と青銅が混在する。主に実用に供するものが多いことが特徴で、小型の墳墓からも出土する。このことから、大きな権力を保持しない者でも日常使用していたものと思われる。
第二期:殷(商)中期から西前期まで
殷(商)の青銅器は獣面紋(饕餮(トウテツ)文)と呼ばれる模様と雷紋と呼ばれる模様が主に鋳造されている。殷(商)後期から西前期には、模様が器の全面を覆い、しかも立体的な高浮き彫り状になっている器物が多い。全体が動物型になった器さえある。器物の種類も増えるが、最大で1.2m,800kgと持ち上げられないくらい大きい例がでてくる(司母戌方鼎)。模様や形は、殷(商)末期と西初期は、ほぼ共通しているが、西期は鳳凰紋が多くなる。殷(商)期のものには文字が1から20字程度鋳込まれているが、固有名詞や紋章の羅列のようなものが多い。西に入ると、200字以上の堂々たる文章を入れる例がでてくる。青銅器に鋳込まれる(彫り込まれた)文字と文章を金文と呼ぶ。
第三期:西中期から春秋時代前期
酒器が少なくなり、食物を盛る器が多くなる。紋様は、幾何学的模様が多くなり、立体的な奇矯な模様もなくなる。獣面紋(トウテツ紋)は中心ではなく周辺部に使用されるようになる。銘文は長文が多く497字(毛公鼎)という例さえある。銘文の文字の形も、前期ほど謹厳ではなくかなり自由である。
第四期:春秋時代後期から戦国時代
戦国時代に入ると、多数個セットで製造された鼎がしばしば発見される。龍紋を繰り返し表面にスタンプする技法が多い。立体的な動物彫像を取っ手や部品に使う豪華な器物も多数出現する。一部では、金銀ガラス象嵌を使用した華美なものや、複雑精緻な透かし彫りを行った青銅器も出現する。また、音楽演奏用のの大きなセットがしばしば制作された。武器や馬車用の部品の青銅器にも金銀で豪華な装飾を施したものがでてくる。
第五期:秦から唐まで
代でも引き続き製作されているが、徐々に質・量ともに下火になっていく。代に入ると鏡などの一部の青銅器が残るものの、文化の中から青銅器の占める割合は激減する。
弥生時代の青銅器弥生時代の銅矛九州出土、1-2世紀)

青銅器が日本(倭)にもたらされたのはおよそ紀元前2世紀であり、生産もその後すぐおこなわれた可能性が高い。主な青銅器は、鏡・矛・剣・戈(か)の武器類と銅鐸、やりがんな等である。武器類は、初めごろは実戦に使えるものであったが、だんだんと武器としては使わないようになり、形を変えていった。武器というより、武器の形をした祭器、または威信材に変わっていった。伝播してきた朝鮮半島南部では、個人の墓に副葬される例が多いことから、その影響が濃いと考えられている。銅鐸も段々と大型になっていった。このように武器型祭器も銅鐸も何に使われたか、どういう性格のものか明らかでないが、稲作の豊穣を祈る祭りに用いられるものだという見方が有力である。弥生時代後期になると北部九州では銅矛、瀬戸内海沿岸では銅剣、近畿では銅鐸が祭祀の時の重要な祭器として使われた。
青銅器の種類第二期、爵 高20cm

青銅器には大きく分けて容器として用いるもの、楽器として用いるもの、武器として用いるものの3種類が存在する。以下はその大まかな分類である。
容器
(テイ・かなえ)
大型の器で、3本乃至4本の足で支えられた蓋のない器。果実や肉などを盛り付けるものと考えられる。鼎立とは、複数(多くの場合三つ)の勢力が同一地域に存在する状況を形容する言葉。三国鼎立など。『鼎の軽重を問う』などの故事に見られるように、国家の威信を示す存在でもある。
?(ユウ)
縦に細長く、もち手と蓋がついた器。液体を運ぶものと考えられる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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